472話 後宮情報戦
王宮の、男子禁制のエリア。
後宮ともいわれるその場所は、国王のプライベートな空間でもある。
そこに居て良いのは、国王を除けば女性だけ。
更に、女性にも身分の違いがあり、それぞれに明確な格差が存在する。
一番身分の低いのが、下働きだ。
どぶ掃除や、赤ん坊のおしめの洗濯、高所作業や重量物の運搬、水汲みなど、人があまりやりたがらないような仕事を熟す。
辛い仕事、汚い仕事、危ない仕事は、身分の低い人間が行うのが後宮のルール。
ほとんどは平民出身の女性である。
次に身分の低いのが、低位の女官だ。
彼女たちは上司の命令を受け、下働きの人間を統率し、部屋の掃除をしたり高貴な女性の食事の準備をしたりする。
高貴な方々に直接声を掛けてもらえる機会は稀であるが、顔を覚えて貰える程度には近しい。
だいたいが低位の貴族出身者である。中には従士家出身というものもいるが、彼女たちは高貴な人々の近くに寄ることは憚られる為、自分たちだけでグループを作って時折姦しくおしゃべりしている。
その上に居るのが、高位の女官だ。
全員が皆貴族家出身であり、中には王家に連なる血筋のものも居る。
彼女たちは、基本的に数居る王妃に直接仕え、妃からの指示を直接受ける立場。
王妃が常日頃身に纏う服の準備や着付けを行ったり、求めに応じて音楽を奏でたり。
高貴な生まれだけあって、日常生活も割とゆとりある生活をするものが多い。
そして最上位の身分が、王妃と呼ばれる者たち。
正室とされる第一王妃を筆頭に、第二王妃から順々に格付けされており、生まれは様々だ。
その時の国王が手を付けた女性で、素性に問題が無ければ序列を与えられて王妃になる。
何世代か前の王はことのほか平民好きで、王妃が何人も平民出身ということがあったのだが、現在の後宮の序列は第一王妃からその下までずっと、高貴な生まれの者ばかりである。
王妃の間には、序列による待遇格差が存在している。
与えられる予算の額の多寡であったり、行事の際に一律に贈られる品の質が違っていたり、目に見えるものから無形のものまで、さまざまだ。
では、この序列。
絶対に動かないのかと言えば、そうではない。
特に王妃の間の序列は、割と流動的である。
何故なら、王妃に求められる仕事というものが、王の子を成して産むことにあるからだ。
元々の序列や身分が低かろうと、王の子を産んだのなら偉い。産んでない王妃は、幾ら喚こうが泣こうが、或いは高貴な生まれだろうが、序列としては子を産んだ王妃に劣る。
何とも分かりやすく、かつ残酷な世界が後宮の世界。
女同士の、王の寵を競う争いが、日々繰り広げられる女の園である。
今日もまた、女同士の戦いが勃発していた。
「あらエミリア、今日はいい天気ね」
「はい王妃陛下」
後宮の中でも中庭に当たる部分。よく手入れされている庭であり、誰しもが心地よい気持ちになれる場所だ。普通ならば、王妃が誰か居て、その周りを女官が取り囲み、日光浴なり森林浴なりを楽しむところ。
たまに、王妃という身分の人間が、顔を合わせることも有る。その場合、気持ちのいい空間が、一気に不穏なものになる。
正室であり、第一位の妃であるエルゼカーリーと、側室であり、第二位の妃であるエミリアが鉢合わせたのも、偶然だった。
ここ最近の好天と、昨日振った雨による偶然だ。
久しぶりに振った雨で昨日一日は皆が屋内で過ごした。今日は朝からからりと晴れあがり、冬にあって陽気ともいえる気持ちのいい天気になったのだ。
おまけに、虹が架かった。
これは気分も良かろうと、高貴な方々が散歩がてら外を歩こうと考えた訳だ。後宮に住まい閉塞感を覚える者は、皆同じように解放感を求めて空を見に屋外に出る。
いつもなら女官たちが先んじて確認しておくので王妃同士が一か所でかち合うということも中々無いのだが、今日に限っては両者の気まぐれの結果、鉢合わせることになってしまった。
取り巻きたちはそれぞれに険しい顔をせざるをえない。
正室と側室。
じっと視線をぶつけあう二人。
「王妃様が外を出歩かれるのは珍しいですね」
「あら、そうかしら」
ふるりと、ひらひらした衣装を揺らす正室。
この服は、国王から先の暮れに贈られたものであるという誇示であろうか。
金糸や銀糸の入った、煌びやかな意匠。
勿論、側室としても第二王妃も同じように衣装を贈られているが、銀糸までは入っていないので一段格落ちするもの。
第二王妃としてみれば、わざとらしく見せびらかすようにしているだけで、もういけ好かない。
「身体を動かすことよりも、室内に篭られることの方がお好きでしょう。明るい場所は不慣れではありませんか?」
「気遣って貰わなくても大丈夫よ。明るい場所は大好きだから。貴女こそ、散歩なんて珍しいわね」
「そうでしょうか?」
「いつも身体を鍛えるのに木槍を振るっているでしょう? 雨上がりだといつも以上に泥で汚れてしまうじゃない」
お互い、顔は笑顔でも言葉の端々にチクチクした嫌味が混じる。
双方ともが王妃というやんごとなき身分であり、生まれも育ちも貴族として生きてきたからには、決定的で直接的な悪口は言わない。勿論、幾ら仲が悪くても手が出たりはしない。それをしてしまうと最悪な結果になるというのがお互いに分かっているからだ。双方に行っていることは、単なる言い争い。
しかも、遠回りにお互いの悪い点を指摘している。
元より頭の良さを買われて、美貌と併せて才色兼備を謳われた第一王妃は、運動が得意ではない。というより、人並みだ。神王国の価値観から見て女性らしい女性であり、外で過ごすことよりも室内で出来ることの方が好みである。
王の政務を補佐することもあり、どちらかと言えばインドア派。引きこもりでない程度には外にも出るが、活動時間の比重は屋内に偏っている。
対し、第二王妃は昔から活発で、運動も得意なアウトドア派。自分自身が槍をもって戦うことも辞さない気構えを持っていることで知られ、王からも信頼を寄せられている。
元より騎士の国である神王国は、貴族が戦えることは好意的に見られる。
特に軍人の中でも武闘派よりの人間は、強さこそ貴族たるの証と思っている節が有り、仮に鍛えられた女性であっても肯定的に扱う。
勿論、神王国全体の価値観としては異端だ。
女性というものは慎ましく、淑やかにあることが理想、という常識も根深い。
となると第二王妃は、少々どころではないじゃじゃ馬ということになる。
序列が第一王妃に劣っているのは、そこら辺の貴族ウケを理由にしたものというのがもっぱらの噂だ。
正室たる第一王妃と、側室筆頭たる第二王妃。
どちらもスタイル抜群の美女であるが、性格はどうにも合わない。
故に、ちょくちょくこうして小さな衝突を起こしているのだ。
どちらも王の子を、それも王子を産んでいることも有り、角突き合わせて威嚇し合う関係である。
二人の穏やかな顔色と声色に騙されてはいけない。
彼女たちの言葉を翻訳するのなら、「根暗が外に出てきてんじゃねえよ、いつも通り引きこもってろ」と第二王妃が煽ったのに対して、第一王妃が「いつも泥だらけの汚れた女が、黙って槍と遊んでろ」と言い返した形だ。
あらあら、おほほと口元では笑っていても、目元はお互いにわらっていない。
「身体を動かすのは、素晴らしいことだと思いますが、王妃陛下は運動をなさらないようですね」
「そうでもないわ」
いつものやり取りの如く。
エミリア第二王妃がエルゼカーリー第一王妃の運動不足を指摘する。
普段であれば、政務が忙しいからだのなんだの言い返してくるところだが、今日はどうも違っていた。
「最近、身体の調子が良いの。運動もしているわ」
「え?」
第一王妃の言葉に、第二王妃は驚く。
しかし、実際に体つきが少しすっきりしているように見える。
喧嘩している相手だからこそ、相手のことは割とよく観察しているのだ。
「おかげで毎日気持ちのいい生活をしているのだけれど……やっぱり運動も大事ですけど、そればかりだと芸が無いというものね」
ふふん、と自慢げなエルゼ王妃。
胸を反らす態度に、第二王妃は改めてじっと相手を観察した。
言われてみると確かに、いつも以上に体調が良さそうである。
一体、どうしたというのか。
いう鞍観察しても謎は深まるばかり。
「その秘密はなんですの?」
性格からだろうか。
迂遠なやり取りではなく、直接謎を解決しようとする第二王妃。
「内緒よ」
ふふんと勝ち誇る第一王妃に、悔しそうな第二王妃。
中庭のにらみ合いは、第一王妃に軍配が上がった。
◇◇◇◇◇
後宮の一室。
第二王妃として、それなりに豪華な部屋を宛がわれているエミリアは、ぎりぎりと歯ぎしりをしていた。
その原因はと言えば、第一王妃の変わりようだ。
「一体、何なのよ!!」
憤懣やるかたない気持ちを、思いっきり吐き出すエミリア。
元々、第一王妃とエミリアでは、エミリアの方が若い。
共に子供を産んでから若干体形が崩れたことも有ったが、どちらも名うての美人として有名だったのだ。
同じ美人であれば、若い方が有利。
年齢だけはどうあっても覆せない、エミリアの貴重なアドバンテージ。だったはずなのだ。
「あの女、明らかに“若く”なってなかった?」
「……そのようにも見えました」
おかしい。
人間が若返るなど、あって良いはずが無い。
そこには何か秘密が有るはずなのだ。
何かと反目しがちなライバルに対して、自分の有利だった部分まで負けるわけにはいかない。
せめて、若々しくなった秘密を探らねば。
「エミリア様、王妃陛下の秘密が分かりました」
「ほんと? よくやってくれました!!」
自分に侍女として使える女官の一人が、朗報を持ち帰ったらしい。
この侍女は、自分が実家から連れてきた股肱の部下。
そして、後宮内の情報を集める役割を担っている、重要な配下である。
早速聞かせて欲しいと、エミリアはねだる。
「その秘密は……」
王宮の中で行われる情報戦。
その最前線は、身近なところに起きていた。