471話 研究はやりがいと閃き
その日は、のどかな一日だった。
いつも通りの一日の始まりであり、ごく普通の朝だった。
ペイスもモルテールン領でもいつも通りの政務を行っていたのだが、今日は一件だけ普段と違う用事があった。
「研究結果の速報です」
モルテールン領立研究所の所長、ソキホロ氏との会合だ。
元より賢さには定評のあるペイスではあるが、この世界にも賢人と呼ばれるものは数多くいる。特定分野に限るのであれば、中にはペイス以上に知識を持つ人間も居て当然だ。
ソキホロ所長は、その中の一人。
こと魔法研究の分野においては世界最高峰の知識を持ち、ペイスの思い付きともいえるアイデアを、実際に研究という分野に降ろし、実際の技術として確立するまでを担う、モルテールン家にとっての重鎮である。
戦闘力の高い人間というのであれば、この世界であれば代替できる人間など探せばいくらでもいるだろう。
しかし、頭のいい人間で、かつ知識のある人間で、モルテールン家に忠誠心を持つ人材となると、これはもう替えはきかない。
故に、ペイスもソキホロ所長の待遇は最上級のものを用意していて、話がしたいという連絡が有れば最優先で時間を空ける。
今日も今日とて、中年研究者がザースデンの執務室に顔を見せる。
いつも通りだらしなさを感じる身なりだが、大事なのは服ではなく服の中身だ。
「急がせてしまいましたね。所長もご苦労様です」
「いえ。もっぱら部下がやっておりましたから、私は指示を出すのと確認だけです」
ペイスが指示をだしていたのは、サーディル諸島でつらつら考えていた仮説の検証である。
魔力の影響で、カカオが若返りの効果を持つようになったのではないかという検証だ。
ソキホロ所長は他にも行っている研究が有る為、配属された新人たちを扱きながら検証したらしい。
後進の指導もしているというのは、実に頼もしいことである。
ペイスは笑顔で所長の労をねぎらう。
「確認するのも、経験が必要ですからね。誰にでも出来る訳ではありません。いつも感謝しております」
「勿体ないお言葉ですな」
ソキホロ所長は、無精ひげを撫でながらペイスに研究途中の報告を見せる。
「まず結論から申し上げますと、魔力が植物の生育に影響することは確定です」
「そうですか」
「より正確に言えば、一定水準を超える濃度……密度というのが正しいのか? が、越えている環境だと、越えた量に比例して顕著に影響がみられるようになる、という結果が得られました」
「つまり魔力を込めた土地で作った場合、作物には何かしらの影響が有る?」
「はい。そう言えます」
研究内容の速報には、魔力の豊富な場所。とりわけ、土壌に魔力が多く含まれている場合の作物生育が、通常と明確に異なるという結果が書かれていた。
「促成栽培できるもので試してみました。魔力を込めた龍金製の容器に土を入れて育てたものと、普通の鉢植えとを比較したものがこちらです」
「……成長の度合いが若干早くなる?」
「の、ようです」
所長は、断言しなかった。
今のところ、もやしのような豆の促成栽培と、二十日大根のようにひと月未満で収穫が出来る小さな根野菜を、それぞれ魔力の豊富な環境で育ててみたところである。
結果として、それぞれ普通の育て方をしたものと比べて、芽の長さは長く、葉の色もより濃い。
素人が見れば、これだけで「成長が早い」と結論付けてしまいそうなものだが、そこは研究の専門家。あらゆる可能性を想定して、確信が持てるまで断言はしない。
例えば現状であれば、実際に収穫をしてみるまでは、収穫までの期間が短縮されたとは断言できない。
単に、大きく成長しているだけかもしれないからだ。
傍目には早く育っているように見えて、単純に大きく育つ途上かもしれない。魔の森では、蜂や蜘蛛や猪が巨大に育っていたのだ。豆が同じように大きく育っているかもしれないと考えたとして、誰が可能性を否定できるだろうか。
早く育っているのか、大きく育っているのか、或いは他の状態なのか。検証がまだまだ足りていない状況なので、あくまでも速報。参考意見でしかない。
「然しながら、魔力が“何らかの”影響を及ぼしていることは確定しました」
「そうですね、この結果を見る限り、そのようです」
試験結果は、追試も行われている。
一応、種を撒くときは二十粒ほどの種をそれぞれに撒いて個体差を減らそうとしたが、完全になくした訳でも無いだろう。
たまたま、物凄い確率の偶然で、成長の早い種だけが偏ってしまったかもしれない。
もう一回同じ実験をしてみることで、実験内容に見落としが無いか、確かめてみたのだ。
「気になる点と言えば、作物ごとの差異でしょう」
「差異? どういうことでしょうか」
ソキホロ所長の言葉に、疑問符を浮かべるペイス。
「今回、成長の早い幾つかの作物で実験をおこないました」
「はい」
「結果として、どの作物においても何がしかの変化が生まれました」
「面白い結果だと思います」
「しかし、変化そのものを見れば、作物ごとに違っています」
「ふむ」
言われて実験結果の速報を見直せば、なるほど、言いたいことが分かった。
「もやしの育成に関しては、茎が長く伸びた一方、二十日大根では葉が大きく茂った。大きな特徴として見られるそれぞれの変化は、確かに作物ごとに違いますね」
「はい。これは今実験中なので速報には載せられませんでしたが、芋で行った時には葉の色が濃くなっています。農家の見立てだと、恐らく実の方がよく出来ているはずだと。土の盛り上がり方が、明らかに大きいと。掘り返してみるまで断言はできませんが、実が大きくなっているか、或いは実の数が沢山なっているものだと推測されます」
「それは朗報じゃないですか」
ペイスは、ソキホロの言葉に相好を崩す。
芋というのは、いつの時代も救荒作物として確かな地位を確立している。
やせた土地でも育ち、収穫量は多く、作物そのもののカロリーも高い。
いざ飢饉になれば、芋の活躍する場は広がるだろう。
芋の収穫量をあげられる技術に繋がりそうだと思えば、笑顔にもなるだろう。
「惜しいですな」
「何がですか? 所長」
いい結果が出ているはずの実験。
しかし、ソキホロは悔しそうな顔をした。
「魔法を汎用化する研究の成果としてみるなら、魔力の農作への利用などというのは絶好の研究テーマではないですか」
「その通りだと思います」
作物の生育に対して、魔力を使って影響を与える。
これは即ち、魔法といっても過言ではない。
もしも魔法使いで【成長促進】などという魔法を持つものが居れば、今回の実験結果と同じ成果を出すに違いない。
魔法汎用化研究。
ソキホロのライフワークであり、一生かけて研究しようと決めているテーマ。
誰もが魔法を使えるようになり、魔法が一般的な技術とされ、社会がより発展し、より豊かで安定した社会になる。
研究者としての人生を掛けるに足る、最高にして至高のテーマである。と、ソキホロは信じている。
ならば、今回の研究は、ソキホロの夢ともいえる目的に適う。
実際、魔法を使えないソキホロの部下が実験して、速報の成果を出せたのだ。
誰もが出来る技術に落とし込むことは、現実的に可能だろうと思われる。断言はできないが、まず道筋ははっきりと見えているではないか。
「王都の方で論文にでもまとめて発表すれば、汎用研への見方も変わり、なんなら予算をたっぷり確保できたかもしれないと思うと、少し勿体ない思いがありまして」
王都の王立研究所に汎用研が有った頃にこの成果を出せていれば。
間違いなく、ソキホロの立場も変わっていただろうし、今のような状況には無かっただろうと思う。
きっと、汎用化技術の新しい可能性として注目を浴び、研究資金もたっぷりと貰え、研究者としての名声を得て、なんなら副所長ぐらいまでは出世したかもしれない。いた、そうなっていだろう。
今は、モルテールン家に仕える身。研究成果を秘匿せねばならない立場だし、大っぴらに研究内容を自慢することも出来ない。
割と窮屈な立場でもある。
「向こうに戻りたいとでも?」
「とんでもない。今の境遇に、私は心から満足しておりますし、ペイストリー=モルテールン卿には恩義も感じているのです。ただ、公に出来ないのが惜しいというだけで」
「そうですね。それは確かに」
研究というものは、積み重ねである。
些細なことでも失敗を繰り返し、或いは成功を繰り返し、先人から後進に、研究を引き継いでいく。
先人たちの失敗を先んじて学んでおけるからこそ、次に続く者は同じ失敗をしなくなる。
どれだけ失敗しようとも、それは財産となり、いずれ大きな成功に結び付いていくのだ。
今回の速報も、大っぴらに出来ればどれだけの人間が興味を持つか。開示さえ出来るなら、研究を一気に進めることも出来るだろうことに、惜しいと思う気持ちが隠せない。
しかし、ソキホロは惜しいと言いつつも不満はなかった。
かつての劣悪な待遇を覚えているだけに、自分が今とても恵まれていることを知っているからだ。
そもそも、今回の実験ついてもペイスのアイデアだ。
魔法を使って世界を飛び回り、大龍を単騎で打倒し、サーディル諸島まで自分で足を運び、現地の神話に謳われる幻の品を見つけ出し、そうして得られた仮説が有ったからこそ、出た実験結果なのだ。
これを、自分だけの力で成し遂げたと思えるほど、ソキホロの面の皮は厚くない。精々がペイスの十分の一ぐらいだろう。
「まあ、いずれ公にすることも有るでしょう。外交的に利用するかもしれませんし、その時は所長の名前も歴史に残りますよ」
「それは楽しみですな」
はははと笑う中年男。
研究者としては、歴史に名を遺す名誉を得られるというのは嬉しいことだ。
ペイスは、いずれ公にするかもしれないと言った。ならば、それを待とう。
ソキホロはペイスに楽しみだという。
「まだまだ試しておきたいことは有ります。引き続いてお願いします」
「分かりました」
ソキホロは、研究者としてのやりがいを感じつつ、成果を出して見せると胸を張った。





