470話 ナータ商会は苦労する
モルテールン領ザースデンの大通り。
領主館や広場から最も近い位置にある建物が、ナータ商会モルテールン本店である。
近年拡大に次ぐ拡大で、忙しさも半端ないナータ商会ではあるが、その会頭はデココ=ナータ。
お金持ちで四十にもなろうかというのに独身という、貴族も羨む独り身ではあるが、彼とて決して苦労知らずでは無い。
今日も今日とて、モルテールン家の問題児が、問題を持ち込んできたことに頭を抱えていた。
「王妃陛下がお忍びで来られると?」
「ええ。デココには前もって伝えておこうと思いまして」
先ごろ、王都でペイスが伝えられたのは、王妃陛下のお忍びでのお菓子購入。
ナータ商会が王都の一等地に店舗を開くことを耳ざとく聞いた彼女が、是非とも自分が直接足を運びたいと言い出したのだ。
「自分としてはそのような面倒ごとはご遠慮願いたいところですが」
「そうもいかないのが、辛い所ですね。お互いに」
何故か面倒ごとの方が寄ってくるトラブル体質のペイスである。
王妃様が市井に降りて、お菓子を買いに来るというのに、何事も無ければいいなあなどと希望的観測に頼ることは出来ない。
むしろ、何かが起きることを前提に心構えをしておく方が正解だろう。
「そもそも、なんで直接買いに来るんですか?」
「事の起こりを言えば、モルテールンのお菓子が話題になり、更には陛下がリコリス印のクッキーを褒めたことに始まります」
「ほう」
今でこそ若奥様として家の社交も取り仕切っているペイスの妻リコリスであるが、彼女がモルテールンに来てまだ日が浅かったころ。
レーテシュ伯が、リコリスとペイスの婚約を破棄させようと裏で動いていたことがあった。
モルテールン家もまだ弱小と呼ばれるような規模であった頃。ようやく領地経営が黒字化し、製菓事業を軌道に載せつつある時だった。
モルテールンの将来の発展を見通したレーテシュ伯が、ペイスごとモルテールンを取り込もうとした策謀の一手。フバーレク家の苦境を利用して行われた陰謀は、何も無ければ成功していたかもしれない。
しかし、よりにもよって対象の当人が稀代のペテン師。
モルテールンの内情に邪な横やりを入れられることを嫌ったペイスが、一計を案じたのだ。
結果として、何故かお菓子作り対決で雌雄を決することとなり、当初は圧倒的にレーテシュ伯有利と思われていたところをモルテールン家が勝利。
リコリスが、手作りクッキーを作ることで、レーテシュ家の抱える一流料理人を退けたのだ。
この料理勝負の際、公正な審判として立ったのが国王カリソン。
王の判断には流石のレーテシュ伯と言えども異を唱えることは出来ない。
最終的にペイスとリコリスは結婚し、晴れて大団円を迎えた。
ところが、王家に限ってみれば、大団円のめでたしめでたしとはいかなかった。
国王が直々に賞賛したクッキーが、貴族社会のみならず市井で大きな話題を呼び、大人気商品となってしまったのだ。
買おうと思っても中々手に入らないプレミア商品。
これを手に入れる為に、いろんな貴族が動きだした。
「リコリス印のクッキーは、デココも知っての通り、上級貴族であろうと順番の割り込みを許しませんでした」
「ええ、そうですね」
大変でした、とデココはぼやく。
モルテールンが後ろ盾となり、クッキーを販売する。
当然、モルテールン家以上の地位にある貴族は、自分たちに優先的に買わせろと言ってくる。
ペイスの意向と販売戦略の一環で、その手の横入を全て突っぱねたのだ。
当然、突っぱねた相手からは恨まれる。
あの手この手の嫌がらせや、圧力や脅しがあった。
国王陛下にも繋がりが有り、また上級貴族であっても並ばねば買えないというプレミア感が認知されるに従い、段々と減っていきはしたが、当時の苦労は今思い出しても胃が痛くなる。もう一度やれと言われたら、全て放り投げて逃げたくなる程度には嫌な思い出だ。
「それによってモルテールンのお菓子は『王族であっても』手に入れづらい商品となりました。これはこれで意味が有ることで、他のお菓子には無い要素ということで差別化も出来ています」
「はい」
お菓子というものは、別にペイスがこの世界で初めて発明したものではない。
砂糖も輸入されていたし、ペイス以外にお菓子を作る職人も存在している。
だが、他のお菓子職人は貴族に囲われるか、店を出すにしても王の名前を出せたりはしない。
どうしても、権力を持つ貴族からの割り込みは許容せざるを得なかった。
幾ら美味しいお菓子であっても、また珍しいお菓子であっても、権力を一番持っている王族であれば、欲しいと思えばすぐに手に入るお菓子であったということだ。
当然、王族の周りにいる貴族たちもそれを知っている。
唯一モルテールン家だけが、王と直接交渉でき、高位貴族相手でも一歩も引かず、喧嘩を売られたとしても手痛くやり返して、独自の地位とブランドを確立できた。
王族でも手に入れるのが難しいモルテールンのお菓子というのは、手に入った時にそれを口実に人を集められる程度には知名度もあるし、味も美味しい。
他にない利用価値を持つため、今はもう手に入りにくさもそういうものだと認められているのだ。
「昨今、宮廷の奥向きでは、二つの派閥がにらみ合っています」
「はい」
「王妃陛下の正室派閥と、第二王妃、第三王妃が結託した側室派閥の二つ」
「ほう」
ペイスは、ダグラッドなどの外務官が調べ上げた王宮内の情勢について、デココに説明する。
「王宮貴族を支持母体とする王妃派と、領地貴族を支持母体とする側室派。内政に強みのある王妃派と、軍部に影響力のある側室派。モルテールン家は、どちらにつくべきだと考えますか?」
「……どちらも、と言いたいところです」
「その通り。どちらか一方に肩入れすれば、それだけでモルテールンにとって不利益です」
モルテールン家の立ち位置は、元々を辿れば弱小領地貴族であった。
作物が碌に取れない上に、いつ隣国が攻めてくるか分からない辺境の紛争地。
褒美と言えば聞こえはいいが、態よく不良債権を押し付けられたようなものだった。金を稼ぐのに、あちこちの貴族の間を飛び回って傭兵稼業をしていた。
派閥的に言えば、中立的立ち位置。というより、どの派閥からも距離を取られていたというのが正しい。いざという時便利に使える下請けのようなもの。自社グループに取り込むまでもないと考えていた訳だ。
しかし領地経営が黒字化し、特産品も出来たことで右肩上がりの成長軌道に乗る。
これに目を付けたのが、カドレチェク家を始めとする宮廷の貴族たちだ。
遠方の僻地に強力な勢力が単独で出来ることを良しとせず、自派閥に組み込み、モルテールン家とモルテールン領を自分たちの影響下に取り込んだのだ。
結果として、モルテールン家は派閥的に軍家閥に取り込まれていく。
「元々の立ち位置から考えれば、軍系の領地貴族です。これは王宮の勢力図で言うと、側室派になるでしょう」
「そうでしょうね」
「しかし近年、父様は中央軍を率いる中央の重鎮として、宮廷貴族の色合いも強めています」
「ふむふむ」
「宮廷の中は元々第一王妃。正室の方の影響が強い。モルテールンとしても、徐々に第一王妃の影響下に組み込まれつつあるという感じですか」
「中々複雑ですね」
宮廷政治は複雑怪奇である。
色々な立場、色々な思惑があり、一概に宮廷貴族と言っても一枚岩ではない。軍事に寄った者も居れば、内務に寄ったものもいるし、外務に詳しいものもいる。
一方、領地貴族が単純化と言えば、そうとも言えない。
特にとなり合う領地を持つ領地貴族などは、犬猿の仲であることが多いのだ。
土地絡み、流通がらみのトラブルというのは、だいたいが隣同士で衝突するものなのだから。
「つまりモルテールン家には、どの王妃にしたところで手を出しづらかったということです」
「お互いに牽制し合っていたということですか?」
「まあ、そうですね。足の引っ張り合いとでも言いますか。モルテールンのお菓子を自分たちだけで私物化しようとするのは、モルテールン家の怒りを買います。それは、微妙なバランスで中立的な立場にあるモルテールン家を、相手の派閥に押しやってしまうことに繋がりかねない」
「なるほど」
領地貴族でもあり、宮廷貴族でもあるモルテールン家。
自派閥に組み込めれば、物凄く頼もしい味方になってくれるだろう。
当主のカセロールは騎士として有名であり、仲間を大切にして裏切りを嫌う精神性を持つ。
恩を売れば、真っ当に恩で返してくれる人物である。
そんな相手に無茶を言い、恨みを買い、反発されて自派閥から距離を取られるのは大きな損失だ。
「だから、今までもナータ商会に押しかけて、無茶を言ってお菓子を買うことも無かった」
「ありがたいことです」
派閥力学と宮廷政治の結果、綱引きの中心は大きく動くことなく安定していた。
それが今までナータ商会も受けてきた恩恵である。
「しかし……どうやら、耳ざとい王妃が、モルテールンのスイーツに“特別な効果”があると考えたらしく」
「特別な効果?」
「美容にいいのでは無いかと」
王妃の耳には、モルテールン製のお菓子について色々な噂が聞こえてくる。
魑魅魍魎の蠢くなかで暮らしているだけあって、とても情報通なのだ。
彼女の聞いた中には、癒しの飴が美容にいいというものもある。
更に“もっと特別な効果”を持つスイーツも有るらしいという情報も入手していた。
「流石に、美容に関することは第一王妃も目の色を変えまして。どうしても、ナータ商会に出向くと言われました」
先日の呼び出しの主題が、これである。
ナータ商会に自分が行くから、手配しておいてほしいという“お願い”だった。
金に糸目は付けないという、商売人としてなら美味しい話である。
「直接王宮に持って上がるのではだめなんですか?」
「持ってきてもらう方はそれで良いでしょうが……うち的には、難しいところです」
「何故?」
「モルテールンとして、ブランド価値を毀損するからです。第一王妃に持って行けば、他の側室方も強請り始めます。側室が強請れば、後ろにいる大貴族が騒ぎます。大貴族が騒げば、当家の不利益になります」
「なるほど」
前例というのは恐ろしいものだ。
一端、特別扱いを一部でも認めてしまうと、他の人間も特別扱いを要求するようになる。
突っぱねるときも、過去の前例を持ち出せれてしまえば断る労力は何倍も掛かるだろう。
「故に、お忍びなのです。こっそり人をやるから、便宜を図れということです」
モルテールン家に迷惑を掛けること、怒らせることは避けたい。
しかし、お菓子は欲しい。
だから、自分が直接足を運ぶ。王妃の覚悟は中々に決まっている。
「分かりました。高貴な立場の方が、わざわざ辞を低くして足を運ぶというのですから、袖にする理由も有りません。我々の店は、身分の上下に拘ることなく先着順ではありますが、こっそり前日に人をやって貰えれば、『前日から並んでいたが邪魔なので整理券を渡して一旦帰す』という対応が取れます。整理券を持っている人間は裏口で別に対応としておけば、問題は有りません」
「そうですね。デココには苦労を掛けますが、その対応でお願いします」
ナータ商会の会頭は、任せて下さいと笑った。





