469話 ペイスに願いを
ペイスは、呼び止められた人物に連れられて王宮の一角にある部屋に来ていた。
入室の条件が極めて限定的な部屋で、王族でなければ使用許可を貰えない。
つまり、ペイスを部屋に誘った人物は王族ということ。
「さあ、座って貰えるかしら」
「恐縮です」
ペイストリーを呼び止めたのは、エルゼカーリー=ミル=プラウリッヒ。
誰あろう、この国の王の正室であり、将来の国母となるであろう王妃陛下であった。
後ろにずらりと御付きの者を並べ、更には取り巻きと呼ぶべき貴族女性を従え、護衛の兵を大勢引き連れた状態での声掛けである。
ペイスでなくとも、何事かと身構えてしまうのは仕方の無いことだろう。
尚、ペイスの傍にはカセロールも居る。
流石に、国王からの呼び出しを受けて登城している中で、別件で呼び止めて引き留めるのは問題が有る。
いつまでたっても帰ってこない息子にやきもきして、さぞ親も心配するだろうとの配慮で、父親も呼ばれていたのだ。
カセロールは息子を横目で見ながら、言いたいことをグッと堪えている様子だった。
ペイスとしても、父親の言いたいことはだいたい察する。
どうしてお前はいつも余計な騒動を起こすんだと呆れているに違いない。
ペイスは、口元をへの字にしながら父親を見返す。
これも、父親には意図がよく分かった。
僕が何かしたわけでも無く、向こうから勝手にやってくるんです。僕は被害者ですよ、と言いたいのだろう。
息の合った親子ならではの、以心伝心というものである。
モルテールン子爵親子が。いや、より正確に言うならば、少年が呼ばれたのは、王宮にある藍狐の間。
貴族であれば男女問わず入ることが許される部屋であるが、入室には王族の同伴が無ければならないとされているところだ。
格式で言えば上から数えた方が早い部屋であり、主な用途としては王族が貴族に対して個人的な用事が有るときに使われる。
つまり、今のペイスような状態だ。
「王妃陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」
挨拶を交わすのは、カセロールが主役。
本質がどうあれ、ここに貴族家当主とその息子がいるのなら、最初に挨拶をするのは父親であるべきだ。
息子だけに対応させると、何が有るか分からないというのも有るが。
ただでさえトラブルに愛されるペイスに、明らかなイレギュラーと思われる王妃の呼び出し。これで何も起きないと思えるほど、カセロールは能天気では無かった。
不慣れな相手に少し緊張しながら、丁寧にあいさつをする。
「ありがとう。モルテールン卿も、そしてご子息も、お時間を取らせてしまうわね」
「お気になさいませぬよう。陛下の為にとあれば、時間はどうとでも都合をつけて見せましょう」
「嬉しい言葉だわ」
柔和な笑顔を見せる王妃であるが、周りの取り巻き貴族たちは笑顔がぎこちない。
なんなら笑顔を見せずに仏頂面をしている人間まで居る。
彼らは、どうやら現状が面白くないらしい。
それもそうだろう。モルテールン家は、派閥的な事情もあって、本来であれば王妃とは敵対しているとみられている。敵対までとはいかずとも、良くて中立的な立ち位置であるというのが王妃たちの認識である。
王妃という立場は政治的にとて強い。
家庭を通して、王に直接“お願い”が出来るからだ。
王妃が積極的になることで、本来の宮廷政治が歪められることもある。
故に歴代の王も、そして当代の王も、王妃は複数娶っている。
表の政治力学に多分に配慮した政略結婚と言う奴で、内務系から一人、領地貴族から一人、外務系から一人、軍務系から一人、といった具合だ。
モルテールン子爵は領地貴族かつ軍務系に属する軍人である。
王妃とは、派閥的に違う立ち位置。
大きな括りで言えば、政治的に対立の有る関係性だ。
にも拘らず、王妃は明らかにモルテールン家に対して丁寧な対応をしている様子。
取り巻きにしてみれば、面白くないと感じる人間の一人や二人居ても不思議はない。
「今日はお天気も良いわね」
「左様ですな。ここ数年は好天に恵まれております。これも偏に両陛下の御威光の賜物でしょう」
最初は、ごくありふれた会話から。
貴族社交の基本である。
当たり障りのない会話から、徐々に本題に話を進めるのが普通。
ここ数年は良い気候が続いているというのも、鉄板の話題だ。
七、八年ほど前には南大陸全体で気温が夏でも上がらない状況に陥り、農作物が軒並み壊滅的な被害を受けた。近年にない冷害であり、夏に実を付けるべき麦がほぼほぼ全滅に近いほど実らなかった。
それに比べるとここ最近は適度に晴れ、適度に気温の変化が有り、適度に雨が降っている。
実に良い天気に恵まれているということで、疎遠な関係性の相手との世間話の最初にはよく使われる話題だ。
貴族同士ならば挨拶のようなものである。
最近は天気が良いわね、ええ、そうですね。こんな会話を交わすのが、実に無難。
しかし、王妃ともあろう社交上手が、無難だからと話題に出すだろうか。
「まぁ、御威光の賜物だなんて。幾ら私でもお天気までは自由に出来ませんことよ。ご子息も、そう思うでしょう?」
おほほほほと笑う王妃。
カセロールは気軽な話題のつもりで話していたのだが、話を振られたペイスは気づいた。
王妃のあからさまな会話誘導に。
これだから貴族の社交は侮れないと、気持ちを引き締める。
「確かに、王妃陛下のおっしゃる通り、天候まで自由に出来る者は居ないでしょう」
「そうでしょう。幾らモルテールン卿や龍の守り人といえど、天候は変えられない。でしょう?」
「全くです。そのようなことは人知を超えると思われます」
「最近はモルテールン領の方も、天候に恵まれているとか。特に、最近は“適度に雨も降る”日が続いているらしいですね」
だが、王妃というのは流石といえる。
ごく普通に今日の天気を話していたはずなのに、実に自然にモルテールン家の秘密に探りを入れる。
モルテールンにおいて、ペイスやその部下の魔法部隊が、魔法の飴を使って山を移動させ、雨が降るように環境改善を行ったことは秘密の事案だ。
山が消えることは隠しようが無いが、それはレーテシュ領の海の埋め立ての為というのが公式見解。
雨を降らせるためというのは内緒なのだ。
元よりモルテールン地域は、最大の問題として雨が降らないという問題を抱えていた。
四方を山脈に囲まれているが故に起きる問題であったのだから、普通であれば解決などしようもない。
そのはずだ。
しかし、世の中には常識を屑籠に入れ、非常識と仲良くチークダンスを踊る変人も居る。
悲しいことにモルテールン領主代行が変人筆頭。
モルテールン領は今現在“雨が降る”領地になっている。
実に巧妙に、モルテールンの秘密を探ろうとしてくる王妃に、ペイスはポーカーフェイスのまま。カセロールも、一瞬顔をしまったと顰めたが、すぐに笑顔に戻っている。
そして、自分がこういう相手は苦手だからと、ペイスに任せることにしたらしい。
逃げっぷりの良さは、流石は歴戦の勇士である。
「王妃陛下。実は最近、モルテールンでは雨が降るようになりまして」
「まあ、それは素晴らしいことね」
ペイスが水を向けたことで、案の定王妃が食い付く。
「雨が降るようになった秘密は、教えて頂けないのかしら」
「秘密? そんなものがあるのですか?」
きょとん、と笑顔を浮かべて小首をかしげるペイス。
実年齢だけなら何もものを知らない可愛らしい態度に見えるが、実態を知っていればどこまでもあざとい態度である。
「あのモルテールン領で雨が降るなんて、よほどのことだと思うのだけれど」
「そうですね。これも偏に神の恩寵の灼たかなるものと、日々感謝と祈りを捧げております」
ポーカーフェイスでいけしゃあしゃあと出鱈目を言ってのけるペイスもペイスである。
王妃に負けず劣らず、強かなものだ。
そもそもペイスは、神の存在は信じていても、敬虔な信徒という訳では無い。
彼の信仰はただ一つ、お菓子作りにささげられているのだ。
ビバスイーツ、目指せ最高のお菓子、進めよ甘味の為に、がモットーである。
「ご子息は敬虔な方なのね」
「勿論です」
「では、モルテールン領で雨が降るようになったのは、神様のお陰であるとおっしゃるの?」
「左様です、王妃陛下。当家の領地が苦難の土地であったことは周知の事実で御座いましょう。それでも日々の暮らしに邁進し、努力を続け、公明正大に過ごしておりますから、神様もそれをご照覧下さったのでしょう」
カセロールはともかく、神様なんぞ食えもしねえと言い捨てそうなシイツ従士長や、神様に頼るより自分で動きましょうというペイスに、照覧もなにも無いだろう。
だが、建前上はモルテールン家は非常に敬虔な信徒である。
毎日真面目に働く人間に、神様が助けてくれたのだというのがモルテールン家の公式見解。
「本当に、秘密は無いのね?」
じっとペイスを見る王妃。
そこでペイスは、ニヤっと笑う。
「では、王妃陛下にのみ、モルテールンの秘密をお教えいたしましょう。お傍の方々を少し下げて頂けますか?」
「あら、まあ」
ペイスの提案は、望ましいことだったのだろう。
王妃は、護衛を一人だけ残し、他の取り巻きや護衛を数歩下がらせた。
内緒話をする為である。
「実は、モルテールンに雨が降るようになったのは、あることをしてからなのです」
「あること?」
「はい。神に感謝する踊りを、領民全員で行ったのです。これはもう、神に誓っても構いませんが、踊りを踊って以降、雨が降るようになりました」
「まあ、そんなことが……」
嘘である。
ペイスが行ったのは「ボン・オ・ドーリー」である。
火を焚いて囲み、盛大に音楽と共に躍ったのは事実だし、その踊りの後から雨が降るようになったのは真実だ。
だが、踊りと雨の因果関係は無い。
秘密の多いモルテールン家の、建前としての秘密が盆踊り、もといボン・オ・ドーリーなのだ。
「他の土地でも試してみるべきかしら」
「それは陛下のご随意に。それで、今日この場にご招待頂いた本題をお聞きしてもよろしいでしょうか」
すっと、王妃の目が細まる。
察しの良すぎる人間に対する、値踏みの目線だ。
国内でも多数の魔法使いを抱え、こと情報収集と分析に関しては国内随一の王家。
ここが、モルテールン領の雨の秘密を、知らないなどということはあり得ない。
少なくとも盆踊りのことぐらいはとっくの昔に把握してるはず。
にも拘らず、もったいぶって秘密を教えて欲しいというような態度を見せたのは、内緒話にかこつけて、とり巻きにも内緒の話をしたかったからではないか。
ペイスの推測に、王妃は少し嬉しそうにほほ笑む。
その通りだったからだ。
僅かに恥ずかしそうにしながら、王妃は本題を告げる。
「ナータ商会のお菓子。私も食べたいのよ」
王妃の願いは、一見すると普通のお願いであった。