047話 悪巧み
神王国南方。とある貴族のとある屋敷。
ここには今、数人の貴族がこっそりと集まり、密談を行っていた。
「やはり、軍政を変えようとする方針に変わりはないそうだ」
「っち、忌々しい」
「いっそ一思いに亡き者と出来れば話は早いが……」
「それが出来る相手でないことは承知であろう」
政治の世界において、どんなときにも存在する二つの思想的潮流がある。
保守と革新の二つだ。
現状を是とし、守っていこうとする思想が保守的思想であり、現状を否とし、変えていこうとするのが革新思想。
思想に良し悪しがあるわけでは無く、当然上下も存在しない。時と場合、状況や情勢によって正解が変わることもあるし、そもそもどちらを選んだとしても、正解とは言えないケースがあったりもする。
この二つの思想は、片方が発生した時点で、もう片方も必ず生まれる。発生した時点で対立が宿命づけられているものでもある。
神王国においても、色々な問題でこの両者の対立が起きる。
外交方針、貴族の再編、領地の線引き、貨幣改鋳、軍政改革等々。ことあるごとに、現状肯定派と否定派が分かれ、侃々諤々の議論が交わされる。ある問題では意見を違えていた者同士が、別の問題では意気投合するということもある。政治の世界が二元論だけで片付けられない複雑怪奇な世界である所以だろう。
数多い問題。数えきれないほどの対立。その中でもとりわけ今ホットなのが、王家旗下の中央軍における革新勢力と保守勢力の対立だ。
神王国では、旧来から王家の直轄軍を東西南北の方面軍と、それを統括する中央軍の、計五隊とする体制をとってきた。総数およそ二万。
今、これを変えようと動く者達が居る。中央軍大将にして軍務尚書の職責を担う、重鎮中の重鎮。カドレチェク公爵を筆頭とする公爵派と呼ばれる者達だ。
そもそものことの起こりは二十年ほど前に遡る。
大戦が終わり復興期にあたり、当時はまだ諸領の各貴族の動きが怪しかったため、そこに睨みを利かせる意味があって、王家の名の下に動く直轄領軍が東西南北に存在した。この当時は、確かに大きな役割があった。実際に機能もしていた。
その後、復興期も長きにわたり、終わりも見えはじめた。最近では既に大戦のことを知らぬ若者も増えた。当時は怪しい動きを見せていた連中も、大半は代替わりしている。
睨みを利かせておく意味が薄れて来たのではないか。
軍政に詳しいカドレチェク公爵は、日を追うごとにそう感じていた。国力そのものが増大し、周辺国の脅威も相対的に低下してきている。
今の体制が時代にそぐわない。そう声高に主張する者も軍内外から出始めた。
愛国者でもあり忠臣でもあるカドレチェク公爵。彼は自分の最後の仕事として、国の力をより強くするために、思い切った改革を断行する決意を固めた。
安定している南部と西部の軍を減らし、東部と北部の軍を一つにする。中央軍は今よりもスリムにする。その上で、どの方面にも属さない独立部隊として一軍を設ける。
分散よりも集中を。この発想は、精鋭をより活かす意味でも、また無駄を省く意味でも、効果的と言える。
新たに計画した王家直轄軍の体制。総数は、一万五千から一万八千ほどになる予定である。
今まで二万だった軍を一万八千にする。
さて、こうなってくると、差分の二千人はどうなるのかという疑問も当然生まれる。
過半の民兵は単なる領民に戻り、傭兵は別の仕事を求める。しかし、指揮官格の役職が減るのはどうしようもない。多くは配置換えか、軍務以外の職に就くか、或いは軍の役職を罷免されることになるだろう。
そのとばっちりを受けるのは、非カドレチェク公爵派閥の連中である。
「あの古狸め、どうあっても我々の邪魔をするつもりか」
「露骨に過ぎますな。国軍強化を謳いながら、結局は我々のように自分に従わぬものを排除するだけ。それで軍が強化できるとも思えません」
「然り。陛下も何をお考えで、このような愚策を採ったのか。王家とも血のつながりを持つカドレチェク家の発言力だけが増せば、いずれ王家にとって代わろうとするやもしれず。陛下の為にも、今回の改革は阻止せねばならぬでしょう」
表だってカドレチェク公爵に反する連中や、或いは心の底では忌々しく思っている人間は、それなりに多い。
急進的な改革とは、どうあっても旧来の守旧派との対立を生むからだ。無論、必要なことであると賛同する者も居るのだが、その数は比べるまでも無い。
軍制改革にあたり、真っ先に減らされると目されているのは、南部のポスト。
神王国南部は、隣国と接する国境線が短く、過半を海と接する。それ故、現状から大胆に減らすと考えられている。と、もっぱらの噂だ。
方面軍とは、とかく地元の人間のポストが多い。愛郷心を持つ者の方が、より戦意が高いからだ。自分たちの家族や友人、生まれ故郷を、直接守る方がやる気が出る。
つまり、王家の南部方面軍は、南部貴族の子弟達のポストだった。今までは。
「南方の方面軍を大幅に削るとなれば、今までの者はどうなりましょうか」
「古狸に媚を売っている連中が残り、後は全てクビになるだろう」
南方方面の王軍のポスト。そこに並ぶ名前を挙げれば、ルンスバッジ男爵やブールバック男爵など、所謂名門と呼ばれる家の人間が多い。
これは、戦後の荒廃の中にあって、神王国の穀物庫とも呼べる南部地域は最優先で安定させる必要があったからだ。下手に事を荒立てる前に、それなりの役職を与えることで伝統貴族の懐柔を図った面もある。
「何とか現状の役職だけでも維持できぬものか。南軍には、私の息子や縁戚の者も多いのだが」
「それは私とて同じこと。ポッと出のエセ貴族共を除けば、皆似たような境遇ではないか」
伝統貴族と呼ばれる者達。南部に限らず、神王国においては昔からの伝統と格式を受け継ぐ家。当然、昔からの繋がりという意味で言えば、近年まで権勢を誇ってきた旧アーマイア公爵家と繋がりのあったものは非常に多かった。
それはとりもなおさず、現在の軍家筆頭であるカドレチェク公爵との不仲を意味した。
「現状では、アーマイア家の残党による事件もあって、古狸の発言力が増しているのだ。せめて、それに対抗できるだけの実績が無ければ、このまま彼奴に押し切られてしまうだろう」
「それは避けたい。何か彼奴の弱みなりを掴めれば、対抗も出来ようが……」
「現状では、直接手出しも出来んだろう」
「う~む……」
南部の伝統貴族達。
彼らの危機感は高い。それでなくとも現王とはあまり仲がよろしくないのだ。出来ることであれば、公爵の失脚が望ましい。そこまで行かずとも、彼の人の発言力の低下を謀れれば、相対的に自分たちの発言力は増す、と考えていた。
だが、その為の具体策となると、そうそういいアイデアが出てくるわけでも無かった。
「そういえば、こんな話を諸卿らは知っているか」
そう呟いたのはルンスバッジ男爵だった。
「公爵派の犬であるモルテールンの息子が、今度の舞踏会で余興として剣舞を披露する」
「ほう、それは初耳だ。どこからその話を?」
「レーテシュ閣下の舞踏会で剣舞を披露し、王城でも披露することになると話していたのを聞いたのだ」
「なるほど、それならば信頼できる情報だな」
社交の場は、情報収集の場を兼ねる。
そこで手に入れた情報なのだとしたら、確度は高い。
「“何らかの事情”で、モルテールンの小倅が余興を披露できなければ、カドレチェクの面目は多少なりとも傷がつく。一旦傷がついたならば、傷を広げるのは容易になるのではないか?」
「ふむ、良い手ではあるかもしれん。だが問題は、どのような手段でそれを行うかではないか?」
「そなたの心配ももっともだ。ならば、それは任せてもらっても構わない」
舞踏会の余興は、成功こそ意味がある。参加者を楽しませるためのものであり、会話のとっかかりに乏しい初対面同士の、共通の話題として提供される意味もあるからだ。
社交の場で悪口は言いづらいし、初対面同士であればそれは尚更。褒め言葉で飾れる話題の方が、当たり障りのない会話に相応しい。
素晴らしい余興ならば挨拶代わりの会話に丁度よいのだ。
逆に言えば、余興が褒めづらいものであれば、参加者は共通の話題を一つ失う。社交の場でこれは手痛いわけで、舞踏会開催の主催者は、顔を顰めることになるだろう。
もしもその責任の所在を云々しだせば、主催者と余興の当人とで争うことになる。
ルンスバッジ男爵は、モルテールン家には馬を取られた経緯がある。やったことをやり返されただけではあっても、忌々しい感情は残る。遡れば、もっと多くの出来事で臍を噛むこともあったし、そもそも成り上がりの代表のような存在なのが気に喰わない。
公爵にも、そしてモルテールン家にも不穏当な感情を持つルンスバッジ男爵からすれば、余興が失敗し、その責任がカドレチェク家とモルテールン家のどちらにいこうと、感情の整理がつく。互いに相争ってくれれば最高だ。
今、男爵の頭の中には、どうすれば余興の邪魔が出来るか、という考えが浮かんでいる。無論、自分につながるような痕跡を残さずに。
考えがまとまった男は、厭らしい笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇
「坊、お帰りなせえ。で、どうでした?」
「手ごたえは良かったです。レーテシュ伯からのお墨付きも貰えたので、舞踏会で披露する分には、憂いもなくなりました」
「そりゃよかった」
レーテシュ女伯爵のところで剣舞を披露したペイストリーと、歌を披露したリコリス。
二人はそれぞれに手ごたえを感じてモルテールン領へ帰還した。余興の評判と出来栄えは、モルテールン家にとっても大事なことであるため、従士長などはやきもきしてその帰還を待っていた。
無事の帰還と、上々の評判とを合わせ、胸をなでおろすシイツではあったが、それはそれとして、彼には気になる事があった。
目線の先には、大量の木箱や樽がある。大きく目の粗い麻袋からは、色とりどりの果物が見えている。
「で、この大量の荷物はなんですかい?」
「え? 何のことでしょう?」
レーテシュ伯爵領に出かけていた連中のうち、護衛の為に付いて行った者達などは既にその場を辞している。
その上、リコリスは早々にモルテールン夫人アニエスに捕まった。より正しく言うなら、ジョゼとアニエスの、将来の姑と小姑のペアによってである。その理由はと言えば、衣装の御直しのタイムリミットが迫ってきているからだ。
モルテールン家の女性陣は、今リコリスの衣装の手直しで、嬉々として少女を着せ替え人形にしている。
故に、大量の荷物の事情は、その場に独り残ったペイストリーに聞くしかない。
何故か目立ちにくいように置かれていたいくつかの樽ではあったが、それに気づかないシイツでも無い。というよりも、隠せる量では無い。
「いや、坊がそうやって隠そうとするときは、大抵碌でもないものなんすよね」
「碌でもなくは無いです。レーテシュバルでちょっとお土産を買ってきただけです」
「ちょっと? 一体何を買ってきたか。言ってみてくだせえ」
「砂糖が二樽、ボンカ一樽、チードとカリンが合わせて一樽、バロの苗木が四つ……」
レーテシュバルといえば、レーテシュ伯爵領の領都。
海運都市として名高い町であり、諸外国からの通商を一手に引き受ける貿易の中心地。当然、諸外国からの珍しい産品がごろごろしていて、果物やナッツ類だけでも両手ではとても足りないほどに種類がある。それを素通り出来るペイストリーでは無い。むしろ、買い占めたいとまで思っている。
買ってきたものを次々とあげていく少年。その量と種類たるや、とてもお土産と呼んで良い量では無い。
遠慮や自重という事を、少しは覚えて欲しいと、シイツは盛大に溜息をついた。
「もういいですぜ。ようは向こうで、これはチャンスと大量に買いあさってきたってことでしょう?」
「さすがはシイツ。話が早い。見てくださいよ、この砂糖。なかなか市場に出回らない上物で、質の悪い黒砂糖と違って粗いながら精製もされているんです。運んできていた船員を買収しまして、本来はどこぞに献上するはずだったものを分けてもらったんです。これがあれば、今まで以上にお菓子作りが捗りますよ。他にもボンカも買ってきたんです。タルトタタンのレシピも高評価でしたから、今後更に研究と改良を重ねて、沢山のレシピを試してみるつもりなんです。それ以外にも……」
ペイスは饒舌である。
自分の趣味になると話の止まらないのは、趣味人としての性であり、ある意味では職人根性とも呼べるものだ。
それ故、普段抜け目のないペイストリーにしては珍しく、近づいてくる人物に気付けなかった。その人物は、少年の背後から声を掛ける。
「なかなか良い物を買えたようだな」
「ええそうですね。さっきも言いましたが、これだけ上物の砂糖が手に入ったのは大きいです。これから砂糖作りを本格化しようと思えば、何をおいてもお手本になる見本が必要ですし」
「うんうん、そうだろう。で、こんな大量の買い物。お前の小遣いで足りたのか?」
「まさか。僕のヘソクリだけでは足りませんでしたから、レシピを売った時に得たお金も足して、買い物をしたのです。お金を持って帰ったところでどうせ同じ物を買うことになっていたでしょうから、何の問題も無いですよね、父様……え? 父様?」
バッと振り返ったペイストリーが見たもの。
それは、こめかみに血管を浮かべるほどに力を溜めている父親の姿だった。
「この馬鹿息子!! あれほど……あれっほど、勝手にやらかすなと言っておいて、独断で物資を買い付けるとは何事だ!!」
「しかし父様、今後の酒造りにも砂糖が要るから、いずれ買うことはご相談していたことです。遅かれ早かれでしたし、手間が省けたぶん、お得になったじゃないですか」
「それとこれとは話が別だ。鉄農具の時からお前は何も学んでいないのかっ」
「ふぎゃっ」
父親の落とした拳骨。
それは近年稀に見る特大のものであり、ペイスは見事な涙目になるのだった。