468話 謁見
神王国の王都にある王宮。
王城ともいわれるこの場所は、この国で最も貴き場所とされている。
生半可な人間では近づくことすら難しく、入ることのできる人間は選ばれたものばかり。
特に、王宮の中でも国王陛下のプライベートに近くなればなるほど警備は厳重になり、入るのにも資格を問われる。
青狼の間。
貴族以外は入室出来ない格式ある部屋に今、格式に散々喧嘩を吹っかけてきた少年がいる。
ペイストリー=ミル=モルテールンである。
時にパーティー会場になることも有るだだっ広い部屋の中。
青銀の髪の少年は、一見すると殊勝な態度で畏まっている。
部屋の中は沈黙。
幾人か人は居るのだが、誰一人として口を開かず、息をすることすら控えめにして、静かな空間を作り上げていた。
「神聖にして偉大なるプラウリッヒ神王国第十三代国王カリソン=ペクタレフ=ハズブノワ=ミル=ラウド=プラウリッヒ陛下、御入来!!」
儀典官の張り上げる声が、静かだった部屋の中にこだまする。
読み上げられた名前の通りの人物が、部屋の中に入ってくる。
豪華な服装に、王権を示す王冠を被り、威厳をもってゆっくりと。
やがて、部屋の最上段に置いてある椅子に座ると、部屋の中の少年に声を掛けた。
「楽にしてよい。表をあげろ」
自分の親友の息子だ。
国王としては褒められる態度では無いのだが、割とフランクで気楽な呼びかけをする。
普通の人間であれば、国王からの呼び出しを受けて緊張の一つもするだろうが、目の前の子供がそんな殊勝なものとは縁遠いことを知っている王としては、ペイスが呼びかけにさっと答えたのも予想の範囲内だった。
「国王陛下のお目通りが適いましたこと、恐悦至極に存じ上げます」
「うむ、カセロールとは時々顔を合わせる故、さほど珍しさも感じぬが、お前と会うのは久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「はい、陛下。お久しゅうございます。モルテールン子爵カセロールが子、ペイストリーにございます。ご機嫌麗しく存じ上げます」
「畏まった挨拶も良いが、もっと気楽にしていいぞ。お前はこの国にとって大事な人材だ。少々礼儀作法に粗相が有ろうとも、罰することは無い」
「恐縮の次第」
どこが恐縮していたのかと言いたくなるほどペイスは飄々としているが、社交辞令としてお互いに言葉を交わす。
ペイスが顔をあげれば、国王の楽しそうな、それでいて悪戯っ子のような含み笑いの笑顔が有った。
勿論ペイスも、同じような笑顔である。
「実は陛下が私をお召しと聞き、陛下に召し上がって頂くべく、新しいお菓子を持参いたしました。ご挨拶としてご笑納いただければ幸甚に存じ上げます」
ペイスは、王に呼ばれたと聞いてからの数日間を、お菓子作りに費やした。
これは、陛下の招聘に勝る公務は無いという建前が有り、折角の機会だから王家も自分たちのブランド戦略に利用しようという魂胆だ。
王家御用達だの、国王陛下激賞だの、セールストークは多い方が売れる。
ペイスも腕によりをかけ、幾つか美味しいお菓子を用意した。
その中には「チョコレート」も存在する。
「うむ、それは嬉しいことだ。あとで妃たちと共に頂くとしよう」
「お妃さまと?」
「モルテールンの菓子だぞ? 独り占めしたことがバレたら、拗ねられる」
はははと国王カリソンは笑う。
よりにもよってモルテールン謹製の、それもペイストリーお手製の菓子だという。
モルテールン家のお菓子の美味しさは、カリソンも良く知っている。以前、南部まで出向いて料理対決の審査員までしたことがあるのだ。
彼の少年の製菓技術の高さは、宮廷料理人に引けを取らない。どころか凌駕さえする。
ここでその素晴らしく美味しいであろう菓子を独り占めすれば、きっと王妃たちが拗ねることだろう。
王と言えども、妻にはなかなか気を使うものである。
「それで、今日呼んだのは他でもない。先だってお前が行った場所について、見聞きしたものを直接聞く為だ」
さてとばかりに本題を切り出すカリソン。
「最近、我が国の周辺情勢が怪しさを増していることは知っているか?」
「……多少は聞き及んでおります」
「流石に優秀だな。よしよし。話が早いのはいいな」
ここで知らないと答えても良かったのだが、悲しいかな、ペイスの優秀さは国王にも伝わっている。
モルテールン家は独自に情報網や諜報網を整備していて、【瞬間移動】の魔法という強みも有ってかなり耳が良いことで知られていた。
周辺諸外国の、とりわけ聖国とヴォルトゥザラ王国の情報は逐一チェックしている。
モルテールン領に対して軍事的に攻めてくる可能性が有るとしたらその二つだからだ。
それで、と国王は、ペイスに自分の知る国際情勢を語る。
「東西南北それぞれに色々と動きが有るようでな」
「はい」
南大陸の中央にあり、四方が仮想敵国に囲まれている神王国。どこが怖いと言えば、全部怖い。
「北は、既に戦争準備中の疑いが濃厚だ」
「北というのは、どちらでしょう」
「ナヌーテック。あの連中は戦いとなると喜んで突っ込んでくる。その矛先が我が国でないことを祈るばかりだが、楽観視は危険だろう」
「御意」
神王国の北方には、大国と呼ばれる国力を有する国が二つある。
ナヌーテック国とアテオス国だ。
どちらも神王国との間に小さな国を緩衝国として挟んではいるものの、その気になればいつでも踏み越えてこられるだろう。
その上で、今現在の情勢として、ナヌーテックが戦争準備中という情報が有るという。
十二分な備えは有るはずだが、あちらさんがどう考えるかまでは分からない。
「西はお前のお陰もあって、小康状態。近年まれにみる程安定してる」
「それは重畳です」
「だが、此方は我が国の問題で不安定化している。辺境伯が周りの貴族を掌握しきれていないのだ」
「ほう」
「政争も含めて失敗続きだから。求心力が落ちているようだ。実際、何時内乱が起きても驚くには及ばん」
神王国の西と言えば、ルッツバラン=ミル=ルーラー辺境伯の治める土地。ヴォルトゥザラ王国と国境を接する領地であり、争いの最前線という点ではいつもきな臭いところ。
ルーラー伯はペイスとも面識のある人物であるが、政争に弱く、色々と配下の勢力を統制するのに苦労しているらしいとは聞いていた。
それが、国王が危惧するほどの乱れになっているとするなら、西部はかなり危ない状況なのかもしれない。
ペイスは、同じくヴォルトゥザラ王国と接する領地を預かる身として、他人事で無いと顔をわずかに顰める。
「更に、東も問題だ」
「東というと、フバーレク辺境伯でしょうか」
「ん? ああ、そうか、お前の嫁は確かフバーレク家から来たんだったな」
「はい」
ペイスの妻リコリスは、元々フバーレク家出身の御令嬢。
双子の姉は公爵家に嫁いだが、実兄がフバーレク家を継いでいて、モルテールン家とは縁戚になっている。
これもまた他人事とは思えない。
「ならば、フバーレク家が内政に注力していたことは知っているな?」
「はい」
かつてフバーレク家と小競り合いを繰り返し、一進一退で紛争を起こしていたのがルトルート辺境伯。
そのルトルートは、紆余曲折の末フバーレク家と南部連合軍によって潰されている。
元々主敵としていた家が滅んだ影響で、フバーレク家は軍事的な緊張が大きく減退した。
当代のフバーレク伯は、これをいい機会にと内政に大きく舵を切り、軍事増強よりも産業振興を積極的に行っている。
「外敵の脅威が大きく減退し、代替わりで辺境伯家の内部が多少なりともぐらついた状況。内を固め、内政と領内把握に努めたのは堅実な方針だと褒めていい。間違いではなかっただろう」
「左様に思います」
「だが、少々外に目を向けなさ過ぎた。経験不足も有ったろうな。サイリ王国の強硬派が、時間を置いたことで勢いを増している」
「なるほど」
だが、ここにきて東部の動きも怪しくなってきたらしい。
本来ならばフバーレク伯が対処するべきだし、辺境伯というのはその為に大きな権限を与えられているのだが、何せまだまだ若くて経験が浅い。
どこまで適切に対処できるのか、怪しいものがあると国王は感じている。
サイリ王国で、対神王国強硬派が力を増しているというのなら、尚更警戒せねばなるまい。
「彼奴等が考えることは分かり切っている。ルトルート領を奪還せよ。これだ」
「はい。彼の国からすれば、喉元の匕首のようなもので御座いましょう。何とかしたいと思うのは自然なことかと思います」
「うむ」
一度大きく領土を取られたサイリ王国としては、何とかして元の領土を取り返したい。当然の考えだろう。
仮に全部でなくとも、少しづつ取り返せるようにしたいと考える人間は、それなりに多い。
「つまり、我が国は今現在、三方が不安定だ。唯一まともに安定していると言えるのが、南。聖国は一度大きく叩いたことで大人しくなっているし、レーテシュの奴も目配りが行き届いている。不安要素は、殆どない」
「殆ど、とおっしゃいますと?」
「聖国が、今現在組織改編の只中にあること。我が国に負けたことで守旧派が凋落した。聖国の内部の風通しが多少なりともよくなってしまえば、我が国にとっては面白くない事態だ」
「御意」
聖国が体制を整えて、国力を増す事態というのは、そのまま神王国南方の軍事的不安定要因になりうる。
出来ることならば、聖国の中はドロドロに政争で争い、醜い泥沼の闘争で足を引っ張り合ってくれる方が、モルテールン家の安全保障的にはありがたい。
聖国内部の攪乱。やってやれないことも無さそうかと、ペイスは考える。
「そこで、お前のことが出てくる。サーディル諸島だったか?」
「は」
「そこの情報は、聖国に対して外交的な武器になり得るかもしれぬ。遠方の地ゆえに我が国でも詳細を知るものはいない。余人を挟んで情報が不正確になるのは好ましくない故、直接話を聞こうと思ったのだ」
「御意、然らば……」
ペイスは、自分の得た情報を詳しく王に説明する。
地理的にどの程度離れているのか。途中の航海上の難所やポイントはどうか。現地の地政学的な立ち位置はどうか。住民の技術レベルや知識水準はどの程度か。神王国にとって付き合うメリットがどの程度あるのか。などなど。
逐一質問に答える形で話をして、時間にして二時間はたっぷりと報告しただろうか。
「ご苦労だったな」
「陛下のお役に立てましたのなら、何ほどのこともございません」
ねぎらいの言葉を受け、ペイスは頭を下げる。
儀典官が国王退席の宣言をしたところで、ペイスは部屋を出ることを許された。
やれやれ、とばかりに肩の力を抜いた。そんなタイミングだった。
「ペイストリー=モルテールン卿」
ペイスに声を掛けてきたのは、意外な人物であった。





