465話 神話
昔々のこと。
空と大地と海が繋がっていた昔。
空に大きな虹が架かった。
虹は綺麗な弧を描き、空を大地と海から隔てた。
昔々のこと。
空があり、大地と海が一つであった頃。
大きな地震があった。
大地を揺らす大きな地震は、海と大地を隔てた。
昔々のこと。
空が有り、海が有り、大地が一つであった頃。
千日千夜続く大雨が有った。
終わりなく大地に振り続ける雨は大河となり、海に注ぎ、大地を幾つもの大陸に隔てた。
昔々のこと。
空が有り、海と幾つもの大陸が有った頃。
命が生まれた。
鳥が生まれ、魚が生まれ、獣が生まれ、そして人が生まれた。
人が最初に降り立った大陸が、サーディル大陸。
そこで人は大鳳と大魚と大木を手にする。
大鳳は人に幸運を与え、大魚は人々を病から遠ざけ、大木の実は人々を老いから遠ざけた。
人は大いに繁栄した。
そして、人は争った。
大いなる力を我が物にせんと争い、人々は人々を殺した。
それを悲しんだ大鳳は人々が不幸を感じるようにし、大魚は人々が病に苦しむようにし、大木は人が老いるようにした。
更にこれらは人々が争うことを諫め、大陸を幾つもの島に分けた。
人々は幾つもの島に別れて暮らし、争い合うことを愚かしいことと慎み、日々の暮らしを行うようになった。
「と、いうのがサーディル諸島の森人の間に伝わる、建国の神話です」
「ほほう、ところ変われば神話も変わるものですな」
昔話というものは、どこの国どこの民族でも持っている。
親から子へと代々語り継がれていく、民族の物語。
神王国は建国に神話は存在しない。というより、建国以前のお話として神話がある。
神王国は周辺の諸外国と比べても比較的新しい国家の為、国家創建の初代からかなり詳細な記録が残っているのだ。
この国では、建国の物語は神話ではなく歴史である。
「幸運の鳥、万能薬の魚、若返る大木。どれもこれも、流石は神話という荒唐さですよね」
「ええ、そう思います。しかし、何故そんな話を? 土産話にしては唐突ですが」
「実は、これらが実在するかもしれないのです」
「ええ!?」
研究所所長のソキホロは、ペイスの言葉に驚く。
今まで散々ペイストリーに驚かされてきたが、それにしても今回の話は飛び切りだ。
「少なくとも、若返りの大木というものは、近しいものを見つけました」
「ちょっと待ってください、あまりのことに……」
神話とされている存在を、発見した。
それだけでも仮に歴史学者が聞けば飛び上がって喜ぶ大発見である。
その上で、見つけたものがとんでもない。よりにもよって、若返りというのだから。
「正確には、若返りの効果があると言われていた、大木の実です。森人の間では幻とされていた果実であり、現物は既に幾ばくか持って帰ってきています。」
「若返る魔法の果実、ですか」
「はい」
ペイスは、サーディル諸島での幻の果実の話を聞き、それがカカオであるということから海に出た。
というより、そんなものが有るというなら、ペイスがじっとしている訳が無かった。
外交的な根回しも、宮廷の根回しも驚くほど迅速に終え、大金をつぎ込んで船と船員まで手配しての実行である。
無駄に行動力のある菓子狂い。ペイスのやることは何時だってお菓子の為である。
「そんなものが有るとは思えませんが……」
「しかし、そういう果実があるという神話が口伝で伝わっていて、実際に口伝通りに不思議な果実が存在していたのは事実です」
「う~む」
ペイスが手に入れたカカオの果実が、若返りの効果を持つ。
話だけであれば眉唾である。
敬虔とまでは言えないまでも、ごく当たり前の信仰を持つソキホロとしては、教会の説法でも老いや死は誰しもに訪れるものであり、恐れるものではなく穏やかに受け入れるものだと説いていたと記憶する。
一般常識から考えても、若返るなどということが本当にあるとは思えない。
しかし、この世界においては不可能を可能にする存在が有る。
魔法であり、魔法使いがそれだ。
更に言えば、伝説上の存在とされた大龍の実在が明らかになっている現状、他所の神話に謳われていた空想上の存在が、実在する可能性も無視できない。
常識の壁が盛大に壊されようとしている恐怖に、ソキホロは震える。
「研究者としては、時間の不可逆性を信じたいところです」
「時間は確かに不可逆であり、逆戻りはしないでしょう。しかし、物体の状態が可逆であることは、可能ではありませんが?」
時間は、如何に魔法のような超常の存在が有ろうとも戻すことは出来ない。
それが、通説であるし、研究者としても信じている世の理の大前提であろう。
時間が巻き戻るのであれば、それこそ解決不可能な矛盾。いわゆるパラドクスが幾らでも出てくる。
例えば、時間を巻き戻せる魔法使いを、巻き戻った時間軸で殺めたらどうなるのか、といった具合に。
殺めたのだから、魔法使いは巻き戻す時点に存在しなかったことになる訳だが、そうなると巻き戻すこと自体が不可能である。巻き戻せないのだから、殺めた事実も無かったことになり、と延々に事象がループしてしまう。
時間とは、一方通行。逆に流れることはあり得ない。
しかし、ペイスは言う。
時間は巻き戻せないとしても、現象を巻き戻すことは出来ると。
「物体の状態ですか」
「氷が解けて水になる。水になったものが凍って氷になる。我々の身のまわりにも、状態の遡及は起きうることでしょう」
「それは、確かに」
時間ではなく、状態が戻ることは現実に存在している。
ならば、状態の遷移を人為的に起こすことも出来るはず。人為的に出来ることであるなら、魔法的な力が有ればもっと信じられない状態変化や状態遡及が可能なはずと、ペイスは言う。
小難しい話をしている研究者と領主代行ではあるが、言っていることはシンプル。
若返る果実というものが、有り得るのかどうかだ。
ペイスの見立てでは、有り得るという。
「これは僕の仮説なのですが」
そう言って、ペイスは自分の考えを説明しだす。
「魔力を与えながら作物を育てることで、作物に魔法の力が備わるのではないかと考えています」
「魔法の力、ですか」
「はい」
ペイスは、幻のカカオがなっていた場所のことをよく覚えている。
魔法を使う不思議な巨大亀の背中に、大きなカカオがなっていたのだから、忘れそうもない。
そこから仮説を立てるとするなら。カカオに特別な効果があるという前提に立ったうえで、何故そんな不思議な作物が存在するのかと考える。
何がしか特別な品種である可能性も勿論あるだろう。何世代、何十世代、或いは何百何千という世代を重ねるうちに、特殊な効果を内包する品種が出来上がった可能性は、ゼロとは言い難い。
或いは、亀に原因が有ったのかもしれない。
大龍の鱗が特別な存在であることは周知の事実。ならば、亀の鱗にも特別な効果が有るかもしれないし、魔法的な何かが存在していたかもしれない。
そう考えると、いきなり亀の背中に乗った連中は、蛮勇というのも烏滸がましいほどに命知らずだったのだろう。
仮に亀が特殊であった可能性を考えるなら。
その特殊性は、どう考えても魔法的な何かに違いない。
この世界のことしか知らない人間であれば、大きな亀が居てもそんなものかと思おうかもしれないが、他の世界の知識を持ち、比較が出来るペイスは違う。
巨大な亀が、明らかに生物の進化として異常であることを確信出来る。
例えば、首の長い馬が居たとしよう。
ものすごく長い首を持つ生き物。これなら、ペイスもそんなものかと思う。キリンの存在を知っているからだ。
或いは、鼻の長い巨大な生き物が居たとしよう。
これも、そんなものかと思う。象やマンモスの存在を知っているからだ。
だが、島程ある巨大な亀はどうだろうか。
これは、明らかに異常だと考える。そんなものが存在しない世界を知っているからだ。
普通の神王国人なら、首の長い馬も、鼻の長い巨大生物も、人が乗れる大きな亀も、同じようなものである。全部、不思議な生き物であり、そんなものも居るのかと感じる。
唯一ペイスだけが、異常さを理解できるのだ。
亀が異常な理由は、何なのか。
ペイスの知る世界との違いは何なのかと考えれば、仮説がうっすらと浮かび上がってくる。
「そもそも、魔法というものと魔力というエネルギーは、密接に関係しています」
「はい」
魔力が無ければ、魔法は使えない。
これは、この世界の常識である。
「所長の研究で、魔力を蓄える物質が有ることは実証されている。更には、魔力を蓄えた物質に魔法という方向性を与えることは可能」
「そうですね」
魔力を蓄えること。蓄えられた魔力を魔法として使えること。これらは、魔法の汎用化技術と言われる。
ソキホロ所長の専門分野であり、モルテールン家の秘匿技術でもある。
「ならば、魔力を蓄えた環境で育った作物は、ある種の魔法的な要素を備えるのではないか」
「なるほど……面白い」
魔力を蓄える鉱物があるのなら。
魔力を蓄える植物があってもおかしくない。
ソキホロは、ペイスの言わんとすることに大きく頷く。研究者としても、未知の世界というのは大いに好奇心を刺激される。
「若返りの魔法の果実というものも、果実そのものに特徴があるのではなく、育った環境が特殊だったのではないか、というのが仮説の要旨です」
「ふむふむ、改めて説明していただくと、俄然仮説の真実味が増しますな」
ペイスは、魔法の果実と呼ばれていたカカオを実際に手に取り、更には調理までしている。
木に房なりであった為に八つほど確保出来たことは確かだが、貴重なものである。
それを気にすることなく発酵させてチョコレートに加工したのだから、菓子狂いも極まっているが、それはそれ。
彼の考えでは、カカオを調理する過程で、何か特別であると感じたことは無かった。ならば、品種自体は普通のカカオと大きく違いは無いのでは無いかと思う。
育つ環境次第で幻のカカオが出来るかもしれない。
こうなってくると、じっとしていられないのが菓子狂いというもの。
「与える魔力によって違いが出るかもしれませんが、取りあえずは僕の魔力でいきましょう」
「はい」
「他にも試してみたいことがいっぱいあります」
「そうですな。仮に仮説が正しかったとしても、今度は詳細な条件の確定が必要です。魔力の含まれた土地で育った作物が特殊な効果を持つとして、魔力による違いは有るのか。魔力の量はどの程度関係しているのか。魔力以外の土壌環境は影響するのか。調べねばならない項目は幾らでも有りましょう」
早速、実験について手配をする。
ソキホロとしても魔法汎用化技術についておおよそ目途が付いてしまったと思っていたところだ。
汎用化の延長線上に「任意の魔法の発現」が有るかもしれないと思えば、心がワクワクしてくるではないか。
「実験結果が、楽しみですね」
研究者とは、罪深い職業である。
先に待つのが明らかに争いの種であると分かっていても、そこに謎が有るのなら、解き明かさずにはいられない。
好奇心の塊なのである。