464話 西之村
モルテールン領の西之村。
他の貴族には隠しているこの村に、これまた秘密の多い施設が有る。
モルテールン領立研究所。
本村にも一応研究施設はあるのだが、人目を憚る研究はこちらで行われることが多い。
この研究所では、色々な研究が行われている。
魔法の汎用化研究、汎用化された魔法の応用研究、商品作物の品種改良、モルテールン領内の資源調査、魔の森の新種植物における効能研究や応用研究などなど。
モルテールンならではの研究も多く、また外部に漏らすことによる影響の大きい研究も多い。
「所長、調子はどうですか?」
ペイスが声を掛けたのは、さえない風貌の中年男性。
無精ひげに猫背気味の姿勢。ぼさぼさの髪に白衣。
研究以外に興味はないというのが見た目で分かる彼こそ、ホ―ウッド=ミル=ソキホロ。
モルテールン領立研究所の所長を務める研究者で、これまで数々の研究でモルテールン家を支えてきた知の重鎮である。
「これはペイストリー=モルテールン卿。調子はお陰様で上々ですよ」
「それは何より」
見た目こそぼさぼさで薄汚れている風に見えるが、身体は健康そのもの。
毎日栄養を考えた美味しいものを食べられるように手配されているし、無理な残業などもさせられることはない。自主的に根を詰めることはあるが。
しかし、ペイスが問うたのは、そしてソキホロが答えたのは、所長の身体の調子ではない。
研究成果についてだ。
所長預かりとなって続けている研究は幾つもあり、それらの研究進捗について尋ねた訳である。
「若手も増えたので、研究は順調です。まあ、一から教育しないといけない分手間が増えたとも言えますが、やる気が有る分だけ教え甲斐もありますな」
「新規に配置する数が少なくて申し訳ないとは思っていますが、機密を守れるだけの口の堅さと、研究を熟せるだけの教養というものが両立する人材が中々いないもので」
「それはまあそうでしょうな」
モルテールンの研究所は秘密も多いので、新しく新人を増やすにしても、口の堅さは最優先である。
しかし、口の堅さを取ると、研究開発に向いている人材があまり残らない。
何故なら、研究開発が出来る程に勉学を収めている人間は、同時に貴族家の紐付きであるケースがとても多く、口の堅さに信用が置けないからだ。
この世界において、勉強できる人間というのは恵まれた一部の人間である。
貴族家に生まれるであるとか、それなりに高い立場にある従士家に生まれるであるとか、裕福な商家に生まれるであるとか、或いは富農の次男あたりに生まれるであるとか。
お金にゆとりが有って、子供を働かせずに勉強だけさせておける環境でなければ、子供の頃から勉強をするということは無い。
特に人口の大半を占める農家では、子供も立派な労働力なのだから。
更に、研究というものは勉学をしている中でもより知性に優れる人間でなければ出来ない仕事だ。
人から教えられた知識を身に着けるだけではいけない。身についた知識を、目の前にある未知を晴らすために適切に使いこなす必要がある。
例えば二次方程式を勉強して、式を解ける人間であることと、二次方程式を使って未解決問題を証明することの違いだ。
後者の方が明らかに難易度が高く、それを熟せるだけの知性を持つ人間というのは限られる。
モルテールン以外の貴族家に関わることなく、それでいて幼少期より勉学を収め、かつ知性において秀でた、若い人材。
こんなものをスカウトするのは、実に難しい。
ペイスは寄宿士官学校の教導役である。神王国でも何人いるかと数えられる程度にしかいない人材を、寄宿士官学校というエリート校から引っ張ってこられる立場。
何千枚もの金貨を贈り、にこにこになっている校長を懐柔し、本来ならば他の貴族の利権になっているであろう士官学校の人材獲得権を横取りして、ようやく獲得できた優秀な人材を、研究所に配置している。
ペイスが、ソキホロ所長を信頼し、研究部門を高く評価し、これからの為の重要な投資であると理解しているからこその荒業。
ソキホロとしても貴族社会を生きてきた人間なので、ペイスがやっていることも全部ではないにしても多少は理解できる。
自分の為に骨を折ってくれるペイスに対して感謝こそあれ、不満などは一切ない。
新しく入ってきた新人に、必要な教育をするぐらいは恩返しとしても軽い程度の手間である。
「研究について話すのも久しぶりですな」
「そうですね。暫く海の上に居ましたから」
「南の海は如何でしたかな?」
「なかなかに興味深いところでした。所長もいつか行ってみるといいですよ。珍しいものが沢山ありましたから」
「ほほう、それは興味深い」
未知を探検する知の冒険家が研究者だ。
珍しいものがある場所というのは、一研究者として興味をそそるとソキホロは楽しそうに笑う。
お土産話に聞くだけでも、試してみたいことがいっぱいある。
色々と話を聞くなかで、所長が特に気になる話は一つ。
「魔法を使う、背中に森が出来る程の巨大な亀ですか」
「ええ。あれは大龍以上の大きさです。本当に島と思うほどに大きく、どれほど大きいのか、全貌すらつかめせんでした」
大亀の話は、研究者としての興を惹く。
大龍の鱗で龍金というとんでもなく高性能な合金を生み出してしまったソキホロである。亀の素材で何が出来るのかと、試してみたい気持ちを隠そうともしない。
「亀の甲羅あたりは、面白い素材になりそうじゃないですか?」
「そうですな。亀の甲羅は時折剥がれるとも聞きます。一枚ぐらい持って帰ってきてませんか?」
「残念ながら。嵐にあった直後でしたから、荷物を無駄に増やすと沈没の危険性があると判断しました。リスクを少しでも減らすべきだと」
「仕方ありませんな。事情は理解できます。しかし、惜しいとも思います」
「そうでしょう。僕もそう思っていますから。機会が有れば、もう一度取りに行っても良いですね」
ペイスの魔法は反則的なので、【瞬間移動】を使えば例の亀が居たあたりに移動することは可能。
そこから幻の島ともいわれる亀を探せるかは不明だが、全く意識せずうろつくより、目的意識を持って探索した方が発見する確率は高いはずだ。
もしもう一度南に行く機会があるならば、次は亀の素材をいくらか採ってきてやろうと考えるペイス。
「大亀で思い出しましたが、大龍の肥料についての研究はどうですか?」
「流石にまだ始まったばかりで、大した成果と呼べるものは出ていませんな」
「まあ、ものが肥料ですしね」
「ええ」
大龍の体内から出てきた糞や、未消化の残留物について。
或いは、腸を始めとする腐敗しやすい内臓について。
モルテールン家では、肥料にするための研究を進めていた。
発酵させるための条件をそれぞれに変えて五パターンほど試し、肥料の作成を行っている。
当然、発酵というものにはそれ相応の時間が掛かるもの。
巨大な大龍の残した大量の遺物だ。全てを事前に定められた通りに発酵させようとすれば二年程度は掛かるだろうと見込まれている。
また、肥料が出来た後、その肥料の効果をそれぞれの条件ごとに確かめる実験もせねばならない。
これなども、単年度で成果をあげるよりは、何年も掛けて土地に影響が無いかなどを調べねば片手落ちというもの。
まだまだ、研究は始まったばかりだ。
「肥料の研究が時間が掛かるのは理解していますが……現状の見込みはどうですか?」
「割と期待できるのではないかと思っています。先行試験の結果がかなり良かったようで、その結果がこちらです」
「ふむ」
大量の肥料を一気に作ろうとすれば時間が掛かる。
しかし、実際にやってみて駄目でしたでは話にならない。
そこで行われているのが、ごく少量を先んじて試す先行試験と呼ばれるもの。
家庭ごみでも、バケツサイズのコンポスト一杯を肥料にするなら数週間は掛かるだろうが、片手に乗る程度の量ならば一週間も有れば発酵させることが出来る。
ごく少量をいち早く試してみた結果。
ペイスの見ている資料では、所長が期待すると言った言葉通りに良さげな結果が出ていた。
どうやら、より大龍の体内に存在していた時間が長いものほど、肥料としての効果が高いのではないかという推測が為されている。
この結果をみて、ペイスはじっと考え込む。
「結果は確かに期待できそうですね」
「ええ。これから時間を掛けてじっくりやろうと思っていますが、楽しみなのは事実で」
研究者として、将来が明るいであろう研究をするのは実に楽しい。
未知と可能性の宝庫であるし、どう転んでも研究業績としては偉業になる。他にやったことのある研究者が誰一人としていないし、真似しようとしても出来ないからだ。
神王国だけではない。世界中を見渡しても、ソキホロ以上の大龍専門家は存在しない。
大龍の肥料まで使い方が分かれば、のちの世で大龍の糞でも手に入れた人間が出れば、必ずソキホロの研究を参考にすることだろう。
研究者として、確実に社会の利益となる研究が出来るのは喜びでしかない。
「ところで所長。少し、実験をしてみませんか?」
「実験?」
招来に想いを馳せていたソキホロに、ペイスが提案した。
今の大龍の研究ももちろん大事だが、興味が有るなら亀に関わる研究もしてみないかと。
大亀の研究というのがどこまで大龍の研究と近似しているかは不明だが、全く役に立たないということも無かろう。
ソキホロは、一体何をやらせるつもりかと尋ねた。
「旅先で、少し思いついたことが有りまして」
ペイスの柔和な笑顔。
その裏側には、何か大きな問題が隠れていそうだ。
所長は軽い身震いをするのだった。





