463話 王妃
世の中には、二種類の人間が居る。
生物学的にみて、女と男だ。
LGBTなどという概念が存在しない神王国社会では、男はより男らしくあれと求められるし、女はより女らしくあれと求められる。
男らしさとは、逞しさ、潔さ、勇敢さ、公正さなど。おおよそ騎士と呼ばれるものに相応しいと求められる要素を指すことが多い。
騎士の国として生まれた国家の価値観は、模範的な騎士を最上として小さい時から教育される。
対し、女性らしさとは神王国においては優しさ、美しさ、慎ましさ、寛容さなどを指す。
いつでも笑みを絶やさず、誰に対しても優しく、大いなる包容力をもって人に接する人物こそ、女性の理想とされるのだ。
理想的な女性。概念とすれば抽象的な存在であり、現実には存在しないであろうもの。そうそう都合の良い人間などいやしない。居ないからこそ理想とされるのだ。
現実的な答えとしての理想的な女性。それは、今の時代においては特定の地位の女性を指す。
ずばり、王妃のことだ。
この国において最も高貴な女性。
誰もが憧れるという意味で、理想的な女性である。
「王妃陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます」
王宮の離れの一角。
国王以外は男子禁制となっている場所で、優雅な談話会が開かれていた。
お茶会と違うのは、みんなでおしゃべりすることが目的である点。お茶が添え物になっていて、話題に出てこない点。
そして、参加者全員が、それぞれに報告することを事前に用意してきているところだ。
女性同士の噂話のネットワークと言っても良いが、自分の知る噂話や情報を持ち寄り、交換することで仲間内の結束を高め、利益を共有するのが目的、ということになっている。
「最近はすっかり木々の葉もおちてしまいましたね」
「そうですね」
ガーデンスペースの一角で行っている談話会ではあるが、季節柄目に見える景色は寒々しい。
日当たりが良くて風の無い場所という、冬の時期でも割と外の空気を楽しめる場所ではあるのだが、広葉樹が殆ど葉っぱを落としてしまっている光景は見るからに寒さを感じる。
冬という季節。木々の移ろいの中ではうら寂しい風景ではあっても、女性たちは喜んで談話会に参加していた。
木々の葉と違い、仲のいい女性が集まった場の会話というものは、実に盛大に花が咲いている。
「陛下、最近は国王陛下のご様子は如何でありましょう」
まず尋ねられるのは、国王の状況。
他所の国ならいざ知らず、国王への中央集権化が進み、絶対王政に近しくなりつつある神王国においては、国王の健康状態や機嫌というのは貴族にとっても、また後宮に住まう女性陣にとっても一番大事なことだ。
王妃が何故女性たちの中心にいられるかというなら、当人の資質だけではなく、王の最も近しい位置にいるという点も大きい。
談話会に集まる女性たちも、王妃の口から間接的にでも国王の状況を知ることは極めて大切なお役目だ。
「最近は、陛下は特にご機嫌であらせられます」
第一王妃の言葉に、周りの取り巻きは内心はともかく心から嬉しがっている風に喜ぶ。
「それは素晴らしいことですわね」
「ホントホント」
王妃の見るところ、最近の国王カリソンは上機嫌で居ることが多い。
それは、三権における状況が、ここ最近素晴らしく好天に恵まれているからだ。むしろ日照りを警戒するぐらいには晴天続きである。
例えば軍事。
三権においては最も気を遣う部分であるが、ここはかねてよりの懸案が片付きつつある。
かつての大戦の折は、地方の貴族が一斉に王家に反抗した。この苦い経験から、戦乱後の王家の戦力は、国外というよりむしろ国内に対して向けられていた。弱り切った国力の更なる低下を恐れ、再度の内乱を警戒するのは王としては当然の判断であった。
旧来からの貴族は土地に深く根を張り、有形無形の影響力がある。それらを少しづつ少しづつ引っこ抜いていき、徐々に王家の力を増やし、反乱の芽を潰していった。
結果、かつて不穏分子とされていた貴族たちもここ最近は大人しくなっていて、いよいよ中央軍の掌握も進んでいる
領地貴族の軍事力は地域の治安を守る為に行使され、王家の持つ戦力は国を守る為に使われる。
有事となれば、王家が絶対的な指揮権を持ち地方の軍事力を統制し、神王国が一枚岩となってことにあたる。
そんな理想的な戦力配分が、かなり順調に進んでいるのだ。
中央軍の再編とともに、地方の領地貴族の転封もあった。贔屓目を抜きにしても、神王国の長い歴史上でも、今が最も強い国になっていると断言できる。
カリソンがご機嫌になる訳だ。
他には、外交。
諸外国と揉め事が起きることも珍しくなかったところ、ここ最近はめっきり大人しい国ばかりになった。
ナヌーテック国、エレセ・ヤ・サイリ王国、アナンマナフ聖国やヴォルトゥザラ王国といった大国は、皆神王国に対して下手に出る外交を行っている。
これは偏に、近年外交的、軍事的に成功を重ねてきたからだ。
聖国とは実際に海戦を行って勝利し、講和によって矛を収めた。
サイリ王国は辺境伯同士が争い、斟酌を受けて一時は危なかったものの逆侵攻で相手の領地を併呑してしまった。
ヴォルトゥザラ王国は神王国の王子が出向いたことで融和派が主導権を握るようになったし、ナヌーテックは神王国の備えが堅すぎて手出しできずにいる。
四方が全て安定しているなど、ここ最近の外交状況は極めて良好だ。
カリソンがご機嫌になる訳だ。
更に、内政。
神王国南部は特に発展著しいが、東部もまた国教と戦線がより東になったことで開発余地が広がり、生産力が上がっている最中だ。もとより広大な辺境伯領を併呑しているのだから、まだ当分は右肩上がりの生産能力向上が見込めるだろう。
国の国力は経済力の裏付けが有って初めて機能的に働くもの。
どんどん豊かになり、国富が増している現状。
カリソンがご機嫌になる訳だ。
「陛下は、最近はよく眠れると仰せです。健康にも不安はなく、政務も安定していると聞き及んでいますわ」
「流石は陛下です」
「そうですわ」
「そうですわ」
国王に対する賞賛は、一人が口にすれば付和雷同。
皆が皆口を揃えて褒めちぎる。
ここに集まっているのは、第一王妃の“お友達”ばかり。どう見ても国王に近しい体制側の立ち位置なので、王の立場が強固であるほど自分たちの利益にもなる。
政務が順調なのは良いことだと喜んでいるのは、割と本心だろう。
「陛下のことは確かに喜ばしい状況かとおもいます。それで、皆さんの方は如何かしら?」
自分は情報を与えた。
ならば次は貴方たちの番よと、第一王妃はそっと取り巻きに水を向ける。
「それでしたら、少々お耳に入れたいことがございまして」
「何でしょう」
取り巻きの一人。
癖っ毛のある髪を結いあげていた女性が、発言の許可を求める。
王妃としても軽く頷いて、話を聞こうとした。
「先だって代替わりが有ったジュノー商会のことはご存じですよね」
「ええ。最近傾いているような噂を聞いていましたが、代替わりがあったのですか」
「はい」
王妃という立場は、この国において非常に貴い。
故に、王宮の外に出ることは、基本的にタブーとされる。
例えば誘拐事件などが起きてしまえば、最悪それを外交カードにされて国益を害することにもなりかねない。
誘拐でないにしても、傷害事件でも起きれば国威を傷つけられることにもなるし、不義密通などがあれば国を割るお家騒動になりかねない。
王妃が外に出るというのは、トラブルを呼んでしまいかねないのだ。
当然、市井の情報には疎くなる。
王妃に代わって町の噂話を伝えるのが、談話会における参加者の仕事でもあるのだ。
ジュノー商会といえば、王宮に出入りしたことも有る大手の商会。
色々と悪い噂も有ったが、持ち込むしなの質は良かったと王妃は記憶していた。
そこの商会に代替わりがあったというのなら、確かに王妃に関りがありそうな噂だろう。
ふんふんと頷くことで、興味を示す王妃。
「代替わりに伴って商会の資産を幾つか手放したらしいのですが……ナータ商会という商会が、ジュノー商会の本店が有った表通りの一等地を購入しまして」
代替わりで商会の経営が傾き、やむなく資産を現金化するというのは良くある話。
王都に新しいお店が出来ましたの、などという話題は、女性陣としても面白そうだと興味を引く話である。
新しくジュノー商会の跡地に入った店は、ナータ商会。
王妃としては、はてと引っかかる名前だ。
「どこかで聞いたことのあろうような名前ですね。どこが後ろ盾?」
「モルテールン子爵です」
「首狩り騎士が。あの御仁も、もう一端の宮廷貴族ですね」
ああ、と王妃も納得の色を浮かべる。
そういえば、モルテールン家のお菓子を買い付ける侍女が、ナータ商会のことを口にしていた気もする。
かつて首狩りと恐れられた武闘派のモルテールン子爵も、商会を囲い込んで商業活動を行うというのなら、王都の宮廷貴族として一般的な稼ぎ方をしているらしい。賞金首を狩って回るよりはよほど貴族らしい稼ぎ方だ。
「そのナータ商会が、件の場所で店を開きまして」
「そうなの」
「どうもお菓子を扱う専門店であるとか」
「あら、それはモルテールンらしい。どうせ、息子の方が関わっているのでしょうね」
モルテールンと言えば、魔法とお菓子。最近では、それに大龍が加わる。
ここ数年来騒動の中心になっている家であるが、彼の家が商売するというのならやはりお菓子のことがまず真っ先に頭に浮かぶ。
「今度、モルテールン子爵夫人を王宮にお招きしましょうか」
“また”モルテールン子爵夫人に、色々と話を聞かねばならない。
王妃はそう思った。
◇◇◇◇◇
王宮の一角。
王妃のいる離れとは意図して距離を取られた建物の中。
神王国王家の第二王妃エミリア=ミル=ウー=プラウリッヒは自身に近しい人間を集めてお茶会を開いていた。
談話会ではない。お茶会だ。
情報収集ではなく、愚痴を言い合う為に取り巻きが集まり、お喋りするための会である。
「お聞きになりましたか」
取り巻きの一人が、エミリアに声を掛ける。
実にオーバーアクションで、さも重大事を告げるかのように声のキーも高い。
「今度、エルゼカーリー様がモルテールン子爵夫人を招こうとされているそうですの」
第一王妃がモルテールン家の夫人を招待しようとしている。
どこからそんな情報を仕入れてきたのか。
甲高い声で報告する取り巻きではあるが、その声は多分に非難の色合いを帯びている。
「モルテールン家と言えば、我が家と同胞とも言うべき親密な関係。そこに亀裂を入れようとする行為は、幾ら王妃陛下といえども僭越でしょう」
「そうですわ」
「そうです」
「そうです」
第二王妃は軍家の貴族家出身。
モルテールン家とは、昔から親しく付き合いがある家柄だ。
何かと話題のモルテールン家と縁を持ちたがる人間は多く、モルテールン家が弱小であった頃から繋がりを持つ第二王妃は、モルテールン家と同じ派閥であることを求心力の一つとしていた。
第一王妃がモルテールン家と接近しようとしている。
これは、明確に自分たちにとっての脅威になる。
「一度、しっかりお話する必要があるかしら」
第二王妃の茶話会は、かなり剣呑な雰囲気に包まれていた。