462話 コロちゃんの報告
モルテールン領チョコレート村。
名前のセンスが壊滅的に悪いことを除けば、ごく普通の開拓村である。
このごく普通というのは、モルテールン領では、という枕詞が付く。
つまり、他所であれば非常識が至る所にあるという意味だ。
しっかりとした城壁と堀に守られ、巨大な魔物がしょっちゅう周りをうろつき、下手に外へ出れば美味しく食べられてしまい、三階建ての建物よりも遥か上を道路が通っていることを除けば、実に普通の街である。
「コロちゃん、調子はどうですか?」
壁内エリアの水路の再整備について陣頭指揮を執っていたコローナの元に、彼女の上司がやってきた。
堅物と名高い女性代官は、作業の手をとめて敬礼をする。
ぴしりと背筋が伸びている辺り、軍人的な訓練が体に染みついている様子だ。
「ペイストリー様。わざわざご足労頂き恐縮であります。村のことは万事抜かりなく進めております」
敬礼をしたまま、直立不動で報告するコローナ。
声も大きくはきはきしていて、百メートルは声が届きそうである。
礼をされれば礼を返すのがマナーなので、ペイスも答礼をした。
こちらは軽い感じがしていて、軍人というよりは上司然としている。
「相変わらず態度が堅いですね。それはそれでコローナの良い所ですが、もう少し砕けた態度でも良いですよ?」
「はっ、恐縮です」
肩の力を抜いてフランクにしろと言って、すぐにそうできるようならこんなに堅物とは言われない。
返事は肯定的であっても、態度が改まっているとは思えないのだが、それはもうコローナの個性であろう。
「別件で来ましたし、ある程度の詳細は別途の報告で正式に聞くとして……、まずは防衛状況を聞きましょうか」
一応、チョコレート村の開拓はペイスの管轄。
領主直轄事業ではない。ペイス直轄事業だ。
下手に領主の事業としてしまうと、酒が大好きなカセロールやシイツの介入を許してしまうという危惧からそうなっている。
故に、直属の上司として報連相は怠れない。
代官もまだまだ新米代官であるし、全てを丸投げしておくのは流石に無責任というものだろう。
取り急ぎ、ペイスは防衛状況から報告を求める。
魔の森の開拓ということで、チョコレート村の防壁の外は魔の森そのもの。何が有るか未だに全容が解明されていない魔境であることから、不測の事態は幾らでも考えられる。
何も問題が無いかと聞くのも野暮だが、最初に確かめておくべきことでもあろう。
「はい、特に問題は報告されておりません。むしろ、防衛に関しては襲撃頻度が下がっているとの報告を受けております」
「流石は国軍の精鋭部隊といったところですか」
「同感です。しかし付け加えるなら、当家の部隊も奮闘してます。彼らのこともお忘れなきよう」
現在、チョコレート村には国軍の第三大隊が駐屯し、魔物や獣の掃討の任務に就いている。
また、第三大隊には魔の森の情報を出来るだけ詳細に持ち帰ることも任務に含まれていて、頻繁に壁の外に出ている。
頼もしいというなら実に頼もしいが、勿論魔の森が“ただの”大隊だけで活動できるようなら、今までにもとっくに開発されていたはず。
モルテールン家だけが魔の森の開拓を、曲がりなりにも進めていられる理由は、偏に“特別な”大隊が有るからだ。
「勿論です。我々の虎の子部隊を預けていますから、活躍してもらわねば。結構な金額を投資している訳ですし」
「はい」
特別な隊とは、魔法部隊のことである。
モルテールン家秘匿技術である、魔法の飴を使って戦う部隊。
使える魔法のレパートリーは、【発火】や【掘削】などの汎用性の高い魔法だ。
ちなみに、一応【瞬間移動】の魔法も使えるものが居るのだが、これは形が持ち運びに不便な綿あめなので、あまり頻繁には使えない。
また、【転写】の魔法は部隊の誰も使えない。それが使えてしまうと、モルテールン家の与り知らない、管理していない部分での魔法使用が起きてしまうからだ。
魔法部隊の魔法は、あくまでもモルテールン家の管理下にあり、指揮する部隊長の統制下に無ければならない。
砂糖の貴重な世界では、魔法一回使うにも銀貨が何枚も飛んでいくほど金食い虫な部隊でもある。
運用にも整備にも訓練にもお金が掛っているのだから、ここで成果を出してもらわねば報われないというもの。
「彼らがモルテールンの最精鋭部隊と呼ばれる日も近いでしょう。そうなれば、コローナがモルテールン家中で最大戦力を指揮することになるかもしれませんね」
お互いに信頼感が有るからだろう。
ペイスが、冗談めかしてコローナを揶揄う。
モルテールン家の最大戦力を預かり、更には食料や武器の製造拠点の代官だというなら、その気になればクーデターも出来るね、という揶揄いである。
コローナも、ペイスの言うことが冗談だと分かっているので、少し笑って返事をする。
「御冗談を。最大戦力は私の目の前に居られます」
「ははは、コローナも煽てるのが上手くなりましたね」
モルテールン家の最大戦力は何であるかと聞かれたら、ペイス以外はたった一人の人物をあげる。
単騎で敵の大軍に突っ込んで行っても平気で対処して帰ってくるぐらいのことはやってのけるという、ある意味で信頼感の塊。
実質一人だけで、何千人と死傷者を生み出した大龍を倒した、一騎当千の人物だ。最大戦力という評価には、コローナも本気で言っている。
仮に千人の部隊でペイスを倒そうとして、それが可能だろうか。
いや、無理だろう。
少なくともコローナは、自分の指揮では不可能だと思っている。
魔法部隊を自分が完全に掌握出来たとしても、最大戦力と呼ばれるのは烏滸がましいと、彼女は言う。
「防衛については問題ないようで安心しました」
「はい」
守りに関して問題ないというのは、胸をなでおろす案件である。
魔の森から人食いの蜂やら、トラック並みのイノシシやら、果ては山のような大きさの大龍がまろび出てくるより、遥かに健全だ。
「農政についてはどうですか? 開拓は進んでいると聞いていますが」
「はい。壁内の農地区画においては、開拓の予定範囲の四割程度です。一部実験的に壁外に農地を設けましたが、此方は野生動物や魔物に襲われる被害が出るようだと報告がありました」
「やはり、最低でも壁で囲わないと、魔の森近傍ではまともに農業も出来ませんか」
魔の森の開拓事業は、ただ単に森を切り開くだけではない。
今まで手を付けていなかった原生林を、農地や宅地にして人が住めるようにして初めて開拓成功といえる。
農地の拡大は急務ではあるのだが、やはり壁で囲わなければまともな農業は難しいようだ。
空を飛ぶものの大半は大龍のピー助が散歩のときにご飯代わりにぱくつくことも有るのだが、一般人にはただの鹿や猪であっても恐怖の対象である。
「農地の生産能力の方はどうですか?」
農地の大きさを中々拡大できそうにないのなら、既に有る農地の質を改善向上していくしかない。
単位面積当たりの収穫量をあげ、それで自給自足を図ろうという考えだ。
農政担当者や専門の研究者との話し合いもしつつ、現状では手探りで収穫量アップの方策を試しているところ。
結果がどうなっているのかは、ペイスも気になる。
「開拓地の生産力は、単位面積当たりでは本地より上になるだろうとの見込みです」
「ほう」
思わぬ朗報に、ペイスの口元が少し緩む。
笑みを浮かべる相手に、コローナも喜ばし気に報告する。
「人手の問題から広さは、前回の報告に比べて微増に留まっておりますが、現状では自給の目途が付きました。今後は余剰生産力を領外への輸出に割り当て、必需品の購入を図ります。更に付け加えて、どうやら魔の森に近しいほど生育状況が良いらしいとの報告が有りましたが、まだ確証を得られる段階には至っていません。今年の収穫と、来年まで時間を頂ければはっきりするかと」
「順調ですね。農業に関してはまず心配が要ら無さそうでよかった」
「はい」
農業に自給自足の目途がたち、今後は輸出も出来そうだというのなら、開拓村としては大成功と言える。
少なくとも長期的に見れば、黒字に出来る目途が立ったということなのだから。
モルテールン領の既存領地で不作になった時なども、環境の違う魔の森で食料生産できるのならば大いに心強い。
「特産品の方は如何です?」
食が十分に賄えるのなら、次は生活水準の向上である。
最低限腹が満たされたなら、より豊かでゆとりある生活を目指す。
必要なのは金であり、金を稼ぐための手段。
「まだはっきりとしたことは報告出来ません」
「物が蒸留酒ですから、仕方ないですか」
「申し訳ありません」
「謝ることではありませんよ。コローナはよくやってくれています」
「ありがとうございます」
チョコレート村には、幸いにして都合の良い崖がある。
ここに穴を掘れば、酒を貯蔵するのに十分な場所になるだろうという目算だ。
長期熟成を試す。それにはやはり、蒸留酒である方が良い。
チョコレート村で蒸留酒が作れるようになれば、ペイスのお菓子作り、もとい領地運営も楽になるだろう。
「一点、気になることがあります」
「何でしょう」
「新作物の実りが、若干悪いようなのです」
「新作物というと?」
「カカオ、と言われていたものです」
「……重大事件じゃないですか」
ペイスは大いに顔を顰める。
魔の森で試していたカカオの試作。育ちはしているようだと報告があったので安心していたが、実際に育っているカカオを見たプローホルなどの話から、現状の生育はあまり好ましいとは言えないことが分かったらしい。
「現状、何とか生育しているとはありますが、このままでは当初の見込みほどに実がならないのではないかという見立てが提起されました。なにぶん手探りでやっているところもありますので、不安要素はあります」
「そうですか……当面は輸入が出来ることになったので良しとしても、カカオの生産技術の確立は急務ですね。どこかに実験でも出来るいい土地でもあれば良いんですが……」
ペイスの頭の中には、取り得るべき手段が幾つか浮かぶ。
どこかに都合の良い土地は無いものか。
「引き続き、村のことは任せますね」
「はい」
若い女性代官は、ペイスの信頼に深々と礼をした。