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おかしな転生  作者: 古流 望
第5章 天使の歌声
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046話 Shall We Dance?


 「ご無理をお願いしました。快諾頂けたことに心から感謝いたします」

 「他ならぬモルテールン卿の陞爵祝いですし、これぐらいはお安い御用よ」


 二人の人物がにこやかに、貴族的な会話をする。

 片方は、妙齢の女性であり、南部貴族で知らぬ人のいない女傑。レーテシュ女伯爵。所々で花の刺繍がされている淡い水色のドレスに身を包む。朝顔を基調とした花々の刺繍は、僅かな光沢をもっている。年若い少女からはどこかしら羨望の目で見られる立ち居振る舞い。隙のなさと美しさの同居する身のこなしは、流石は高位貴族というべきだろう。

 対するもう一人は、明け方の月を思わせる青銀の髪に、少年らしい幼さを残しつつもキリリとした表情で向き合う、ペイストリー=ミル=モルテールン。対峙する女伯爵に負けず劣らず、所作に隙が無い。不思議なことに、彼の着る服装には煌びやかな飾りが多い。ひらひらとした飾り布も多く、幼さを際立たせていた。

 この二人が挨拶を交わすのは、海賊城との呼び名もあるレーテシュバル城の大広間(ロビー)。そこには、色とりどりの服装の紳士淑女が大勢集まっていた。


 「ありがとうございます。こうして閣下の(あで)やかで美しい御姿を拝見する機会を持てただけでも、ご無理をお願いした甲斐もございます」

 「お世辞にしても嬉しいわね。でも、そんなことを言っていると、お隣にいる美人な婚約者さんが妬いちゃうわよ?」

 「それは困りますね。御忠告いたみいります」


 ロビーに(つど)った面々を見渡せば、それぞれに一つの特徴がある。

 男性は皆ひらひらした服ではなく、ズボンを基本とした服装。女性にしても、同じようにスッキリとした服装ばかり。ごてごてとした重い飾りを付けていたり、盛大に盛られた髪型であったりという女性が一人も居ない。誰にしたところで、動きやすさを意識していることが見て取れる服装である。

 本来社交の場とは服装の華美さ優美さを競う面もある以上、意味もなくそのような恰好でいるわけではない。そこにある意図は、この場に集まった名目によって明らかになる。


 舞踏会。


 未婚の男女が出会う場として。知らない者同士が知り合うため。或いは見知った者同士が、ある程度近しい距離で同じ目的の作業(ダンス)をすることによって親密度を増すため。皆の服装と同じように、色とりどり人それぞれの思惑が渦巻く、踊りの場。

 人脈が大きな意味を持つ貴族同士。多くの意義と目的を内包する、貴族社会の縮図である。


 「今日の為に練習を重ねてこられたそうね? まさか貴方が社交のダンスを踊れないなんて思ってもみなかったから、折角の恩を売れる機会を逃してしまったわ。我が家にも、踊りについて詳しい者が居るのよ?」

 「お耳の良いことで……。お心遣い恐縮です。閣下から恩を買いますと、それ相応に高くつきそうではありませんか?」

 「勿論私もこう見えて一家の主ですから、事情が無ければ安売りはしませんわ。それは他の家でも同じでしょう。辺境伯がどれぐらいの値で踊りの教授を務めたのか、参考までに教えてもらえないかしら? 戦時が続くと聞く辺境伯であれば、相当に吹っかけられたのではなくて?」

 「いえいえ、閣下がご懸念されるほどの高価なものではありません。当家もしがない騎士爵家。いえ、準男爵家です。差し出せるものもたかが知れていまして、レシピ一つで教授を引き受けて頂きました」


 社交の場は、交渉の場でもあるし、情報収集の場でもある。貴族社会の縮図との異名の通り、腹黒い探り合いや、狐と狸と(いたち)と猫の化かし合いが行われる。化かしたつもりで化かされているなど日常茶飯事。


 貴族家同士のやり取りで相手にものを頼むとき、対価なしというのはありえない。何故なら、一度無料奉仕してしまえばそれが基準となってしまい、他の貴族家にも足元を見られるからだ。あいつの所はタダで、うちから対価を取るのは納得できない、と言われれば、納得させるのには相当な労力が必要になるし、更にはそれが一度や二度で終わることもないのだ。目の前の客がタダで貰っていた商品に、お前は金を払えと言われ、良い気持ちになる人間など居ない。

 お願い事には対価が要る。これは貴族間の交渉においては、絶対の大前提だ。

 それ故、辺境伯のところでダンスを習ったと聞けば、何を対価として差し出したかは重要な情報になる。所謂“頼みごとの相場”は、頼む相手や時期や家ごとの価値観によって大きく変わる。相場の情報などは利益に直結する重要な情報。


 先の会話についても、そんな意味が含まれている。

 伯爵が「無理矢理な交渉になっていないか?」とそれとなく水を向ければ、辺境伯の顔を立てる為にもペイスは「ちゃんと出すもの出した」と答えた形。これは、「自分の下に居れば安く出来るよ?」という遠回りな勧誘に対し「あくまで対等に交渉したい」と断る意味もある。

 貴族の社交とはとかく面倒くさい。


 ペイストリーが、踊りを教えてもらうために辺境伯家に差し出したのは、先だって公爵嫡孫スクヮーレに対して振る舞った、タルト・タタンの細かい作成手順書(レシピ)である。


 この世界、料理人という、高い技術や深い知識を持つものは貴重である。技術や知識は秘匿されるからであり、料理人もその例に漏れない。

 美味しいものを食べたいと思うのは、誰しも当然に持っている欲求なわけで、好みの差こそあれ、旨い物を食べて喜ばない人間は相当な変人だ。またそうであるからこそ、美味しい食事を振る舞うことが、如何に相手を歓迎しているかの証にもなる。

 交渉の場において、食事を伴うことは多い。食卓外交との言葉があるように、手持ちのカードの一枚として、美味しい食事を用意できるというのは貴族家としては大変に価値があることなのだ。

 ましてや、他の家では決して食べられることのない美味、珍味ともなれば、その価値の高さは言うまでもない。


 ペイスがスクヮーレに振る舞ったお菓子、タルト・タタン。スクヮーレがこれで落ち込みから立ち直った件や、その味が非常に洗練されていて美味しい物であったとの噂は、すでに東部でジワジワ広がっている。無論、女伯爵も噂ではそのお菓子の存在を知っていた。

 是非とも自分も食べてみたいという意見は貴族の中でも多くなりつつあるが、如何せんレシピを知るのがペイスのみである。実態は秘密のヴェールに包まれていて、謎が謎を呼ぶ状況が今であった。そのレシピともなれば、欲しがる人間はかなり多い。


 「それは辺境伯が大分得をしたわね」

 「自分が知らぬ知識の為に、相手の知らぬ知識を差し出す。至って公平な取引であったと自負しますが?」

 「辺境伯からすれば、そう言うでしょうね。でも、それなりに多くの者が教えられる知識と、他の誰も知らない知識とでは、価値が違うのではなくて?」

 「かもしれません。しかし、他の誰も知らない知識が、常にそうであるとは限らぬものでしょう」


 意味ありげに、少年は笑みを深めた。なんとも白々しいやりとりである。

 自分が知らない知識や技術と、相手が知らない知識や技術の交換と聞けば、確かに対等に見える。辺境伯との交渉の建前もそうなっている。

 だが、探せば他に選択肢のある知識と、選択肢の無い知識であれば、後者により高い価値があるのもまた当然である。これもまた十分に建前として使える。


 ペイスが持ちかけたのは、タルト・タタンのレシピの売り込みである。


 辺境伯家と取引した時点では、他に誰も知らない優位性。それを十分に熟知した上で辺境伯に恩を売りつつも、辺境伯の知識独占を見越し、伯爵家にも価値の不均衡を理由と建前にして売り込みを仕掛ける。ペイスのしたたかさは、それと知っていても尚、見た目とのギャップに戸惑うもの。

 女伯爵は、自分の中の違和感を必死に抑えながら、笑顔で提案に頷いた。


 「当家にも、是非そのレシピをご教授願いたいものね」

 「無論、他ならぬ閣下の頼みとあれば、否はございません。我が家としても光栄な事です。しかしながら何分と僻地に居ります身。その為の手間はご配慮いただければと思います」

 「あら? 貴方の頼みを聞いて、こうして場を設けたのよ? その私の苦労も考えてもらいたいわね」

 「そうおっしゃられると思っておりました。では本日の会が無事終わりましたら、お望みの通りに致しましょう」


 お互いに笑顔のまま握手を交わす。交渉妥結の儀礼だ。


 伯爵としても、舞踏会を開くメリットは多い。今回にしても、モルテールン家の陞爵を建前に、普段は呼ぶことのないモルテールン家所縁の人間を呼べた。また、南部貴族にも声を掛け、結束を固める意味もある。

 つまりは、カセロールのことなどは単に皆を集める口実にすぎない。高位貴族として、ただお願いを聞いただけではないのだ。

 ペイスとしてもそれは十分に分かった上で、レシピの伝授で、要請を聞いてもらった立場としての貸し借りをチャラとしたのだ。むしろ御釣りが出ても良いぐらいだろう。


 「さて、それじゃあ始めましょうか」


 レーテシュ伯が、広間の目立つ場所に移動する。主賓や主催者が挨拶する為に、上座扱いになっている入り口から最も遠い場所。

 彼女は、一旦参加者を見回したのち、声を上げる。よく通る声は女性らしく、それでいて凛としていた。石造りの壁の反響もあってか、広い部屋の隅々にまで届く声。


 「皆様、ようこそお越しくださいました。主催したものとして、遠路ご足労いただきましたこと、御礼申し上げます。今宵はモルテールン卿が準男爵に陞爵された祝い。そのためにも、こうして舞踏の場を設けさせていただきました。我々王国南部に居を持つ者同士、折角の機会ですから親交を深め、また結束を強めて頂きたいと思います」


 女伯爵の挨拶に、集まった者たちも静まり返る。静謐な場に期待が満ちたところで、目敏い者は気付く。

 当の“モルテールン準男爵”が居ないことに。

 代わりに居るのが次期領主であると知る者は、目敏くも準男爵不在に気づいたうちの二割ほど。ましてや、その傍にいる女性が辺境伯の愛娘と知る者はほとんど居なかった。


 「さて皆様。ここでご紹介したいと思います。数々の軍歴と戦功を持ち、この度は準男爵位となられましたモルテールン卿。そのご嫡男のペイストリー=モルテールン卿です。既に聖別の儀を終えられており、この場には当主代理として来られております。ご存知の方も居られるでしょうが、ひと言ご挨拶を頂きます」


 この紹介で、一気に場がざわめいた。

 てっきり、陞爵した本人が来るものと思っていた人間が多かったからだ。それを見越し、出世したカセロールになんやらかんやらと縁を持つ腹積もりで皮算用していた人間にとっては、肩透かしを食らった気分にさせられるニュースだ。


 「お集まりの皆様。ご紹介に預かりましたペイストリー=ミル=モルテールンです。この度は父の陞爵に対し、かような場を設けて頂けたこと、父になり代わって厚く御礼申し上げます。振り返りますれば……」


 挨拶は続く。

 この手の挨拶を無難にこなすには、人前に立っても緊張しないだけの場数を踏むしかない。ペイストリーの堂々とした挨拶に、ほうと感じ入る者も多かったし、時折冗談を交えながらのスピーチに聞き入る人間も居た。


 「以上をもってご挨拶とさせていただきます。皆に幸運を(エラ・グラティエ)


 お決まりの締め言葉の聖句から舞踏会は始まる。

 最初は主催者によるダンス披露だ。


 踊るのは勿論レーテシュ女伯爵。パートナーを務めるのは、伯爵家とは血縁も含めて深い縁のある家の当主。黄色味の強い茶色の髪をした、やや背の高い細身の男。彼は無論既婚者であるが、かつてはレーテシュ伯の婚約者だったこともある。

 舞踏会に参加する人間は、独身か、或いは嫁や旦那を探す意思のあるものをメインにするのが通例。伯爵のパートナーを務める男性にしても、側室狙いの女性から踊りの申し込みが殺到する立場にある。

 無論、独身の女伯爵に至っては言わずもがな。彼女と踊りたいという独身男性は意外(?)に多い。ほとんどが逆玉の輿狙いの下心があるため、伯爵自身は辟易としているものの、伯爵家の家臣団一同は、なんとかその中からでもいい人を見つけてほしいと神に祈るのが恒例行事である。


 音楽に併せ、華麗に踊った一曲が済めば、その後は招待客が順に踊る。伯爵家の侍従から家名と名前がペアごとに何組か呼ばれ、呼ばれた者たちが品よく進み出る。そして踊る。

 一人で参加したものもかなり多い。そういうものは、控室に居る時などに、事前にパートナーを根回ししておく。自分から声を掛けられない者は、伯爵家の外務や内務の従士が、家柄や人柄含め諸々の条件を勘案の上で、勝手に組み合わせることもある。女性から声を掛けるのははしたないと見られるので、女性側の希望は彼らを通して伝えられたりもする。

 美人や美男子、家格の高いもの、役職を持つもの、踊りの上手なものなどに人気は集まり、人気のない者は寂しい思いをすることも多々ある。それは舞踏会の仕切り次第。

 ここら辺の采配が、舞踏会の良し悪しを分けるので、従士としては責任重大として緊張を隠せない。


 「ふう、やはり最初の一曲は緊張しますな」

 「そうですわね。身体がまだ固い気がいたしますわ」


 数曲が済んだところで、粗方目ぼしい人間は踊り終える。

 そこからは誰が誰を誘うか、どのタイミングで何回誘うかも含めて駆け引きがあり、恋のさや当てや押し引き、誘惑や権謀術数の飛び交う戦場となる。自分が密かに想いを寄せている相手に、誘いを掛けるタイミングを計りつつ、声を掛けずじまいに終わるような、若い青春物語が繰り広げられたりもあるのだ。

 同じ美人を複数の男同士が取り合う様や、格好良くて好条件の紳士を狙う淑女のバトルなどは珍しくもない。


 しかし、幾らなんでもすぐに駆け引きが始まるわけでもない。様子見や情報収集の必要もあり、それもあって一旦休憩を挟むのが通常の流れ。

 招待客が一通り一度は踊り終えるまで、ゆったりとしたスローテンポの曲が選ばれるわけだが、それでも緊張の(ほぐ)れていない中で踊れば疲れも出る。それ故、歓談の為の休憩時間を一旦挟むのだ。


 この休憩の時間には、招待客を楽しませるためにも、大抵余興が披露される。

 伴奏に合わせた歌手の歌や、主催者の広報宣伝。或いは曲芸のような見世物や、主催者たちが仕留めた大物の狩猟戦利品(ハンティングトロフィー)の披露などが行われる。ここで何をするかもまた主催者の腕の見せ所であり、素晴らしい余興であれば主催者の株も上がるのだ。


 目敏い人間は気付いている。

 舞踏会開催の名目でもあるモルテールン家の人間が、まだ一度も踊っていないことに。本来であればもっと早くに踊っていていいはずなのに。

 そして、当の領主代理の少年が、婚約者を伴って移動していることに。


 本日の余興は何であるか。その発表が主催者の女伯爵から謳い上げられる。


 「皆様、お楽しみいただけているでしょうか。本日の舞踏会、折角こうして集まっていただいたこともあり、一つお見せしたいものがあります」


 なんだなんだと皆がざわめく。


 「今日の主役でありますモルテールン準男爵。残念ながらご本人にはお越しいただけませんでしたが、代わりにご子息が皆様に踊りをご披露されるとのことです。また、その婚約者であらせられますフバーレク家のご令嬢が、歌を併せて披露されるとのこと。若き才能の芽吹く様を、皆様にも是非楽しんでいただければと思います。さあ、どうぞ」


 レーテシュ伯に促され、二人の子供。いや、年若い成人が進みでる。ちらりとお互いを見やった後に微笑みあった。少女の方はそれなりに緊張気味であり、相方はかなり場馴れしているようにも見える。


 少年が、一見すると舞踏会には不向きに思える服装で部屋の中央まで歩み出た。はためく小さな飾り。更には、踊るためには不要と思える帯剣。刃を潰してあることを示す飾り紐があるのを見れば、意味も無く持っているわけではなさそうである。

 ここら辺で、頭の切れる人間は、ペイスが何をするのか気付いた。


 少年は、姿勢を正し、ピタリと動きを止めた。身じろぎすらなく、完全に静止した姿勢。

 それを見やった後、少女の歌が伴奏と共に始まる。


 「ほう……」


 誰の呟きであったのか。舞踏の場を取り囲む人々の中から、声が漏れた。何故ならば、透き通るような少女の歌声と共に、息を合わせて動き出した少年の動きに見とれたからだ。

 これだけの情報を与えられれば、この余興の意味も誰もが知る所となる。

 そう、剣舞だ。


 「大きく気高く晴れやかな~♪」


 リコリスは歌う。曲は、夏に合わせた実りの歌だ。踊りの伴奏歌としてはよく使われる、神王国では最もポピュラーな歌の一つ。それに合わせるペイストリーの踊りも、この歌に合わせた実りに感謝する踊り。


 始めは穏やかに、流れる雲か、或いはそよぐ風を思わせる柔らかな動き。一度として止まる事の無い剣先の流れは丸みを帯び、穏やかな落ち着いた雰囲気を思わせる。少年の顔にも笑顔が浮かび、実に楽しげに踊る。

 そして、徐々に。そう、徐々に動きが早まる。夕暮れ時の空の如く、気づけば色が変わっている。それほどまでに自然で、かつ確実な変化。段々と剣の描く軌跡が鋭く、シャープになっていく。


 どれほどの時間であったのか。或いは酷く短い時間だったのかもしれないが、魅入るものにとっては鐘が鳴るより尚長く感じられるほどの時間。

 剣舞はクライマックスを迎える。

 その頃には少女の歌声も一層大きく、少年の動きは目で追うのが難しいほどに激しい動きとなっていた。

 剣の風切る音はビュンと鋭く、足の運びは軽やかに舞う。


 ピッと最後のポーズまで決まった。剣を構えた勇ましさあふれる姿勢で、最初と同じようにピタリと身体の動きを止めて身じろぎも無い。

 ややあって、少年が一礼をしたとき、参加者たちは歓談も忘れて見惚れていたことに気付いた。


 「お見事ですわね。素晴らしい踊りでした」


 皆の拍手と、戻り始めたざわめき。話題は勿論、先ほどの素晴らしい踊りについてだ。

 一旦その場から引き上げる少年にも、素晴らしい歌を披露した少女にも、惜し気の無い称賛が与えられる。


 「本当に素晴らしいとしか言えない剣舞、堪能しました。……これならば、王城でも披露できるのではなくて?」

 「やはり、閣下は御見通しでしたか」


 流石に激しく動いただけに息を上げるペイス。汗をぬぐう彼に声を掛けてきたのは、レーテシュ女伯爵だ。


 「勿論。まあ、当家の舞踏会を練習に使われたことに怒ってはいませんよ? レシピも頂くわけですし。ねえ?」

 「閣下には敵いません。私のような若輩者から、どれだけ利益を毟るおつもりなのか」

 「あら人聞きの悪い。共存共栄(ギブアンドテイク)が信条ですのよ、わたくし」


 良い余興であれば主催者の株が上がる。レーテシュ伯は、相当にご機嫌である。


 舞踏会に参加しておいて、踊らないのは失礼にあたる。これは、貴族としてというよりも、人付き合いとして無視できないコミュニケーションの常識だ。

 飲み会に自分から参加しておきながら、一切酒も飲まず飯も食わず、ただ座っているだけの人間が居れば、親睦の空気を阻害する。空気の読めない人間と思われるのと同じ。酒を勧められて断るようなら尚更雰囲気を悪くする。飲めもしないのに何しに来たと言われかねない。

 同じように、踊りの場で踊らないのは大変に失礼である。


 しかし、踊りにも色々ある。酒盛りで酒の飲めない人間がジュースを飲んで誤魔化すが如く、舞踏会で社交ダンスでは無く、別の踊りで誤魔化すのは前例がある。

 これこそ、辺境伯家で踊りを教えるオーバルケミン夫人が、普通の踊りが出来ないペイスの為に提案した、苦肉の策である。


 夫人や辺境伯がこの策で最も心配した点は、他の踊りをペイスが踊れるのかという点であった。王城で余興として披露する以上、下手な踊りは恥の上塗りになる。普通の踊りを断っても御釣りがでるぐらいの、人を納得させる踊りが出来ねばならない。社交ダンスで合格点を貰うのに比べれば、その難易度は遥かに高い。


 だが、転んでタダで起きるペイスでは無い。それを聞いた時、自分から剣舞を提案した。剣の扱いならば父親から叩き込まれているから、と。その上で、パートナーとして自分も何かやりたいと希望したリコリスの意を汲み、彼女が歌う歌にあわせて剣舞を披露するよう練習を重ねたのだ。

 ひと月にわたる猛特訓のすえ、剣舞についてもようやくオーバルケミン夫人の合格点が貰えたのがついこのあいだ。


 流石にぶっつけ本番というわけにもいかない。王城で披露する前に、どこかで一度模擬披露しておかねばならぬとの要求を飲んだのが、レーテシュ伯だったのだ。モルテールン家を取り込みたいとの意図があるのは明白であったが、何故か都合よく舞踏会の準備をしていた彼女の提案が、渡りに船だったのも事実であった。


 「今度もう一度、この見事な踊りと素晴らしい歌を堪能できるのは、王都でかしら?」

 「そうなるかと思います。閣下には急に色々とお願いを聞いていただけたこと、感謝しています」

 「あら、貴方と私の仲じゃない。そんなこと気にしなくても良いのよ」

 「御言葉ありがたく頂戴します」


 ほほほと笑うレーテシュ伯と、それに作り笑いで応えるペイストリー。そして、少年の傍には一曲歌いきった満足感をもって立つリコリス。


 彼らは気付かなかった。

 そんな様子をじっと見る影があることに。


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[気になる点] 社交の場なのに社交せずに剣舞だけでも許されるものなんだ
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