457話 亀
巨大な亀から少し離れた場所。
ゆったりと波間を漂う爬虫類の化け物を見ながら、モルテールン一行は甲板に集まっていた。
「すげえ……」
「島じゃねえか、ありゃ」
「大きな亀ですね。仕留めて肉にすれば、神王国民全員に配れそうです」
「いやいや、あんなのと戦うとか、無理だって、坊ちゃん」
亀の全長は、一切不明。
途方もなくデカいということだけは分かる。全周を測るなら、メートルではなくキロメートル単位になるのは間違いない。
更に凄いのは、デカい上に動く。
船が帆を降ろして惰性と潮流で動く程度には動いていて、留まることが無い。
「あんなデカい亀、何喰ったらあそこまで育つんだろうな」
「……恐らく、魔力ですね」
「何?」
「魔力です。僕は、魔力を食べて育つ生物を、家で飼ってます」
「はぁ? あんな亀を家で飼うとか、あり得るのか?」
「亀ではありませんよ。まあ、同じ爬虫類で系統としては近そうですが。進化論的には興味深いテーマでしょうね」
ペイスが飼っているのは、世界最強と言われる伝説の怪物。大龍のピー助である。
飼い主に似て悪戯好きの龍は、好物が魔力。基本的に雑食で何でも食べるが、魔力に関しては明確に分かっている食事である。
特にペイスの魔力は大好きで、気を抜くとごっそり魔力を取られているのだ。
この世界に大龍などというファンタジー顔負けの生物が生きていられるのも、魔力という摩訶不思議なエネルギーが有ってこそ。
ペットとして大龍を飼うペイスだからこそ、亀の不自然さにも気づいた。
この亀、恐らく魔法を使う。
何の魔法を使ったのか。相当に強力な魔法を使った形跡を、魔法使いであるペイスは感じていた。
魔法を使う不思議な生物。モルテールン領に居る研究者なら狂喜乱舞するであろう。世紀の大発見である。
何故今まで発見されていなかったのか不思議なほどだが、心当たりが有るとすれば昨日の嵐だろうか。
どう考えても不自然すぎる暴風雨。台風も顔負けの大嵐が突然現れた理由と、今までこれほど巨大な生き物が見つからずに生息しおおせた理由を結びつけるのは自然なことだ。
「近づくと、暴れる。ならば、一旦引き返すのは……悪手ですね」
森人ですら見つけられない幻の島。
そして接近すると嵐に襲われて近づけない亀。
さて、この二つはまるきり別物なのだろうか。
ペイスには、どうにも同じもののような気がしてならない。
仮に、この亀が幻の島の正体だったとしよう。
ならば、亀の何処かに幻のフルーツも存在することになる。
幻の島を発見というだけでも大ニュースだ。一旦引き返して態勢を整えるのも悪くはないが、仮説が正しいとするなら、魔力を使ってしまった今ならばともかく、出直した時にはまた大嵐が起きるかもしれない。
最新鋭の船が壊されかけた大嵐だ。もう一度チャレンジしようとするのは、無謀と言って良い。
「でもよ、どうやってあれに乗り移るよ」
船員たちが、一様に顔を顰めている。
「普通に船を横づけ出来ませんか?」
「単なる島なら、出来なくはないよ。あたいらなら、例え荒波の中でも島の一つや二つ横づけして見せる。ただ……」
「ただ?」
「動く島なんてもんは、流石にあたいでも初めての経験さ」
「それもそうですね」
現状居る海域をよく知る人間でも、幻と呼んでいた亀だ。いやさ、島だ。
見つけたことのある人間ならばまだしも、島に船を付け、更に上陸しようと考える人間は頭がおかしい。
動く島などというびっくりどっきりの状況に対して、経験豊富な人間など居る訳がない。
誰もが、初めての経験。初めての亀体験である。
「それなら、俺が飛び移ってみる!!」
唯一、目の前の異常な状況に対応した人間は、悲しいかな、この場の最年少であった。クインス=ドロパ。呼び名はクー。
彼は、モルテールンはザースデンで育った人間。しかも、親はモルテールン家の重臣である。
ペイスのような人間とも生まれてからずっと付き合いがあり、また兄は領内でも指折りの悪戯っ子だった。
必然、クーもモルテールンに染まって育つ。
非常識を常識とし、空前絶後の状況がしょっちゅう起きる。百年に一度有るかどうかの珍事件が、毎年起きるような場所が、モルテールンなのだ。
異常事態に対する耐性が、非常に高い。
「危険ですよ?」
「分かってる。でもさ」
「ん?」
「俺は船に黙って乗り込んだこと、反省してる。罰を受けることも納得してる。だから、役に立ってチャラってことにして欲しい!!」
「ははは、そうですか、そう来ますか。流石はコアントローの息子ですね」
ペイスは、クーの言い分に笑った。
モルテールン家は初代から軍人の、生粋の軍家の家系。
当然、お家の価値観は軍人の価値観に重きを置く。
軍人の価値観とは何か。
今の状況で言えば、功罪相殺の価値観である。
軍人の活躍する場は、災害でも無ければ戦いの場と相場は決まっている。
戦い、つまるところ戦争だ。
戦争において、物事が全て四角四面に決められたルール通りに動くということは稀である。
敵も味方も、何でもありの状況で戦うのが戦争なのだから。
つまり、現場での臨機応変な対応が肯定的に捉えられる。軍人とはそういうものだ。
例えば、命令では待機であったものが、目の前に予定外の敵が現れるとする。待機の命令に背いて、敵を倒したとしよう。
この場合、敵を倒した功績と、命令に背いた罪で、どちらもチャラ。相殺するという対応は珍しいものではない。
結果に責任を持てるなら、独断専行も戦場の華。
ならば、クーが犯した罪を、手柄で相殺するというのもモルテールン家としては正しい対応になる。
「良いでしょう。その覚悟に免じて、仕事を任せましょう」
「よっしゃ、俺やるよ。頑張る!!」
そうと決まれば動きは早い。
乗り込むためのあれやこれや。準備が急いで整えられる。
用意されたのは、敵船に乗り込むときに使うロープと、樽だ。もっとも、樽は古い金具付の物で、樽であったものと表現する方が正しい。
「どりゃあ!!」
男たちが、剛力でもってぶん投げた輪っか。
樽を一つ壊し、留め具に使っていた金具を流用したもので、そこにロープを結んだものを投げたのだ。
五度、或いは六度か。
数度の挑戦を経て、輪が亀の背中の一部に辛うじて引っかかる。
「よし、任せて!!」
身軽さがぴか一の悪ガキが、物理的な身の軽さも活かしてロープを渡る。
足をロープに引っかけたまま、下にぶら下がるような恰好。
そのままロープを腕の力で移動し、するすると渡っていく。登り傾斜になっているはずのロープでも、苦も無く昇っていく。
実に見事な軽業である。
「ペイス様ぁ、着いたよ!!」
数分もすれば、クーは亀の甲羅に取りつく。
巨大な亀の甲羅だ。一旦乗ってしまえば、足場に不自由はしないほどごつごつしている。
「クー、お手柄です。そのまま、しっかりとロープを固定してください」
「分かった!!」
ペイスの指示を受け、クーはロープについていた金具やら何やらで、しっかりとロープを固定する。子供なりの手際ではあったが、大人たちがロープを引っ張ってみた感じでは十分に固定されたらしい。
ロープが固定されてしまえば、あとはニルダ達でも手慣れた作業。
海の上で船同士を結び、船を進めながら相互に移動するというような場面も、珍しくは無いのだ。
移動先が巨大な亀であることを除けば、良くあること。
海賊顔負けの身の軽さで、モルテールン一行は亀の背中に次々と上陸していった。
見張りと最低限の操船用員を残し、ペイス達は前人未到の地に足を踏み入れる。
「亀の背中に乗って海を泳ぐなんて、初めてですよ」
「誰もがそうなんじゃないですかね?」
亀の甲羅は、船が並走したあたりの角度は急だ。崖と言ってもいい。
半球状の甲羅の横面。九十度とは言わないが、限りなくそれに近しい角度をしている。
「慎重に上に上がりましょうか。先ずは平らな足場を確保したい」
人間は、斜めの地面に立っているだけでも体力を消耗する。
まっすぐ立つように人間の体は出来ているのだ。
体力の消耗を抑える為にも、ペイス達はゆっくりと警戒しながら上に登っていく。
ここでも身軽なクーが活躍し、上に先行してロープを垂らすなどの活躍を見せる。
なかなかの頑張りっぷりである。
亀の甲羅の上部に行くにつれ、ペイス達の足取りは軽くなる。
というより、ペイスの活力が増し、それに皆が釣られるという感じだろうか。
「おお、これはパイナップル!! あっちにはバナナ!! 凄い、あれはパッションフルーツじゃないですか!!」
「フルーツの宝庫ですね」
亀の甲羅には、幾つもの南国植物が生えていた。季節感もバラバラ。
亀自体が動くから当たり前なのかもしれないが、同じ植物なのに生育期間がずれているものまであった。
二つある片方は夏の状態なのに、もう片方は冬の状態といった具合だ。
シダ植物や、マングローブ的な樹木も生えていて、さながらジャングルである。
「なんてファンタジーな」
「事実は小説より奇なりと言うでしょう」
亀の甲羅に上ってみれば、そこはジャングル。
そんなもの、小説で書いても現実感が無さすぎると笑われる話だと、ペイスは笑う。
しかし、実際に目の前の状況がそうなのだから、受け入れるしかない。
非現実的な現実は、即ち現実なのだ。
やがて、ペイスは頂上に着く。亀の甲羅の最も高い場所だ。
上部から亀を見下ろしてみれば、色々と気づくことが有る。
「亀の甲羅に、付着物が有りますね。長い年月で、サンゴでも育ったのか。岩のようなものも見えます」
亀が遠目から亀だと分かったのは、甲羅から顔を出していたからだ。
もしも顔を引っ込めていたら。遠目から見ても島にしか見えない。サンゴ礁が付着していて、どう見ても岩場の海岸にしか見えない。
「そして、付着物に引っかかって大型動物の死骸があって……そこからガスが出て溜まっているようです」
「くっせえ」
「亀の甲羅自身にガス溜まりが出てきていて、それが天然の浮きのようになっているのでしょう。潜れなくなって、いつの間にか甲羅に木が生えた」
亀の甲羅のあちらこちらに、生き物の死骸が打ち上げられ、或いは引っかかっていた。
クジラのような生き物であったり、海鳥のような生き物であったり。
腐敗ガスの匂いがするので、亀の甲羅の中はさぞガスで充満していることだろう。
「この森は、どうやって出来たんでしょうね?」
「鳥の糞でも落としたのでしょうね。その中に種があって木が生える。気の遠くなるような長い年月をかけて、亀の甲羅が島になった」
海鳥は、亀の甲羅でも気にせずやってくるだろう。
糞を落とすことも有るだろうし、そのまま甲羅の上で最後を迎えるものも居たはずだ。
長い年月溜まりにたまったものが、木々を育てる礎となり、木々は枯れて土になる。
そうして出来上がったのが、亀の甲羅の上のジャングル。どれほどの時間を掛けたものなのだろうか。
「亀が動く訳ですから、より正確な航海の出来る人間ほど、見つけられない。なるほど、幻と呼ばれるわけだ」
ペイス達は、亀島(仮称)の探索を満喫した。