455話 探検
宴から、一夜明けて。
「いざ出航!!」
ペイス達の船ジョゼフィーネ号は、一路大海原へと船を進める。
目的は、幻の島と呼ばれる場所だ。
どこにどう行けば良いのか分からないままの出航に、森人達は笑っていたが、当のペイスは至って大真面目である。
「ペイストリー様、そろそろ良いでしょう」
森人達が見えなくなった頃合い。
船長室に、プローホルがやってきてペイスに尋ねた。
「プローホル、そろそろとは?」
「いい加減教えてくださいませんか。何を考えているのか。幻のなんたらも、見つける当てがあるんでしょう?」
青年が聞きたかったのは、ペイスの考えである。
常日頃突拍子もない行動をとり、何をしているのかがさっぱり分からないのが当たり前とはいえ、今回は既に海に出ている。
何かあれば命の危機に直面する以上、状況を知りたいと思うのは当たり前だ。
そして、プローホルの見るところ、ペイスは割と目的をはっきりさせて船を出している。
「ほう、どうしてそう思いました?」
「それは、教官が教えてくれたことを覚えているからです」
「僕が教えたこととは?」
「戦いは、始まる前に終わっている。情報を集めることは、何よりも優先すべきことであり、勝算無しに戦うなど指揮官失格である、と」
かつて寄宿士官学校で、当のペイスから直接教わった座学。
戦いは、始まる前に終わっていると。
敵を知り、己を知らば百戦危うからずと。
考えのない猪武者というものからは程遠いのがモルテールン家の御曹司。転んでもタダで起きないのが流儀作法である。
ならば、今現在もそれ相応の考えを張り巡らせているはず。
「教えたことをしっかり覚えて貰っていて、嬉しいですね」
「それはもう。鬼教官でしたから」
「心外ですね。体罰も残業も無かったでしょう?」
「頭と体を酷使させられたことは覚えています」
プローホルは、ふっと昔を思い出す。
最終年度の一年だけであったが、ペイスからしごかれたことは記憶としても強く残っている。
それまでの三年間をあわせても、ペイスから教わった一年の方が濃い。体力的にも相当に絞られた覚えが有るし、覚えねばならないことは泣きながら頭に叩き込んでいた。
「体も頭も、使えば使うだけ鍛えられるのですから、使わないと損じゃないですか」
「学生時代は本当に大変でした。お陰で今が有ると思ってます」
「良いこと言いますね。その調子なら、将来は責任ある地位に就いてもらうことになるでしょう」
「……他のところなら喜ばしいことなのでしょうが、当家ではあまり喜ばしく思えないのは何故でしょう」
「先輩たちの悪い影響ですね。やれやれ」
ペイスが肩を竦める。
モルテールン家の大人たちは、皆が皆揃って忙しい。
そして、まるで忙しさの責任がペイスに有るように責め立てる。
悪い大人達だと、ペイスが呆れる。
はははとプローホルは笑う。
悪い影響も何も、その通りじゃないかと思ったからだ。
「自分の私見を述べてみても?」
「勿論。久々に先生の真似事をして、採点しようじゃないですか」
教え子の成長を見届けるのに、ペイスは船長室の椅子に座りなおす。
「ずばり、もう目途は付いている」
開口一番、プローホルは言う。
「それだけでは点数はゼロですね。理由は?」
「ではまず、幻のカカオについて聞いたのは、レーテシュバルでのことですよね」
「ええ」
「ペイストリー様が幻の島とカカオの話を聞いて、船の調達と外交の根回しに動いたと聞きます。この時点で、自分にはカカオが目的だったとしか思えないのです」
「ふむふむ」
お菓子のこととなるとタガが外れる存在。
騒動の根源が動いた理由など、お菓子以外にはあり得ない。
カカオという豆がチョコレートの原料であるのはプローホルも知る。
ならば、よりよいカカオを手に入れる為であれば、ペイスならば率先して動く。これは確信をもって断言出来た。
「その上で、レーテシュ家から船を借りるでなく、ボンビーノ家から借りたという点が、どうしても気になっていたんです」
プローホルは、そもそもが疑問だった。
何故、レーテシュ家に船を借りないのかと。或いは水兵を借りないのかと。
レーテシュ家の船は一級品で、水兵もまた一流揃い。
ニルダ達が悪いとは言わないが、傭兵であったニルダ達元水龍の牙の面々よりは、正規の訓練を受け続けてきたレーテシュ領の水兵の方が質は高いはず。
「単に、借りやすかったからかもしれませんよ?」
くすくす笑いながら、思ってもみないであろうことを言う船長の少年。
「レーテシュ家が、恩を売れる機会を見過ごしたとは思えません。是非自分たちをと売り込んだはず。それにも関わらず、ニルダ女史らを連れてきたのは、その方が都合がいいからでしょう」
「都合がいい、ですか」
「はい。この場合、何をもって都合が良いのか。最優先が幻のカカオだとするなら、それに都合がいい。つまり、探す手段がレーテシュ家ではなくボンビーノ家所縁のものだということ」
「良いですね」
うんうんと、頷くペイス。
プローホルの優秀さを再確認するだけでも、有意義な時間である。
「人海戦術なら、レーテシュ家の方が良かったはずなので、ボンビーノ家の方が都合がいいとなると“魔法”でしょう。言い訳として、ボンビーノ家の人間が使える魔法。ずばり【鳥使役】でしょう。確か、ボンビーノ家には鳥使いが居たはずですから」
「素晴らしい。正解です」
ペイスは、教え子の推測が見事であると褒める。
正解に限りなく近い答えを、彼は自らの頭で考えついたのだ。
「それでは、早速ニルダさんを呼んでください。答え合わせをやりましょう」
「分かりました」
プローホルが船長の部屋を出ていき、操船を取り仕切っていた女性を呼んでくる。
呼ばれたニルダは、何故呼ばれたかを怪訝そうにしていた。
「モルテールンの坊ちゃん、なんか用かい?」
「ええ。今後の行動について相談しようと」
「そりゃあいい。正直、当てもなく船を動かすのに困ってたんだ」
ニルダは、ペイスのいう言葉に頷く。
広い海原。迷走していては、すぐにも迷子になりかねない。海での遭難は、そのまま死への特急券である。
これからどうするのか。
ペイスの言葉を聞く為、ニルダは手近な椅子を引き寄せて座った。
「ニルダさん、まずは地図を作りますね」
「簡単に言ってくれるね」
地図というものは、どこの世界でも軍事と密接に結びついている。
機密指定にされているのが当たり前で、街の中で勝手に地図を作ると投獄されるところだってあるのだ。
また、地図作成にはそれなりに技能が要る。
レーザー測定器も無いので、遠くの基点からの距離を測るのに、技術がいるからだ。
三角測量などは、土木の人間の口伝で行われる秘伝扱いである。
「まず、ここに、ジュナム族の作った海図があります」
「なんでこんなもんを持ってるんだ?」
最初にペイスが何処からともなく取り出したのが、ジュナム族の持つ海図である。
あの排他的な連中が、ペイスに気前よく一族の持つ情報を教えてくれるはずも無いので、入手方法は明らかに怪しい手段しかない。
「ほら、サーディル諸島に来るまでの道すがら森人のシュムラさんが、時折海図を見てたじゃないですか」
「ああ、まあ案内の為にね」
「いきなり海図を盗めば罪でしょうが、ちらりと見えてしまったものを覚えてしまったとして、それは罪になると思いますか?」
「いや、それは……」
地図をちらりと見てしまうぐらいは、誰だって有り得ること。
それすらも嫌だというのなら、人のいないところでこっそり見るしかない。
ニルダとしても、チラ見まで冤罪だと言い出す奴は居ないだろうと考える。
「チラ見したものを“思い出した”だけです。何か問題がありますか?」
「いやいい。坊ちゃんのやることに、いちいち文句は言わないって決めてるんだ」
「そうですか。それは良かった。さて、取り出した海図ですが……これだけでは、結構曖昧なんですよ」
「そりゃそうだろう」
そもそも、球体である天体の表面を、地図という二次元に落とそうとした時点で無理があるもの。距離か、方位か、縮尺か、何かを犠牲にしなければ、海図というものは出来ない。
「そこで、正確な海図を作り、比較してみようと思うんです」
「あん? 正確な海図だぁ?」
「ええ。ジュナム族の把握している海と、正確な海図。比較すれば、見えてくるものがあるはずです」
「そりゃそうかも知れないよ? でも、どうやって正確な海図なんて作るんだい? 何年も掛かるだろう」
「そこは、僕にとっておきの策があるので」
「策、ねえ。まあ、あたいらの負担が増えないってんなら、別に反対はしないさ」
ペイスの自信あり気な態度に、ニルダは不審そうである。
少年の言うことは、一見すれば筋が通っている。存在があやふやな島というものが有るなら、海図には書かれていないのは明らか。実際の正確な海図と比べてみれば、どこがどう不明瞭かが見えてくるはず。
不明瞭な部分さえ分かってしまえば、そこに幻の島の手がかりぐらいは有りそうだ。
問題が有るとすればただ一つ。
どうやって正確な海図を作るかだ。
そう簡単に海図が出来てたまるかと、ニルダは投げやりに返答する。
ペイスの非常識は、ここからだ。
「では【転写】」
「はぁ!?」
ニルダは、自分の目を疑う。
机に広げられた無地の羊皮紙に、精巧に寸法だけ縮小したような“海の絵”が出来たからだ。
それも、島々の様子や位置関係、果ては島の詳細な海岸線まで完璧な“絵”。
「どうです? 航空写真の出来は」
「……自分の目が信じらんねえ」
ペイスは、自分の魔法が絵を描く【転写】であると公表している。
航空写真も、写真を知らない人間から見れば、精巧な絵画に見えなくもない。
しかし、どうやって自分が見た訳でも無い遠くの場所の地形まで絵で描けるのか。
まるで“鳥が空から見た”かのような出来栄えである。
「まずは、こんなもんで……取りあえず、ここら辺の島々から寄ってみましょうか」
「なるほど、勝算ありと豪語する訳だよ。こりゃまいったね」
海図を二つ、比べてみる。
ジュナム族のものは、既存の島の地形や位置関係などは割と正確に描かれていたのだが、自分たちの主要な者が住まうジュラ島から離れるほどに不正確になっているようだった。
更に、北や西へ行く航路はかなり正確なのだが、南や東は小さな島などが描かれていない部分もあった。
恐らく、航路の使用頻度の違いなのだろう。聖国辺りに行くとすれば、西に行くし、遠出して神王国方面に行こうとすれば北に航路をとる。
一旦、ジョゼフィーネ号は進路を南東に取る。
南か東が怪しいと、見当を付けたからだ。
ある程度進めば、より詳細で範囲を絞った“航空写真”を撮り、怪しい所が有れば船を寄せる。何も無ければ他に向かう。
それを、しばらくの間繰り返しだ。
時間にして二日ほど。
割と手ごたえのようなものは感じているのだが、不思議な現象に悩まされていた。
例えば昨日まで島が映っていたはずの所に船を向ければ、そこには島の影すらない。そんなことが起り始めたのだ。
「やっぱり、幻の島なんてみつかるわけがないよ。諦めた方が良いんじゃないかい?」
「手ごたえを感じられているうちから諦めてはいけませんよ」
「それじゃあ、今度の島ってので、一旦仕切り直しとしないかい?」
「そうですね。ニルダさんたちも疲れていることでしょうから、一日ぐらい休みにしますか」
もう何度目の空振りだっただろう。
島らしきものを見つけたということで、船を移動させていた時だった。
その日、嵐がやってきた。