454話 懇親会
「おお、貴女もいける口ですね」
「おうともさ。海蛇のニルダ様にとっちゃ、これぐらいは軽いもんよ」
ペイスが交渉に手ごたえを覚えた翌日の夜。
友好親善が正式に認められたことがペイス達に伝えられた。“遠方の蛮族”と、仲良くしてやっても良い、という先だっての長老衆の意見から、若手を中心とした“双方の意思”での友好親善という形に変わったことを。親善の形にも色々とあるが、より友好的な形でモルテールンと交流しようということになったらしい。
先々を見越して、族長が判断した部分も有る。
ペイスが振舞ったスイーツは、非常に説得力が有った。自分たちのもつ商品の価値を、高く評価してくれるというのも間違いないし、フルーツにより大きな付加価値を付けられるならば、モルテールン家はフルーツを仕入れて大きく儲けられる。儲けが大きければ、翻って自分たちの価値も高くなる。族長は、そう長老たちを説得した。
何も、今すぐ交易しようというのではない。将来交易を必要とする事態になった時、使える札の一枚として持っておくのも悪くは無いという説得である。
モルテールン家の表向きの立場としても、今後とも仲良くしましょうということをお互いに確認し合った訳で、取りあえずペイスの外交としては十分な成果をあげられたことになる。
急いては事を仕損じるとの言葉も有る通り、まず十分な成果をあげたなら満足すべき。
プローホルやニルダを始めとする面々に言われたことも有り、取りあえずの交渉妥結を祝う運びとなった。
森人の祝いとは、即ち酒盛りと宴である。
「ははは、海蛇ではなく蟒蛇でしたか。ではもう一杯」
「おととと」
「良い飲みっぷりだ。うちの息子の嫁にしたいぐらいで」
「あははは、そりゃ嬉しい言葉だが、あたいは船の上で生きて死ぬと決めてるからね。陸に腰を落ち着けるのは、無理って話だ」
「そいつは残念。ささ、もう一杯」
「良い酒だ。それじゃああたいからもご返杯」
「こりゃありがたい。いやあ、美人のお酌とは嬉しいですなあ」
ペイスとその一行をもてなす宴は、たけなわである。
ジュナム族の宴会は、夜に行われる。
そして、必ず屋外で行われる。
ジュナム族にとって宴というものは、感謝するためのもの。
今回は、遠くより来たる新しい友人との出会いに感謝する宴。
感謝とは伝わって初めて感謝になるのであって、限られたものの間で隠すようなものではない。是非自分たちがどれほど感謝しているのかを公明正大に知らしめよう、というのが、彼らの流儀。
宴会は盛大であればあるほどより大きな感謝をしていると見做され、また参加者が多ければ多いほど良い宴であると見做される。
宴会の席においては酒を飲んで飯を食い、楽しむことこそ上等な感謝とされていて、遠慮はしてはいけないというのがマナーだ。
自分たちの食を支えてくれる収穫の宴であったり、新婚夫婦が今まで育ててくれた両親に感謝する宴であったり。大抵、目出度いことが有れば宴を催す。
実り豊かな自然の中で育つジュナム族であるから、羽目を外す時は目いっぱい外すように育つのだ。
「肉が焼けたよ!!」
罰の一環として小間使いをやらされていたクーが、精一杯大きな声で叫ぶ。
調味料に漬け込んだ大きな肉の塊を、じっと火で炙る仕事をしていたのだ。
調理場を取り仕切る森人が、クーの担当する肉が焼きあがったことを確認したので、クーが自分の手柄のように大声で叫んだ訳だ。
「おっしゃあああ!!」
「待ってたぜ、俺の肉ちゃん」
船乗りたちが、丸焼きのような肉の塊に、殺到する。
手には酒、顔には笑み、口には涎をたらし、さっさと寄越せと幼い少年を恫喝していた。
ここしばらく船の上に居た連中にとっては、新鮮で焼き立ての肉を食えるのは久しぶり。魚なら食い飽きるほど食えるのだが、肉というものは船の中では限りがある。干し肉のような保存食以外となると、それはもう貴重も貴重。
ここで食いだめしてやるぜとばかりに、おっさんたちが群がっていた。
「ちょっと待ってくれって、切るのが難しいんだって」
「おい、さっきの奴より肉が小せえじゃねえか、もっとガッツリ切れ!!」
「んなこと言っても、ムズイんだって」
「バカ、包丁貸せ。俺がやる」
「あ、ちょっと」
小さい少年に、肉の切り分けは難しい仕事だったらしい。
もたもたとトロ臭い手つきに業を煮やした奴から、切り分け用の包丁を奪われた。
「クー、もう雑用は良いですから、あなたも食べてきなさい」
「いいの?」
「お酒が入った男たちが包丁を持ってる場に、子供が居る方が問題ですから。遠慮はいらないらしいですよ?」
「分かった!!」
包丁を取り合って男たちが争いだしたところで、流石に危険だとペイスはクーを雑用から解放する。
そしてそのまま、宴の中を軽く見回っておく。既に危険な酔い方をしている人間が現れ始めたからだ。
「モルテールン卿も飲んでいるか?」
「ええ、頂いております」
「うむうむ、大いに飲むといい」
見回りの途中、森人の一人に呼び止められて、酒を注がれる。
酌をする人間も酔っているのか、手元が怪しいまま並々と注がれた。勧められた酒を飲まないというのは何処の世界でも嫌われる行為なので、ペイスは【治癒】の魔法で酔い覚ましをしながら酒を飲む。
魔力がある限り酔わないのだから、反則的な飲み方だ。
「このお酒、美味しいですね」
「そうだろう。我らの自慢の酒だ。今日は秘蔵の酒も大盤振る舞いしている。モルテールン卿が友になった宴であるからな」
「では、我が友に乾杯」
「おお!! 乾杯だ!!」
ペイスは、若い男と杯をぶつける。
飲んでいるのは、何とレーテシュ産のワインだ。
神王国人の、それもレーテシュ領から来た人間に振舞うのもどうかと思わなくもないのだが、ジュナム族にとってはこの酒は最高級品である。
定期的な交易をしていない彼らにとって、極稀に手に入る舶来の酒というのは、非常に貴重なもの。秘蔵の品である。
とびっきりの宴の席に、とびっきりの酒となると、こうしてレーテシュ産や、聖国産の酒が振舞われる。
ちなみに、モルテールン産の酒も片隅にあるのだが、これは長老衆が隠すようにして飲んでいた。
貴重さでいうなら、モルテールン産の酒の方がここでは貴重だからだ。ペイスが贈ったものでもあるのだが、森人の老人連中は甘いお酒を気に入ったようだった。
ペイスにしてみれば、一番ありふれている酒になる。別に隠さなくても取りはしないのだが、宴の席では遠慮がご法度の為、若い衆に見つかるとごっちゃんですとばかりに飲まれてしまうというのがその実情。老人たちだけで飲もうとしているあたり、宴とは老獪さを学ぶ場でもあるのだろう。
「モルテールン卿」
「おや、これはシュパル族長」
遠慮無用の無礼講の場で有る為か、酒に強い者は遠慮なしに酒樽へ吶喊している。
酒に弱いものや、或いは酔いたくない者は控えめに脇の方で食事中。
ペイスの元に森人の老人がやってきたのは、皆の目がペイスに集まっていないタイミングだった。
いつの間にか、少し離れたところに居たペイスの傍は、長老と御付きの老人だけの状況になっている。
恐らく、初めからこうする予定だったのだろう。
「今回は、ご期待に沿うことは叶いませんでしたかな?」
「いえ、そのようなことは有りません。こうして互いに友誼を結び合えたことは今回の航海の目的を十分果たしています」
「そうですか。しかし、私の目には満足しているようには見えない」
「そう見えますか?」
「ええ」
伊達に年を食っている訳では無いのだろう。
今までの交渉のやり取りや、僅かながら交流を持ったことで、族長はペイスの為人をぼんやりと掴みかけている。
男の目から見れば、少年の顔つきは成果に満足している顔ではない。まだもっと他に求める物が有って、まだ諦めていない者の顔だ。
不満足であり、不十分であり、不足であると感じているものの顔なのだ。
「やはり、我々としてはフルーツを定期的に仕入れたいのですよ」
「ふむ」
普通の外交官なら、引き際を弁える。
全てを一度に得よう、などと考えて、結局丸損ということも有り得るからだ。
外務というものは、人付き合いと損得勘定が基本。最初の人間関係構築に、時間を掛けておくのも将来の布石。
今ここで、もっと成果をというのは、普通ではない。欲張りだ。強欲と言って良い。
普通なら諦める。普通なら。
悲しいかな、どう評価しても普通でないペイスは、お菓子に関してどこまでも貪欲である。
フルーツを定期的に仕入れたいという要望を改めて伝えた。案の定、感情的な反発が起きる。
長老の付き人の老人などは、明らかにペイスを蔑むようになった。物の道理も分からぬ小僧、とでも言いたげな目をしている。
「特に仕入れたいものが一つ」
「……何でしょうかな。ご期待には応えられませんが、お話は伺いましょう」
既に自分たちの譲歩は限界である。継続的な交易などというものは諦めろ。何なら、今回の単発の交易さえ白紙に戻すぞ、という族長の匂わせ。
明らかな脅しである。
これまた普通の外務であれば、明確な撤退のサインだ。
ここで押すメリットなどない。
普通なら。
「幻の島の、幻のカカオ」
「幻の島の、幻のカカオですか」
森人二人には、驚きがあった。
どこでそれを知ったのか、という驚きだ。
カカオというのは恐らく自分たちが幻の果実と呼んでいるものだと思われるが、そもそもそれが有ると言われる幻の島のことを、目の前の少年が知っていたことは驚愕でしかない。
「シュムラさんが、教えてくれたのですよ。我々が求めてやまないカカオ。その更に上が有ると。僕としては、是非とも手に入れたいと思っているのです」
「……不可能ですな」
「ほう」
族長は、ペイスの意見を無理だと言い切った。
幻と呼ばれるのには、理由が有る。
「そもそも、我々ですら島が何処にあるのか分からないのです。見つけることが、そもそも難しい。見つけたとしても……いや、これは余計でしたな」
不思議な話である。
島が有ることは間違いない事実であるにも関わらず、島の場所が分からない。
そんなことが有るのだろうか。
族長がいうからには、恐らく本当なのだろう。
ペイスは“事前に調べていた”内容と、族長が言うことに差異が無いと感じたところで、一つの提案を持ち掛ける。
「では、どうでしょう。賭けませんか?」
「賭け?」
「我々が、幻の島からカカオを持ち帰るかどうか。無事に持ち帰ったなら、我々と定期的に交易していただきたいのです」
「……持ち帰れなかったときは?」
「貴方方の用意する船いっぱいの金を進呈しましょう」
船いっぱいの金、と聞いて、流石の族長も目を見開いた。
自分たちの持つ船には、何十人もの人間が生活できるだけの空間のある大型船も有る。
それを満たすほどの量となれば、人生を何千回遊んで暮らせることか。
「……良いでしょう」
「では、契約成立ですね。証人は……そちらの方で良いですか?」
ペイスは、傍らに立つ人物に証人を願い出る。勿論、断るはずも無い。
「ふん、神王国の猿どもに、見つけられるものか」
族長の横に居た老人は、侮蔑を込めて鼻で笑った。