453話 再交渉
南国の島ならではの空気というものが有る。
気温が高く、潮風を受けて湿度も高い。むわりと熱が篭ったような、森の中の緑の香りを、更に濃くしたような匂いのする風。
「パイナップルにマンゴー……これは蜜柑でしょうか? バナナっぽいものも有りますよ。本当に、南国という感じですね」
「初めて見る果物の名前を、なんで知ってるんですか?」
「知識では知っていたというだけですし、僕の知る果物の名前で呼んでいるだけで、本当に同じものかは分かりませんよ。食べてみないと」
ペイスが居るのは、島の中にある市場。目下趣味全開、もとい、商品を見繕う為の見回り中。
ペイス達が乗ってきたジョゼフィーネ号にも、色々な商品を満載してきたモルテールン家である。何かに使えるかもしれないと食料という名目で交易品を載せてきていた訳だが、多少のものでは定期的な交易は難しいことが分かった。
積んできた荷物をそのまま載せておいても意味がない。
ある程度積み荷を降ろし、どうせなら今回限りであっても赤字の出ない程度の交易をしておこうという目論見。
今は、ニルダの部下たちが持ってきたものを出来るだけ高値で売れるよう動いている。元々雑用を熟す水兵団であったから、下働きのような細かいことは得意にしているらしい。
見た目は厳つい奴らばかりだが、荒事専門という訳でも無いそうだ。
「今買い込むのは止めて下さいよ。荷物持ちやることになるので」
「プローホルもしっかり自分の意見が言えるようになって、僕は貴方の成長を感じています」
流石に一人でうろつく真似は止めてくれという要望が有った為、ペイスは従士を護衛に散策中。
美味しそうな食材が並ぶ場所をぶらつくのは、とても楽しいことだ。
少なくともペイスにとっては、娯楽の極致であると同時に情報の塊だと感じていた。
「ボンカは見かけませんね」
「あれは北の果物でしょう。モルテールンでも育てられるように品種改良中のものが、ここにあったら驚きます」
「なら、ボンカを持ってくるだけでも売れるかも」
「どうでしょう? 馴染みの無い果物を持ってきても、売れないかもしれませんよ?」
「そんな。初めて見る果物なら、食べてみたいと思うものでしょう」
「……誰もがペイストリー様と同じでは無いと思います」
「そうですね。言う通りです。まずは、ここの人達の価値観を知らないと」
サーディル諸島で需要が高いのは、まずは金だろうか。
島々が集まるサーディル諸島でも、金を産出する島は少ない。あっても、大陸の鉱山と比べれば採掘量は雀の涙。
更に言えば、ペイス達が今いるジュラ島では、金は一切採れないのだ。時間がたっても錆びも腐食もせず、煌びやかで、柔らかくて加工しやすい金という貴金属は、ジュラ島においては他の地域にもまして価値が高いのだ。希少価値という面で、プレミア価格になる。
ペイス達は金の産地であるレーテシュ領から出航したこともあって、金の地金を幾つか持ってきていた。勿論、臨検の時は隠していたのだが。ペイスの懐に隠せる程度の大きさでも、価値的にはそれなりに高い。
ずしりと重たいこれを、ジュラ島ならではの産物と交換して、持って帰るのが交易のお仕事。
しかし、実際に色々と調べてみれば、思っていた以上に貴金属関連の価値が高い。また、鉄製品や銅製品などの金属製品の価値も高いようだ。
「凄いですね。船にある鍋一つ売れば、大量に食料が買えそうですよ」
プローホルは、外国に来たという事実を実感する。
下手をすれば金貨一枚でも、船一つを荷物で満載にして帰れるかもしれない。
メジャーでない海外交易は、上手く嵌れば信じられないぐらい儲かる。
こうして自分の目で見ることで、初めて湧く実感というものだ。
「レーテシュ家やボンビーノ家が豊かになる訳です」
「ですね。海洋交易は旨味がたっぷり。羨ましいですね」
神王国でも、南部は比較的に豊かだと言われている。
特に、レーテシュ伯爵家は昔から変わらず富豪だ。また最近ではボンビーノ子爵家も金回りが良くなっている。
レーテシュ家が豊かな理由は色々ある。金山を領内に抱えていること。領内は平地が多く、水利にも恵まれていて農業生産力が高いこと。人口が多く商業や諸工業が活発であること。大きな街道が通っていて、交通の要所であること。などなど。他家からすれば、一つで良いからわけて欲しいと言いたくなる恵まれっぷりである。
それに比べると、ボンビーノ家はそこまで恵まれてはいない。
領内の農業生産力はほどほどであるし、領内に金山が有る訳でも無い。人口も一時期に比べればまだまだ少ない。
しかし、ボンビーノ家はレーテシュ家と並び称されるほど儲けている。
これは、ボンビーノ領にある港が天然の良港であり、漁業港としても交易港としても優秀だから。農業生産力や工業生産力で劣るとも、こと交易に関しては、ボンビーノ家とレーテシュ家の条件はほぼ互角。
大きな主要街道を複数抱えている点や、船を使って交易が出来ることなど。
海洋交易だけで、金山や広大な農地というディスアドバンテージを挽回しているのだから、交易の利益の大きさは相当なものだと素人でも分かる。
「特に、ボンビーノ家は投資を海に偏らせていますからね。今後も益々発展することでしょう」
「良いことじゃないですか。ジョゼフィーネ様が喜ばれます」
「姉様は喜ぶというより、発破をかけていそうですね。ウランタ殿のお尻を叩いて仕事をさせそうです」
「ははは」
ボンビーノ家は、目下海洋に関する投資を大々的に行っている。
大きな船舶を作ることもそうだし、港湾整備もそうだ。
これは、ペイスの姉たるジョゼフィーネの助言が有ったと言われている。
曰く、人と同じことをしても、人と同じ結果しか出せない。より飛躍しようというのなら、人と違うことをしなければならない。だそうだ。
人と違うところしかない弟を持ったが故の、実体験であろうか。
人の意見は柔軟に取りいれるのがボンビーノ子爵の良い所。
確かにその通りであり、海洋交易の分野はまだまだ文字通りのブルーオーシャン。開拓の余地がとてもたくさん残っている。
今回のサーディル諸島への船舶派遣も、恐らく将来を見越した布石の一つであろう。
モルテールン家の予算で、ニルダ達に新規航路を開拓させられる。持ちつ持たれつな関係性である。
「モルテールンではどうあっても無理ですからね……無理ですよね?」
「さあ、どうでしょうか」
世の中の不可能を可能にしてきた男が、プローホルの傍に居る。
山を動かし、龍を倒し、荒野を開拓してきた、魔法使い。
海の無いモルテールンで海洋交易の利益をあげるのは不可能に思えるのだが、無理だと断言しない辺りが妙に引っかかる。
優等生で呑み込みの早いプローホルには、嫌な予感しかしない会話だ。
「将来のことを考えるのも大事ですが、まずは今目の前のことを片付けませんと」
「はい、まあそうですね」
先々、ボンビーノ家が交易で儲けるようになるにしても、モルテールン家としては介入することは難しい。そもそも船を持っていないのだから、口出しも難しいのだ。であるならば、折角の機会、今目の前にあるものを、どう活かすかが肝心だと少年は言う。
少なくともペイスの目には、市場がお宝の山に見えていた。
色とりどりの南国フルーツ。
ヴォルトゥザラ王国で見た異国情緒とはまた違った、南国情緒のある果物たち。どれをとっても美味しそうに見えてくる。
「是非とも定期的に仕入れたい」
ペイスの頭の中は、今高速で回転している。
エンジン音が頭の中から聞こえるなら、暴走族もかくやという轟音が鳴り響いているに違いない。
お菓子の為なら常識すら投げ捨てる、ペイス専用のスイーツ頭脳。
何とかして、フルーツを定期的に手に入れなければなるまい。
「出来ますか?」
部下の問いに、ペイスはにやりと笑う。
「我に、秘策あり」
◇◇◇◇◇
「モルテールン卿、どうなされました」
ペイスの要請が断られてから二日後。
彼は、改めてジュナム族の族長シュパルへの面会を申し込んでいた。
このまま手ぶらで帰る訳にはいかないという建前で、結構強引にねじこんだ会談だ。
「実は、ジュナム族の皆さんに召し上がって貰いたいものが有りまして」
「ほ?」
族長は、ペイスの言葉に一瞬呆けた。
つい一昨日に、モルテールン家からの要請を断ったばかり。
てっきり、もう一度同じような要請をしてくるか、要求水準を下げて再交渉してくるか、或いは怒って怒鳴り込むか。どれかだろうとおもっていたからだ。
まさか、食べ物を振舞いたいと言ってくるとは思わなかった。
「勿論、頂けるというのであればありがたく頂戴しますが……ものは何でしょうや」
「僕が作った、スイーツです」
「スイーツ?」
ペイスは、ジョゼフィーネ号の船内にもお菓子の材料を相当数持ち込んでいる。
というより、折角のフリータイム。お菓子研究に勤しむ好機であると、色々と試行錯誤の時間にしていた。
公私混同も甚だしいが、それで作ったお菓子であったり、或いは市場で買い付けた南国フルーツの研究結果であったりも用意されている。
「そういうことなら、若いものも呼んだ方が良いですな」
「そうですね、是非とも」
族長は、甘い菓子というなら若い連中が喜ぶだろうと考えた。
彼らの常識では、神王国のスイーツというのは兎に角甘さが強く、年寄りが食うには胃もたれを覚悟せねばならないものだからだ。
ペイス製のお菓子、モルテールン印のブランドを、彼らはまだ知らない。
族長に呼ばれ、若者がぞろぞろと集まってくる。
「さあ、皆さん召し上がってみて下さい」
ペイスは、集まった面々に手製のお菓子を振舞う。
神王国ではプレミアがついている、モルテールンのお菓子の数々。
ペイスにくっついて護衛しているプローホルなどは、美味しさを知るだけに涎をたらしかけてる。
「どうでしょう」
「美味い!!」
「本当に美味しい。何だこれ」
「生まれて初めて食ったぞ!!」
ペイスは、自分の作品を皆に振舞った。
感想を尋ねたところで、皆が皆美味しいと口にする。
どんな時でも、美味しいと言って貰えるのは喜ばしいと、ペイスはニコニコである。
「ふむ」
そんな若者たちの様子を見て、族長はじっと考え込む。
これは何をしたくてやっていることなのかと。
「我がモルテールンは、フルーツの扱いにかけては世界一と自負しております」
「ほう」
「言葉では、幾ら言っても分からない。実際に食べてみてこそ、分かることだと思います」
「それは、そうでしょうな」
目の前で美味い美味いとお菓子を取り合う連中を見れば、ペイスの言うこともあながち嘘とも思えない。
世界一というのが流石に大げさな表現だとしても、フルーツの扱いに長けているのは事実だろうと考える。
実際に“生まれて初めて見た”はずのフルーツを、これだけ見事に調理して見せたのだ。高い技術と知識が有るのは間違いない。
「貴方方が手を取るのなら、我々こそ最適でありましょう。貴方たちの持つものの価値を、誰よりも知っています」
なるほど、とシュパルは頷く。
ペイスの言いたいことが、ようやく見えたからだ。
少年は、こう言いたいのだ。
ジュナム族の作っているフルーツで交易するのなら、自分たちモルテールン家が一番高く買い取れますよと。
つまり、今回交易は諦めるにしても、もしも交易をするのであれば自分たちにという、予約をしたいのだ。
確かに、今は交易など魅力を感じないが、将来は分からない。先々のことを思えば、モルテールン家とは仲良くしておいた方が良さそうである。
族長は、そう判断した。
「なるほど……おっしゃることはよく分かりました。モルテールン家とは今後も仲良くしていきたい」
「こちらもそう望んでおります」
「結構。継続した交易までは出来ませんが、今回に限った交易と、今後の友好親善については前向きに検討します」
「では、交渉成立ということで」
ペイスの手には、確かな手ごたえが有った。