452話 交渉決裂
「見えました。あそこがそうです」
「おお!!」
思わぬトラブルに見舞われつつ、航海自体は恐ろしく順調に進む。
非正規船員が一人増えたのち、しばらくして目的地に到着する。
「いいかい!! 船底擦るような真似しやがったら海に放り込むよ!! 慎重にやりな!!」
「へい、姐さん!!」
目的地は、大型船舶は水深の関係で停泊できない場所。
沖合に錨を降ろし、小さいボートを水面に降ろして小分けに上陸するしかない。
初めて来る場所だけに、ボンビーノ水兵も慎重さに慎重さを重ね掛けして、海の様子を探りながらしっかり停泊させる。
「それでは、一足先に」
「ええ、頼みます」
いきなり大勢で、事前の連絡も無しに押しかける。それも、見た目がゴツイ連中で、武装して。
こんなものは、問答無用で攻撃されてもおかしくない。相手の立場に立てば、海賊が襲撃してきたと誤解しても不思議はない状況だ。
故に、まずはこの場所に詳しいジュナム族のシュムラ氏が使者の一人と同行して、先に行く。
先方に事情を伝えたうえで、戻ってきたら状況を確認できる。
つまり、しばらくは暇だ。
操船の必要もなく、帆も全てあげて括ってある。波間に浮かぶ以外は何もできない時間が続くということ。
もしも使者が三日で戻らないようなら、使者は捕まったか殺されたかしたと判断することになっている。
鬼が出るか蛇が出るか。出来れば、友好的な対応をしてもらいたいものだ。
「時間があるなら、釣りでもしますか。晩御飯のおかずを調達するということで」
「お、いいね。野郎が戻ってくるまでに、誰が一番でけえのを釣るか、競争しようぜ」
「それは良い。では、僕から賞金を出しますか。僕が勝ったらプローホルに賞金。プローホルは公平な審判としましょう」
「流石坊ちゃん!! いいぞ、話せるじゃねえか」
暇つぶしとなると、途端に元気になる野郎ども。
釣り竿は、それぞれの船員がマイ釣竿を持っていて、ペイスも船長権限で一本専用のものが有る。
プローホルだけはマイ釣竿など無いので、審判だ。
「俺も!! 俺もやりたい!!」
「……では、僕の釣り竿を貸しましょう。ただし、釣り上げたものはプローホルいきで」
「分かった、見ててよペイス兄ちゃん。俺、おっきいの釣るから!!」
ドロバの少年も、釣りをしたいと燥ぐ。
彼も、無駄飯ぐらいで居ると肩身が狭いらしく、自分に出来ることを何かやりたいと言い張るのだ。
普段は、船内の掃除などの雑用係に就任して仕事をしているのだが、やはり年相応に楽しそうなことには首を突っ込みたがる。
「それじゃあ、釣りの開始で」
ペイスの号令一下。釣りの始まり。
「しゃああ!!」
「任せろ。デカいってんなら俺の出番だ」
「うるせえ短小、てめえの竿じゃ小物しか釣れねえよ。賞金は俺のもんだ」
「あんだコラ、皮被りが偉そうにしてんじゃねえ」
男所帯故か、お互いに交わし合う言葉が物騒な上に下品。
クーの教育に悪いとペイスは顔を顰めるが、かといって黙ってろという訳にもいかない。
「あんたら、煩いよ!! 乙女の前で馬鹿なこと言うんじゃない!! 子供もいるんだ、大人しく釣りな」
ニルダは別として。
誰が乙女だと冷やかしもされつつ、わいわいがやがやと楽しく釣りが始まる。
いざ釣りが始まると、そこは流石にプロの連中。
騒ぐと魚が逃げることを知っていて、静かに釣りをこなす。
しかも、辛抱強い。
幼いクーなどは飽きを感じてしまっているようだが、船員たちは黙々と釣る。
やがて、ぽつぽつと当たりが出始めた。
釣り場が良いのか、餌が良いのか、腕が良いのか。
当たり始めると、ほぼ全員の竿がしなり始めた。
「よっしゃ、きたきた、こりゃ大物だぜ」
「ははは、良い釣り場じゃねえか」
揚がってくるのは、船員も良く知らない魚ばかり。
やはり遠方までくれば、泳いでいる魚の種類も変わるらしい。
これは食えるのかと首を傾げながら、皆が皆釣りを楽しむ。
「ペイス兄ちゃん、助けて!! へるぷ!!」
「どこでそんな言葉を覚え……いや、これは大物ですよ!!」
いよいよ、クーの竿にも当たりが来た。
小柄な体ごと持って行かれそうになっているのを見て、ペイスは慌てて竿ごとクーの体を抱え込む。
「デカい、兄ちゃんこれ大物だ!!」
「ええ、横に魚が走ってます。いいですか、タイミングをあわせて。誰か!! 網持ってきて下さい」
クーは意外と根性というものが備わっていたようで、大の大人でも苦労しそうな大物釣りを、支えてもらいながらではあっても最後まで竿を握ったまま完遂してのけた。
釣り上げたものは、クーの背丈を超える特大サイズであった。
マグロなのかカツオなのか、或いは別の魚なのか。素人であるペイスはよく分からなかったが、流線型の形からしてマグロっぽい感じである。
「おお!!」
「すげえ!!」
さしもの水兵も、これほどの大物は久しぶりだと集まって、釣り上げたガキンチョを褒める。
悪ガキであっても、手柄をあげればちゃんと褒めるあたりは細かいことを気にしない海の男といった感じだろうか。
「竿が特注なのはともかく、よく糸が切れなかったね」
ニルダの呆れた声に、ペイスがこっそり耳元で喋る。
「実は、魔の森の蜘蛛から採れた糸です。相当に頑丈なのに細くて軽いので、試用していたのです」
モルテールン家としての利益も無くては、そもそも航海をカセロールが賛成するはずもない。
魔の森産の品の商品価値を確かめるという目的は、今回の裏目的である。
「おっしゃ、こりゃもう一等は決まりだな」
「悔しいが、勝てねえわ」
「それじゃあ胴上げだ、胴上げ!!」
優勝者が子供だったからだろうか。
大人たちも楽しそうに、盛り上がっている。
夕飯が豪華になることも喜びだし、他の奴にどや顔されることもなくなったからだ。
小柄な体躯の少年を、丸太のような腕の男たちで胴上げ。というよりぶん投げて祝う。
「あはは、高い、すげえ……あ、なんかあっち、戻ってきたみたい!!」
無邪気に胴上げを楽しんでいたクーが、空中で小舟を見つけた。
「本当ですか?」
「うん」
「よく見えましたね。では総員、釣りはここまで。片付けて、上陸準備!!」
「おう!!」
初めての土地への上陸である。
船を盗まれないように守る人間と、上陸する人間を守る護衛とに分かれ、陸地への移動を開始する。
数回の往復の後、最後の便で陸に上がったペイスは、その場で出迎えを受けた。
一人の年寄りを先頭に、十人程度の集団の出迎え。歓迎なのか警戒なのか。
ペイスは、笑顔で挨拶をする。
「ようこそジュラへ。連絡は受けております。どうぞこちらへ」
「先んじての手配と御心配りに感謝いたします」
森人の文化では、島というのは天然の境界線であり、国境のようなものとされている。
大地に線を引くが如き諍いは野蛮であるという考え方があり、基本的に一つの島は一つの部族が独占して居住していた。
一つの島の中に複数の部族が存在することが、基本的には無いという意味で、一島一部族の原則は太古の昔から今日に至るまで伝統として息づいている。
老人の挨拶は、この伝統を感じさせるものだった。
サーディル諸島にある有人島の中で、最も大きい島、ジュラ島。
ここは、レーテシュバルを訪ねてきていた森人の一族、ジュナム族が治める島だ。
大きさ的には佐渡島程度はある島で、島をぐるっと一周するのに人の足だと急いでも三、四日掛かるといえば大きさも分かりやすい。
有人島としてみればそれなりに資源の豊富な土地を有し、島の中で最も高い山は標高が千メートルを超える。
植生も豊かで、また降雨量にも恵まれた島。
ジュナム族が有力部族として森人の代表を務めるのも、当然と言えば当然だろう。
木材などにも困ることは無いようで、外洋を航海できるだけの船舶を製造する技術は貴重だ。
ペイス達が案内されたのは、木造三階建の大きな建物。
学校の校舎のような雰囲気であり、画一的な部屋が幾つも有る。
ジュナムの一族が政務を行う、政庁だ。
建屋の一室。
応接の為の部屋に通されたペイス達は、一人の老人と対面する。出迎えてくれた老人より、更に年がいっている。
「部族を纏めておるシュパルと申します。名高きモルテールン卿の御来訪を心より歓迎し、またご尊顔を拝する機会を得ましたること、誠に恐悦至極に存じ上げます」
両手を軽く上げたまま膝をつく族長。
森人の、古い挨拶であり、最高の礼を示す挨拶だ。
事前に森人の文化を聞いていたペイスとしても驚きは無く、神王国人として手を軽く握ったまま胸にあて、敬意の篭った挨拶を返す。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですシュバル族長。今日の機会が我々の友好の始まりであることを願ってやみません」
椅子と言うのか、或いは丸太と呼ぶのか。
自然み溢れる木製の椅子らしきものに腰掛け、ペイスと長老の会話が始まる。
「お父上は、お元気ですかな?」
開口一番、長老はペイスに父親のことを尋ねた。これは、ペイスとしては驚きである。
「父をご存じなのですか?」
「直接言葉を交わしたことは有りませんが、お噂はかねがね。私も昔は北に行く機会が有りましたので、大戦の英雄の武勇伝は聞き及んでおります」
海を航海するのは、一族の中でも選ばれた勇士であり、長老も二十年ほど前までは海に出ていたという。
その際、レーテシュバルまで行かずとも、聖国の港でもモルテールンの噂は流れていたと老人は語る。
「息子として誇らしく思います。幸いにして父も健勝でありますので、家に戻りましたら族長から父に対してお気遣い頂いた旨を伝えておきます」
「そうしてもらえるとありがたい」
はははとお互いの会話で笑い声が起きる。和やかで、友好的な雰囲気だ。
ある程度場がほぐれたところで、最初に切り出したのは長老の方。
「それで、今回わざわざ足をお運び頂いたご用向きをお伺い致しましょう」
ある程度内容については承知しているのだろう。
明らかに値踏みする視線でペイスを見てくる。
長老だけではない。周りにいる者皆が皆、ペイスが何を言うのかと見つめていた。
質量が有るならペイスが押しつぶされていたかもしれないほど、視線が集中する中。
ペイスは、本題を切り出す。
「さすれば、交易を願いたい」
「ほほう」
ペイスが求めるものは、友好親善。という建前である。
しかし、実利を求める菓子狂いは、それだけで終わるはずも無い。
交易だ。
求めるものは、南国のフルーツ。今までの交易では手に入れることのできなかった、直接交易である。
仮に交易を認めて貰えたなら、モルテールン家には【瞬間移動】の魔法も有るのだ。窓口さえ作って貰えれば、今後は定期的にフルーツが手に入ると、ペイスはぐっと前のめりで話をする。
「交易とは、どの程度のものをお考えかな?」
「規模としては、個人で買える程度のものでも構いません。ただ、単発なものではなく恒久的な友好関係を結びたく思っております」
ペイスは、出来るだけ穏便に交渉を進めた。
「なるほど、要望は承った」
「ありがとうございます」
「少々我々だけで話をしたい。控えの間を用意するので、しばしお待ちいただけるか」
「分かりました」
要望を受け取ったからには、その内容を吟味せねばならない。
森人の指導者層は、その場に残って話し合いを始める。
「モルテールンとの親善という目的はどう思うか」
長老の問いに、老人たちがめいめいに意見を言い出す。
総じて意見を纏めれば、モルテールンと仲良くすること自体は問題ないだろうという結論になる。
そもそも遥か遠方の土地のこと。仮に【瞬間移動】の魔法があったとして、魔法にも制限が有るはずなので、そう簡単に来られるはずが無いという意見で一致したからだ。
自分たちが行くことも無い“未開の地”のことなど、どうでもいいというのが長老たちの考えである。
どうでもいいことなのだから、仲良くしたいというものを喧嘩腰で断るまでも無いということで話が決まった。
「では、交易についてはどうか」
今度は、意見が紛糾しだす。
そもそも森人は、基本的に自分たちの島だけで自給自足が完結する。足りないものが有ったとしても、普通は別の部族と足りないものを融通し合う。
故に対外的に“輸入”するものというのは、ほぼ全てが贅沢品だ。
無くても生活には困らないが、有ればそれだけ生活が豊かになるというものが、ごくたまに交易品として入ってくる。
老人の一部が反対意見を言うのも、ここに問題が有るからだ。
贅沢品に慣れてしまう。娯楽や嗜好品に親しむ。
年寄りからすれば、遊びに感けて大事な仕事を蔑ろにしかねないものだと感じる訳だ。
現代で言えば、親がゲーム機を隠そうとする心境に近しい。或いは漫画やアニメを禁止して勉強させようとするようなもの。
贅沢なものを受け入れることで、若者が堕落するという意見が反対の根拠だ。
自分たちが若い頃には嗜好品など無く、真面目に仕事をしていた、などという意見を言い始める始末。
「……ふむ、交易品の事前確認があれば、構わないのか?」
「それならばまだ良い」
年寄りたちは、交易に関して。条件付きなら許可してよいという結論に至る。
交易品を、自分たちの制限の下で管理出来るなら、という条件だ。
むしろ交易など不要という意見も有ったのだから、これでもモルテールンの勇名に配慮したのだろう。
「では……継続した交易というのはどうか」
「恒久的な交易というのは受け入れられん!!」
強硬派と思しき、年嵩の人間が言う。
単発の交易ならば、或いは極稀に行われる交易ならば、まだ管理のしようもあるだろう。
しかし、継続的に交易を続けるとなると話は変わる。
物が入ってくる量も頻度も違ってくるからだ。
保守的な人間は、こぞって反対する。
やがて、結論が出たことで、ペイスが改めて呼ばれる。
今までの議論の結果を踏まえ、ペイスの要望には応えられないというのが正式な回答だ。
「お客人。残念な結果とはなったがゆるりとしていかれるとよかろう」
断られたペイスの目には、困難にこそ輝く智謀の光が灯っていた。