451話 サーディル諸島
ペイス達の目の前に、目いっぱい叱られて正座するクーが居た。
板張りの床での正座に、痛みが辛いのか、頻りにもぞもぞとしているが、足を崩す真似はペイスはともかく周りが許さない。
海の男たちは、船の中のルールに煩いのだ。
自分たちの船に“忍び込んで”いた悪がきを、徹底的に折檻せねば気が済まない者たちばかり。
実際、クーの頭にはニルダが作ったたんこぶがある。
操船を預かる立場として、人の入っていないはずの場所に子供が居たなど怒って当然だろう。
「とりあえず、臨検は何とかなったのは良かった。最悪、貴方は密航者として捕まって、犯罪者にされていたかもしれないんですよ。分かっていますか」
「うんと、えっと……ペイス兄ちゃ、じゃない、ペイストリー様、ごめんなさい」
しおらしく、反省の態度を見せるクー。
ペイスにとっては、コアントローの息子であり、幼馴染マルカルロの弟であり、生まれた時から知っているクーは、自分にとっても弟のようなもの。
何なら本当に弟と思って可愛がっていたまである。
ペイス兄ちゃんと呼んで慕ってくる弟分を、どうして突き放せようか。
だがしかし、それと悪さに対する罰は別問題。
身内への愛情が深いモルテールンの人間であっても、いやだからこそ、悪さをした人間にたいする公平な判断は崩してはならない。
臨検の時も、かなりもめた。
何せ、誰も説明が出来ない乗組員だからだ。
何故こんなところに居るのかと問われて、説明できる人間が居ない。結局、子供が密航していたということで収まったが、すったもんだで大いに紛糾した。
「坊ちゃん、それで、こいつは誰なんだい?」
「クインス=ドロバ。モルテールン家の譜代であるドロバ家の子で、上に兄が居ます。最近は悪ガキトリオの後継者だといわれていて、色々とやんちゃをしていたのは知っています」
「ヤンチャにもほどが有るね」
ニルダの呆れたような言葉に、ペイスも返す言葉が無い。
「言葉も有りません。うちの弟分が皆さんには迷惑を掛けてしまいました」
「ごめんなさい」
クーとペイスが、揃って謝罪を口にする。
「とりあえず、済んでしまったことは仕方ない。クーに対する罰は一旦おいておいて、優先すべきは事情の確認です」
ペイスは、今にも子供を殴り飛ばしそうな連中に、落ち着くように言う。
「まず、何故船に居たんですか?」
クーのいた場所は、鍵のかかった密閉空間。
最初に誰もいないことは入念に確認していたはずだし、荷物の積み下ろしの時にも潜り込む隙など無かったはずだ。
それこそ、防諜には人一倍気をつけねばならないお家柄、荷物に紛れて忍び込むようなことさえ出来ないように注意していたはず。
一体どうやって忍び込んでいたのか。
いや、そもそも何故船に忍び込もうと思ったのか。ペイスは、クーに尋ねる。
「えっと……俺、かくれんぼが得意だろ?」
「ええ」
「んでんで、こないだお屋敷の傍に隠れてたんだ」
悪ガキ二世のクインスは、石投げが得意だった先代悪ガキのマルカルロとは違って、逃げ隠れするのが得意である。
特に隠れることに関しては天性の才能が有るとも言われていて、死角や盲点を探すのも滅法うまい。
かくれんぼで遊んでいた時などは、クーが隠れると鬼が三人は居ないとゲームにならないほど。
自分で得意というだけのことはあるのだ。
そのクーは、先日モルテールン領主館の傍に隠れていたという。
「屋敷の傍?」
「大きな窓の傍の、木の陰。そしたら、なんか話してる声が聞こえてさ」
「……執務室は防諜していましたが、応接室は今後更に防諜対策をしないといけませんね」
執務室には、最大限の防諜設備が有る。
生半可なことでは音も漏れないようになっているので、聞き耳を立てても中の音を聞くことなど出来ない。
しかし、応接室はそうではない。
来客の中には密室を嫌う者も多く、扉の外などで守る護衛が不審な音に気づけるようにしている部分もあった。
応接室の傍に隠れて聞き耳を立てていたというのなら、中の話し声が聞こえても不思議はない。
「んでさ、んでさ、なんか船に乗って人が来たとか言っててさ」
「コアトン殿が来た時の話ですか」
船がどうこうという話をしたのは、レーテシュ家の従士長が来た時だ。
あの時にこっそり隠れて盗み聞きしていたとするなら、内容は想像できる。
もっとも、クーにとっては従士長のコアトンの名前が分からず、きょとんとしていた。
「コアトン?」
「気にせず、続けてください」
「えっと……どこまで言ったっけ。そう、船に乗って人が来たって聞いたんだ。それで、俺も船に乗ってみたくてさ」
モルテールン領には、海が無い。
四方を、いや三方を山脈に囲まれ、一方は元々山脈だったものが無くなって森と面するようになっている。
お陰様というのか何と言うのか、北方の山が無くなったことで気候まで変わり、モルテールン領は雨にも恵まれるようになり、かつてと比べれば様変わりしている。
生粋のモルテールン生まれのクーは、モルテールンの変わっていく様子を幼い時から見続けてきた。好奇心も大いに満たされてきたことだろう。
しかし、海は見たことが無かった。
大人達や、或いは親しくしているラミトなどは海を見たことが有るらしいし、彼の兄は海の魚を食べたことも有るらしい。
海の魚については、かつての海賊討伐騒動の時、ペイスの活躍で得たものの炊き出しが行われたこともあって、食べたことのある人間はそこそこ多い。
ペイス謹製の魚介料理を食べたことのある大人たちは、皆美味しかったと口にする。
当時はまだ幼過ぎた為に魚を食べられなかったクーとしては、噂だけ聞くのが海の魚。
曰く、とても美味しい。川魚と違って泥臭さが全然ない。口に入れた瞬間にほろりと崩れる身が旨い。食べた瞬間口が幸せになる。などなど。
幼い少年の海への憧れを想起させるのには十分な煽りである。
更に、既に解体された「ジョゼフィーネ親衛隊」の存在も、クーにとっては大きかった。
何せ、彼のよく知る年上のお兄ちゃんたちが、こぞって参加していたのだから。
モルテールン家の美人姉妹と言われたジョゼフィーネのファンは大量かつ熱狂的であり、クーにとっては存在が身近だった。
主家への忠誠心の高さを美徳とする神王国の騎士精神と、アイドルオタクのファン心理がセットになったような連中。
彼らは、ボンビーノ家にジョゼフィーネが嫁ぐことになった際、それはもう散々に荒れた。
口汚くボンビーノ子爵やボンビーノ領を罵ることも有った訳だが、その貶し言葉には「海が有るからと威張っている」だの「船に乗れるからと偉そうに」などというものが有った。
一歩引いた立ち位置で聞いていたクーからしてみれば、海があって船に乗れるから美女を嫁に出来たと言っているように聞こえた訳だ。
これもまた、好奇心を煽るに十分。
常日頃の周りの環境から、クーは海に行って船に乗ってみたいと憧れていたのだ。
「気持ちは分かりますが、クーを外に出すのはまだ早いでしょう」
「うん、そういわれると思ってた。だから、こっそりついて来た」
「どうやって……とは聞きません。想像がつきます。“かくれんぼ”で、ルミと同じことをやりましたね」
「へへへ」
かつて、ルミが魔法の飴をつまみ食いして騒動になったことが有る。
自分が隠れるのも上手いが、隠れているものを探すのも得意なクーは、普通の人には見つけられないであろう、隠していた「魔法の飴」をつまみ食いしたのだろう。
ペイスの指摘に、照れくさそうにするクー。
「褒めていません。怒っているんですよ!!」
「はい、ごめんなさい!!」
珍しいペイスの怒声に、クーは流石に背筋を伸ばして謝罪を口にする。
「事情は分かりました。これはうちの落ち度ですね」
誰がどう見ても、モルテールンの内輪の事情。
それで要らぬ面倒を起こしたというのなら、クーも悪いがモルテールン家の責任でもある。
「それで、この子はどうします?」
プローホルの意見に、ペイスは少し考え込む。
魔法で送り返すことも選択肢の一つ。いや、出来ればそうしたい希望的意見だ。
しかし、物事はそう簡単なものではない。
「今更帰れと言うことも出来ません」
既に、臨検をしていた連中に、クーの姿は見られている。
ここでクーを魔法で帰すのは容易いが、それをしてしまうとペイスとしては不本意な交渉を余儀なくされることになるのだ。
基本的に、諸島の人間は閉鎖的で排他的という。それぞれの部族が幾つかの島をもって自給自足に近しい生活をしているというのだ。安定的な生活の中に異物を入れたがる人間は少ない。
そんな中にあって、モルテールン家を含む一行は、相当に怪しい存在として見られるだろう。
最初から、敵として見られるかもしれない。いや、見られている。
そんな中で、クーの存在を“隠した”と見られるような行動をとるとどういう反応を引き起こすか。
自分の身に置き換えると分かりやすい。
事前に十人の集団だと見張りから報告が有ったはずが、九人で到着。あとの一人は何処に行ったのかと、気になって当たり前である。
穿った見方をしようと思えば、幾らでも悪い方に考えられるだろう。こっそり隠れた人間が、悪いことをするのではないかと。
李下に冠を正さずという。疚しいことが無いのであれば、堂々としていた方がまだマシ。
クーを既にみられてしまった以上、ここは一行の中に入れてしまって、隠さない方が良い。
ペイスはそう判断した。
「それじゃあ、このまま同行させるってのかい?」
「おいおい、まだガキじゃねえか」
「モルテールンの坊ちゃんより子供だ。なんだ、モルテールンは子供が特産品なのか?」
「特産品なら質は良いはずだろ。悪ガキが特産品だってんなら、特上モンが揃ってるんじゃねえか?」
乗組員たちは、勝手に増えた密航者には厳しい。
ペイスとしても、ここで甘い顔は出来ない。しかし、放り出すわけにもいかないし、何より子供のしたことだ。ここでちゃんと反省しているようなら、同じ失敗でもない限りは許してやるのもモルテールンの流儀。
「クーのことは、取りあえず棚上げにしましょう。それよりも、目下の目標は通商交渉の成立です」
ペイスは、一行の気持ちを切り替えることにした。