450話 臨検
「一体、何ですか?」
ペイスは、状況確認の為に甲板へ上がった。緊急時でも率先して動くのがモルテールンの流儀である。
既に大勢集まっていた船員たちを掻き分けたところで、船長ペイスの目に飛び込んできたのは、見慣れない船。
ジョゼフィーネ号は行く手を二艘の船に遮られて帆を降ろしていたのだ。
「ニルダさん、説明を」
海の上の事情に最も詳しいであろう女性に、説明を求める船長。
「臨検だってよ」
「臨検?」
今いる場所は、聖国の領域と、サーディル諸島の間。
GPSなども無い世界、海の上には明確な国境線など存在しないので、境界は非常に曖昧で不確か。
大抵は、船の中は船の所属する場所に即した治外法権になる。
つまり、ジョゼフィーネ号の中は神王国の法がまかり通るということ。
船の中を検めさせろと言われて、はいそうですかと従う義理は無い。
そもそも、いきなり船を止めて中に入ろうとするのは、海賊にも等しい行為だ。何なら、問答無用で攻撃しても海の男たちのルールとしては違法ではない。
しかし、今回の場合は勝手が違う。
ジョゼフィーネ号は、公的な船。それも、友好的に振舞おうというのが目的の船舶である。
荒事を初手で選ぶようなことは、避けるべき状況。
「どこの臨検ですか?」
仮に、船を検めさせろというのが聖国の人間であった場合。
これは、モルテールン家としては拒否の一手だ。
そもそも聖国の人間で無いペイスが、聖国の法に従う義務はない。まして、聖国の領域でも無いなら猶更。
今いる場所は、聖国の領域とは言い難い場所になるのだから、唯々諾々と従うのは外交的に拙い。
もしも簡単に従ってしまえば、悪しき前例となり得るからだ。
今後同じようなことが起きた場合に、「いつも通りの通常業務だ」と言い張る根拠を与えてしまうことになる。
船の中を検めさせた場合、仮にモルテールン側としてなんら疚しいことが無かったとしても、イチャモンを付けられることだってあるはず。
船の中のものが盗品である疑いがあるだの、船員の中に手配された犯罪者と特徴が似ている人間が居るだの、船が“違法行為”をしている理由など幾らでもでっち上げられる。
一度証拠をでっち上げられてしまえば、最悪は船の没収。或いは船員全員が犯罪者扱い。碌なことにはなるまい。
正当な理由が有るうちは、臨検など断るのが正解なのだ。
だが、これがサーディル諸島の臨検であった場合は話が違う。
これから友好的に会話しましょうねと言いに行く相手だ。最初から喧嘩腰の対応はどう考えても拙い。
「サーディルの船だと思うよ。聖国の船ならあたいらも多少は知ってるが、それとも違う感じだ。どこの部族のものかまでは分からないが、まず間違いない」
「なら、臨検を受け入れるのが正解ですね。一応、シュムラさんに確認しましょう」
ペイスは船員に指示を出し、シュムラ氏をジョゼフィーネ号の甲板に呼ぶ。
海上でありながら他の船からでも人を呼べるのは、ペイスの魔法が有るからだ。
「シュムラさん、あの船に見覚えは有りますか?」
「……見覚えはある。あれはンゴロウの船だ」
「ンゴロウ?」
聞き覚えの無い名前が出たことで、ペイスは詳細な説明を求める。
「ンゴロウ族は、サーディルの中でも有力な部族の一つ。我らと……並ぶほどの強力な一族だ」
「ほう」
森人の青年は、かなり嫌そうに顔を顰める。
どうやら、あまり好ましい相手では無いらしい。
しかし、無下にも出来ない相手だそうだ。
「ンゴロウ族は、かなり気が荒い連中が多い」
「乱暴者の集団ですか?」
「そうではない。単に、排他的なのだ。我々にも事あるごとに絡む、面倒くさい連中なのだ。根が悪い訳では無いが、独善的と言うべきか」
「なるほど」
世の中には、善良であるが迷惑な人間というタイプも存在する。
困っている人を助けようとする意志も有れば、弱いものを守ろうとする善意も持ち合わせていながら、行動が伴わない人間。
女の子が男子から揶揄われていたら、事情も聴かずに男の方をいきなりぶん殴るであるとか、野生の動物が弱っているのを見かけたら、深く考えずに餌を与えてしまうとか。
性根が腐っている訳では無いが、友達にしたくは無いタイプと言える。
ンゴロウ族には、そういう連中が多いらしい。
「臨検を拒否すれば、勝手に極悪人にされそうですね」
「うむ、間違いなくそうなるだろう」
ことがことだけに、正当な権利をもって臨検を拒否も出来るし、そのことでンゴロウ族と揉めたとしても、シュムラ氏の部族からとりなしてもらうことは出来るだろう。
しかし、そうなるとシュムラ氏のジュナム族に借りが出来る。
交渉を借りのある借金スタートで始めるぐらいなら、多少の道理に目を瞑るべき。
ペイスは、そう判断する。
「臨検を受け入れましょう」
ペイスの判断に、ニルダや他の船員は驚く。
「坊ちゃん、良いのかい?」
「構いません。我々の側に、見られて困るものは有りませんから」
臨検受け入れ受諾を連絡したからだろう。
ンゴロウ族の人間が、ジョゼフィーネ号に乗り込むために動き出す。
小舟に乗り込んだ兵士と思われる者が、ジョゼフィーネ号に上がってきた。
皆、背は高い。それでいて、肌の色は白い。
日焼けをしない人種的なものなのか。見た目的には海の種族という感じは受けない。
「ジュナムが居たのか」
ンゴロウ族の集団の中で、リーダー的な立ち位置に居ると思われる者が、目ざとくシュムラを見つけた。
同族と言うのか同じ人種というのか。
見た目的によく似ているし、神王国人とも違う雰囲気があるから分かりやすいのだろう。
「ンゴロウの同胞よ。我々は、疚しい集団ではない。臨検は受け入れるのだ。出来るだけ手早く終わらせてくれ」
「うむ。安心してくれ、これも職務上のことだからな」
シュムラの言葉に、ンゴロウ族のリーダーは首肯した。
そのやり取りだけでも、ペイス達は一安心である。
無理やり止められた臨検である以上、最悪は難癖を付けられる形での船舶没収。
その上で船から“追い出される”という事態も想定しての事。
そんなことになれば、自分の身を守る為に一戦することも辞さない覚悟であったのだが、どうやらそのような乱暴な意図はなさそうだと分かったからだ。
「幾つか聞きたいことがあるのだが、この船の長は誰だ?」
「それなら、僕ですね」
「お前が? 子供では無いか」
「まあまあ。それも事情あってのことです」
「ふむ」
ンゴロウの男は、ペイスのことを上から下までじっくり見る。
黒子の数でも数えているのかというほど熱心に観察した後、まあ良いかと受け入れた。
「この船は、どこの船か。見たところ真新しいようだが」
「ボンビーノ家のジョゼフィーネ号です。出来たばかりの新造船なのはその通りです」
「ふむ」
出来立てほやほや、湯気でもたっていそうなほど新しい船。
怪しいといえば、確かに怪しい。
そんな新造ピカピカの船を使って、あまり船の通らない航路を通り、しかも船長が子供。
男は、疑わしそうな、或いは胡散臭そうな目を向けたまま、ペイスに質問を重ねる。
「我らの島に近づく目的は何だ」
「友好親善です」
「友好親善? どことだ? 我らンゴロウというなら……」
「いえ。とり合えずはジュナム族との友好をと思っております」
「ああ、なるほど。それでジュナムも乗っていたのか」
男は、船の上のジュナム族を見る。好意的な目線では無い。むしろ、こんな面倒な連中とつるむとは気持ち悪い奴だとでも言いたげな、蔑むような目線である。これは、シュムラの部族がジュナム族だから。
お互いの部族は別に争いを起こしている訳では無いが、それでも時折諍いはあるのだ。漁にでて漁場が被ってしまったであるとか、はみ出し者の若い奴らが一族の女に悪さをしただとか、或いは彼らが信仰するものを侮辱したであるとか。理由は下らないものから根深いものまで様々。
人が集団化し、集団と集団が邂逅する時。必ず起きてしまうのが揉め事というものだ。
「運んでいる荷物は何だ」
「特に目ぼしいものは無いと思います。精々、穀物ぐらいです」
「本当か?」
「友好親善ですから多少の贈り物は有りますが、長期航海を想定して食料や水を多めに積んでいます」
「ちっ、食い物だけか」
僅かに舌打ちした男を見て、モルテールン麾下の連中はピリッとした緊張を走らせた。
食べ物が積み荷であることを残念がる。つまりは、金目の物を積んでおいて欲しかったという風にも取れるからだ。
何を積んでいて欲しかったのかは明言していないが、金目の物を目当てに臨検したとなれば俄然怪しい雰囲気になってくる。
ニルダは腰の剣にさりげなく手をかけるし、他の部下たちもいつでも戦いを始められるように、気配りを始める。
そんな、物騒な気配を感じ取ったのだろう。
臨検していた男たちは、慌てて言い訳を始める。
「実は最近、この海域で海賊が出ているのだ。だからもしかしたらその手掛かりになりそうなものを積んでいないかと思っただけだ。ジュナムが乗っているならお前たちが海賊ということは無いだろうし、食料だけが積み荷というなら尚更だ」
「それはそれは。我々も気を付けねば」
海賊のお宝が見つかると賭けていた連中は、急に元気になり始める。
これだからモルテールンはツキを持ってると、ひそひそと会話し始めた。
「静かに。まだ臨検中です」
ペイスが、部下たちを嗜める。
どうにも妙なフラグが立ちそうな気がしたからだ。
嫌な予感というのだろうか。危ない予感とは少し違う、トラブルの予感のようなもの。
歴戦故に感じる、何かありそうな雰囲気というものを、ほんの僅かに感じたきがしたのだ。
ペイスとしては、気のせいであって欲しいものである。
「船の中は粗方捜索したが、特におかしなものは無かったな」
「そうでしょうとも」
「あとは船内の最下部だが……なに? 施錠されている?」
兵士が、船の中を検査していて、鍵の掛かった扉があったと報告に出てきた。
「鍵を開けて貰おうか」
「それは構いませんが、我々が同行するのが条件です。施錠してある扉の先は“客室”になっているのです。今は予備の食料や水を置く倉庫代わりに使っていますが、調度品は高級品もあります。構いませんね?」
「……いいだろう」
ジョゼフィーネ号は、最新鋭艦である。
幾つもの区画が物理的に区切られており、どこかに浸水が起きる様な事態になったとしても、区画ごと封鎖して沈没を防ぐ工夫がされているのだ。
施錠できる扉は、いわば隔壁である。
空間を無駄に遊ばせておくのも勿体ないので、今は予備物資の倉庫となっていて、ちょろまかす馬鹿が出ないように、普段は施錠されている訳だ。
ペイスとニルダ、それに臨検の連中が揃って船の最下部に降りる。
巨大な船の底だ。立っている場所は、海面より下。浸水したなら真っ先に水没する場所である。
鍵を開け、隔壁区画に入る。
ここはいざという時文字通り“隔離”するための場所。牢屋代わりに使われる、独立空間でもある。
トイレもあればベッドもある。窓こそないが、予備の食料と水もあるのだ。
だから、気づけなかった。
ここに“招かれざる客”が居たことに。
「……てへっ」
「クー!? なんでここに」
クインス=ドロバ。
モルテールン家の譜代従士の家柄の息子で、ペイスの幼馴染であるマルカルロの弟。
悪戯っ子の二世代目ともいわれるやんちゃ坊主が、実に分かりやすくテヘペロとお茶目っぷりをアピールしていた。