449話 出航
船の上。
甲板の中央に立って、潮風を体いっぱいに受ける少年が一人。
「それではカカオに向けて、出航!!」
「……カカオ?」
ペイスの不思議な号令に疑問符を浮かべながらも、ニルダは船員たちに指示を飛ばす。
ぎいぎいと帆柱がきしむ音を楽しみつつ、潮風を共にして船は港を出る。
「主帆はまだだ。ここらは海底も岩場で入り組んでる。引き潮に舵を取られないように気を付けな。ピクリとでも舵を揺らしやがったら承知しないよ!!」
「はい、姐さん!!」
ニルダ達の操船の腕は確かで、警戒すべき部分も良く分かっている。
不慣れな航路では、思わぬトラブルも警戒せねばならない。さほど陸から離れていない時には、離岸流のように強い流れが生まれることもある。潮の満ち引きの関係で、どうしたって浅瀬では不規則な水の流れが生まれるのだ。
海の潮の流れを読み、風を読み、気象を読む。
恐らくどこかで、慣れ親しんだ知識も使えなくなる境界が有るのだろうが、今は船員たちも落ち着いてキビキビと動いている。
「良い風ですね」
「坊ちゃんは運がいいね。ここいらじゃ、今の時期は風も強めに吹くんだが、今日は丁度いい具合じゃないか」
「日頃の行いが良いので、神様も見てくれているのでしょう」
「よく言うよ。日頃の行いが悪すぎて、悪魔でも味方にしちまってんじゃないかい?」
「それは心外です」
船の動きに不安は無く、しばらくすれば風に乗って運行も安定する。
ニルダやペイスが無駄話で時間を潰す程度には、暇になった。
そこで、ペイスは船の中をうろうろとし始める。
好奇心の赴くままに、徘徊し始めたのだ。
最初にペイスが見つけたのは、新顔たちと古株の一人が密集して何かをしているところ。
「皆さん、集まって何をしてるんですか?」
「へい!! 今後の航海について、話しておりやした!!」
貴族であり、またニルダの部下たちをこっぴどく躾けたこともあるペイスに声を掛けられたからだろう。
船員の一人がものすごい勢いで直立不動の姿勢を取って、大声で質問に答えた。
新人が集まって今後の航海について語るなど、いかにも嘘くさい。どう考えても、お偉い人に対しての建前だろう。
ペイスは、ゴツイ顔した新人に苦笑すると、軽い口調で話しかける。
「……ああ、そう畏まらなくても良いですよ。海に出れば、海の掟に従うものです。船の中のことで、無用に不敬だなんだというつもりは有りませんから、いつも通りにしてください」
「え?」
「いいのか?」
モルテールンの逸話を知り、またペイスの実力も知っている者は、戸惑いを見せる。
モルテールンと言えば、海賊の只中に切り込んで、たった一人で何十人もの海賊を皆殺しにしたであるとか、聖国の大船団を相手に大見得を切って、ことごとく海の藻屑にしてしまっただとか、龍を相手取って三日三晩戦い続け、ついには首を切り落としただとか。
かなり物騒な噂が広がっている。
勿論、これらの噂が誇張されたものであろうことは船員たちも理解しているが、かといって全くの嘘でないことも知っている。
更に、ペイスと共に海賊討伐を行ったものは、ペイスの出来の良さを嫌というほど理解していた。
兵を指揮しては将軍の如く、剣をとっては大人に引けを取らず、更には魔法を使って大貴族でも手玉に取る。
そんな相手に、緊張するなというのは無茶な話だ。
「構いませんってば。それで、改めて聞きますが、何をしていたんですか?」
お互いに顔を見合わせていたむさくるしい男たちだったが、本気でペイスがラフにしろと言っていると理解したらしい。
最初に古株ものが、どかっと姿勢を崩して座る。
続いて、古参の態度に促されて新人も態度を崩した。
「あ~……罰はねえってことだから言うが、ちょいと賭けをしてた」
「賭け? どういう内容ですか?」
「そりゃ坊ちゃん、この航海で、坊ちゃんがお宝を見つけるかどうかだ……です」
お宝、という辺りに、元々は海賊、もとい傭兵だった頃の名残が見える。
元水龍の牙の人間は従士となったニルダの元に兵士として雇われているが、柄の悪い水兵というのは海賊と区別がつかないものだ。
飲む、打つ、買うの三点セットは、当たり前に嗜む。
酒を飲む、博打を打つ、女を買う。ついでに、人を殺した経験があれば立派な水兵。
これが人生の華とばかりに、刹那的な生き方をするのが無頼の生き方だ。
博打を禁止するつもりもないペイスは、面白そうだと皆と同じように姿勢を崩す。
「お宝、ですか」
「そりゃもう。今回は頭がモルテールンの坊ちゃんだ。前の時みたいな、美味しい目を見られるんじゃねえかと、話してたとこでよ」
「そうそう。でよ、幾ら何でもお宝なんてそう簡単に見つからねえだろって言う奴がいてよ」
「坊ちゃんならあり得るって奴と喧嘩になりかけたんで、それじゃあ一丁、賭けようじゃねえかって話になったってことよ」
「なるほど」
水龍の牙と共同歩調を取って、海賊と偽ったリハジック子爵の配下を討伐した事件。
海賊討伐事件とされている件は、ボンビーノ家大躍進の切っ掛けとなった事件ではあるが、水龍の牙にとっても大出世のスタートラインであった事件だ。
討伐した海賊もどきがしこたま財宝を貯めこんでいたことも有り、水兵の中には夢をもう一度と考える人間は多い。
例えるなら、百万馬券が当たった競馬ファンのようなものだ。
一生に一度有るか無いかの特大の大当たりを経験してしまえば、その経験は忘れることなど出来まい。
もう一回当てたい。と考えるのは、誰でも当然に思うことである。
しかも、あの時の勝馬たるペイスがもう一度大レースに出走するというのだ。これに期待しないようでは、ギャンブラーとはいえまい。
「面白そうですね」
「だろ? どうせなら、坊ちゃんも賭けるかい?」
「ほう、ならばちょっと待ってください」
ペイスは、船内からプローホルを探して連れてきた。
慣れない船旅に酔いを感じ始めていたプローホルは、いきなり厳つい連中の前に連れてこられて困惑気味である。
「プローホル、貴方も一口賭けませんか?」
「え? 話が見えないのですが」
「どうも、今回もお宝が見つかるかどうかを賭けているらしいのです」
「へえ」
「僕は立場上、こういった賭け事は出来ません。指揮を執るものとして、賭けの結果を操作できてしまうので」
「なるほど」
「しかし、折角ならばこういったイベントは楽しんでおきたいじゃないですか」
「イベントなんですか?」
ペイスは、プローホルに対して賭けに参加するよう促す。
元々寄宿士官学校でも優等生で通っていた首席卒業生は、性格的に真面目。どちらかと言えばお堅い青年がプローホルである。
この性格は好ましいものではあるのだが、モルテールン家の従士としてはもう少し柔軟性を覚えて欲しいと思っていたところ。丁度いい訓練材料だと、ペイスは教育の為に利用することにしたのだ。
「では、参加します」
「おお!!」
「いいぞ兄ちゃん、やっぱり男はそうでなくちゃな」
「これで賭けをバックレられることもねえな。ちょっと他のも呼んでくらぁ」
モルテールン家従士のプローホルが参加し、ペイスがそれを認めたことで、どうやらこの賭け事が船内での公式イベントに昇格したらしい。
数人でやっていたものが、あっという間に船内に広がる。
ちなみに、ちゃっかりペイスが胴元をやっていた。
「それで、確認しておきたいが“お宝”の範囲は何処までだ?」
「あん?」
「例えば、珊瑚などは持って行くところに持って行けば高く売れる。お宝と言えなくもない。真珠だってそうだろう。お宝とは、どういう基準で判断する?」
優等生らしい、プローホルの指摘。
いつも仲間内で適当にやっていた連中は、これまたやいのやいのと言い出す。
「そりゃ、金銀財宝がお宝だろ」
「そうだな。真珠だの珊瑚だの、生き物は無しにしようぜ」
「おっし、じゃあ、金貨、銀貨、宝石ぐれえにしとくか」
「そうと決まれば、どうするよ。俺はそんなもん見つからねえ方に賭ける」
「俺も俺も」
ルールが決まったあたりで、船員たちが賭け始める。
どうやら、お宝は見つからないというのが優勢のようで、特に新顔たちは見つからないに賭けている。賭け事となると手堅くいくものが多いらしい。
対して、古株のうち数人はお宝が見つかる方に賭けている。
ペイスの非常識さを知っているからこそ、もしかしたら何がしかツキが来てるんじゃないかという勘のようなものらしい。
「で、兄ちゃんはどうするよ」
「僕は……」
プローホルは、じっと考える。
「金銀宝石以上に価値のある“お宝以上のお宝”を見つける、に賭ける」
「がっはっはっは、そりゃ、大穴じゃねえか」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ、いいぜ兄ちゃん。乗った」
「バカもここまでいくと清々しいぜ。もし本当に金より価値のあるもん見つけたら、兄ちゃん総どりだぜ」
賭けの受付は、しばらくして締め切られる。
ペイスが責任をもって集計したところ、金銀のお宝が見つかるのが2,見つからないが8。そして一名だけがどちらでもない、である。
「そうと決まれば、海賊の一つも探そうぜ!!」
今回の航海は、別に海賊討伐など予定していない。
むしろ、海賊などでない方が良い。
しかし、賭けに全財産投じた馬鹿野郎も居て、割と真剣に海賊を探そうとする人間が出始める。お宝が見つかる方に賭けた連中だ。
逆に賭けた人間は、通常営業。
いつも通りの仕事をして、恵まれた風を帆に充て続ける。
「おうおう、真面目にやってんな」
見張りの人間も、両極端だ。
目を皿のようにして水平線を睨みつけるものと、あくびを噛み殺しながら見張りを熟すものの二パターン。
どちらがどちらに賭けたのか。言うまでもない。
特に変わり映えのしない航海が、二週間は続いた頃。
「うるせえ、さっさと交代しろ。そんで海賊でも見つけろ!!」
「ぎゃはは、そんなにほいほい海賊が見つかるなら、今頃俺らは……ん?」
「どうした? お? おいおい。すぐに報告だ!!」
見張りが、今日何度目かの交代をする時だった。
海賊出て来いとばかりに見張っていた連中が、慌ただしく動き出した。
「モルテールン閣下……じゃねえな、船長。少々不味いことになったかもしれません」
ペイスの元に、トラブルの知らせが舞い込んできた。