447話 国王
王宮の一室。
日頃政務に忙しくしている国王の執務室で、国王カリソンは書類に目を通していた。
「次」
「はい陛下」
「……ふむ、エンツェンスベルガーの陳情か?」
自身の腹心たるジーベルト侯爵が、一通の手紙をカリソンに渡す。
辺境伯位を持つ人間は、特権の一つとして尚書を通すことの無い公式文書や贈り物を、国王に献上出来る。
元々外国の脅威と向き合い、いざという時には身を挺してでも守るという職制上、辺境伯には大きな裁量権が与えられている。国王の許可なく軍を動かすことであったり、外国の人間を許可を取らずに国内に入れることであったり。或いは、一定程度の外交条約の締結まで行うことが出来る。
広大な領土を守る為には、いちいち中央のお伺いを立てるのは非効率であり、裁量を与えた有能な人間が国境を守るのは、一定の道理があるのだ。
故に、辺境伯は国王に対して、中央の官僚を通すことなく直接の意見具申を許可されている。
今回もその一環であり、エンツェンスベルガー辺境伯が送ってきた手紙は、右腕ともいわれるジーベルト侯爵すら内容を知らない。
「なるほど」
「陛下」
「慌てるな、内容を教えてやる」
「ありがとうございます」
国王カリソンは、部下に対して手紙の内容を掻い摘んで話す。
「どうにも、北の動きが怪しいらしい」
「北と言いますと?」
神王国は、四方を仮想敵国に囲まれている。
四面楚歌と言って良い状況で、とりわけ北には大国が二つあった。
ナヌーテック国とアテオス国の二か国だ。
この二ヶ国はどちらもそれなりに力を持った国であり、神王国ほどでないにしても決して侮れない国力を有する。
オース公国という小さい国を緩衝国として挟んでいるため、直接国境を接している訳では無いが、その気になれば公国などあっという間に蹂躙し、神王国に雪崩れ込むことも有りえるのだ。
どちらにしても注視すべき国であるが、どちらの話なのか。
侯爵が尋ねたのはそのあたりだ。
「ひげもじゃの方だ。どうも最近、食料と金属を買い込んでいる節があるということだ」
「ナヌーテックですか。金属を買い込むのは武器や防具の為でしょうか?」
「他に考えられるのか?」
「大規模な建築……という可能性は?」
国家が一軍を興して兵をあげようというのだ。動く物資は膨大な量になるだろう。
基本的に国家は常に有事を想定し、それなりに備蓄をしておくものだろうが、急に軍事行動をおこそうとすれば、必要な物資はどこかからかき集めねばならない。
経済は、割と遠くまで繋がっているもの。二つ隣の国であっても、大規模に動けば影響は波及して神王国まで届く。
今回届いたのがそれだ。
軍備増強を明らかに急いでいる節が有るという。
ジーベルト侯爵は、エンツェンスベルガー辺境伯の報告を無視はしない。しかし、鉄や銅を集めているからといって、即座に軍事と結びつける動きは短慮に過ぎると諫める。
金属資源の使い方は、戦争だけでは無いのだ。
むしろ、民生活用こそ本領だと考えるのが、内務閥のトップにして内政の専門家たるジーベルト侯爵の持論である。
「勿論、可能性としては有り得ると思うぞ。だからこそ、色男もこうして懸念という表現にとどめているのだろう」
北の色男と異名を持つエンツェンスベルガー辺境伯。
彼は、こと守りに関しては国内外から絶大な信頼を置かれている。
慎重な性格で、物事を事前に悪い方で見積もっておくのも癖のようなもの。予想が外れて美味い方に転べば嬉しいだけであると、悲観的な予測をしがちなタイプなのだ。
今回も、あくまで報告の趣旨は北の大国が物資調達を行っているというのが主眼。この点に関しては事実と断定していい。
問題は、物資調達の先に何が有るのかという予測が、割れることだ。
「対応を如何されますか」
「……色男の所に“顔無し”を派遣する」
「彼の御仁を? 王家の魔法使いまで動員するほどのことであるとお考えですか?」
「この国の中からでは、他の国の事情までは深く探れん。ヴォルトゥザラの連中がうちの中でやらかした事例も有る。どうも、周辺諸外国が蠢いている気配を感じるのだ。お前は反対か?」
「臣としましては陛下のご英断を妨げる真似は致しません。しかし、王家麾下の魔法使いは、貴重な戦力でもあり、今も別途任務が有りましょう。動かせばそれだけ影響の出る部分も有るかと」
王家には、魔法使いが多く雇用されている。
特に、直接的な戦いにはあまり向かないが、それでいて敵にすると非常に危険なタイプの魔法使いは優先して雇用される。
情報収集に向いた魔法使いなどはその最たる例で、敵対者からすればこの魔法使いは是が非でも無効化したくなるもの。無効化に最も手っ取り早いのは、暗殺である。
自分で戦う力の無い魔法使いは、有能であればあるほど自分の身に対して危険が増す。故に守ってくれる庇護者を必要とするわけだが、神王国において最も頼もしい庇護者は、やはり王家だ。
王家に魔法使いが集まるのは、どこの国も変わらない。
集まった魔法使いも、タダで庇護はされない訳で、有能な魔法使いには仕事も降ってくる。
顔無しの二つ名を持つ魔法使いは、存在はとても広く知られているのに、本当の顔を国王と王太子以外は知らないという曰く付きの人物。
魔法の詳細も秘されており、変装の魔法だとか隠蔽の魔法だとか、果ては記憶操作の魔法だとか色々と噂されている。
王家としても使い勝手のいい諜報員として利用しており、詳細不明な情報の裏取りをさせるには向いている人選である。
「影響……か。今の任務は何だったか」
「……“南部地域の監視”であります」
「そうだった。どうだ、怪しい話はあったか?」
「疑おうと思えば何でも疑わしく思えるものでしょうが、決定的なものは無かったかと」
「ならば、やはり顔無しを北に動かす。ここらで南部の監視に穴を開けてみるのも手だろう。怪しい思惑を持つものが居れば、隙を逃すまい」
「罠、でございましょうか」
「うむ」
今現在の神王国で、外国勢力の蠢動が著しいのは南部地域一帯である。
ヴォルトゥザラ王国や聖国から諜報員や戦闘員が潜り込み、どろどろと蠢いている。
しかし、レーテシュ家やモルテールン家、ボンビーノ家といった主要な家が重しとなり、大きな動きは見せていない。
淀んだ泥を掬おうと思うならば、ここらで上澄みの水を一旦捨ててみても良いと、国王は判断した。
「詳細は、任せる」
「はは」
方針が決まったことで、侯爵は部下に指示を出し、次なる案件に取り掛かる。
「陛下、次はこちらです」
「うむ」
ジーベルト侯爵が、一通の手紙をカリソンに渡す。
手紙の差出人は外務尚書。添え書きに、ミロー伯の名も有る。
尚書は国王に対して、職分に関することであれば直接書類を渡すことが出来るので、手紙の内容は外交に関するものと思われる。
ジーベルト侯爵も、カリソンが中を確認する前に手紙の中を読むことは出来ない。
故に、内容については知らない。
ただ、諸外国を飛び回る多忙な外務尚書に代わって、ミロー伯の手紙を奏上したまでだ。
「ふむ、またモルテールンの倅が何かやらかしたのか」
手紙の内容を読み進める中、カリソンがぼそりと呟く。
「陛下、差し支えなきようでしたら、奏上の内容についてお教え賜りたく思います」
「ふむ、まあ良いだろう。これだ」
国王は、侯爵に手紙をそのまま渡す。
「ほう、モルテールン家からの要望ですか。海外への渡航許可と」
「うむ。それも、息子の渡航許可を求めているな」
要望の内容はシンプルだ。
ペイストリー=ミル=モルテールン子爵子が、聖国を経由地として海外に出向くことの許可を求めている。
現代で言えば、パスポートとビザの申請といったところか。
「お前はどう思うか」
カリソンは、ジーベルト侯爵に尋ねる。
賢明で知られる王ではあるが、賢明であるからこそ独善が如何に視野を狭めるかを知っているのだ。
出来るだけ多様な意見を聞き、複数の視点から物事を考えることは必要なこと。
また、王が視点を偏らせないようにするのも、腹心の務めである。
「さすれば……臣としましては、モルテールン卿の御子息を聖国に、更にはその先に送ることは反対でございます」
「ほう、何故だ」
「理由は三つございます」
頭の寂しくなった老人が、指を三本立てる。
「一つは、国内事情が不安定であること。陛下の治世確かなること三十年、四方いずれも落ち着いてはおりますが、万全とは言い難い状況です」
つい先ほど、南部に対して荒っぽい手段を取ろうとしたばかり。
また、貴族諸家に関しては揉め事の火種も多く燻っており、目を離すことは出来ない状況。
ここでモルテールン家を空っぽにするのは、どうかというのが侯爵の意見。
「もう一つは、聖国の情勢。彼の国は今、改革の只中にあると聞き及んでおります。旧態依然とした体制を守り、古いことこそ正しいとしてきた国で、革新の波が起きつつある」
「そうだな」
「聖国の革新勢力を突き動かすものは、我が国に対する危機感であろうと思われます。我が国との国力差が広がりつつある状況、座して差が広がるのを待つばかりであることに、耐えられぬ者が出始めております」
「ふむ」
「斯様な中に、聖国でも危険人物とされているペイストリー=モルテールン卿を送るは、不要な騒動を呼び込む元となり得る危険性を内包いたします」
もう一つが聖国との関係悪化の危機だという。
聖国は先ごろ神王国との戦争に負けており、また国内でも政治対立が起きている。
ただでさえごたごたしているところに、聖国人にとって共通の敵であるペイスが顔を出すというのだ。
何も起きないと期待するのは、少々乱暴な意見では無いだろうか。
侯爵の意見に、王も軽く頷く。
「更にもう一つは、ペイストリー=モルテールン卿の実績であります」
「実績? 先の二つは俺も分かるが、実績とは何だ」
「さすれば、臣の愚考致しまするに、彼の御仁は騒乱を呼ぶ星の元に生まれたとしか思えません。ここ数年の大きな騒動について、多くに関わっており、また幾つかは中心となって騒乱を起こしております」
「うむ」
「特に、大龍騒動においては未だ終息の兆しも見えず、諸外国には動揺が今なお広がり続けていると、聞き及んでおります」
ジーベルト侯爵が最も危険視した点は、ペイスの生まれ持った宿命とも呼べる何か。
飛びぬけた才能と実力を持つと同時に、余人には無い悪運のようなものが有ると思えるのだ。
そうでなければ、よりにもよって大龍だのなんだのと戦う羽目になる訳がない。
ジーベルト侯爵は、特段敬虔という訳では無いが、それでも何かしら大きな力が働いているとしか思えないのだ。
「以上のことから、臣はペイストリー=モルテールン卿の海外渡航は反対です。出来ますれば、大人しく領地で内政に励んでいただければ嬉しく存じ上げます」
「お前の意見はよく分かった」
男の意見は、一字一句その通りだと、国王カリソンも同意する。
国内に騒乱の芽が有ることも、モルテールン領を空けることのリスクも、聖国の状況も、当人の運命的な何かも。実に尤もであると頷くばかりだ。
「しかし、彼奴には借りもあるな」
「借り、でございますか?」
「褒美を遠慮された件だ。どうせなら大盤振る舞いして、王家に取り込むことも考えていたのだが、躱されたのだったな」
「は」
ここで、カリソンは思う。
自分たちが今検討したようなことは、当然モルテールンの倅であれば気づいているはずだと。
気づいていて尚、こうして連絡してくる。それも、直接では無くミロー伯を挟んだ形で。
ここで望みを却下すれば、今後ペイストリーは王へ隔意を抱くかもしれない。逆に許可すれば褒美の一つとして受け取られるだろうし、それをミロー伯の手柄にも出来る。
反対すれば味方を一人失い、賛成すれば味方が二人になるのだ。
侯爵の反対意見も尤もであったが、その上で王は決断する。
「よし、構わん、許可する。龍の守り人からのたっての願いとあれば、無下にも出来まい」
「承知いたしました」
「ただし、大々的に広めよ。お前は反対したが、余が龍の守り人のたっての願い故、特別に許したのだと。無理矢理恩を着せる必要はないが、それであの菓子好きならば意図を察するだろう」
ジーベルト侯爵は、国王の決断に深々と頭を下げた。