445話 邂逅
レーテシュ伯爵領の領都、レーテシュバル。
神王国、いや南大陸でも指折りの大都会であるこの街は、街のどこからでも城が見えることでも有名だ。
海賊城とも名高いレーテシュ家の居城。
難攻不落の堅城としても有名ではあるのだが、近年では更に異名が増えている。
それが、神王国の金庫という異名だ。
元々海上交易で栄えたレーテシュ領ではあるが、ここ最近では陸上交易でも存在感を増している。
南部街道と呼ばれる主要街道を押さえることに成功したからだ。
元々王都とレーテシュバルを結ぶ街道には、海沿いの街道と内陸部を通る街道の二つの街道があった。それぞれに特徴はあるのだが、普通の人間が南部から王都に向かうにあたってはこの二つの街道のどちらかを進むしかない。逆方向もまた同じだ。
交通の便の良い所に人が集まるのが道理であるように、街道沿いは大いに栄えている。昔も今も、それは変わらない。
この街道は、本来競争を目的として作られた。
一本しか街道が通っていなかった時代は、街道のあちらこちらで関所が設けられたし、災害が起きれば唯一の街道が不通となる。
これではまともな交易も出来ないと、レーテシュ家と王家が協力し、二本目の街道を通した。
以後、海側と陸側の街道で競争が起きて、関所の数も減り、災害にも強い交易路となったのだ。
聖国とにらみ合って海上の権益を守りながら、同時に陸上を守るのは難しい。ましてやレーテシュ家は元々神王国とは敵対していた過去が有り、陸軍を増強すれば要らぬ疑いを受けかねない。陸側には味方しかいないはずなのに、何故そこに備えるのかと。
レーテシュ家としては、海上交易を守るのが主であり、陸上交易は“交易路の保全”が最優先であった。むしろ、安全確保をしてくれるのならば、他の家に任せる方がいいとさえ考えていたのである。
陸上の交易路は、安く使えることがレーテシュ家の利益になった。
ところがここ最近、状況が変わった。
一つは、聖国との戦争で勝利したこと。
ちょろちょろと嫌がらせのようなことが続いていた神王国と聖国の関係性が、数年前にがらっと変わった。
ついに、武力衝突までいったのだ。
神王国の王太子が直々に軍を起こし、レーテシュ家も参戦した聖国との戦い。
紆余曲折はあったものの、一応は神王国側の勝利で終わっている。
聖国としては、貴重な人材も失っているし、負けたことの被害を回復させ、更に以前の水準を上回らねば、リベンジする訳にもいかない。神王国の人間に対して、強気に出ることが出来なくなったのだ。
つまりは、レーテシュ家としては海上権益を守るコストが大幅に下がった。
海軍の維持につぎ込んでいた人的資源や予算が浮いたとなれば、それらをそのまま陸軍の増強に充てるのは難しくない。
陸軍戦力が増強されれば、これまで外注していた陸上交易路の維持も、自前で出来るようになるだろう。
王家との関係改善も大きい。
レーテシュ家は長らく王家に対して忠誠心をアピールしてきた訳だが、とりわけ当代のレーテシュ伯の結婚相手が神王国内の中立的な貴族であったことは大きなアピールになった。
結婚という、貴族にとっては最大の外交カードを、王家にとって安全と思われる相手に使ったのだ。これは、警戒心を緩めるきっかけとしては十分なものになる。
また、街道の権益を独占しようとしていた貴族が没落したことも大きい。
レーテシュ家とは親しい関係にある家が、件の独占を目論む貴族と戦い、勝利した。
結果として、レーテシュ家の影響力は主要二街道のどちらにも及ぶようになったのだ。
競争を目的として二つだったものが、一つの家の支配下に置かれる。
巨大な独占企業の誕生である。
関税などはレーテシュ家の思うままに決められるし、逆らうようなら流通をコントロールして物理的に干上がらせることが可能。
レーテシュ家の機嫌を損ねない為にも、街道沿いの貴族は一部を除いて自主的に贈り物をするし、何ならご機嫌取りに忙しくしている始末。
南部街道は、レーテシュ家の財政を潤す泉となった。
金がザクザクと湧き出るような有様。これが、レーテシュバルの城を指して金庫と呼ばれるに至った経緯である。
「ようこそペイストリー=モルテールン卿。歓迎いたしますわ」
「レーテシュ閣下におかれましてはご機嫌麗しく存じ上げます」
ペイスが、レーテシュ伯ブリオシュに挨拶をする。
レーテシュ領が今のようにけた違いの儲けを産むようになったのは、偏にペイスの功績。
それを誰よりも理解している才媛は、ペイスに対して最上級のもてなしをする。
他の南部貴族が来ても当主直々に相手をすることも少なくなったが、ペイスに対しては別だ。他の誰でも無い、レーテシュ伯本人が直接相手をすることが当たり前になっている。
偏に、モルテールン家とレーテシュ家が、相互にお互いが手強い相手であると認識しているからに他ならない。
「さあ、こちらへ。我々の仲ですもの。遠慮は無用でしてよ。おほほほ」
「お気遣い痛み入ります」
白々しいながら、ペイスもレーテシュ伯も笑顔で相対する。
最上級の作り笑顔という、第三者から見れば和やかに仲良く挨拶しているとしか思えない対応。
レーテシュ伯に先導されて、ペイスは応接室に入る。
勿論、この応接室も一番良い応接室だ。
王族を迎えるときにも使用する部屋と言えば、どれほどのものか分かる。
部屋に入ったところで、ペイスは一人の男が既にいることに気づく。
しかし、正式に紹介されない間は、話題に触れてはいけない。それがマナーだ。少なくとも、いきなり主を無視して客人同士で会話を始めるなどというのは失礼に当たる。
「卿をお呼びする為に、とっておきのお茶菓子もご用意しましたの」
「美味しそうですね。では遠慮なくいただきます」
ソファーに座って向かい合わせになるレーテシュ伯とペイスだが、二人の間には茶菓子と茶器が置かれている。
茶菓子も、ペイスがよく知るお菓子が幾つかあった。
シュークリームなどは、ペイスがレーテシュ領に広めたといって良いお菓子である。
流石は神王国でも一、二を争うお金持ち。贅沢な素材をふんだんに使ったシュークリームは、手間暇も掛けてあってペイスをして唸るほどに美味しかった。
「とても美味しいですね」
「そういって貰えて嬉しいわ」
おほほほと、レーテシュ伯が笑う。
口元を扇で隠した、上品な笑いだ。
「最近は、当家でもお菓子には拘るようにしておりますの」
「ほう」
「やはり、美味しいものをいつでも食べられるようにしたいですもの。そうでしょう?」
「ご尤もかと思います」
レーテシュ伯が、何の気なしに言った、風を装った言葉のジャブ。
今のモルテールン領の主要産業は、製菓事業。砂糖や小麦、牛乳や卵などを生産し、それを加工して王都などで販売するというのが大きな利益となっている。
原材料の生産という一次産業から、製粉や製糖といった加工産業、お菓子作りという製品作りまでを一貫して行うことで、それぞれを単体で産業とするよりも遥かに効率よく利益を稼げるのだ。
レーテシュ伯は、それに対してチクリと釘を刺した。
流通に関して、自分たちを忘れてくれるなという話だ。“いつでも”食べられるようにするなら、レーテシュ家も協力できるぞという匂わせであり、うちを無視するようなら産業ごと競争相手になるかもしれないぞという脅しである。
勿論、ペイスとしてもこれぐらいは言われるだろうと覚悟していた部分。
モルテールン領には海が無い以上、流通に関してレーテシュ家と組むのは妥当な選択肢だ。
レーテシュ伯の意見に頷くことで、モルテールン家もレーテシュ家を蔑ろにはしないという意思表示をした形である。
ある程度、お互いの意思確認や、最低限のやり取りは終わったあたり。
レーテシュ伯は、先ほどからずっと存在感を放っている男性をペイスに紹介する。
「そうそう、ペイストリー=モルテールン卿。私の友人をご紹介させてもらってもいいかしら」
「勿論です閣下」
「こちらが、サーディル諸島の森人。ジュナム族のシュムラ様ですわ」
紹介されたのは、一人の美丈夫。
ほっそりとした雰囲気で、長身にさらりと金の長髪。
透き通るような肌は色白で、目の色は緑に近い青色。
「初めまして、モルテールン卿」
「シュムラ様にお会いできたことを嬉しく思います」
レーテシュ伯が敬称を付ける相手。
ペイスも、礼を尽くして挨拶を交わす。
握手こそしないものの、ペイスは神王国流の敬礼をする。右手を軽く握りこんで左胸の上に置く挨拶だ。
美丈夫の青年も、敬礼を返す。いや、正確には敬礼と思われるポーズを取った。
背筋を伸ばしたまま、右手で左わき腹を、左手で右わき腹を触れるような形。丁度お腹のへそ辺りで手が交差するような、自分で自分を抱きしめる様な格好だ。
イケメンがやると実に様になる。
神王国の流儀とは違うが、何がしかの礼儀作法なのだろうというのは明らか。
お互いに笑みを浮かべて、言葉を交わす。
「モルテールン卿と言えば、確か同じ家名の方に大龍を討伐せしめた方が居られたと聞き及んでおりますが」
「ええ、その通りです」
「もしかして、貴方が?」
「僕と、僕の部下たち。そして、ボンビーノ家とその手勢で為したことです」
「そうでしたか。話を聞いた時は我々もどれだけ尾鰭が着いた噂なのかと大笑いしたものです。てっきり、大きなワニでも倒した噂話が大げさになったのかと思っておりましたが」
「大龍が出没し、当家を含む連合軍をもって討伐したのは事実であります」
「そうなのですか。なるほど、レーテシュバルには武勇に長けた剛の者が居るのですね」
うんうんと頷くシュムラと、にこにこ相槌をうつペイス。
隣国の隣国の、もしかしたら更に隣国かもしれない、遠方の土地より来た人間には、噂話も色々と遅れて届くし、曲がって伝わる。
ところが、大龍の噂話は別。何せ、事実を事実のまま伝えただけでも嘘くさいのだから。
遠方よりの客人は、まさか目の前の若者が大龍を単騎で倒したとは思わない。連合軍で倒したというのも、何千人と人数で囲って何とかしたのだろう、ぐらいに思っている。
ペイスの言葉も、大分大げさに盛って話しているなと感じるぐらいだ。
横で聞いているレーテシュ伯は、イケメンの“勘違い”が分かるだけに、笑いださないように真顔を作るのに夢中である。
しばらく、雑談したあと。
「そういえば、我々の間にはカカオなる豆について、面白い話があります」
「ほう、どんなお話でしょうか」
カカオ豆は、ペイスとしても知りたい。
元々原産地は彼らの土地だというのだから。
「この世界のどこかには、至高の味の豆が生える場所が有ると。まあ、伝説のようなものですがね」
「伝説のカカオ豆ですって!?」
ペイスの目には、明らかな欲望の色が浮かんでいた。





