444話 密談
モルテールン領ザースデンの領主館。
客を迎える応接室には、一人の男性がペイスを待っていた。
「ペイストリー=モルテールン卿。突然の訪問をお詫びいたします」
「レーテシュ閣下の右腕たるコアトン殿であれば、いつでも歓迎いたしますとも。詫びには及びません。どうぞお気持ちを楽にしてください」
「そういって頂けるとありがたいですな」
「僕の方こそ、お待たせしてしまったようですね」
「いえいえ。急に押しかけたのは我らの方ですから、お会いできただけありがたいと思っておりますよ」
コアトン=エンゲルス。
恰幅のいい中年男性であり、神王国屈指の大家であるレーテシュ伯爵家で、従士長を務める人物だ。
若い頃は腕っぷしも中々だといわれていた人物であり、女性当主ということで舐められがちだったレーテシュ家を支えてきた重鎮中の重鎮。
時にはレーテシュ伯の代理として外交を担うこともあり、他領にもよく知られた人物でもあった。
白髪の雑じった髪は撫でつけられて整えられており、急いできたという割には身なりは整っている。流石はレーテシュ家の重臣と言うべきだろうか。
「モルテールン領に来られたのは久しぶりではありませんか?」
「そうですな。前にお訪ねしたのは何時でしたか……咄嗟に思い出せない程度には間が有ります。ご無沙汰を致しておりまして」
「先に述べた通り、レーテシュ閣下の腹心たる貴方に閉ざす扉はございませんとも。重ねて申し上げますが、いつでもお越しください」
「ありがとうございます。しかしザースデンの発展は見違えるようですな。昔の印象を抱えたままでしたから、最初は別の場所に迷い込んだのではないかと不安になるほどでして」
「それも、レーテシュ家の御尽力あってのことです」
「ははは、ご謙遜ですな。モルテールン卿やペイストリー殿の英邁にして善良な統治については、しがない一従士の私でも聞き及んでおります」
「恐縮です」
「特に、街道の整備や水路の整備が進んでいるのは見事の一言。もし“秘密”があるのなら、当家にも是非ご教授頂きたいものです。勿論、タダとは申しませんが」
モルテールン領の土木建築が信じられないような高効率で為される裏側には、勿論魔法の存在が有る。
硬い岩盤にぶち当たっても対処できる穴掘りの魔法や、空から見て直線を綺麗に引ける鳥を操る魔法など、土木建築でも活かせる魔法というものは偉大である。
しかし、そんなことは他家の人間に教えられる訳も無い。ましてや、油断できないレーテシュ家ともなれば猶更のこと。
「秘密などというものは有りませんよ。ただ領民が汗水たらして一生懸命働いた結果です。あえて秘密というなら、モルテールンの領民性とでも申しますか」
「なるほどなるほど」
他家との折衝においては、いきなり本題から入るのは下策である。
マナー的にも悪いことだと見做されるし、世間話でお互いの緊張をほぐすのも大事。
もっとも、レーテシュ家の重鎮ともなれば世間話にもチクリと棘がある。
モルテールン家の魔法の飴についてはレーテシュ家も大凡掴んでいるが、その点をさりげなく匂わせてくる辺りが物慣れた対応というもの。
ここで下手に過剰反応してしまったり、或いは焦ってしまえば余計な情報を与えることになる。
ペイスは落ち着いて世間話を熟す。
「領民あってこその領地でしょう。そういえば、レーテシュ領も最近は活況の御様子」
「ええ。近年は領地経営も大変に上手くいっております」
謙遜すらせず、自慢げにするコアトン。
彼らの価値観からすれば、下手に遜って謙遜するぐらいなら、成果を盛大にアピールする方が得なのだ。
世の中、景気の良い所には更に金が集まるし、金のある所には人も集まる。人が集まれば情報も集まり、情報が集まれば将来の予測も正確に行えるようになるというもの。
外務閥に属し、国際貿易港を持つ強みを活かして多方面に伝手と人脈を持つレーテシュ家としても、情報の重要さはよく理解するところ。
情報が集まる為ならば、自慢の一つもしようというもの。
実際、レーテシュ領は景気がとても良い。
モルテールン領から神王国各地に流れる物や人は、必ずレーテシュ領を通る。必然的に、モルテールン領の活況をそのまま受けることになるのだ。
景気の良さは波及する。
そのあたりを匂わせて、ペイスもジャブを撃ったというところだろう。
お前らが儲かってるのはうちのお陰だろ、という圧力である。
だからこそ、コアトンも遜って「モルテールン家のお陰です」などとは言わない。言ってしまえば、それを根拠にモルテールン家が何かしら要求してくるかもしれないのだから。
雑談の中に生まれる、ギリギリと鍔ぜり合うやり取り。
しばらく続けば、お互いに相手の間合いも見えてくる。
「それで、今日は如何様な用件で?」
ペイスはいい加減焦れて、本題を促すことにした。
そもそも、南部閥という、神王国南部の領地貴族が結集する派閥のトップがレーテシュ家。
外務閥に属し、対アナンマナフ聖国の最前線を守る家柄だ。
神王国でも随一の海軍を保有しており、また南方交易を牛耳る経済強者でもある。領内に金山を含めた鉱山を幾つも抱え、農業生産力は高く、当代の当主も英邁で知られる伯爵家。
モルテールン家としても決して敵にしてはいけないと警戒する相手だ。
そこから、重要人物と言って間違いのない従士長がやってくる。先ぶれもそこそこに、慌ててきた様子である。
何事かと身構えてしまうのは至極当然だろう。
さっさと本題を言え、というがペイスの本音である。
「まずは、斯様にぶしつけな訪問となってしまったことを改めてお詫び申し上げる。その上で、本日ここに伺ったのは、一つお願いがあってのこと」
「お願い?」
ペイスは、コアトンに対して続きを促す。お願いなどと言われれば、内容を聞くまで迂闊に返事も出来ない。
「さすれば、当家に是非お越しいただきたいと思いまして。出来れば、至急」
「……ほう」
ペイスのポーカーフェイスが、光る。
詳しい話を聞かない限りは、肯定も否定も表には出さないのは変わらない。
何があって、レーテシュ領に来いなどと言うのか。更に詳しい事情を、暗に求める。
勿論コアトンも、ペイスが求めていることは承知していた。
「卿は、聖国については勿論ご存じでしたな」
「ええ。当家としても何かと縁のある国です」
モルテールン家は、というよりペイス自身が、聖国に対して因縁が有る。
聖国と向かい合う神王国南部において伸張するモルテールン家は、聖国からすればどれだけ足を引っ張っても引っ張り足りない相手。
あの手この手でモルテールン家の邪魔をしようとしてきたし、今後もしてくるだろう相手だ。
神王国と聖国が戦争になった時も、ペイスの活躍が有って神王国勝利に終わっている。この時にも、散々に聖国から恨まれたことだろう。
龍の卵の騒動の時は、直接的に敵対した。モルテールン家から龍の卵を盗もうとしてきた聖国に対して、ペイスが一計を案じて偽物を掴ませ、更に賠償もせしめている。偽物で大儲けしたモルテールン家はウハウハだが、ただのペイント卵を龍の卵と信じてしまった聖国は、悔しさの極致を経験したに違いない。まさか盗んだものが偽物だったから本物を寄越せとも言えず、主導した枢機卿などは頭の血管がブチ切れそうになるほど怒ったとかなんとか。
最近になって関係改善を図ろうとする動きもみられているのだが、モルテールン家としては聖国は丸ごと敵という認識である。
仮想敵ではない。明確な敵だ。
モルテールン領内で聖国人と分かれば、それだけで問答無用に取り調べを受ける程度には関係は悪い。
「では、その聖国の東方。海を渡ったところに、人の住む島があることはご存じでしょうか」
「……いえ、寡聞にして存じません」
神王国の南方の聖国から、更に東方となると、流石にペイスも知らない。
神王国から見れば南東ということになるのだろうが、間に小さい島が点在する南方と比べると、南東方向はただただ海があるだけという認識である。
情報は口伝が主流という世界で、人づてにも聞けない遠方の話など、知っている方がおかしい。
「そこには国と呼べるほどの大きなところは無いのですが、それでも我が国とは違った文化を持つ人々が住んでおりまして」
「はあ」
「数年に一度程度でしょうか。たまに風と潮の都合で、彼らの船がレーテシュバルに立ち寄ることがあるのです」
「なるほど」
レーテシュバルは、レーテシュ伯爵領でも最も栄えている港町。
古来から開かれた天然の良港であり、外国の船舶もよく見かけるという。
中には相当な遠方から来ている船も有るらしく、件の船もその中の一つだそうだ。
「その彼ら。聖国では森人とも呼ばれる者たちが、先だってレーテシュバルに寄港いたしました」
「はあ」
コアトンが、出されたお茶を飲みつつ、話をする。
今のところ聞く限りでは、遠い南の国の、更に遠くの東の果てに住まう人々が、海流と海風の偶然によってやってきたという話だ。
「ここからは、お人払いを」
お茶がレーテシュ産であることに触れつつ、コアトンは人払いを願った。
その時点で、碌なことでは無かろうと察するに余りある。
コアトンが使者として出向いたのも、この人払いをしての会話が目的だろう。腕っぷしが必要な場面が有ると分かっていたのだ。
他家のテリトリーの中で、ごく限られた少数での密談。
もしもペイスにその気が有れば、或いは出来心でも起こせば、使者は襲われて殺されてしまうかもしれない。その気を減らす為にも、コアトンのようにいざという時戦える上に、秘密を守れるだけの信頼のある人物が望ましい。
つまり、コアトンである。
よっぽど、他に漏れて欲しくない話題を持ってきたのだろうと、ペイスは人払いに応じた。
ペイスと、従士長シイツ。そしてコアトンという、三人だけの会談だ。
「例の“カカオ豆”でしたか。実は、彼らからの輸入品なのです。レーテシュ閣下が、きっとモルテールン卿であれば興味を持つはずだから、急ぎお知らせせよと」
「素晴らしい!! そういうことであれば、是非とも参りましょう。さあさあ!!」
いきなり立ち上がるや、即座に動こうとしたペイス。物凄い勢いと剣幕で、コアトンに対して掴み掛かる。
人払いの中でのことであったため、双方の護衛が一触即発になったのは、ペイスのせいである。





