443話 急使
モルテールン領チョコレート村。
お菓子馬鹿のペイスが、自分の趣味全開で名付けた村であり、“大量の魔法使い”を動員して作られた城壁都市である。
既に防壁は三重に囲まれ、数千人単位で人が居住できるような状態にあった。今は住人も千に満たないのだが、いずれは都市と呼ばれるようになるかもしれない。
国軍大隊も駐屯地を設けており、目下のところ神王国における戦いの最前線。
魔の森の化け物を相手に、日夜戦いを繰り広げる魔境への橋頭保だ。
「それじゃあ、我らが最強の精鋭部隊諸君、今日も頑張ろう!!」
ペイスの掛け声に、おおと大勢の声が重なる。
唱和された野太い叫びに、森の木々が枝葉を揺らすほどだ。
ペイスが精鋭部隊と呼んだのは、モルテールン家の雇用する常備兵。
その中でも、選りすぐりに選りすぐりを重ねた、虎の子部隊である。
何をもって虎の子と呼ぶのか。
それは、この部隊の兵士たちは“魔法を使う”からである。全員が、例外なく魔法使いと呼ばれる部隊。口の堅いモルテールン生え抜きの人間だけで構成されていて、金でも女でも、お菓子でも釣られない忠誠心も持つ。
統計的に二万人に一人と言われる魔法使い。
それが、五十人を超える規模で運用されているのが、モルテールン魔法部隊。通称、ペイス部隊。別名奇人隊。
他の領地貴族がまともに同じ運用をしようと思えば、魔法使いの数を揃えるだけでも、統計的に百万人都市を抱えていなければ不可能だ。それも最低限で。
つまり、王都なみの都市を抱えていなければ出来ないということ。一都市で百万を超える様な大都市を抱える地方領は、神王国には存在しない。
更に異常なことは、モルテールン魔法部隊の魔法使いたちは“全員が同じ魔法を使う”のである。
一人一人が違う魔法を使うのが当たり前の、魔法使いの常識。それをせせら笑うかの如く無視した非常識の塊。変態の所業である。
何故こんな運用が出来ているのかと言えば、モルテールン家の極秘技術である、魔法の飴の効果だ。
モルテールン領立研究所の研究成果もあって、飴を舐めることで魔法を使えるようになるというのがその正体。軽金や龍金は更に上位互換であったりもするのだが、これはコスト的に厳しい。飴という、元々消耗品である嗜好品であるからこそ、部隊として運用が出来るのだ。
この部隊運用の最も優れている点は、統一した魔法を訓練された兵士が画一的に使うという点である。
足並みを揃えて使われる魔法の凄さは、不可能を可能にする。個別単体で使うよりも何倍、何十倍もの効果が出る様な、相乗効果を生み出すのだ。
単に五十人集めているだけではない。集団にするだけの意味が有る。
そもそも、現代において銃火器が近代戦において主役となっていったのは何故か。
答えは幾つも有ろうが、その一つの解は統一性にある。
素人のような兵士であろうと、熟練の兵士であろうと、銃の威力は皆一様だ。子供が撃ったとしても、銃の威力が弱くなるわけではないし、病人だろうが少年少女だろうが、敵を倒せる。
戦力の均一化が図られたことで生まれたのは、兵士の互換性。ある程度の訓練を行っていれば、兵士の補充や交代が容易に行えるようになるのだ。
怪我人を後送し、代わりに人を入れる。交代要員が入ったところで、入る前と同じような戦力を維持できる。
兵士の統一規格とでも言おうか。
規格が決まっていれば、例えば電池の場合、単三電池はどれを買ってもサイズが同じで電圧も同じ。一つ駄目になったものを交換するのに、新品ならば電池を選別する必要はない。
人の命を数字で計算するという非人道的な行為に目を瞑れば、兵士の規格化というものも合理性を含む。
同じことが、魔法部隊にも言える。
本来は魔法が持つ属人性を廃し、均一性を持った魔法使い。
例えば五人組で作戦行動をとる場合、魔法部隊の誰を五人選んでもそこそこ同じ成果を出せるようになった。
これは、魔法を戦いに使用するにあたっては革命の如く画期的なこと。なのだが、この隊の生みの親は、戦いに用いる気などさらさらない。
彼の目的はただ一つ。スイーツの為。
唯一絶対スイーツ教の教祖が、この部隊の生みの親である。
「総員、構え!!」
ペイスの号令で、魔法部隊がチョコレート村の崖に向かって構える。
軽く百メートルはありそうな高い高い壁のような崖だ。
真正面に崖を見据えれば、左右がずっと崖。どこまでも続いているように見える。
バニラの崖とも呼ばれ始めている、魔の森中心部と外縁部を隔てる境界線のようなもの。
「目標、崖の中腹。【掘削】!!」
「【掘削】」
号令一下。ごう、と物凄い音が轟く。
すわ、龍の咆哮かと駐屯していた国軍兵士が身構えてしまうほどの大きな音。
近所迷惑も甚だしいが、やっている人間たちも耳を押さえるものがちらほら居た。
「上出来です」
ペイスは、魔法の結果を見て上機嫌で頷く。
崖の中にぽっかり空いた空間。
奥がどこまで続いているのか、一見するだけでは分からないほどの大穴だ。
率先して穴の中に入ったペイスは、崖の壁の様子や、掘られた跡を入念に観察する。
「壁を固めるのも上手く出来ています。穴の大きさもほぼ注文通り。もう少し大きくても良いとも思いますが、許容範囲ですね」
「は、ありがとうございます」
「魔法というのは、やはり役に立ちますね」
「それはそう思います。しかし……魔法をこんなことに使うなんて」
魔法部隊の指揮官の一人。
ヤント=アイドリハッパが、独り言のようにぼやく。
ペイスの幼馴染であるルミの兄。そして若手のイケメンとして名高いラミトの弟。当人も、兄や妹とよく似て中々に端正な顔立ちをしていて、領内の女性人気はなかなか。
アイドリハッパ家の次男として、譜代の強みを活かして魔法部隊の一隊を預かる大抜擢を受けた青年である。
一時期は荒れたことも有ったのだが、長じるにつけて元来の明晰さを発揮し、親の代からモルテールンに仕えているという忠誠心も見込まれて、責任ある地位に就いた。
そのヤントから見れば、魔法を使って穴掘りなどというのはどうにも違和感が拭えない事態である。
目の前に非常識が起きることについては、最早慣れた。魔法使いが五十と一人居て、全員が同じ魔法を使えることなど。彼の上司である菓子狂いのやらかしてきたことに比べれば、まだ常識的な部類である。
納得は出来ないが、理解はする。だが、それはそれとして常識と呼ぶ理性の部分が、魔法の使い方について盛大な危険信号を鳴らしているのだ。
「こんなこととはお言葉ですね」
「いや、だって、新しい酒を造る為に、魔法部隊を動かすって、おかしくないですか?」
「そうでしょうか」
ペイスが魔法部隊を動かしている理由。
それは“ウィスキー作り”の為である。
蒸留した酒を樽で寝かせる冷暗所を作る為、崖の中をくりぬいて保管場所を作ろうとしているのだ。
麦酒を蒸留して作られるウィスキーは、蒸留酒としては最も知られたものの一つ。古来から作られてきたお酒の一種だ。少なくとも、ペイスとしては常識の範疇に含まれる。
ウィスキーを知らない人間の方が珍しいし、飲んだことは無いとしても、見たことのある人間ならば子供にも居るはず。
ただし、現代ならば。
この世界においては、蒸留酒というのはまずない。
特に神王国では、蒸留酒は殆ど作られていない。
これは、神王国自体が国家として新しいというのも有る。戦いを重ねながら大きくなった国であるから、蒸留という大きな手間を掛けるぐらいなら、そのまま普通の酒を飲んだ方が良いという考え方が根付いてしまっているのだ。
手間暇を掛けて少量の美味しいものを用意するより、質はそこそこでも大量に欲しい。それが、騎士の国の今までの常識だった。
「別に普通に今までの酒で良くないですか?」
「そうですね。別に今までのお酒が悪い訳では無いのですが……社会の変化を見越して、先手を打っておこうとおもいまして」
「先手?」
「平和が続けば、より質の高い嗜好品が求められるようになるということです」
「……よく分かりません」
ペイスが、今になって蒸留酒を作ろうとしているのは、国の中の雰囲気が変わりつつあることを肌感覚で実感しているからだ。
神王国は、親の世代では大戦を経験している。国家崩壊の間際までいった、文字通りの総力戦を経験しているということ。戦いの続く毎日が日常であった世代だ。
過酷な経験をした世代は、心構えも違う。いつ、どんな時でも戦いに備えるべし。争いを忘れられない大人たちは多い。
しかし、子供たちの世代はどうだろうか。
神王国は、今現在隆盛の最中にある。
南部を発端とした経済成長が何年も続き、戦いが起きれば連戦連勝。外交的に西の大国とは友好的にあり、東は大人しくなり、南も一度大きく叩いたばかり。
平和がこのまま続くと考えるのは、あながち妄想とは言い難い。そうあって欲しいという希望的観測も含めて、落ち着いた将来を予想する人間は若い世代ほど多い。
安定した治世が続けば、次に起きるのは文化的発展。
経済的余裕は、娯楽を始めとする文化を生み出すものだ。
翻って、酒はどうか。
平和な世が続いて高品質の嗜好品が求められるようになれば、酒もまた同じでは無いだろうか。
高品質の酒とは、今日明日でポンと生まれるものではない。長い年月をかけて試行錯誤を繰り返し、また維持し、苦労してこそ生まれるもの。
ましてや、蒸留酒ともなれば熟成に年単位の時間が掛かる。いざ増やしましょうと思ったとして、すぐに増やせるわけが無いのだ。
「故に、今のうちから将来を見越して、高価格帯の蒸留酒を作りためておくべきなのです。折角の新しい村。十年後に完成するぐらいの長期の視点で、産業振興を行う。その時が来れば、チョコレート村は、唯一無二の存在になっていることでしょう」
ペイスの言葉を、ヤントは何となく理解した気になった。
多分、十年後に更なる飛躍を遂げているというのは、間違いないだろう、といった程度の理解。
「やっぱり、非常識ですよ」
「失礼な。穴を掘る魔法を、穴掘りに使っているのです。有効活用でしょう」
ふふふとペイスが笑い、ヤントはペイスの傍で百面相をする。
平和な風景である。
「次は何をするんですか?」
「穴が出来れば、次は棚を……おや?」
ペイスが蒸留酒貯蔵庫をガンガン作っている最中。
ザースデンから、慌てた様子の従士がやってきた。
若者は、ペイスを見るなり大急ぎの要件だと伝える。
「ペイストリー様、至急お戻りください」
「何かありましたか?」
部下の様子に、ペイスは怪訝そうな声で尋ねる。
「レーテシュ家からの急使です。コアトン殿がわざわざお越しになられています」
「レーテシュ家の従士長が?」
ペイスは、急いで領主館に戻るのだった。