439話 アイスクリームはタイミング
「くそっ!! なんでこんなにあっさりと企てが潰されるんだ!!」
男は、頭を掻きむしるようにして吠えた。
マハンの短い毛が、更に何本かパラパラと抜け落ちる。
これから。そう、これからだったのだ。
神王国の不手際を糾弾し、姫の件での責任を取らせる。
或いは、ヴォルトゥザラ王国の介入を認めさせ、姫を自分たちで救い出す。
神王国人が姫を探し当てる可能性も勿論考えていたが、その場合は“最悪の手段”も用いる準備をしていた。
入念な準備をしていたはずなのだが、何故こうもあっさりと解決されてしまったのか。
信じられない。
その一言だろう。
「姫は“ヴォルトゥザラの異端分子”がかどわかしていたことが判明したとして、神王国側と落としどころを設けました。両国として表ざたにすることは得策でないとして“姫様は体調不良で静養していた”ということになります。また、実行犯として、コーンウェリスも身柄を拘束されました」
部下の一人が、そういった。
マハンが“関与”していたと疑われたことから、交渉は部下が行ったのだ。
実行犯の逮捕も痛い。
氷結と名高い魔法使いであったが、さあこれからという時にあっさり姫を奪還されるとは思っていなかったらしい。
神王国軍が身柄を抑えようとしたときに暴れたのだが、そこはそれ。神王国の中央軍は魔法使いも居る訳で、最後は身柄を拘束された。
今は、魔法が使えない部屋に閉じ込められて、監禁中である。
魔法使いは、一人でもいれば軍事行動や外交の戦略性が大きく変わるもの。ましてや、有力部族の裏の顔を知る魔法使いなど、機密の塊。
神王国側は、思わぬ棚ぼた的収穫に小躍りしているはずである。あまりの悔しさに、マハンは胃が口から出そうなほどだ。
しかも“何故か”、ペイスが捕縛に関わっていたのだが、これは書類にも残らない事項。
無かったことになり、手柄は全て中央軍総どり。
カセロールに配慮したと言われているが、真実はモルテールン家の秘密になった。氷結の魔法使い。ペイスの嬉々とした顔が目に浮かぶようである。
「しかし、このままだと私は」
「そうですね。ことが露見してしまった以上は“誰か”が責任を取らねばなりません」
散々に、神王国の責任問題だと騒いでいたのがマハンだ。
しかし、結果を見てみればヴォルトゥザラ側の失態。外交的損失という面で見れば、関係各所のトップが全員激怒しそうなほどの大損害である。
ことここに至って、マハンは無事では済まない。
男は、そのまま責任を取らされる形で大使を解任された。
永久に、復帰することは無くなったのだ。
◇◇◇◇◇
「ふんふん、るるる~らら~」
ペイスが鼻歌を響かせる。
「何だ何だ?」
「やっぱ、お菓子か?」
ルミとマルクが、久しぶりにペイスの料理姿を見る。
モルテールン領に居たころであれば珍しくも無かったが、寮に入ってからはめっきり見ることが無くなった姿だ。
今、ペイスが居るのは寄宿士官学校の厨房。
諸事情から“寝込んで”いたシェラ姫に対し、慰めるためのお菓子を作る、ということになっている。
ペイスが、そういう形に決着させたのだ。
自分がお菓子を作りたかったからだとか、他人の金でお菓子作りが出来るとか、決してそういう話ではない。
あくまで外交的配慮。隣国との不要な諍いを避ける、政治的決断というもの。
神王国の外務官たちも、一人で大立ち回りをやらかして、手柄を独り占めしたペイスが言うことを、無視する訳にもいかなかった。
内心忸怩たる思いは有るだろう。
しかし、総じてみれば外務としても実入りは有った訳で、これからの対ヴォルトゥザラ外交はさぞ捗ることだろう。
自分には関係ないと鼻歌を歌っているパティシエも居るが、些細なことだ。
「まずは、型を用意して、ナッツをローストしておきます。香りづけの意味もありますが、ここで粗熱をしっかりとっておくことが大事ですね」
「ふむふむ」
ペイスのお菓子作りは、唐突に始まるもの。
普段はパウンドケーキなどを焼くのに使っている金型を用意して、香ばしく炙られたナッツ類を細かく砕く。
ルミとマルクは、傍でワクワクとしながら待っている。
「さて、まずはチーズと砂糖を混ぜますか」
ボウルに入れた柔らかくフレッシュなチーズを混ぜつつ、砂糖を足していく。
小分けにして加えつつ、砂糖をしっかりと混ぜていき、滑らかになるまで混ぜ続ける。
「ここに香りづけと、ナッツ。そしてオレンジピールも入れます。折角ですから、フルーツやエディブルフラワーも入れますか」
「物凄く綺麗だな」
「そうでしょう?」
「花も入れてるけど、食えるのか?」
「勿論です」
ペイスは、今回のお菓子を華やかにしようとしている。
食べられる花、エディブルフラワーまで使うのだから、趣味の拘りだろうか。
日本であれば食用菊などが有名なのだが、世の中には食べられる花もあるのだと、ペイスはよく知っている。
「ここに、泡立てた生クリームを混ぜて、型に入れ……」
クリームとチーズの相性は、完璧である。
元々どちらも乳製品ということも有り、スイーツの歴史を遡っても、かなり古くからある組み合わせだ。
しっかりと混ぜられたものを金属製の型に流し込んだところで、既においしそうである。
「そしてここから……冷やす!!」
ペイスは、型に対して“魔法”を使った。
何有ろう【凍結】の魔法である。
この魔法を手にしたときのペイスの狂乱ぶりは、幼馴染の二人をして、初めて見たというものだったという。
用意していたものは、あっというまにキンキンに冷えた。
氷点下まで下がった、氷菓である。
「出来ました」
「お? なんだなんだ? これはアイスクリームってやつか?」
「近しいですね。ほぼ正解でしょう」
「へへへ」
お菓子のことが大好きなルミが、アイスクリームに目を奪われる。
いや、正確に言うとルミがアイスクリームと思ったお菓子、だろうか。
「これは、カッサータです。いつも以上に、華やかに仕上げてみました」
ペイスは、お菓子の名前を言う。
これはカッサータだと。
カッサータとは南イタリアはシチリアの伝統菓子である。
各家庭で細かな差異はあるのだが、アーモンドやピスタチオやドライフルーツを使い、ケーキのようにしたアイスだ。
ペイスとしてもこの世界で初めて作ってみたものなのだが、お菓子作りが体に染みついている人間であるから、何の澱みも無く完成させた。
「美味そうだな」
ルミが、じゅるりと涎を流す。
見た目的にも華やかで、そして冷たそうである。
訓練の後の火照った時などは、きっと旨い。アイスというものを知っている幼馴染は、早く食いたいという。
「まだ食べてはいけません。これは“あの二人”の為のお菓子ですからね」
「あの二人、ねえ」
あの二人、という言葉が意味すること。
幼馴染二人は、阿吽の呼吸で誰のことか理解した。
「うひひ、ペイスもやるじゃねえか。あの二人の背中を押そうってんだろ」
「僕は、お菓子を作っただけですよ。みんなが笑顔になる為の、ね」
学内の厨房には、甘い匂いが充満していた。
◇◇◇◇◇
ある晴れた日のこと。
留学生が体調不良から復帰してしばらく。
いよいよ、シェラ姫が祖国に帰る日がやってきた。
「シン」
「モルテールン教官」
一人、シンは黄昏ていた。
常日頃から孤独を好む性質の青年であったが、ここしばらくはより一層その傾向に拍車がかかっていた。
シェラ姫が、かつての何倍も厳重に警護されるようになって以降、である。
「良いんですか? お姫様が帰ってしまいますよ?」
「……そうですね」
「拉致事件があった以上、もう二度とこの国にお姫様が来ることは有りません。つまり、二度と会えなくなるかもしれないんですよ?」
「分かっています」
公式には体調不良だったことになっている姫の拉致事件。
本当にあったことを知る人間は一握り。
だからこそ知っている。今日別れてしまえば、きっと二度と会えないだろうと。
二度と神王国に姫が来ることは無いし、シンがヴォルトゥザラ王国に行くことも無いだろうと。
「だったら、せめて一言だけでも、声を掛けて見送ってあげるべきではありませんか?」
シンは、黙り込んでしまう。
自分がどうすべきか。
彼は、悩んでいたのだ。
自分がどうしたいか。どうすべきか。
もやもやとしたものがずっと心の中に蟠っている。
「シン、これを姫様に渡してきてくれませんか?」
悩み多き青年の、背中を“蹴り飛ばす”のは教官の役目。
「これは?」
「カッサータというお菓子です」
「カッサータ?」
「ええ」
ペイスが差し出したのは、甘い香りのする、冷たいお菓子だった。
色鮮やかで、美味しそうで、そして冷たい。
「これは独り言なんですが」
ペイスは、明らかに独り言ではない大きさで話しかける。
「アイスクリームというものは、一旦溶けてしまうと、もう一度凍らせようとしても美味しくないんですよ」
シンは、ペイスの言葉をじっと聞く。
「美味しく食べられるタイミングは、逃がしてはいけません。溶けてしまっては取り返しがつかない。食べ時が分かっているなら、ちゃんと食べてあげるのはお菓子の為。作ってくれた人への礼儀です」
「礼儀……」
「見送りも礼儀の一環だとは思いますが……シン。本当に大事なものは、無くしてしまってからでは守れません。チャンスを逃すような真似は、ずっと後悔しますよ。アイスを溶かしてしまってからでは遅いのです」
バン、とペイスはシンの背中を叩いた。
悩んでいた青年は、覚悟を決める。
◇◇◇◇◇
留学生の見送りは、盛大に行われた。
パーティーも行ったし、校長から挨拶もあった。学生たちからは、何百もの惜しむ声があげられる。
美少女が居なくなってしまう嘆きだ。
最後の一日。
シンは“思い出の場所”に来ていた。
きっと、あえると信じて。
「シン」
「シェラ」
護衛に囲まれたシェラ姫が、シンの顔を見て笑顔を見せた。
そして、悲しい顔をした。
「今日で、お別れね」
「そうだな。今日で最後だ」
二人は、じっと見つめ合う。ただただ、無言のまま。
お互い、何かを言おうとして、言葉に詰まる。
言いたいことはいっぱいあるはずなのに、何故か言葉が出てこないのだ。
一緒に訓練して楽しかった。一緒にお喋りしたのが楽しかった。一緒に笑い合えた時間は心地よかった。
お互いに、そういいたいはずなのに。
一体、どれほどの時間を無言で過ごしただろうか。
「姫様、そろそろお時間が……」
「そう」
ただでさえ忙しい最終日。
護衛が見かねて、終わりを告げた。
本当に、時間が無いのだ。
一国の姫としての立場も有る。こうして居ることだけでも、大変なことなのだから。
「シェラ」
シンが、去ろうとした姫に声を掛ける。
そして“ペイスから預かったもの”を渡す。
保冷された、カッサータだ。
「今度は、俺が、お前の所に行くよ」
渡す瞬間。
シンの口から出た言葉。
姫は、もしかしたらその言葉をずっと待っていたのかもしれない。
「待っています。ずっと、ずっと待っていますから」
若い二人の間には、確かな絆が芽生えているのだった。
これにて第35章結
ここまでのお付き合いに感謝いたします。
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次回予告
内政に精を出すペイス達モルテールン家
開拓の進むチョコレート村では、特産品の模索が始まった。
いいアイデアを思い付いたと張り切るペイス。
しかし、そこに一つの知らせが舞い込むみ、何故かペイスは船に乗ることに!?
おかしな転生36章「お宝探しは南国の味」
お楽しみに