437話 強硬な外交
「貴国の治安はどうなっておるのだ!!」
机をダンと叩く男。
マハン=クリュシューム=オズムは、激高する。
年のころは四十そこそこの中年。小太りで、かつては美形であったろう顔立ちも若干ふくよかになっている。
彼は元々オズムの一族の族長筋に生まれた人間だが、跡継ぎという訳では無い。それなりに高く、それでいて主流ではないという血筋を活かし、普段は外交を担っている。
複数の部族が連合しているヴォルトゥザラ王国において、国を背負って外交を担うというのは生半可な人間には出来ない。
それぞれの部族の事情をちゃんと把握しておき、国内事情をしっかり押さえて根回しをしたうえで、諸外国と交渉する必要が有るからだ。
内憂外患という言葉も有るが、味方の方に不安が有ってはまともな外交など出来ないもの。
その点、マハンは優秀であった。
各部族にもそれぞれ強いパイプを持ち、外交交渉にあっては強かに粘るのが持ち味。
一時は、オズムの将来はマハンが背負っているとまで言われた人物。
大国である神王国に対してもはっきりと物言う姿勢がヴォルトゥザラ国内からも支持されていて、強気な態度は頼もしさの極致と言われていた。
色々な部族と繋がっていることから、オズムの一族だけでなくヴォルトゥザラ王国全体の利益を考える視野の広さも持っているし、自分たちの国を愛する愛国者でもある。
しかし、外交は水物。ちょっとした風向きの変化で、大きく利害が動く。風向きが変わったのは、先の神王国使節団の派遣受け入れ以降。
元々、神王国に対して強気な姿勢で交渉に当たるのが得意であったマハンに対し、更迭論が出始めたのだ。
神王国と協調し、共同歩調を取ろうという時。ガンガンに神王国を責め立てる強硬派のマハンは、外交の窓口として不適切では無いかという意見が広がっている。
国内事情に敏感なマハンとしては、危機感を覚える動きだ。
本来であれば、交代を囁かれていてもおかしくない状況。
しかし、今日はいつにもまして押し一辺倒。
大声も遠慮なくあげ、担当者に不快に思われようが一切気にしない対応。
昔の栄光が偲ばれる顔を真っ赤にし、怒りをあらわにしていた。
「そうはもうされましても」
「神王国人には誠意というものは無いのか。まともに情報も出さんというのは、我がヴォルトゥザラ王国を愚弄しているとしか思えん!!」
中年男が何に激高しているのかと言えば、例の件。
目下緘口令が敷かれているため関係者にしか伝わっていないが、ヴォルトゥザラ王国の姫が消息不明となっている件についてだ。
ヴォルトゥザラ王国の外交担当として、神王国には責任を問いただす義務が有ると力説していた。
大使としての職責を預かるオズムとしては、これ以上ないほど重要な事案だとの認識を再三言いつのっていた。
実際問題、神王国内の事情で自国の要人が不慮の事故に巻き込まれた場合、責任を問いただすのは外交責任者の義務でもある。
誰だって責任を問われるのは嫌なものであるし、賠償だのなんだのという話はしたくない。
放っておけば、それこそ無かったことにされるかもしれない。貴族の政治とはそういうものだ。
だからこそ、外交官が居る。
マハンは口に泡たてて、仕事として担当者に怒りをぶつけているのだ。
「現在、詳細を調査中です。詳しいことが分かるまでは、当方としてはどうなっていると言われてもお答えのしようがない」
ヴォルトゥザラ王国の大使を応接するのは、外務貴族コウェンバール伯爵。有能さでは名の知られた人物で、諸外国でもよく知られた熟達の交渉人である。
先ほどから散々に怒鳴り散らしている男を前にしても、涼しい顔。
どこまでいってもポーカーフェイス。これは、外交というものをよく知っているからだ。
外交において、攻める方が主導権を握ることが多い。
今回もまた、先例に倣うもの。
神王国の不手際に対して、ヴォルトゥザラ王国は徹底的に糾弾する立場。
有力部族の族長筋の公女が、留学中に居なくなったなど、尋常なことでは無い。
そもそも、現在進行形で問題が起き続けているのだ。
一国の姫君を、あろうことか王都の中で攫われるなど、神王国の治安維持能力を疑うは十分な状況だろう。
だからこそ、一分の隙も見せられない。
コウェンバール伯爵としては、まずは伏せられた手札を全て表にすることに注力していた。
何も分からない伏せ札だらけの状況で、外交などやれたものでは無いからだ。
「答えようがないとはどういうことだ。貴国は、自分たちの庭先で何が起きているのかも見えないというのか」
「はあ」
「神王国は統治が行き届いていて、安全であるというから、我が国から留学させたのだ。この始末、どうつけるのかと聞いているのだ」
また、ダンと机を叩く大使。
「我々としても、現在詳細を調査中でありまして」
「調査中だと? 何を悠長な」
実際、コウェンバール伯の対応はのらりくらりとしたもの。
現状は調査中であり、今後の対応は詳細が判明してからだという態度を崩さない。
「我が国の公女殿下が攫われたかもしれんのだぞ!!」
「そうでないかもしれませんな」
「なに!?」
普通の人間なら委縮しそうな恫喝であっても、物慣れたコウェンバール伯爵には通じない。
そもそも外交においてわざと怒って見せるなどは常套手段なのだ。
強硬派で鳴らした人間が怒鳴り込むぐらいは、いなしてなんぼの世界に住むのが外務貴族というもの。
「当方が現在把握している内容は、今現在姫の現在位置を捕捉出来ていないということ。もしかすると、訓練中に迷子にでもなっているのかもしれませんぞ?」
「護衛も一緒に迷子になるというのか? そんな馬鹿な話があるか!!」
コウェンバール伯爵は、ぬけぬけと不確定情報をいってのける。
寄宿士官学校では郊外演習に出向く機会も多い。四年次の最後に行われる卒業試験では、王家の管轄する森の中でサバイバル演習を行ったりもした。
当代の校長になってから、卒業には実技と知識の両方が大事だという方針。最後の試験に向けて、担当する学生たちに野外活動をさせる教官も増えたと聞く。
勿論、コウェンバール伯爵もそんなことは無いと知っているのだが、あえて「訓練中の迷子」という。
「可能性の話です。何が起きているのかは調査中であると、先ほどからお伝えしている通り。それ以上でも、それ以下でもありません」
現状の不確かな状況では、色々な可能性が考えられるとの主張。その一例として、訓練中に迷子になった可能性を提示したのだ。
自分でも一切信じていないことを、さも可能性が高いかのように言う話術は熟練のテクニックであろう。
実際、可能性がゼロとまでは言い切れないだけに始末が悪い。
暖簾に腕押し、糠に釘。
押しても手ごたえが一切ない相手との交渉は、流石に大使と言えども疲れるのか。
或いは、散々に大声を出してのどが枯れたのか。
段々と声の大きさも平常に戻っていくマハン。
「では、どうあっても神王国として、責任を取る気が無いとおっしゃるのですな」
「現状では、その通りでしょう。迷子になっていたご令嬢が、ひょっこり戻ってくるかもしれません。そうなった時、貴方は今のように大声で騒いだ責任を取られる覚悟がおありか?」
「勿論だ!! 我が一族の名に誓ってもいい!!」
ヴォルトゥザラ人にとって、部族の名を貶めるという行為は、死にも値する大罪である。
マハンは、姫が迷惑をかけていただけであれば責任を取ると断言した。
立派な交渉態度である。
強硬派で鳴らしたのは伊達ではなく、相手に強気に出るからには、それ相応のリスクも背負うもの。
なあなあで済ませる穏健派の対応とは違う。白黒はっきりつけるのだと、言い張る。
「もしも姫に何かあれば、その責任は取って頂きますからな」
捨て台詞に近い言葉を残し、大使は部屋を出る。
肩をいからせ、憤懣やるかたないという態度のまま。
「ふう」
部屋を出て、自分たちの大使館に戻ったところで、先ほどまで怒り狂っていたとは思えない顔で、マハンは嫌らしく笑う。
強硬に怒鳴り散らしていたとは思えない笑いだ。
「くくく……神王国に一矢報いる。順調だな」
男の呟きは、誰聞くことも無く虚空に消えていった。
七夕ですね