436話 推理
モルテールン家には、緊急伝達のシステムが有る。
魔法の飴を使えるというアドバンテージを大いに活かすため、また情報の伝達速度と質の良さこそモルテールン家最大の強みであるため、長所をより活かす手段として整備されたものだ。
方法は色々とあって、担当している仕事ごとに違っていたりする。
例えば土木工事を担当するグラサージュは、何かしらの緊急事態が起きた際、赤い色の狼煙をあげることになっている。
黒色の煙や白色の煙なら領民でも炊事やゴミ焼きでよく見かけるが、赤い色というのは誰が見ても変だと気づけるのが利点だ。余程のことが無い限り、誰かしら気づくことが出来る。
グラサージュは土木関係を統括する関係上領内の僻地に居ることも多く、また他家の間諜がうじゃうじゃしているモルテールン領内では、大っぴらに魔法の飴を使い辛い。
そこで、一見すれば普通の手段でも可能な、狼煙という手段を使っている。普段からも狼煙を使って連絡しつつ、本当に危険な時には赤い色で伝える。
ここで大事なのは、普段は普通に狼煙をあげているという点。情報隠蔽の一環でもあり、利点が大きい。
雨の日であったり、風の強い日であったり、夜であったりといった時。【発火】の魔法を使えるということで、雨の日や夜でも見える“狼煙“をあげることが出来る。
領内のどこからでも見える、火柱をあげるのだ。
盛大に火が燃え盛っているものを狼煙と呼んでいいかは不明だが、緊急事態となれば背に腹は代えられない。
どうみても異常事態を告げるという意味では分かりやすく、また火が燃えただけであれば後々「隠れて備蓄していた燃料に引火した」などと言い訳も容易い。
燃料など無くても火が熾せる【発火】は、いざという時でも使えるという点で便利である。
また、他領に出入りして情報を集めるラミトなどは、各所にこっそりと身を潜めている連絡員と符丁を決めて定時連絡をしている。
緊急事態が起きれば、それ専用の暗号と符丁を用い、各地に散らばるモルテールンの協力者の誰かに、伝言を伝えるのだ。
ここで伝えられた伝言は、色々な手段を用いて迅速に王都に伝わる。王都でモルテールン家の裏部隊を統括するコアントローに繋がり、そこからカセロールまで伝わる仕組みである。
協力員は色々だが、町の行商人に扮していたり、単なる主婦を装っていたり、或いは他領の兵士であったり。
本当にこんな人が協力員なのかと思うような人物まで、モルテールンの息が掛かっている。
二十年以上に渡って秘密裏に、そしてコツコツ作ってきた情報収集網であり、情報伝達網なのだ。
近年は龍の素材オークションで馬鹿みたいに稼いだこともあり、この情報網の精度と質も上がっている。金にものを言わせて、予算を潤沢に使えているからだ。
彼らの中にはモルテールン家に忠誠を誓っている口の堅い者がおり、本当の緊急事態の時は魔法の飴を使って【瞬間移動】してでも情報を届けることになっている。
さて、王都の寄宿士官学校に居るマルカルロやルミニートだが、本当の緊急事態にはペイスに連絡するようになっている。
先の情報網がモルテールン家直轄。カセロールの直属であるのに対し、マルクとルミはペイス直属であるからだ。
いざという時に使って良いと渡されている魔法の飴。
それを使って、マルクはペイスに危急を伝えた。
すぐにもペイスから、関係者を呼ぶようにと連絡が有り、学内の教導官室に呼び出されたマルク。そしてマルクからついて来いと言われたシン。
「連絡を聞いてザースデンから急いできましたよ。マルクも変わりなく」
「ペイス様、一大事だ」
挨拶もそこそこに、マルクはペイスにまくしたてる。
「姫様が病欠ってことで実は襲われたっぽくてでも本当は誘拐されてるっぽいってシンが言ってて……」
慌てていることから報告の内容が要領を得ないマルク。まだまだ十代半ばであるから、理路整然とした大人の報告の仕方が難しいのは理解できるが、モルテールン家の従士たるもの、高い能力が求められる。
これはまだまだ報連相の訓練がいると内心考えるペイス。
「とりあえず、落ち着きなさい。指揮官たるもの、いつでも冷静にあらねばなりません」
「うっ……申し訳ありません」
常日頃から教官に指導されているからだろう。
自分の今の状況が、怒られてもおかしくないと気づいたマルクが、バツの悪そうなまま姿勢を正す。
「シンはどうしてマルクと一緒にいるんです?」
「元々は自分がお願いしたことであります」
「詳しく状況を報告してください」
「はい、それでは報告させていただきます」
キリっと敬礼して姿勢を正すマルクとシン。
落ち着いた二人の姿勢は、どちらも訓練の成果が出ている。
これが常に出来ればと、内心思うペイス。
「先ごろ、姫様が体調不良という連絡が回ってきたことはご存じでしょうか」
「ええ、知っています。教師陣にも連絡が来たと聞いています」
ペイスは、寄宿士官学校においてかなりの重役である。
教導役ということで実務は相当に少ないのだが、大事な連絡事項は回ってくるようになっていた。
専門の秘書が纏めて、たまにやってくるペイスに報告してくれるのだ。
「その連絡が虚偽であり、姫が何者かに拉致された疑いがあります」
「何ですって? 詳しく話してください」
「はっ」
マルクとシンの報告に、片眉をあげて反応するペイス。
感情を荒ぶらせない落ち着きのある教導役には頼もしさすら感じる。
「実は自分は、姫様といささか私的な交流を持っておりました」
「ほう、それは隅に置けませんね」
「……恐縮です」
冷やかしたわけでは無いだろうが、一国の姫君とこっそり逢瀬を重ねていたというのなら、それはそれで滅多にあることでは無い。
偶然にしろ意図的にしろ、相当に“何か”に愛されていなければあり得ないことだろう。
ペイスのように騒動に愛されているのか。或いは、運命に愛されているのか。はたまた、別の何かか。
「体調不良という連絡を受けた後、自分は姫と普段会っている場所に向かおうとしました」
「ふむ」
「途中、明らかに“魔法が使われた”と思しき残滓の感覚と、不自然な現場を発見しました」
「不自然とは?」
「普段より、明確に“寒い”と感じました。また、現場は普段とは違う様子でした」
「なるほど」
普段からほぼ毎日のように足を運んでいた場所。
どこがどう違うとは明確に言えないが、シンには明らかに違和感が有った。
肌に感じる空気、普段は誰も歩かない場所にあった足跡、シェラ姫の通り道を監視しやすい場所にあった人の待ち構えていた痕跡などなど。自分が調べて確信に至った根拠を丁寧に説明していく青年。
シンの説明をしっかりと聞いていたペイスは、そのまま瞑目する。
目を瞑って、考えを巡らせているのだ。
状況証拠と、推測。
物的な証拠がないとしても、シンの証言だけでも分かることは多い。
「姫は、何者かに襲われた可能性が有る。少なくとも、何がしかのトラブルに巻き込まれたのは確実でしょう。貴方の言う通り、攫われたと考えるのも無理はないですね」
ペイスは、自分の推理を披露する。
まず、仮に姫が攫われたとして、既に命が無い可能性。これは、否定していい。
姫の命を殺めるのが目的ならば、死体を隠す理由が薄いからだ。
恐怖の伝達か、政治的喧伝か、騒乱の扇動か。いずれにせよ、死体を晒して衆目を集める方が、やり易かろう。
そして、単に攫われただけだと仮定した場合。
神王国人や、或いは他の国の人間に攫われたのなら、ヴォルトゥザラ王国の対応がおかしい。姫が居なくなったことなど、学校関係者や神王国人より正確かつ迅速に分かるだろう。姫の行動スケジュールを管理していただろうし、護衛も定時報告や交代が有ろう。
しかし、ヴォルトゥザラ王国側は姫の不在を隠そうとしている。それも“いずれバレる”ような見え透いた嘘をついて。そして、慌てている様子が無い。
つまり、ヴォルトゥザラ王国の人間は、姫が自分たちの身内に攫われたことを知っている。あるいは、最初からグルの可能性が高い。
「身の安全という意味では、まず安心してよいでしょうが……本人の望まざる状況に置かれているのは間違いないでしょう」
姫がヴォルトゥザラ王国の人間に攫われたとするのなら。
そのまま手を出さずにいた方が、神王国人としては正しい。
ましてや、この場に居るのはペイスを除いて学生。
高度に政治的になるやもしれぬ案件に、首を突っ込む謂れも無ければ動機も無い。
たかが学生に、何ができるというのか。
道理で言えば、静観が妥当。
だが、理屈通りにいかないことも、世の中にはあるもの。
「……俺は、助けに行く。一人でも」
シンは、ぐっとこぶしを握る。
自分が助けなければいけないと、何故かそう確信したからだ。
姫が不本意な状況に置かれているとすれば、自分が何とかしてやらねばならない。
「しかし、どうやってです?」
「それは……」
決意は立派なものなのだろう。
責任感も含め、正義感と言って良い。
しかし、問題は能力だ。
シンが、何処にいるかもしれない姫君を救い出すには、足りないものが多すぎる。
じっと黙り込む美青年。
助け舟を出したのは、よく似た風貌のこれまた美形のパティシエ。
「……ひとつ、条件次第で僕が手伝いましょうか」
悩んでいた青年にとっては、まさに救いの手。
決断力に富む男は、迷わずその手を取った。
「お願いします、モルテールン教官」
シンは、ペイストリー相手に白紙の約束手形を振り出した。