435話 囚われの姫
うす暗い建屋の中。
姫は、厳重に縛られた上で椅子に座らされていた。
猿轡までされて、絶対に逃がさないという意思を感じる状況だ。
――コツコツコツ。
堅い石畳の上を歩く革靴の音。
やがて、姫の監禁場所までその音はやってくる。
音の正体は、部下を引き連れた中年の男であった。
中年男の傍には、氷結のコーンウェリスも居る。
「ふむ、苦しそうだな」
「むぐっ、むぐっ!!」
猿轡のせいか、まともに話すことも出来ない姫。もがいて抵抗を見せるものの、固く縛られた紐は緩みそうにも無い。
「何を言っているか分からんし、どうせここには人も来ない。口のものは外して差し上げろ」
「は」
部下らしき人物が、縛り上げられている姫の猿轡を取る。
ぷはあと大きく息をした姫は、部下に命令をしていた人間にキツイ目線を向けて睨みつける。
「私を放しなさい。今解放するのであれば、貴方たちの命までは取らずにいてあげましょう」
縛り上げられても尚、上から目線で交渉を始める姫。
実に頼もしいなと、何故か嬉しそうな犯人が、姫の傍に寄る。
「大人しくしていれば何もしない」
じっと姫を見つめる中年男。
その目線に嫌なものは感じない。むしろ、敬意すら垣間見える。
人を攫っておいて何故そんな目をするのか。被害者の少女は、心底不思議だった。
「なんでこんなことをするの」
手足を縛られて動けないにもかかわらず、気丈に振舞うシェラ姫。
中年男たちも、そしてその部下たちも、姫の態度には好感を持ったらしい。
つまり、恨みや怒りで姫を攫った訳でもないし、危害を加えないというのも恐らくはそうなのだろう。
なぜこのようなことをしたのか。
姫は、攫われるときに事情を聴いている。
実行犯である氷結のコーンウェリスから。詳細に事情を聴いているので、何故攫われたのかも十分に理解できている。
ではなぜ聞くのか。
それは、情報の精査の為だ。
犯罪組織や過激思想団体にはありがちな話だが、下っ端や実行犯は団体の掲げるお題目や綺麗ごとをまともに信じ込んでいて、上の人間の思惑は真っ黒ということも有りえるのだ。
特に、一国の姫を攫うなどという大それたことをしているのなれば、上層部に政治的思惑が入り混じっているであろうことは推測も容易い。
また、情報というのは同じ情報でも複数のルートから得るものだ。
情報機関を持つロズモの直系として、ある程度の帝王学を学んでいるシェラ姫。情報の取り扱いについても多少の心得が有る。
これで仮に、同じ情報であっても違いが有った場合。例えば、誘拐犯の魔法使いは“姫を攫う”と言っていたが、目の前の首謀者と思しき人物が“王族を攫う”といったなら。ここに、情報の差異が見えてくる。
実行犯は姫を攫うつもりだったが、首謀者は王族であれば誰でも良かったと考えているというのが見えてこないだろうか。
この場合、シェラの身の安全は危うくなる。
ロズモの公女というべき人間は一人しかいないが、ヴォルトゥザラ王国の王族となればもっと大勢の人間が該当するからだ。即ち、姫の身柄を絶対に確保しなければならないという意思は乏しいということだ。
或いは、氷結の魔法使いが寄宿士官学校でことを起こした点。目の前の首謀者が、他の場所で攫うことも考えていたかもしれない。攫うことが主目的であり、寄宿士官学校であったのはたまたまだという可能性だ。
この場合、姫の命はかなり安全になるだろう。
何故なら、明らかに神王国に対して敵対的な行動をとったことが、重要ではないということになるからだ。
隣の大国を敵に回すことさえ許容しても、姫の身柄の確保を優先すべきだったということになれば、早々簡単に姫の身の安全を危うくしたりはしまい。姫の身の安全を軽んじるぐらいなら、政治的にリスクを取ることの方を恐れるべきだからだ。
情報とは、同じようなものであっても、そこに内包される情報量や意味づけは違ってくる。
だからこそ、情報というものは複数から集めるべきなのだ。
つまりシェラ姫は、改めて情報の裏どりをしようとしているわけである。
「姫様は、ご存じないでしょう。まだ三十年は経っていないと思いますが、儂の若いころには、神王国と戦争になったのだ」
姫の思惑に気づいているのかいないのか。
自己陶酔を匂わせる雰囲気で、首謀者の男は語る。
勿論、姫は神王国と祖国が戦争になった過去を学んでいる。
部族でも年嵩の人間は皆が皆そのことを話すし、族長などはその戦いにおいて獅子奮迅の活躍を見せたと何度も聞いた。
王家の人間としても諸外国の、とりわけ隣国である神王国との関係は聞かされており、留学するにあたって入念にレクチャーされたことでもある。
だから、知らないと言われたことに対しては反発を見せた。
「知ってるわよ。私たちと神王国が、昔に戦ったことぐらい」
「いや、知らない。知っていれば、のんきに留学など出来ようはずがないのだ!!」
男は、大きな声で叫んだ。
明らかに怒りだ。
驚く姫に対し、中年男やその周りの人間は、怒気を隠そうともしない。
中年男が怒ったことに対して、そうだそうだと同調さえする。
「我らの同胞が、数多く殺された。儂の父も、叔父も、叔父の子……従弟も亡くなった。可哀そうに。新婚も間もなく、子供も居ないのに殺されたのだ。残されたものの悲しみを、儂は間近で見てきた」
はあはあと息を荒らげた後、鼻から大きく息を吸って落ち着きを取り戻そうとする中年男。
怒りの源は、肉親の多くを戦争で失ったことに由来するのだろう。
肉親や近しいものを殺されて、それを悲しみ、悼む気持ちは少女にも理解できた。彼女が納得できないのは、その想いに他人を巻き込むこと。
自分を理不尽につき合わせることである。
「神王国には、思い知らせねばならんのです」
どこか信念を感じさせる。
いや、狂気を感じさせる佇まいに、思わず黙り込むシェラ姫。
だが、聞かねばならないことがある。
「私を攫うことと、何の関係が有るの」
「ははは、愚問ですな」
男たちは、当たり前のことを当たり前に話す。
彼らにとって、ごく当然の常識を。
「神王国に、責任を問いただすのです」
男は、問いただすという部分を強調して姫に伝える。
ここにこそ、真意が有る。シェラ姫は、直感でそう思った。
「神王国内の、それも学校の中。警備が何重にも行われているであろう場所から、姫が居なくなる。これは、神王国の警備が不味かったからでしょうな」
警備は厳重に行われていたはず。
それを、どうやったのか目の前の連中はすり抜けて見せた。
諜報機関に居る魔法使いを動員していることから、まともな手段ではあるまい。
シェラ姫は、自分の一族の裏の人間が、人には言えないようなこともやっていると知っている。むしろヴォルトゥザラ王国において、有力な部族は大なり小なり、そういった表ざたに出来ない仕事を専門にする人間を抱えているものだ。
表と裏、両方を使いこなしてきたからこそ、ヴォルトゥザラ王国は大国と呼ばれるまでに大きくなった。
神王国内の、軍事施設ともいえる場所から、要人をかどわかす。
立場が違っていれば、いっそ褒めたたえるほどのあっぱれな所業である。当事者としては、自国の人間の優秀さが腹立たしい。
ぎろり、と中年男が雰囲気を変えて姫を睨む。
「責任を問いただしたところで……ことによれば、先んじて一撃を加えることになるかもしれません。そうなったときは、姫は宣戦布告の大義名分となるでしょう」
大義名分。
それは即ち、姫が死ぬかもしれないということ。
神王国の人間がやったと宣伝でもするのだろう。
留学を要請してたのは、このためだったとでも言い張るに違いない。
「それまでは、大人しくなさいますよう」
言うだけ言って、男たちは去っていった。
手足を厳重に縛ったまま。
口を自由にしていたのは、舌を噛み切って死んだとしても、それはそれで利用価値が有るからだろうか。
ぞわり、と背筋を寒いものが走る。
「助けて、御爺様、父様、母様……」
助けを求める声は、か弱く響く。
「助けて、兄さま……」
祖国に居るであろう、兄を思い浮かべる。
日頃は喧嘩もする相手だが、優しい兄。
「助けてシン」
最後に姫が助けを求めたのは、好敵手と認める銀髪の青年であった。