433話 シンの気づき
「姫様がお休み?」
ホンドック教官は、ヴォルトゥザラ王国の姫様付を名乗る人物から報告を受ける。
急な体調不良によって、しばらくシェラ姫が学業を休むという。
急な連絡になってしまって申し訳ないとの言葉を添えて。
「教官方には申し訳ないが、快復するまで学業と訓練は休ませてもらいたいのです」
「そうですか。体調不良なら仕方ないですね」
学生が体調不良というのは良くあること。
まだ体も発展途上な若者ばかりであり、自分の体調管理を完璧にこなせる人間の方が少ない。
特に雨中の夜間訓練のあとなどは、体調不良者が続出する。
雨の中で体が濡れ、夜に気温が下がることで体も冷える。季節が寒い時期なら最悪だ。
敵というものは、自分たちが嫌だからといっても待ってくれるものではない。雨の中だろうが、夜だろうが、寒い時期だろうが、襲ってくることはある。むしろ、嫌がる時こそ狙われると思うぐらいのほうが良い。
教官達は実戦を経験している者も多いので、戦場というものが如何に厭らしく、如何に過酷で、如何に辛いかを、実感を込めて教えるものも居る。
雨の中で視界が悪くなっているところにきて、ばったり敵の一隊と遭遇。急遽戦いになったが、視界不良の遭遇戦。それはもう泥だらけ、傷だらけになって最悪の戦いだった。などと語るのだ。
こういった経験をした教官の少なくない数が、学生たちにも同じ経験を積ませてやろうと考える。
雨の中、寒風の中、或いは酷暑の折。学生たちが若いとは言っても、限界は有ろう。
いざという時の為に、過酷な状況を経験させるのも軍人教育の一環ではあるのだが、やはり無理をすれば体調の一つや二つは崩れるもの。
シェラ姫は、流石に雨中の寒稽古などはしていなかったはずだが、夜間訓練ぐらいはしている教官が居たのかもしれない。
慣れない夜間訓練では睡眠不足になりがち。睡眠不足は、風邪を引きやすくなることぐらいは軍人たちは皆経験則で知っている。
姫の体調不良も、その類だろう。
ホンドック教官は、そう考えた。
「はい。最近姫様も頑張っておられたので、疲れが出たのではないかと思います」
「確かに、遥か遠くのお国から来られていますからな。祖国とも気候は違っておりましょうし、慣れぬ中で疲れもしますか。お察しいたします」
「お気遣い痛み入ります」
幾ら鍛えていようとも、シェラ姫は十代の女子であり、慣れぬ外国で学ぶ身。
気を張っていたものが、ふっと緩んだところで疲れがどっと出てくるというのは分からなくもない。
ホンドック教官は、仕方ないことかと納得した。
「しかし、学生が体調不良で倒れたとあっては、放置も出来ませんな。是非お見舞いを」
体調を崩したのが、一応は自分の担当する学生となれば、放置も不味い。
ましてや、預かっているのが外国の王女なのだ。
見舞いの一つもするのが心遣いだ。
きっと、慣れぬ土地での病に、気も弱っていることだろう。一言二言激励の言葉をかけ、励ましてやるというのも教官の務め。
などと、ホンドック教官は腰を浮かしかけた。
しかし、ヴォルトゥザラ王国の人間は、教官の心遣いを固辞する。
「いいえ、それには及びません。教官に見舞いをしてもらう学生などはあまり聞きませんから」
「そうですか? 私は担当する学生の体調不良には出来るだけ見舞うようにしておるのですが」
「国が変われば常識も変わるということでしょう。何より、姫も女子です故、殿方の見舞いは羞恥も有りましょう。ご理解いただきたい」
「そこまで言われては、仕方ありませんな」
頑なに見舞いを遠慮されてしまえば、流石に押しかける訳にもいかない。高貴な女性の部屋に無理矢理乱入したなどと言われてしまえば、教官の職どころか命の危機である。
ホンドック教官は、仕方なくそのまま講義の為に場を離れた。
「遅れてすまんな。早速今日の講義を始めようか」
改めて講義の為に教室に出向けば、担当する者たちは既に待っていた。
ただし、少々ざわついている。
原因も先ほどのことだろうと察した教官は、何事でもないように平静を装う。
「今日の講義は、座学だ。毎日模擬戦も飽きたことだろうから、今日はみっちり座学漬けにしてみるか。午後も含めて、一日講義漬けといこう」
「ええぇ」
教官の言葉に、学生たちは嫌そうな態度を見せる。
勿論、訓練の行き届いている学生たちが、真っ向から不満を見せたりしない。教官に対する返事は、常にイエスである。しかし、だからと言って嫌なことを好きになるはずも無い。
「お前らは最近、座学の時はどうにも身が入っていない様子だったからな」
早速とばかり講義を始める教官。
講義に身が入っていない学生が増えていた理由もはっきりしている。
男ばかりの所に、突如現れた美少女留学生。しかもお姫様と来ている。ワンチャンあれば逆玉の輿。
それでなくとも魅力的な美人相手に、ついつい目がいってしまう男の多いこと。
お陰で講義の度に、ふわふわ浮ついた空気が蔓延していた。
幸い、今日は学生たちも集中するはずと、講義を始めるホンドック教官。
「教官、一つ質問をしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
講義を始めようとしていた矢先のタイミング。
学生の一人が手をあげる。
誰が手をあげるか、計っていたような感じだ。
学生の中でも割とリーダー的な男子学生が、ホンドック教官に対して質問する。
「姫様はどうされたんでしょう? 今日は姿が見えないようですが」
「体調不良で休みだそうだ」
まあ、聞くだろうな、と思っていた内容。
目下、ヴォルトゥザラ王国の姫君は、学生たちの中でも大注目のヒロインである。
それが今日は姿を見せない。
何かあったのかと気になるのは当然だろう。
ホンドック教官は、何でもないことだと平素の通りに告げる。体調不良で学生が休むなどは珍しくも無いだろうという態度。
ただ、姫の現状を聞いた若者たちは違う。
いつもとおなじ日常の中に現れた、非日常ともいえる。
とたんに騒がしくなる学生たち。
「じゃあ俺が代表して見舞いを」
誰かが言った。
「ふざけんな。代表して見舞いに行くなら、俺だろ。お前はこの前模擬戦で俺に負けたし」
「何をいうか。見舞いというなら、手ぶらで行くわけにもいかない。今日の座学についても教えることが出来るよう、座学の成績が良い奴が代表していくべきだ。つまり、僕だ」
一人が騒ぎ出せば、他の人間も騒ぎ出す。
美少女をお見舞いする。あわよくばそれをきっかけにお近づきになりたい。何ならお見舞いを理由に部屋に上がりこんでしまおう。
などという、邪な考えを持つものばかり。
思春期の男子学生などというものは、頭の半分はピンク色に染まっている生き物なのだ。
やいのやいのと、言い合いが始まる。
誰もがそれなりに一理ありそうな理屈をひねくり出し、自分が見舞いに行くと言い張っている。なまじ頭のいい士官学校生が揃っているだけに、この手の言い訳をさせても上手いのが堪らない。
理屈と膏薬は何処にでもつくという言葉が有るが、それぞれに優秀な人間が揃っていれば、自分が見舞いの代表者として選ばれるべき理由というのもどうにでも付けられるものなのだ。
「ああ、うるさいぞ、お前ら。静かにせんか」
事前に予想はしていたが、やはり騒がしくなったと、ホンドック教官はバンと壁を叩いて学生たちを大人しくさせる。
ため息の二つや三つは出そうな状況。予想通りでも何も嬉しくない。
「見舞いは、姫様も断っていた。そうやって気を取られているから、座学が進まんのだ。それじゃあ、早速前回の復習からやるぞ。その後は算術をやる」
「はい、教官」
ホンドック教官は、改めて姫の見舞いを禁じる。
教官自身が断られたのだ。学生たちが行ったところで、更に迷惑に拍車がかかるだろう。
くれぐれも勝手な行動は慎むようにと、どでかい釘を刺し込んでおく。
「よし、それじゃあ……」
授業は、いつもよりも熱を入れて行われた。
◇◇◇◇◇
姫様の体調不良説が流布され、心配だというものが増える中。
シンは、いつもの通り人目のない建屋の裏に来ていた。
いつも通り、今まで通りのはずが、何故か少しだけ寂しくも思える。
「いない、な」
いないことを確認したくなる気持ちが何から来るのか。
親しい友人が、体調不良になれば心配の一つもするはず。
見舞いも断られた以上、顔を見ようと思えば元気になるのを待つしかない。
待つしかないのだが、何故かつい、いつもの場所に足を運んでしまう。
そこに待ち人が居ないと分かっているはずなのに。
「ん? 何だこれは」
馴染み深い場所に足を運んだシン。
そこで、ふと違和感を覚えた。
魔法の使われた形跡だ。
シンは“魔法使いの友人”が居る。マルカルロがそれだ。モルテールン家従士の彼は、元々“一般人”として入学したはずなのだが、いつの間にか“実は魔法使いだった”という話になっていた。
真実は分からない。ルミニートという学内のアイドルを射止めたことで嫉妬を集めるマルクであるから、襲われることが無いように魔法使いだと吹聴している可能性もある。
権謀術数の得意なモルテールン家の人間だ。ブラフを駆使してマルカルロが魔法使いを装っていたとしても、何の驚きも無い。
シンにとっては、マルクの真実などはどうでもいい。大切なことは、魔法使いが身近にいることで、或いは魔法使いと共に育った人間から聞くことで、“魔法を使った形跡”を確信出来ることだ。
間違いない。魔法が使われた。
何の魔法かまでは分からないが、確信をもって断言できる。
更に、シンはいつもの場所から僅かに逸れたところに、昨日までは無かったものが落ちていることに気づく。
「……これは」
落ちていたものを拾い上げてみると、何の変哲もない布だった。
赤い、ひらひらとした、細く長い布。
シンには、その布に見覚えが有った。
「シェラのリボン。何故こんなところに……まさか!?」
シンは、姫が何者かに攫われたことを確信した。
本日より、おかしな転生
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