432話 体調不良の報告
シンと腹を割って語り合ってから。
姫は、こっそりとシンと愚痴をぶつけ合うようになった。
護衛もそこそこに、人気のない場所でシンと落ち合い、色気もへったくれも無いような会話をして、寮に戻る。
時には手合わせを強請り、時には鬱陶しい男子への憤りを語る。
仲のいい友達同士と言えばその通りであろうが、少なくとも姫にとってはシンが特別な存在になりつつあるのは明らかだった。
シンの内情や内心は姫には分からないが、決して邪険にされている訳では無いことだけは分かっている。
だからこそ遠慮なくぶつかっていけるのだが、ぶつかるたびにいい加減にしろと愚痴られるのもいつものこと。
「ふふんふふん」
鼻歌を歌い、ご機嫌なシェラズド姫。
最近は、人生が充実していると実感していた。とにかく、毎日楽しい。
楽しみの何割かが“親友”との交流なのは明らかだが、学生生活とは、かくも楽しいものかと浮かれている。
青春の輝きとは、やはり友達あってこそだ。
「嬉しそうですね姫様」
「そうみえる?」
「はい」
護衛の言葉に、軽くステップを踏みながら答える姫。
疑問形で問い返しているが、答えなどは明らかだ。
楽しいか楽しくないかを二択で考えるのではない。楽しいか、物凄く楽しいかの二択だ。
嬉しいかどうかも同じ問だろう。
正直、祖国に居た時とは全然違うと思えるほど、毎日充実した日々を送っている。食事は別だが。
今日も今日とて。
人目を憚って移動していた姫であったが、異変が起きた。
「ぐぁっ」
「きゃっ」
どさ、と音がした。
ほとんど聞こえないような小さな声と共に、人が倒れる音。
自分の耳にした音が、護衛の倒れる音だと気づいた姫は、警戒を露にする。
「え?」
何が有ったのかと気づく前に、姫は手に持っていた訓練用の木剣を構える。
刃も無いなまくらだが、素手よりはましだ。
「誰?」
護衛が倒れたことで、自分たち以外の人間が居ると気づく。
物陰からスッと出てきた一人の人物。更に、周りに数人の怪しげな男たち。
シェラ姫は、最初に姿を見せた人物に心当たりが有った。
「貴女は!?」
コーンウェリス=ゾル=ロズモ。
ロズモの一族に連なる、れっきとした同胞である。自分の父よりも年上の、一族の中でも年嵩の重臣。
倒された護衛は、氷によって倒されていた。殆ど声も出させずに倒したのだから、不意打ちとはいえ相当な実力なのは明らか。
温暖な神王国では、氷のようなものを武器にするものはいない。南大陸でも南方にあって、氷や雪を見たことが無い人間も多い国だ。
姫の心当たりは一人。
自国では、いや、自分たちの部族では知られた、氷結と呼ばれる氷の魔法を使う魔法使い。
「氷結……氷結の氷女。」
「我が姫様、おひさしゅうございます」
慇懃に挨拶をしてくる襲撃者。
足を揃えたまま軽く屈め、両手を胸の前で交差させる敬礼。
シェラ姫も見慣れた、ヴォルトゥザラ式の女性礼。それも、同じ部族の人間に行う挨拶だ。
同じ一族の、同じ国の人間が、姫の護衛を襲う。
どうあっても、ただ事ではない。
「まさか貴女が裏切るなんて」
ロズモの中にも派閥は有る。人が集まれば好き嫌いも生まれるし、意見の相違も起きるからだ。
大小は別にして、意見の相違と派閥の発生は必然的なもの。
だが、目の前の彼女は姫にとって最も近しい派閥の人間であったはず。
それが襲ってくるということは、とんでもない裏切りである。
「裏切りではありません」
姫から氷結と呼ばれた女性は、淡々と語る。裏切りとは心外であると。自分は今も昔も、ロズモに忠実な人間だと。
そも、彼女はロズモの中では有名であるが、他の部族にはあまり知られていない。諜報部隊に属しているからだ。
秘密裏に活動する専門家。
非合法なことや、表ざたに出来ない事案を扱うことも有る為、身元や忠誠心に関しては特に念入りに確認されていたはずの人物だ。
二十年近く第一線で活躍し、影に日向に一族を支えてきた英邁な女性。
姫がまさかと思ったのも当然だろう。
「我が一族の為。我が国の為。亡き先王陛下のご恩に報いんが為。やむなき仕儀にございます」
「それで、私を襲うの?」
「襲ったのではありません。我々がお守りするのです」
「どういう意味かしら?」
襲って来ておいて、自分を守るという。意味不明だ。
何が言いたいのかと、問答をする姫と魔法使い。
「ロズモ公は、誤った。神王国如きに尻尾を振り、履物を舐めるが如き対応は、昔の公であればなさらなかったでしょう」
「そうかしら」
「そうですとも。戦場を駆け、我々を力強く導いておられたロズモ公のお姿は、一族のものとして誇らしく思ったものです」
当代のロズモ公は、一族の長として傑出した人物である。
いや、だったと過去形で魔法使いは語った。
自身も剣を取っては名人上手の凄腕であり、兵を指揮すれば万の部隊を手足の如く使いこなす。部下に対しては明るく公正であり、女性に対しては紳士的であり、政治家としては清濁併せ呑むことのできる傑物。だった。
魔法使いの女も、自身の忠誠を捧げる相手として、最高の相手であると思っていたのだ。
すべては、過去形であるが。
「そうね。御爺様の武勇伝は聞いているわよ」
「ならば、お判りいただけるでしょう。我らロズモは砂漠の蠍。尻尾は振るためではなく、敵を刺すためにあるのです」
蠍の名を冠するものとして、その有り様は模範である。
過酷な大地でもわが物として駆け回り、守りは堅く、攻むるに狡猾。
特に大事なのは、尻尾の先の毒針。
これこそ蠍が畏れられる理由であり、ロズモが自身を蠍と評する所以である。
蠍の尻尾は、犬の尻尾と違って振るものではないとコーンウェリスは断言した。
「それで?」
「神王国へ阿り、姫の身柄を人質の如く差し出す。まるで貢ぎ物でも贈るように。このままではいずれ、姫は全てを神王国に差し出すことになりかねません」
「……推測でしかないわね」
魔法使いの女は、自分たちの危惧を語る。
今回こそは一ヶ月程度の留学だが、これで終わりと考えるのが間違っているのだと。ひと月の留学が出来たなら、そのうち一年の留学も起きうるだろう。一ヶ月でそれなりの成果が出たならば、通年で過ごすことでより深く学べるなどと言われて、否定は出来まい。
一年が出来たなら、四年も出来よう。四年が出来るなら、十年、二十年と、神王国で実質的軟禁になっていく。気づけば、神王国に完璧な人質として身柄を押さえられる。
そんな馬鹿なと否定するのは簡単だが、事実として留学が実現してしまっているのだ。単に、善意で留学を受け入れたと考えるより、他に狙いが有ると考える方が余程健全では無いか。
姫が何十年と神王国で暮らすことを強制する可能性は、かなり高いというのが彼女たちの見方。
所詮は推測、推論、予想に過ぎないと、シェラ姫は言う。
どこまで行っても仮定の話であり、論拠が足りないのではないかと。
「甘い。姫は、この国の人間がどれほど狡猾で残忍か、知らぬのです。大戦の折、どれほどの同胞がこの国の人間に殺されたことか」
段々と、魔法使いもヒートアップしてくる。
自分が一番強く感じていることを、自分で言葉にし、自分で口にするのだ。感情が揺さぶられるのだ。昂ってくるのも当然と言えば当然。
「戦争ですわね。悲しいことだわ。でも、ならば尚更、次なる戦争を起こさない努力をするべきでは無くて? 御爺様は、それを考えたのだと思うのだけど」
「それこそ笑止です。敵に足蹴にされて笑う、奴隷の平和など。隷属が搾取に変わる頃には、我々は何もかもを奪われていましょう」
人質を預けた状態で、自分たちが抑えつけられる形の平和は許せない。
ここまでくると、現実論ではなく感情論である。
二十数年前に起きた大戦では、ヴォルトゥザラ王国人もかなり死んだ。殺したのは神王国人だ。開戦の経緯には神王国も言い分はあろうが、ヴォルトゥザラ王国人を殺したことは動かしようのない事実。
自分たちの同胞を殺した奴らに、何故下手に出ねばならないのか。
「貴女がそこまで強硬な意見を持っているとは、初めて知ったわ。それで、神王国に抗することと、私の護衛を襲うことに、何の意味が有るのかしら」
「我々は、姫を利用する連中に、一泡吹かせてやろうと思っているのです。姫は、我々がお守りします故、何も心配いりません。ここで姫が“行方不明”となることで、同志が動きまする。姫様ご不在の責任を追及すれば、今まで不当に奪われてきた国益も取り返すことが叶いましょう。きっと、神王国の奴腹は血の気を無くす」
「夢物語のようね」
「夢ではございませぬ。姫のご協力が有れば、実現する現実でございまする」
シェラ姫を利用することが許せないと言いつつ、これからやろうとすることは、姫の存在を盛大に利用した恫喝。
言っていることが矛盾だらけだと、姫は呆れる。
高い忠誠心の根本には、コーンウェリス自身の思い込みの強さが有ったのだろう。自分が絶対に正しいと、心の底から信じられる精神力の強さ。
それが、今の状況では完全に裏返っている。
高い忠誠心故に姫の現状が不遇だと憤り、強い責任感故に自分が何とかせねばと考え、優れた能力故に実行出来てしまう。
味方であれば頼もしかったものが、今はそのまま敵になっている状況。
ぐっと、木剣を握る力を強めるシェラ姫。
「姫様、抵抗はなされませんように」
「抵抗したら、どうなるのかしら?」
じりっと足を動かす姫。
「……こうなります」
はっと姫が気づいた時には、足元が凍っていた。日陰の、日当たりの悪い場所だ。地面が湿っていても、不自然には思われない。
氷を生み出すものにとってみれば、湿り気の多い地面は自分の得意なフィールド。
身動きが取れなくなった、と気づいた時には遅かった。
口元を凍らされ、息が出来ずにそのまま酸欠で気を失う。
足元から崩れ落ちる姫。
「姫様をお運びしろ。くれぐれも、丁重にな」
魔法使いの女性は、周りにいた男たちを動かし、何処となく姿を消すのだった。
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