429話 初めての交流
シンの日課は、朝の運動から始まる。
彼の教官は自主性を重視する教え方をしており、三年目ともなるとある程度放置に近い扱いになっていた。
勿論、講義や訓練のスケジュールは教官が決めているし、質問すれば丁寧に答えてくれる。相談すれば真摯に対応してくれるし、訓練では悪い部分を指摘し、良い所を褒めてもくれる。
ただ、他の学生がもっとガチガチに一日のスケジュールやある程度のカリキュラムを組まれていることに比べればゆとりが有るということ。
特に、朝方の時間はほぼほぼ自由時間と言って良い。
三年次ともなれば、来年度の卒業を見越して動かねばならない時期。人によっては、就職活動のようなもので訓練を休むことも増える。それならばいっそ、好きに時間を使いなさいと言うのが教官の指示である。
曰く、戦場とはありとあらゆる想定外が起きる場所であり、指揮官である高級軍人に最も求められるのは考える力。思考力であるというのが教官の信念。
どれだけ勉強をしたとしても、結局それで身に付くのは知識であり、本当に必要なことは知識を応用すること。そして、必要な知識を自分で身に着ける学習能力を持つこと。誰かから教えられたことだけを闇雲に覚えるのではなく、自分で考え、自分で学び、自分で動いたことこそ本当の実力を育てる、という考え方で教育に当たっていた。
故に、他の教官たちが下手をすれば食事の仕方まで指導するのに対して、件の教官は明らかに間違ったことを叱る程度で教育している。
担当してもらっている学生は、本当に格差が激しい。優秀な人間は自由な裁量を与えられたことで大きく学び、育っていく。対し、怠け癖がついてずるずると実力を落とす者も居る。
人によって、合う合わないの差が激しい教官、というのが巷の評価。
それでも彼の教官の教え方はシンには合っていて、毎朝の運動も自主的にやっていることだった。
「ふう」
軽いランニングと剣の素振りを終え、軽く体の柔軟を行うシン。
体のコンディションを調整しつつも、宿題や課題について思考する時間。
今日考えていたことは、来月にあるであろう机上演習についてだ。
駒を使って模擬的に行われる一種のシミュレーションではあるが、来月の演習は対戦相手が首席候補。負けず嫌いな性質のシンは、相手を倒すための努力は怠らない。
机上演習の場合、頭まで筋肉で出来ていそうな連中は、カモだ。勝ち星を稼ぎ、成績評価をあげる為のいいお客さん。それに比べれば、内務系の教官に師事する連中は手強い。
来月の相手がそれで、机上演習を得意とする連中に当たる。
シンは優秀だという評価を周りから受けている通り、机上演習も得意。
来月の演習は三年次の学生ということもあって、作戦指揮を任されるはずなのだ。
どういう作戦を使うか。開脚前屈をしながら、じっくりと考える。
「おう、クルム学生」
朝練をしていたシンに、担当教官が話しかけてきた。
珍しいことではあるが、教官に対しては軍人らしく敬礼で返事を返す青年。
立ち上がって、右手を握りこんで左胸にあてる敬礼である。
「教官、おはようございます」
ビシっとした姿勢のシンに、教官は軽く頷く。
当人はいささか放置気味に教育しているが、やはり優秀な学生には目を掛けたくなるし、頑張っている学生が可愛くない訳では無いのだ。
「せいが出るな」
「恐縮です」
朝練の時間は、他の学生もランニングなどを行っている。
朝も早くからハードなトレーニングをするような人間は少数派であるし、整理体操程度で体を温めている人間の方が多い。
故に普段であれば教官とシンが雑談したところで大して目立たないのだが、何故か最近はシンも有名になってきており、ちらほらと注目する目が向けられていた。
「今日は、訓練と座学を午前と午後で入れ替えるぞ」
「分かりました」
教官の一言。
恐らく、この連絡事項を伝えたいがために朝練に顔を出したのだろうと青年は察した。
普段であれば、頭を使う座学は頭のはっきりとしている午前に行い、眠気のやってくる午後には体を動かすというのがこの教官の通常スケジュール。
目ぼしい教官も大体似たようなスケジュールを組んでいることが多いので、それを入れ替えるというのはそこそこイレギュラーな対応だ。
何故だろうか、と疑問に思っても、聞き返したりはしない。
軍人であるならば、上から言われたことはとりあえず是と返すものだ。
聞き分けのいいシンに対して、教官の方は少しばかりバツが悪そうにする。
「うむ……まあなんだ。大変だろうが、頑張れよ」
「は? はぁ、ありがとうございます」
教官の意味深な言葉に、訳もわからず相槌を打つシン。
連絡事項の伝達が終わったところで二言三言軽く会話。それで教官は去り、青年は朝練の続きを行う。
といっても、柔軟も済めば自主的な朝練はそれまで。
やり残したふくらはぎの柔軟と、軽く首のストレッチをして完了である。
朝練も終わり、朝食も済んだあと。
朝の活力に満ち満ちた時間帯。
シンや、教官を同じくする他の学生たちは、訓練場にぞろぞろと集まっていた。ざっと四十人ほどだろうか。
多いと言えば多いが、少ないと言えば少ない。
ほどほどに集まったなといったところ。
「今日の訓練は、三対三の連携訓練だ。複数人同士で戦って貰う。幾つかの組と合同訓練になるから、そのつもりでいるように」
教官の言葉に、シンはいつも通りの連中と組もうと思った。
同じ教官に師事している連中や、同期の連中だ。
成績優秀なシンは、こういった複数人で組んで行う訓練では人気。学生と言えども競い合いが有れば負けたくないという思いもあるもの。優秀な人間同士で集まって協力し合えば、いい結果が出やすいのは自明のこと。
皆が皆同じように考えることであるから、基本的に組を作るときは同じメンツになりやすい。
連携を重視する訓練というなら猶更だろう。不慣れな相手と組んで、連携も何も無いものだ。
しかし、今はイレギュラーが居る。
それも、飛び切りの不確定要素。
シェラズド姫が、今日に限って同じ訓練を受けているのだ。
シンを見つけたシェラズド姫は、狩りごろの獲物を見つけた猟師のような目つきでシンを睨みつける。
「勝負しなさい!!」
開口一番がそれかと、あきれるシン。
整った顔が、明らかに嫌そうな顔になる。
動きやすそうな格好に、結ばれた髪。明るくも挑戦的な顔つきの中に見え隠れする、楽し気な雰囲気。
見た目だけならば美人なのに、やってることは不良が絡むのと大差がないと、シンは断ろうとした。
「他をあたもご」
「分かりました!!」
他を当たってくれと言おうとしたシンの口を、同じ組の男が塞いだ。伊達にシンと組んでいる訳では無い。優秀な学生が、その能力を発揮した電光石火の口封じ。反射の域で行われた、目にも鮮やかな封じ手である。
優秀な班員たちは、シンが断るであろうことを予測していたのだろう。
シンの口を無理やり塞いだまま、とてもいい笑顔でシェラ姫の申し出を受諾する。
「そう。今回は負けないからね。本気で勝負しなさいよ」
シンの班員たちが勝負を受けたことに満足したのだろう。
ふふん、と笑った姫は自分の班員たちの方に戻る。
「おい」
口封じが解かれたところで、やってられないのは無理矢理対戦相手を決められた当人だ。
思わず抗議しようとしたシンだったが、むしろ抗議するのはこっちだ馬鹿野郎と、組の人間は言う。
「お前は馬鹿か。お姫様と仲良くなれるチャンスを棒に振るとか、何を考えてんだ!!」
「はぁ?」
「このボケ!! 俺たちから申し込むことは禁止されてんだ。あっちから声を掛けてくるのをみんな待ってたんだ。何でその機会を与えられて、断るんだよ。断ってたら、お前を後ろから殴り倒してたぞ。止めてやったことに感謝しろよ!!」
「なんだそれ」
脱力というのは、こういう時に使うのだろうかと、シンは呆れた。
どうやら優秀な学生であっても、若い男である事実は変わらなかったらしい。
美少女とお近づきになれるチャンスとばかりに、班員はウキウキで模擬戦闘の準備を始めた。
他の人間がやると言っているのに、シンが自分だけ嫌だと駄々をこねる訳にもいかない。単に、姫と絡んだ後は他の連中からのやっかみが酷いので、事後の対応が面倒だなあと思うぐらいだ。
「さあさあ、やりますわよ。ほら、あなたもさっさとこっちに来なさい」
シンを無理やり引きずる勢いで、訓練に巻き込むシェラ姫。
巻き込まれる方は、実に嫌そうな顔だ。
特に、シェラ姫と同じ組になっている野郎であったり、或いは訓練を一緒にと誘って欲しがっていた別の組の人間とは対照的だ。
嫉妬に近い感情を向けられる男は、訓練だけは真面目に行う。
「はじめ!!」
連携はやはり普段から組んでいる者たちの方が上手い。
三対三の連携訓練ということは、一対一と違った戦い方をせねばならないもの。そもそもこの訓練は、個人技能でずば抜けている人間であっても、連携次第で対処できるということを学ぶもの。息の合った動きは、個人の多少の優劣などひっくり返す。
ましてや、個人技能も上で、連携も上ならば、勝利の天秤は偏ったままピクリとも動かない。
シンたちの組は、危なげなく連携を行い、シェラ姫たちの組をあしらった。
「もう、また負けましたわ!! 悔しい!!」
「そうか」
負けて地団太を踏むシェラ姫。
シンは、そんな美少女には目を向けることも無く、反省点を考えていた。
「次の機会にリベンジです!!」
「だから、なんでそうなる」
次の機会も、またシンと戦うのだと、シェラ姫はふんすと気合を入れる。
次こそは勝ってやるという意気込み。
今でも周囲の目線が痛いのだ。次などあってたまるかと、シンは姫の意見を一蹴した。
訓練が終わったあと、同期の人間がシンの肩に手を回して耳打ちする。
「姫様に気に入られたんじゃねえの?」
そうだったら面白そうだ、という揶揄いが多分に入った耳打ちだ。
シンは、誰もが認める美形であり、成績も優秀。地頭の良さは誰もが一目置いており、戦闘巧者という評価がある。
優秀な人間と、美人の組み合わせ。
ぱっと見るだけならばお似合いである。
羨ましいぞこの野郎と揶揄う同期の肩組みを、シンは鬱陶しそうに払う。
「そんな訳ない。いい加減鬱陶しいぞ。俺はあいつには関わらん」
シンの言葉に、同期達は手強い恋敵が減ったと喜ぶのだった。