427話 学業参加
早朝の、涼しい風が頬を撫でる。
快晴を予感させる眩い朝の光は、学生たちの目を覚まさせるにはもってこいなのかもしれない。
銀の陽光をいっぱいに受け、若者たちは訓練場に集合していた。
「諸君、おはよう」
「おはようございますホンドック教官!!」
朝の挨拶が唱和される。
一斉に返事をして声が揃うあたり、実に寄宿士官学校の学生らしいところだろう。基本的に学生たちは、何事も足並みを揃えることを求められるもの。ましてや軍人ともなれば、集団行動が大前提になる仕事柄、息を合わせることをごく当たり前のこととして習慣づけられる。
特に、ホンドック教官は学生たちの和合を重視する教育方針を取っていて、調和を大切にすることこそ最も重要なことだと教えるタイプだ。バランス感覚重視ということでもある。
挨拶は、人間関係の潤滑油。
いつもの光景、いつもの挨拶。変わらない学生たち。
唯一、寄宿士官学校生としては珍しい人間も居た。
ヴォルトゥザラ王国の王女。ロズモ一族の公女である、シェラ姫だ。
皆に合わせて挨拶をすることで、実に学生らしく馴染んでいた。
服装も動きやすい服装になっているし、汚れてもいいようなシンプルな恰好である。ただし、色合いはかなり派手であり、沢山の色を使うほど良しとするヴォルトゥザラ人の気質がよく表れていた。
「本日は、乗馬を行うぞ。事前に伝えていたので、準備はしてきたはずだな」
「はい、ホンドック教官」
ホンドック教官は、外務閥に属する若手の教師である。
ヴォルトゥザラ王国にも使節団に潜り込んで出向いたことが有り、自称ヴォルトゥザラ王国通のエリート。
自称が事実かどうかは別にして、ヴォルトゥザラ王国に実際に行ったことが有る教官というのは珍しい。
彼と、あとは二人ほどだろうか。うち一人がペイストリーなのは誰もが知ることであるが、ホンドック教官が貴重な経験を持っていることも事実。
元々外交使節団に学校関係者を含ませ、人材育成と人脈形成に活かそうとしたのは、寄宿士官学校の校長が狙っていたことでもあり、狙い通りに貴重な経験者となったのがホンドック教官である。
将来も期待される、有望な若手といったところだろうか。外務閥主流派としては期待のホープ。少なくとも今の校長が変わるまでは、学内でもなかなかの発言力を持つ有力な人間として在籍することになるだろう。
「乗馬は、我々騎士にとって必須の技能。乗れることは当たり前だが、今日は乗馬時における偵察行動について、実地を交えつつ講義することとなる。いつも言っていることだが、既に分かっていると高をくくることなく、初めてやることだと思って真摯に臨むように」
「はい、ホンドック教官」
「シェラズドは乗馬が初めてらしいな」
「はい」
姫の名前を呼び捨てにするのは、彼女が留学生ながらも学生の立場だから。寄宿士官学校には、場合によっては王族が通うということもある。王族という身分の学生であっても、配慮はしても特別扱いしないのが学校の方針。特別扱いをして学べるものも学べなければ、王族学生にとっての損失にしかならないし、それこそ不忠であるという考え方だ。
それ故、シェラ姫に対しても特別扱いをすることは無い。
無いのだが、かといって他の学生と全く同じことを教えられるかと言えば、否である。
駱駝に親しんでいる部族出身の彼女は、実は乗馬というものが今日初めてなのだ。
だからだろうか、ワクワクとしている雰囲気が誰の目にも明らか。
早く乗ってみたくてうずうずとしているのだろうが、流石に初心者をすぐに乗せる訳にはいかない。
「復習も兼ねて、馬の扱いを一通り説明しておこうか。シェラズドも座学では学んだな?」
「はい、ホンドック教官」
「結構。では馬の所に行こうか。全員、ついてこい」
教官が、三頭ほどの馬の傍に学生たちを引率する。
学内の馬房の傍。
特定の馬だけ柵に隔離されている訳だが、そのうちの一頭はホンドック教官の愛馬でもある。
動物を扱う場所ならではの臭気を感じつつ、皆が馬からやや離れた柵のところに並ぶ。
「まず、馬というのは生き物であるということを、諸君らは肝に銘じておかねばならない」
馬の傍に立ち、愛馬を撫でながら説明をする教官。
「自分の思い通りに動く道具ではない為、お互いの信頼関係は常日頃から築いておかねばならない。いざという時、いうことを聞いてくれないということが無いようにだ。分かるな」
「はい、ホンドック教官」
馬というのは、繊細な生き物だ。
人よりも力強く、人よりも速く、人よりも長く走れることから、騎乗動物としては非常に優れているのだが、だからといって欠点が無い訳でもない。
神王国は騎士の国であり、貴族であれば誰もが馬に乗る。神王国においては支配階級とは貴族のことであり、貴族とは騎士でなくてはならず、騎士は馬に乗れねばならないからだ。馬の扱い方は、寄宿士官学校ではどの教官も教える必須項目。貴族子弟の為の学校として、馬の扱い方や乗馬時の行動についてはかなりの比重で教えられる。
中には、馬の専門家として一家言を持つ教官も居るほどだ。
馬の扱いに関しては各家でそれぞれに口伝されていることも多い。
「馬に近づくときは、必ず馬から見える方向から近づくように。後ろから近寄るようなことは絶対にしてはならない。何故だか分かるか?」
「はい、ホンドック教官。馬に蹴られることが有るからです」
「そうだ。馬も後ろから近づかれたときは、慣れている人に対してでも過敏に反応することが有る。気性によっては、親馬でも蹴ることがあるというのは覚えておくように」
「はい、ホンドック教官」
今行われている教官の説明は、本当に初歩的なことばかり。
誰の為かと言えば、シェラズド姫に対して説明しているとしか思えないわけだが、建前上えこひいきをするわけにもいかず、復習ということで説明している訳だ。
馬の扱い方や、世話の仕方。騎乗の基本テクニックなどの説明が済んだところで、いよいよ実践してみるということになった。
「実際に乗ってみるとするか。一応、全員乗ってもらうが、まず最初は誰か。志願する者はいるか?」
いち早く手を挙げた姫に対して教官は苦笑しつつ、経験者のお手本を見てからと言い含める。
「では、まずはローニー」
「はい!!」
身長190センチはありそうな、スラリとした長身の男が呼ばれて進み出る。
ホンドック教官門下としては優秀な方の学生であり、長身を活かした長いリーチの剣闘技が自慢という男である。
貴族家の傍系に連なり、馬に乗るのも子供の頃からやってきたことで有る為、自信満々だ。
“話題のお姫様”の目の前。いいところを見せたいという気持ちは誰でも多少は有る者らしく、ローニーもまた例に漏れない。
颯爽と馬に跨り、これまた自信ありげに馬を操る。
小さい時から慣れ親しんだ乗馬だ。勿論失敗するはずも無く、柵の中でぐるりと軽く馬が一周した。
「よし、いいぞ。次、ヴァレン、いってみろ」
「はい!!」
「お前はもう少し緊張をほぐしたほうが良いぞ。しっかり、教えた通りにやれば大丈夫だ。安心しろ」
「はいっ!!」
次に呼ばれたのは、まだ幼さの残る少年。
今年入学したばかりの十三歳だ。
士官学校に入学できるだけの実力は有るのだが、如何せん姫の前というのが良くない。
右手と右足が同時に出るほどに緊張していて、馬に跨るのももたつく。
馬という生き物は、とても賢い生き物だ。
乗り手が緊張していれば、それを敏感に察する。
ガチガチになったまま出す指示など碌なものでもなく、馬も困惑しながらなんとか柵の中を一周して見せた。
「ヴァレンは精神修練がまだ甘いな。もう少し自分の緊張を操る術を覚えねば」
「は、はい」
自分でも失敗したことが分かったのだろう。
少年は、かなり落ち込んでいる。
「次は……」
ざっと学生たちを見回したところで、ホンドック教官と女生徒の目が合う。
それはもう、ばっちりと。
一体、誰なのか。勿論、早く乗りたいですと全身でアピールしている、シェラ姫とだ。
「そ、それではシェラズド、いってみ」
「はい!!」
教官の語尾を食う勢いで、即座に動いた姫。
馬も若干怯え気味だが、そこはそれ。
馬は初めてでも、家畜の扱いには多少の慣れを持つ姫が、どうどうと落ち着かせて騎乗する。
そしてそのまま、さっと馬を“走らせ”た。
一応、座学では馬を走らせることまで教えていたのは確かだ。
しかし、初心者が簡単に出来ることでは無いとも考えていた。
それゆえに、初歩的なことを“復習”していた訳だが、教官の配慮を姫は思い切り蹴飛ばした形になる。
「凄い、お姫様」
誰の声だっただろうか。驚きとも賞賛ともとれる声がした。
実際、姫の乗馬姿は堂に入っている。背筋も伸びているし、馬に載せられるのではなく、馬に乗るということが出来ている。
動きやすい服装をしてきたことからも分かる通り、相当に準備をしてきたのだろうと教官は推察した。
一周と言わずに三周ほど馬を走らせた姫は、実にいい笑顔で馬から降りる。
馬を驚かさないように拍手こそないが、学生たちも含めて、皆が姫の乗馬に感心していた。
「うむ、見事だった」
「ありがとうございます」
褒められたのが嬉しかったのか。はたまた初めての乗馬が思いのほか楽しかったのか。頬をあげ、きらりと輝く爽やかさでほほ笑む美少女。
姫の笑顔には、他の男子学生たちは見ほれるしかない。推しアイドルが自分に対して笑顔を向けて手を振ってくれたような感覚。日頃女っ気に乏しい初心な男子学生は、心の中で拍手喝采。声なき声で姫に対して賞賛の念を送る。
学生たちの異常な雰囲気。ホンドック教官も、しばらくはまともな授業が出来なかったほどだ。
やがて、今日の授業も一通り終わる。
「今日は、これぐらいにしておこう。皆、よく頑張った。解散」
「ありがとうございました」
授業が終わり、寮に戻る道すがら。
姫は、とても軽やかな足取りだった。
「学校って、楽しいですわね」
充実した学生生活を満喫する姫。
その顔には、一点の曇りもない笑顔が浮かんでいた。