422話 お姫様
ヴォルトゥザラ王国首都にある王宮。
白亜の宮殿とも呼ぶべき美しい建物は、町のどこからでも見ることが出来る。
この国の創設と共に建てられた王宮は、優美なシルエットでヴォルトゥザラ王国の発展を見守ってきた。
王宮は幾つかの建物で構成されていて、主に本宮、後宮、正殿、離宮からなる。
本宮は国王の一族の持ち物。一族の長老や、主だった配下部族の長たちが部屋を持つ。例えヴォルトゥザラ王国の貴族であっても、一族のものでなければ入れない場所だ。
正殿は、政務が行われる場所。
諸外国要人や国内貴族との謁見、各部族との折衝や面会、事務室などがある。この国の政治の中枢と言ってよく、厳重な警備で守られている建物だ。
後宮は、国王とその伴侶たちの私的な空間。
各部族からあげられた側室たちがそれぞれに部屋を持ち、国王と正室が最奥に部屋を構える。広い中庭や調理場なども抱え、基本的に国王以外は男子禁制である。完全に隔離された女の園と言っていいだろう。
そして離宮。
ここは、国王の身内や、有力な部族がそれぞれに構えている建物。増えることもあれば減ることも有り、数は時代によって不定。
国王に、後継者となる子供が生まれた時には離宮が一つ与えられるといったことも珍しくない。
離宮それぞれに名前があり、百合宮や柘榴宮といった植物を冠して呼ばれることが一般的である。
この離宮の一つ。
薔薇宮では、慌ただしい事件が持ち上がっていた。
この離宮の住人の一人であるシェラズド=ロズモ=マフムード。親しいものの間でシェラ姫と呼ばれる公女が、外国へ留学することになったという事件だ。
一国の姫が、そして何よりヴォルトゥザラ王国で三指に入るほどの有力部族の公女が、外国に行く。
これで驚かないなら何で驚くのか。
薔薇宮の中は上から下まで、いや、一番上の人間を除いて、全ての人間がドタバタと慌ただしくしている。
では、一番上の人間はどうしているのかといえば、観光旅行にでもいくかのようなのんびりとした準備をしていた。
誰あろう、シェラ姫がその上の人間である。
ロズモ一族の長の孫。直系の公女にあたる彼女が鼻歌でも歌いそうな様子で、ああだこうだと傍仕えの侍女と一緒に会話していた。
「これも良いわよね」
「そうですね」
「こっちも捨てがたいわ」
「確かにお似合いです」
姫の言葉に、傍仕えが相槌をうつ。
かれこれ二時間ほどはこうして姫と傍仕えのやり取りは続いていた。
他の使用人が各準備の為に慌ただしいというのに、ここだけはのほほんとした気の抜けた雰囲気である。
そこに、部屋の扉がノックされる音がした。
「失礼致します。姫様、今日の会食のご予定の……まあ、姫様!!」
傍仕え筆頭。
婆やと呼ばれる年嵩の女性が、姫の部屋に入ってくるなり大声を上げた。
彼女は、部屋の主の姿を見て眦をあげる。
「どうしたの、婆や」
「どうしたではありませんよ。何ですか散らかして」
婆やが見渡した部屋の中は、物が散乱していた。
一番多いのは服。ドレスの類だ。
足の踏み場もないと表現するのが相応しいほど、床を色とりどりの布が覆いつくしている。
元より原色を多用するのがヴォルトゥザラ王国流の衣装。散らばった服が作り出したモザイク画が、実に目に痛い。
絵具をぶちまけたような、というのだろうか。染められた布地が作るちぐはぐなカーペットを、踏まないようにする婆や。
どのドレスにしても、最高級品である。踏みつけて皺でも作ってしまうと大ごとだ。服と服の間を、何とか開けて姫に歩み寄る婆や。
これほどに散らかしているのは一国の姫としてどうなのかと、説教するのも傍仕えを束ねるものの務めだ。教育係を兼ねる傍仕え筆頭の役目として、姫に対して問いたださねばならないだろう。
「一体、何事ですか」
持っている服を全てぶちまける様な真似を、何故やっているのか。
姫のわがままは別に今に始まったことでは無いが、奇行を行うのであれば理由を尋ねるのが筋というもの。
だいたいの理由は想像できているが、確定させるには姫の口から直接聞かねばなるまい。
「服を選んでいたのよ」
婆やに聞かれて、軽く答えるシェラ姫。しかも、どや顔である。
姫の容姿は、まだ幼さが残るものの美人と言って良い。彫りの深い、はっきりとした顔立ちで、目鼻立ちはスッとしている。髪型は、今はストレートヘア。肩よりも下に伸びた髪は、ロングというには短いが、ショートと呼ぶほどには短くもない。
髪色は艶やかな黒一色。
堂々としていれば、それはそれは見目麗しい。
口を開きさえしなければ、何処に出しても恥ずかしくない姫君である。
「服を選ぶ?」
「そう。神王国に行くとき、全部は持って行けないじゃない?」
3LDKの間取りぐらいならば余裕で作れそうなほど広いワンルーム。
それをぎっしり彩るほどに散らばったドレスの数は、百では効かないだろう。
下手をすれば四桁の大台にのせているかもしれない。少なく見たところで、三百を下回ることはなさそうである。更に、どれ一つとして同じデザインの被りが無いのだから、全部特注のオーダーメイド品である。既製品を買うのではなく、職人をわざわざ呼びつけた上で特注しているのだ。
伊達に大貴族の公女ではなく、全てが彼女の私物。一着でも庶民の年収に近い高級品を、何百と持っているのだから金持ち度合いが半端ない。ひと財産と言えるほどの量をぶちまけているのは、中々にド派手であろう。
姫の心情を素直に吐露するのであれば、ここにある全てを持って行きたい。何が有るか分からない外国で、いざという時に相応しい装いをするためにも、選択肢は有れば有っただけ良い。
だがしかし、無理なことも有る。物理的な限界の話だ。仮に全部持って行こうとするなら、神王国からヴォルトゥザラ王国までは衣装を積んだ馬車だけで行列が出来ることだろう。
何せ、姫の持つドレスはここにあるだけではないし、アクセサリーや靴なども合わせる必要があるからだ。
それにしても、よくもまあ散らかしたものである。
婆やは、姫の目の前で大きく咳払いをする。
「ごほん。散らかしたのは、ご留学される件で、ですか?」
「そう。どんな場面でも対応できるように、色々と考えて服を持って行かないといけないって、選別していたのよ」
シェラ姫は、近々隣国へ短期留学することが決まっている。
祖父であるロズモ公から言われたことであるが、国として行う正式な使節でもあった。
普段は離宮で無聊を託っている姫としては、自分が一族の役に立つということで張り切っている。
失敗したくないからと、服装選びにも手を抜かない。神王国の国王謁見用の衣装が何着か要るだろうし、王族の方々と会うならまた別の服が必要になるかもしれない。向こうの有力者と会う時には少し華やかな衣装が要るだろうし、普段着として着る服も要る。
更に、留学先は士官学校だという。ならば、動きやすい服も要るだろうし、汗をかくことを想定して着替えは出来るだけ多めに持って行きたい。
自分の手持ちの服の中から、用途に合わせたものを。それも、自分の好みに出来るだけあっているものを持って行きたい。
真剣に選んだうえで、ばっちりと準備をしておこうと考えたのだ。
「それで、こんなに散らかして」
「さ、最初はちゃんとしてたのよ? ホントよ? ちょっと前のをもう一回とか、どっちもいいから比べてみようかしらとか。やってるうちにこうなっちゃったのよ」
「はぁ」
姫とて、きちんと傍仕えを抱えている身。
本来であれば、服も散らかし放題に広がったりはしない。片付ける人間が居るからだ。
しかし、今回ばかりは姫のせいでこうして散らかっている。
まずもって、普段なら何人もついてくれている傍仕えが、一人だけ。一番慣れ親しんだ傍仕えだけである。他の人間は、外国に公女が出向く準備に駆り出されていた。外国に行くのだから、ヴォルトゥザラ王国の高貴な立場として使用人も大勢連れて行かねばならないし、彼女たちは彼女たちで服の準備やら何やらとやることがある。
いつもならば居るはずの、人手が居ない。
そんな中で、ああでもない、こうでもない、こっちがいいかしら、やっぱりさっきのをもう一回出してみて。こっちとそっちならどっちがいいかしら。
などと繰り返すうちに、見事に部屋中が服で埋め尽くされたという訳だ。
いつもなら片付けてくれるはずの人間が居ないのだから、いつもと同じようにやっていれば散らかるのが道理。
事情を聴いた上での、婆やの大きなため息。
「散らかした理由は分かりました。今後は誰か片づけを専任にしてください」
「服の片付けだけで、人の一生を縛るものではないでしょう?」
専任というのは、一つの仕事ないし一つの部署の役割をあてられ、それを専門にずっと行う立場だ。
何でもこなす、と言えば聞こえのいい雑用とは違って、立場がかなり上になる。
お片付けを専任にというのは婆やの冗談だ。勿論、姫もそれを分かっていてさらりと流す。
そのまま、公女が一着のドレスを手に取る。
片付けるのか。いや、そんな訳はない。
「それで、持って行くものは決まったのですか?」
「ええ。まずはこれ」
姫は、明るい黄色の下地に、渦巻き模様が描かれた服を手に取ったのだ。
婆やに見えるよう、体にあててみせた。
姫が自分の目利きとセンスによりをかけて選び抜いた一着なのだろう。
「よくお似合いですね」
「でしょ?」
体に合わせた服は、姫の黒髪によく映えていた。
黄色い色は明るい色だが、その色合いが黒い髪を際立たせる効果になっている。
実に優れたデザインのドレスだ。
黄色以外にも赤と青が目立つ。ベースの黄色を際立たせるよう、細い線で流れるような流線が描かれていた。渦を描く模様は、流線の波打った模様と併せて流れる川を思わせる。
「それにこっち」
「それもお似合いです」
「ふふん」
七色を使った幾何学模様の服を体にあてるシェラ姫。
公式行事で着る服だが、少し茶色い姫の肌の色に合わせた衣装は、とても華やかだ。
何色がベースになっているか、一見すれば分からないほどにみっしりと模様が描かれた服。
ヴォルトゥザラ人の美的センスから言えば、実に美しいと映る。
「それにそれに」
「姫様!!」
まだまだファッションショーを続けそうになったシェラ姫の行動を、婆やが制止する。
「なに?」
「姫様が衣装を選ぶことに夢中になるのは構いませんが、お食事をしてからになさいませ」
「え? もうそんな時間?」
ぱっと姫が窓の外を見ると、既に日は天頂を過ぎていた。
朝から今まで、昼餐も忘れて没頭していたらしい。幾ら何でも張り切り過ぎである。
「そのような有様では、留学先で恥を掻かれますよ。もっと自分を冷静に見なければいけません」
「分かってるわよ」
「神王国では大人しくなされませ」
婆やの言葉に、しぶしぶと服選びを中断するシェラ姫。
「神王国か、どんなところなんだろう」
若き公女の視線の先には、まだ見ぬ神王国への憧れが有った。