421話 新婚夫婦の会話
神王国王都にある寄宿士官学校。
日々学生たちが刻苦勉励に勤しむ学び舎であり、将来の軍幹部を育てる軍事教練施設でもある。神王国においては唯一の高等教育機関であり、国内外から優秀な人間を集めて育成を行っている。
毎日が訓練と勉強に染まっている士官学校ではあるが、学んでいるのは年若い青少年。ちょっとした時間には仲のいいもの同士が集まって、青春のひと時を楽しむ。
自主的に訓練といいつつスポーツのようなことをして遊んでみたり、備蓄状況の確認だといいつつワインを持ち出してこっそりと飲んでみたり、友人同士で集まって将来のことを語り合ったり。
いつの時代も、どんな時でもある、若い時期ならではの打算の無い交友。
一生の友ともなるであろう者たちとの、時間の共有。青春とは、いつだって眩しいほどの輝きを放つ。
モルテールン家従士マルカルロとルミニートの二人もまた、そんな青春の真っただ中。
新婚という初々しい関係ではあるが、夫婦生活と呼べるものは未だに無い。何せ二人とも学生であり、全寮制の学校で管理下に置かれている。具体的には、ルミニート親衛隊のメンバーが、マルクをいつも付け狙っている。
下手な間違いが起きないよう、特に入念に目を光らせている者も居る為、マルクとルミはたまに食堂などで駄弁るのが精いっぱいなのだ。
学生の間に許された、ほんの僅かな自由時間。
それでも、絆を深め合うには貴重な時間。
お互いに笑顔でとりとめのない会話を交わす。
やれ誰それが訓練中にどぶに足を突っ込んでいただの、やれどこそこには最近お化けの噂が有って変な声が聞こえるらしいだの、やれ誰彼の関係性に進捗があったらしいだの。
日頃は、どうということも無い情報交換。大事なのは、同じ場所で同じ時間を共有すること。内容は大して意味のあるものではない。
しかし、今日はどうやら話の向きが違うらしい。
「マルク、聞いたか」
「何をだよ」
ルミが、マルクに顔を寄せてうししと笑う。
「今度、この学校に留学生が来るってさ」
ルミは、学内でも情報通である。
既に旦那がいるとはいえ、可愛い女子には野郎どもは良い恰好をしたがるもの。聞いていないことでも、男どもはべらべらと自慢げに教えてくれる。普通に考えると機密じゃないのかと思えるようなことであっても、いや、或いは価値の高い情報だからこそ、鼻高々で教えてくれるのだ。
自分は重要な情報を得られる立場にあるのだと言いたいのだろうか。
例えば自分たちの実家の動きなどは、とっておきの情報だと勿体ぶって教えてくれる。
ペイスからは、積極的に情報を集めるようにと指示を受けていたりもするのだが、外務官としては中々に優秀だ。
ルミは、日に焼けた健康的な肌にスラリとした体躯の美少女。毎日しっかりと運動していることから、引き締まった体つきをしている。
性格も割とさっぱりとしていて、男同士の友達付き合いのように気楽な会話が出来る。
つまり、モテる。
既婚者と知っていながらも、惚れた腫れたは理屈ではないらしく、ルミに対して特別な行動をとる野郎は多い。親衛隊と呼ばれる連中も、結婚後にも何故か勢力を拡大していたりする。
つまり、ルミが仕入れてくるという情報は質も高くて量も多い。情報源の質と量が優秀だからだ。
更に、数少ない女生徒同士の連帯も強い。
下心が見え見えで、鼻の下を伸ばして声を掛けてくる男たちに対抗するのに、女同士でお互いに身を守っている。セクハラなどという概念がない世界、コミュニケーションの一環であるなどと嘯いて、何かと体を触ろうとしてくるエロ野郎も多いのだ。対抗しようと思えば、女同士で連帯を強めておく必要がある。
その中でも、既に旦那がいるルミは何かと頼られがち。後ろに付いているのがモルテールン家ということもあって、ルミが女生徒を守ったことは一度や二度ではない。
北に実家の権力をちらつかせて迫ってくる男が居れば、行ってモルテールン家が相手になってやると啖呵を切る。
南に金銭的援助を匂わせて近づいてくる男が居れば、行ってそんな端金ならモルテールン家が出せると言い切る。
学内にペイスが籍を置いていて、直接報告出来る上に後援があるからこそ、モルテールン家の威光を使えるのだ。ペイスの狙いは優秀な学生の囲い込みなのだろうが、ルミや女生徒からすれば使い勝手のいい錦の御旗を渡されたようなもの。モルテールン家の庇護にある人間は遅かれ早かれモルテールン家に雇われる可能性が高くなるのだが、目の前の危機を対価も無しに助けてくれる存在というのはありがたいものだ。
弱い立場に置かれている女生徒が、ルミを、ひいてはモルテールン家を頼りにするのも道理である。
必然、女生徒同士が集まる機会にはルミも居ることが多く、女生徒が集まれば噂話の交換会が始まる。お喋り好きの女子が一定数居るのは、古今東西変わらない真理。
女性ならではの情報交換ネットワークの、中心に居るのがルミなのだ。
特殊な立ち位置故の、多様な情報源を持つルミ。
その彼女がいち早く得た情報によれば、近々新学期に合わせて留学してくる人間が居るというのだ。
「へえ、何処から来るんだ?」
マルクは、妻の話に興味を持つ。
留学生というのは、士官学校でも珍しい。
そもそも高級軍人を育てる学校なので、教える内容は軍事機密に抵触しそうなことも多いし、それでなくとも国家の軍事レベルを簡単に推察されてしまう場所が士官学校だ。外国の人間は出来るだけ入れたくないはずである。
過去に全くなかったわけではないらしいのだが、それでも数年に一人居るかどうかといったレベル。
マルクとしても、どういう人間が来るのかは気になる。
「ヴォルトゥザラ王国って話だぜ」
「マジか。行ったことある場所じゃねえか」
「だよな」
ルミとマルクは、ヴォルトゥザラ王国とは縁が有る。
実際に自分たちが足を運んだことも有るし、そもそもモルテールン家のお役目はヴォルトゥザラ王国に備えるというもの。モルテールン家従士の二人としては、見過ごせない情報だろう。
何なら、自国の遠方の領地より、ヴォルトゥザラ王国の王都あたりの方が詳しいかもしれない。二人とも生まれ育ちがモルテールンで有る為、神王国の王都は学校ぐらいしかしらない。
少なくとも、ヴォルトゥザラ王国の王都で美味しい肉料理を出す店は知っている。
どちらが詳しいかと言えば、あちらの国だろう。
「思い出すな、ヴォルトゥザラ王国」
「いい思い出ばっかりじゃねえけど、いい経験にはなったな」
ルミとマルクが無事に(?)くっついたのには、ヴォルトゥザラ王国に行ったことも関係している。何が幸いするか分からない世の中。その中でも、ヴォルトゥザラ王国に行った経験は大きい。
外交使節団にくっついていかなければ、今頃はまだ二人は独身で、じれったい関係性が続いていたかもしれないのだ。
世の中、万事塞翁が馬。
「ヴォルトゥザラ王国のどこから来るって?」
「それがどうも、ロズモからって話」
「マジか!?」
最近濃密に過ごしたことが有るだけに、ヴォルトゥザラ王国の内情に詳しいルミとマルク。
どこから来たのかという問いかけが、地名を聞いているのではないことぐらいは分かる。
あの国は、部族主義の国だ。基本的に大規模な部族を中心に小規模な部族が連合して一つの勢力を作り、幾つかの勢力が集まってヴォルトゥザラ王国となっているのだ。
例えるなら、学級会のような組織と思えばいい。
発言力の強い陽キャが何人か居て、それらが基本的な行動指針を決める。勿論、それ以外のメンバーが発言しても無視されることは無いだろうが、かといって決めごとを主導できることも無い。
ヴォルトゥザラ王国の国王は、いわば学級委員長のようなもの。全員の意見を取りまとめ、最終的に結論を出すのは国王だ。しかし、国王がこうと決めたことであっても、有力者が反対すれば全体として動きは鈍くなる。
この、ヴォルトゥザラ王国の有力者の一人が、ロズモ公。
神王国使節団とも浅からぬ縁のある人物であるが、一族を率いる長でもある。
この一族出身者が神王国に留学に来るというのだから、マルクの驚きも当然。
間違いなく政治的なものなのだろうが、ロズモの一族はどちらかと言えば神王国に対して厳しい目を向けていたはず。
それが留学生を、しかも一族の人間を送り込んでくるという。
他の学生たちとは違い、ルミとマルクはヴォルトゥザラ王国の内情を知った上で、具体的に驚いたのだ。
「ロズモから来るってことは、どの教官に付くんだ?」
「そりゃ、基本的にはホンドック教官じゃねえか?」
ホンドック教官というのは、神王国がヴォルトゥザラ王国に使節団を派遣した際、学生を引率するために同行していた人物。
ヴォルトゥザラ王国の留学生を担当するのなら、一番相応しい人物であろう。
ルミとマルクの予想は真っ当だ。
しかし、懸念が一つ。
「ペイ……モルテールン教官が担当。って可能性、あるんじゃね? 一番適任だろう?」
「うえぇ、マジか。そうなったら俺らも絶対巻き込まれるよな」
寄宿士官学校の名物教官であり、教導役という地位に就く我らがペイス。
彼が、もしかしたらヴォルトゥザラ王国の留学生の担当教官になるかもしれない。
二人の予想は、考え過ぎだとは言えないだろう。
珍しい外国の留学生。しかも本国の有力者の一族。騒動が起きる要素としては十分。
そして、騒動が起きる時には、ペイスが“何故か”巻き込まれている可能性は高い。
ペイスは、生まれ持ってのトラブルメーカーなのだから。幼馴染の二人は、ペイスが騒動に深く愛されていることを知っている。最早ストーカー並みに溺愛されているといっても過言ではない。
更に、ペイスが騒動に巻き込まれるなら。それも、学校という場所で巻き込まれるなら。
モルテールン家の従士である自分たちが、全くの無関係で居られるという可能性は低いはず。
面倒なことになりそうだと、ルミもマルクも遠くを見つめる。
「そういや、来る留学生は男なのか?」
ふと、マルクが思いついたように聞く。
寄宿士官学校に来るというからには男だと思っていたのだが、妙な予感がしたからだ。
「お姫様らしいぜ」
ルミの言葉に、マルクはふうんとだけ答えた。