420話 状況説明
白上月の初め。
近頃は雨が降るようになって蒸し暑くなっているモルテールン領にも、秋の気配がやってきていた。
夕立が盛んになり、洗濯ものが乾かないと主婦が愚痴をこぼす日々。
モルテールン領のザースデンにある領主館では、今日も今日とて領主代行のペイストリーが仕事を行っていた。
青銀の髪がさらりと美しく切り揃えられていて、眉目秀麗な容姿と併せて美少年と評するに不足が無い。仕事をする姿勢も堂に入っており、見た目だけならどこからどう見ても美形なのだ。
しかし、騙されてはいけない。
傍らには従士長のシイツが居て、目を離すとお菓子作りにすっ飛んでいくサボり常習犯を見張っている。
ペイスを自由にしたならば、仕事よりも趣味であるお菓子作りを優先することが分かり切っているからだ。
毎度毎度、もう一つおまけに毎度、大人たちを振り回す悪童の性格は昔から変わらない。
「どうして仕事は減らないんでしょうね」
領主代行として日々政務を行う少年が、ぼそりと呟く。
今まで目を通していた羊皮紙を机に置き、ぐっと背伸びをして、軽く肩を回すペイス。体を鍛えているとはいっても、肩こりはハードワーカーの職業病である。ぐりぐりと肩を回すのは、集中力が切れているからだろうか。
「そりゃ、坊が仕事を増やすからでしょうぜ」
傍で自分の仕事をしていたシイツが、ペイスの方を見ることも無く返事する。
かつて貧乏のどん底であったモルテールン領が、今のように豊かになったのはペイスが産業を振興したからなのは衆目の一致するところ。
豊かさとは、忙しさも併せてのこと。
豊かになった功績がペイスのものであるのと同時に、仕事が積みあがって忙しくなった原因もまたペイスだ。
豆作による農業改革に始まり、灌漑用水路の整備や製糖産業の発足。酒造も行い、製菓産業は毎年規模を拡大。農地開拓も続けられていて、先ごろは領内の北にある手付かずだった大森林の開拓も始めた。
モルテールン領が領地経営を黒字化させて以降、更なる事業拡大をと突っ走ってきただけに、忙しさは半端ではない。
つまりは自業自得。
「ほら、さっさとそれ片付けてくだせえ。次も用意しておくんで」
「さっさと片付けろと言われても、結構難しい問題ですよ?」
忙しさの原因は、領地の経営だけではない。
領地貴族の領主代行として、他家との交流や折衝も仕事に含まれる。
貴族家当主としての仕事はカセロールが王都で、領地のトップとしての仕事はペイストリーが領地で。それぞれ分担して社交を行っていた。
「坊ならちょろいもんでしょうが。ほら、ちゃちゃっと」
今、ペイストリーの目の前にあるのは、トネマノン騎士爵家からの苦情処理だ。
彼の家がリハジック領から買い付け、手付をうって確保していた建築用資材を、モルテールン家の息の掛かった商会が金にものを言わせて買い取ったことへの苦情である。
現在のモルテールン領は建築ラッシュが続いている。元々からモルテールン地域と呼ばれていた元荒野一帯の開拓のみならず、北の大森林こと魔の森であったり、領都から一山越えたところにある、旧リプタウアー騎士爵領だった東部地域の開発であったりも進んでいるのだ。
建築資材としては石材も大量に使うのだが、勿論木材も使う。むしろ、木材の方が需要が高いかもしれない。
木材などというものは、木を切ってすぐに使える訳では無い。乾燥も必要であるし、木材の中にスが入っていないかの確認も必要だ。
長ければ二年ほど、切り倒してから建築資材になるまで時間が掛かる。
ここ数年のモルテールンの建築バブルともいえる活況は、南部全体で建築資材の値上がりと供給不足を招いた。今はボンビーノ領に編入されている旧リハジック領の一部地域などは、元々木材加工業が主産業であったことから大儲けしているのだが、何事にも限界というものがある。
製材にはどうしても時間を要し、木材の供給を急に増やすことも出来ない以上、在庫が払底してしまったのだ。
既存の在庫も取り合いが発生していて、今回のトネマノン騎士爵家が確保していた木材もそういった“寝かされていた”木材だった。それなりに厳選された木材であった為、代替がし辛いからと取り合いになった形。
何とか交渉の末に買い取ったのは良いのだが、トネマノン騎士爵家としても予定していた建築が行えなくなったということで、モルテールン家に対して苦情をぶつけていた訳だ。
彼の家の苦情には、誰がどう見ても真っ当な正当性が有る。
金貨で横っ面を殴りつけてブツを奪っていくような真似をされて、いい気持ちになるはずもない。
ただでさえ景気の良さから妬みや嫉みを受けるモルテールン家。そこに来て、金に物を言わせる横暴な態度をとったとなれば、いい加減にしろと一言もの申すのは理解も納得も出来る。
「ちゃちゃっと、と言われても、これは下手に対応したら荒れますよ?」
「なら、上手に対応してくだせえ」
勿論、モルテールン家にはモルテールン家なりの言い分もあった。
息の掛かった商会というのは、元々王都に本店を構え、モルテールン領には最近支店を出した商会。モルテールン領では新興ということもあって、モルテールン家の覚えを良くしようと焦って無茶をしたらしいということだ。
普段であれば、ナータ商会などが穏便に木材を手配するところを、彼の商会がどうしても自分たちに任せて欲しいと直訴した。なまじ、王都にはよく顔を出すペイスやシイツが、その商会の名前を知っていたことが問題をややこしくした。
名前の通った大商会が、是非とも任せて欲しいと言ったのだから、任せてみようと判断した。
ところが、その商会は南部の事情をあまり知らなかったのだ。
王都でのやり方に馴染んだ人間が、王都なりのやり方。つまりは、大貴族の権力を背景にして強引に仕入れるやり方を通した。
トネマノン騎士爵家から苦情が来たことで、今回交渉過程の拙さが発覚。
彼の商会からの事情聴取を合わせ、トネマノン騎士爵家には何がしかの“対処”を必要とする。と、先ほどからペイスが頭を悩ませていた。
「はぁ、では年次の交際費からの支出を許可しますので、贈り物で先方のご機嫌を取ってください」
「幾らぐらいまで?」
「2レットとしておきます。トネマノン騎士爵家は南部の仲間ではありますが、出せるとしたらその程度です。投資と考えるにしても、それ以上は過剰投資というものです」
一応は正当な交渉の末に買い取ったものなので、本来ならば堂々としても良いものではあるのだが、やはり相手方からすれば先に予約していたのに割り込まれた不快感があろう。
以前にヤギを横取りされた経験を持つペイスとしても、ここは下手に出るべきだと判断した。
王都の常識としてなら悪いことをしていないし、合法なことしかしていないし、相手も納得していたはずなので、謝罪は出来ない。そんなことをすれば、難癖を付ければ金を出すと思われ、今後は足元を見られる。
しかし、悪感情に対処する必要は有るだろう。モルテールン家は昨今外交方針を練り直し、南部の地域閥を重視する姿勢を取っているのだ。ご近所には良い顔をしておきたい。
故に適当な名目で贈り物をして、感情を和らげておくべきと、ペイスは判断した。
今後も何かあった時、トネマノン騎士爵家との間でギスギスしたものが有っては困るという、外交政策上の都合である。
「贈り物の内容は……聞くまでもねえですね」
「勿論、お菓子です。聞かれるまでもありませんね。とっておきのお菓子を僕が用意するので、先方に届けるよう手配してください。そうですね、折角なら、新しいスイーツが良いでしょう。うんうん」
隙あらばお菓子作り。
朝起きてから寝るまで、おはようからお休みまでお菓子と共にあるのがペイストリーである。
「分かりやした。それじゃあこの件はそれで。じゃあ次は……っと。これで」
「新人の訓練要綱?」
「ええ。ちょっと問題が。今までの訓練のやり方を変えたいと、ビオから上がってきてます」
「詳しく報告を」
ペイスは、シイツから報告を聞く。
かくかくしかじかと従士長からの報告を聞いたところで、ペイスも少々難しい顔をした。
「なるほど、士官学校出身のエリートと、他の出自の人間の教育格差ですか」
「ええ。結構洒落にならねえってことで。士官学校出の連中が、他の連中を下に見る様な所が有るってぇ報告でさぁ」
ビオは、モルテールン家の従士としてはそれなりに古株だが、寄宿士官学校のような系統だった教育を受けた訳では無い。
モルテールン家での実務が教育そのものであり、あるいみOJTのようなものなのだが、ついこの間まで学生だった者にはなかなか理解しづらいらしい。
新人教育係を含め、寄宿士官学校卒業生で無いものを、軽んじる空気が有るという。
「それで、学校出の連中の鼻っ柱を折りつつ、他との仲間意識を持たせるような訓練をしたいと」
「有体に言やぁ、そういうことで」
学生の高すぎるプライドをへし折ることに関しては、ペイスは専門家である。
教導役として学校に籍を置くペイスであるが、教官の指導に従わないような学生は彼が特別に指導していたりもするのだ。
高位貴族の跡取りであったり、生まれつき極めて高い身体能力や恵まれた体格を持つもの、或いは優れた頭脳を持つが故に自己認識の肥大化が起きている学生など。
普通の教官であれば手に余る学生に対し、ペイスが指導する。
高位貴族の跡取り?
王家と直にパイプを持ち、国王陛下とフランクに会話ができ、公爵家の跡取りとマブダチで、敵対した高位貴族を幾人も屈服させてきたペイスに、そんな地位が何になるのか。
高い身体能力に恵まれた体躯?
まだ幼い身でありながらも大の大人を倒す剣の腕を持ち、実際に数多くの武勲をたて、龍の守り人と称される大龍キラーを、倒してから言えとボコボコにされる。
頭の良さを誇るものも、ペイスには敵わない。
二歳から言葉を喋り、七つにして領政改革を主導していた天才なのだ。ちょっとやそっとの知識では、及びもつかない。賢い人間ほど、ペイスとの差を理解する。
結果として、学生たちは寄宿士官学校で真摯に学ぶこととなり、実力を高める。
モルテールンの新入り達にも、同じようにして鼻っ柱の一つも折ってやれば良い。
問題が有るとすれば、対応できる人材がペイス以外に居ないので、教育にあたる間は領政が滞ることだろうか。
「スケジュールを調整しておきましょうか」
「お願いします」
「では、これは解決として……士官学校の方も、もう少し顔を出した方が良いかもしれませんね。問題を根本解決しておいた方が良いのかも」
「仕事を片付けてからにしてくだせぇ」
次から次と、領内のトラブルが持ち込まれ、或いは決裁事項が積みあがる。
また二つばかり、仕事をこなしたところで、若者が一人、執務室にやってきた。
若手従士の一人、ジョアノーブ=トロンだ。モルテールン家としては貴重な内務官である。
「手紙の配達でぇす」
「お、ジョアン。ご苦労」
「うっす」
モルテールン家は縁を持ちたがる人間も多く、かなりの頻度で手紙が届く。
それをいちいち届くたびに確認していては仕事に差しさわりが有る為、急ぎの手紙や重要な手紙だけを選別して領主代行に見せることになっていた。
手紙の選別は、経験が要る。一見すると大したことのないような内容であっても、実は重要な示唆が含まれていることも有るからだ。
故に、選別の仕事は従士長が行っている。
経験と知識。そして、類まれなる直感によって行われるシイツの選別は、ペイスも信頼を置くところ。
ああでもない、こうでもないと手紙を選り分けていた従士長の手が、ピタととまる。
「坊、王都から連絡が来やした」
スッと一通の手紙がペイスの前に置かれる。
送り主は王都の寄宿士官学校校長からだった。
「接遇役ですか」
ざっと中に目を通したペイス。
書かれている内容は掻い摘んでしまうと、学校に来てしばらく要人に対応して欲しいというものだった。
時候の挨拶やら世間話やらが装飾されているので長い手紙になっているが、用件自体は単純である。
「教導役ってのも大変ですね」
「これもお仕事ですね」
手紙をくるくるとまき直し、処理済みの箱に放り込む。
「どうするんで? 無視ってわけにゃいかんでしょう」
「そうですね。取り急ぎ、王都に行かねばならないでしょう」
「何ともせわしないこって」
「仕事が減らないのは、勘弁してほしい所ですよ」
ペイスは、また仕事が積みあがってしまうとため息をついた。