042話 従士の仕事
貴族の領地経営において、先進性を測る目安が幾つかある。領地の豊かさの指標と言い換えても良い。
その一つは、食糧生産量。人は、老いも若きも、富める者も貧しい者も、皆食わねば生きてはいけない。人として生きる根幹が食であり、その為に必要な食糧生産力は、領地の豊かさを表す最も分かりやすい指標だ。
或いは、商業力。農村のように必要なものを自給自足することが前提の状況とは違い、商業が活発であれば、必要なものを金で買えることになる。自分で作らずとも必要なものが手に入る状況というのは、領地経営にとっては大層ありがたい。
或いは人口。人が増えるということは、イコール労働力の増加である。何を成すにも人が居なければ話にならず、どれだけ多くの人を抱え込めるかは重要な指標になる。先の食糧生産や商業活動にも人は要るのだ。
こういった、直接数字で測れそうな指標の他にも、数字では測れない指標もある。
代表的なものが、文化力だ。現代ではソフトパワーと呼ばれるようなものであるが、その力は意外と侮れない。芸術や学問に繋がることも多く、音楽、絵画、建築、彫刻、舞踏、演劇など、人々の心をより豊かにする力として、文化力がある。
この文化と呼ぶものにも、色々なものがある。歌や踊りも文化であれば、料理なども立派に文化と言える。
そして、お酒や菓子もまた、文化である。
共に文化的には等価な面を持ち、どちらかに優劣があるわけではなく、どちらも優れた文化である。
ただし、特定の個人の嗜好を除けば、の話であるが。
「二割」
「それは少なすぎます。せめて六割半はもらわないと、今後に差支えます」
「幾ら将来の為とはいえ、今の時点で金にならん研究に、多くを割くほどの余裕も無い。今は確実性を採るべきで、二割が良いところだろう」
「元々は予定になかったものでは無いですか。いっそのこと全部でも良いと思います」
「予定になかった時と今とは事情が違う。それはお前も分かっているはずだ。二割でも相当な譲歩だし、量としても十分だ」
喧々諤々と言い合う一組の親子。
ペイストリーとカセロールの、モルテールン親子の言い争いである。どちらも一向に引く気配を見せない言い争いは、既に小一時間続いていて、長期戦の様相を呈している。
「失礼します、って何やっているんです?」
そんな親子の様子に一歩たじろいだのは、執務室に入ってきたばかりのニコロだ。
「サトウモロコシの来年の作付けについて、砂糖作りと酒造りのそれぞれに割り振る、割合を決めてるんだと」
ニコロの発言に、半分呆れがちに答えるシイツ。従士長は、モルテールン領においては最も苦労している人間であり、今もまた、長い時間の議論がまとまるのをじっと待っている。それだけに、ニコロに応えた声にもやや疲れが乗っていたのは仕方がない。
カセロールにしろ、ペイスにしろ、モルテールン領を豊かにしたいという想いは変わらない。ただ、その手段が複数あるとき、元々の考え方の違いや、嗜好の違いから、意見の相違が生まれることも珍しくない。
熟達たる交渉人の父親に、一歩も引かない息子の方を、末恐ろしいと評価するのはニコロである。この従士は、自分にはあんな真似できないと、早々に見切りを付けたくちだ。
「この分だと、もう少し掛かりそうだ。大体、四分六分か、五分五分ぐらいに落ち着くとは思うが、如何せん坊がこの件では押してくる。長引くぞ、こりゃ」
「若様のあのお菓子作りの情熱を、もう少し別の仕事に向けて欲しいものです。出来れば外務か軍務で。そうしてもらわないと、俺の仕事が全然減らないんですよ」
「そりゃ難儀だな」
「昨日だって搾汁機とかいうものの予算見積もり作らされたんですから。自前で作った時と、余所で買った時のそれぞれで。しかも、購入先の検討の為に、複数案。若様は、俺を苛めたいんじゃないかと、本気で思いました」
「諦めろ。坊の場合はそれが普通だ。お前さんを苛めるつもりは無くても、無茶な指示が出るのはよくあることだ。まっ、今まで見たことも聞いたことも無いような道具の調達を言われるよりマシと思え」
「それ、もしかして経験談だったりしませんよね?」
「ははは」
シイツは笑いで誤魔化した。
過去に何度となくやらかした実話である、とは言わなかった。若い従士に、たとえ僅かな時間であっても心労なく仕事をして貰いたいという親心だ。
「それで、お前は何しに来たんだ? 二人があの状態だから、用事があるなら俺が聞いておくぞ?」
「あ、そうでした。例の準備が出来たんで、お館様を呼びに来たんですよ」
「お、そうかい。それじゃあ、あの二人を止めてきますか」
「うわぁ、俺は絶対やりたくないですよ、その仕事」
苦笑いのシイツが、自分の主とその息子に声を掛ける。ぎゃあぎゃあと言い争っていた二人も、流石に何かあったのかと議論を止めて従士長たるシイツの話を聞く。
「大将も坊もそれぐらいで一旦休憩しましょうや。例の準備が出来たらしいんで、表に行きやしょう」
「ん、分かった。ペイスも、この話はまた後にしよう」
「分かりました」
モルテールン領の重鎮全員が、屋敷の玄関口から外に出る。
毎日綺麗に掃き清められた、領主館の表玄関。そこには、五人の人間が、待ち構えていた。
一人はトバイアム。筋骨隆々の大男であり、厳つい風貌は一見すると怖そうに見える。
態度がぶっきらぼうで、遠慮やデリカシーに欠ける為に、とある貴族家からクビにされたところをモルテールン家に拾われた。
笑い上戸なムードメーカー気質でもあり、モルテールン家従士の新人組ではリーダー的な立ち位置にある。
他にも、ダグラッドを始めとする新人がずらりと並んでいた。
「さて、それじゃあ始めるか」
カセロールのその言葉と共に、周りでも準備が始まる。ガチャガチャと短剣が五本用意され、布や、何かが入った袋も運ばれる。
「父様、準備が出来ました」
「よし、ではこれより当家の従士任命式を執り行う」
高らかな宣言と共に始まる厳かな式。
飾りつけも何もない質素な式典が、実にモルテールン家らしいとシイツなどは心の中で笑う。
従士の任命は、形式としては領主の了承があれば、特に大した手続きも無くひと言で終わる。
だが、それではあまりに素っ気ないし、今日から従士の立場になったのだというケジメの為にも、或いは周囲に分かりやすくするためにも、区切りとしての形式は大事だという話から、任命式なるものが行われることになったのだ。
やや緊張の面持ちを残した新人たちが、合図と共に一斉に跪く。
「神と精霊の御名において、今この時を持って諸君らを正式に従士として任ずる。またその証として、剣を授ける物なり」
「トバイアム、前へ」
カセロールの両脇には、シイツとペイスが居る。今日はこの二人も出しゃばる事は無い。
脇に控えたシイツから名前を呼ばれた者が、跪いた姿勢から一旦立ち上がり、一歩前に出た所で改めて跪く。最初はトバイアムだ。
頑丈そうな体を、少し緊張気味にして、いつもより心なしか小さく見える気がする。
硬くなっている年かさの男に、カセロールが短剣を渡す。
それを恭しい姿勢で拝領する従士トバイアム。所作にも何がしかの特訓の跡が見え隠れするのは甚だ余談である。
短剣を受け取った者は、一旦下がる。
一人、また一人と名前が呼ばれ、その度にまたカセロールから短剣が渡された。
五人全員に渡し終わったところで、その全員が口をそろえて誓いを唱和する。
「「我々は閣下の御為に尽くし、忠誠を捧げることを誓います」」
形式とは、必要であっても多少の緊張は付き物である。
ようやく終わった、と皆が肩から力を抜く。そして、この後のお楽しみに目を向ける。
「さて、堅苦しいことも終わりましたし、早速配りましょうか」
「まってました」
「よ、若様、太っ腹。スケコマシ。女殺しの色男」
「要らないならそう言ってもらっても良いんですよ?」
「なはは、ちょっとした冗談じゃないですか」
ニコニコとしたペイスがカセロールの代わりに配るのは、布や麦や薪。そしてお金。
これは俗にいう初任給である。
「これでようやく嫁さんと子どもを呼んでやれる。くぅ、苦節三年長かった」
「トバイアム、何も泣くことはないでしょう」
新人といっても立場は様々であり、諸般の事情からモルテールン領に来たものも居る。特に切実に従士になりたがっていたのが、トバイアムやダグラッドのように、所帯持ちの人間だ。
一旦は別の所で雇われていて、結婚もし、それでいて職を失う羽目になった彼らは、これでようやく奥さんたちを呼べると感慨もひとしおである。
モルテールン家に雇われた従士は、望めば家を与えられる。それも、広い内庭がある家具付きの家。一人暮らしの者には、領主館の一室を与えられる。
これだけでも本来であれば破格の待遇なのだが、給料についてもかなり良い。年間で、麦、塩、薪、肉、布を一家族分。それにプラスしての役職手当制度を導入していて、この制度はモルテールン領以外ではあり得ない先進的な制度である。
従士一人で何人かの家族の扶養と、下働き幾名かの雇用が出来る待遇。出世も見込めるとあって、雇われた人間の忠誠心は鰻登りなのが現状。
そんな話を先輩から聞いていた五人の新人は、今日の給料を首を長くして待ち望んでいた。訓練の日々も終わり、今日から諸々の任務に就くのだ。
それぞれが、森林管理長、畜産管理長、新村治安維持部隊長、筆頭外務官、開墾事業監督という役職に任じられ、都度領民を指揮しつつ領地の発展に尽くすことになる。
「これで給料に酒があれば、言う事なしだけどな」
娯楽の極めて少ない世界にあって、酒を飲んで仲間と馬鹿話をするのは、庶民のささやかな娯楽。
それゆえの、新人のうちの誰かの呟きであったが、その言葉は言ってはいけない言葉だったらしい。少なくとも、従士長のシイツにとっては、今は言わずにおいて欲しかった言葉だ。
何故なら、その言葉を当主たるカセロールが聞きとがめて、鼻息を荒げたからだ。
「ほらみろペイス。やっぱり誰しも欲しがるのは酒だ。ここはやはり酒の量産体制の確立こそが急務ではないか」
「いいえ父様。新人でもこうやって言いだすほど、酒というのは認知度がある。つまりはどこでも作っているありふれたものだということです。何処にでもあるような物を作ったところで、得られる利益などたかが知れています。そこをあえて特産にしようとするなら、品質を維持向上させねばなりません。その為に結局膨大な投資が必要で、あまりに本末転倒です」
「それならばお前の言う砂糖への投資も似たようなものではないか。同じ投資をするのならより確実に需要の見込めるものに投資をするのは間違ってはいないだろう。不確実性のあるものへの投資は、投機や博打と同じ。余裕の無い今は無理を避け、砂糖作りは余裕が出てきてからでも良いだろう」
「需要が長期にわたって安定しているものこそ、投資を後回しにしても変わりは無いではないですか。それに比べ、今競争相手が居ない砂糖作りは、将来もそうだとは限らない。あえて競争相手の多い分野に投資するよりも、競争相手の居ない分野にこそ迅速な行動が必要なのです」
屋敷の外の玄関前だというのに、始まった議論に、周りの人間は唖然としている。
どちらの言い分も正しく聞こえるだけに、従士になったばかりの者は止めようがない。
どうすれば良いものかと、戸惑いだす者も多かった。そして、そんな従士たちの縋りつくような目が、一人の男に集められる。勿論その視線の先は、我らが頼もしき従士長のシイツだ。
「お前ら、散って良いぞ。貰ったものは忘れずに持って帰れよ。この二人はしばらくこのままでいい」
「え? 放っておいてもいいんですか?」
「よく覚えておけ。この二人がああなったら放置が一番だ。もっともらしい理屈をこねくり回して言い合ってはいるがな、結局二人とも自分が欲しいものを作りたいだけなんだよ」
「はあ、そういうもので?」
「そのうち慣れる。慣れたくなくても、な」
シイツのため息交じりの愚痴。
慣れたくなくても、という言葉の辺りには、心の底からの実感がこもっていた。シイツ自身、こんな似た者親子の扱い方などに慣れたくて慣れたわけではないのだ。
従士長の許しを得て、三々五々散っていく新人たち。
ある者は屋敷の自室に貰ったものを置こうと動きだし、またある者は早速家族を呼ぼうと手紙を書きに走る。
そんなうちの一人。ダグラッドもまたもらった薪やら麦やらを運ぼうとしていた。かなりの分量があるので、分けて運ばねばならないだろうと考えていた所に、シイツが声をかけた。
「ああ、ダグラッドはこのまま執務室に来い。荷物は屋敷の人間に運ばせておくから」
「はい? 分かりました。何か私に用事ですか?」
「ん、まあ仕事だ。早速で悪いが、お前にやって貰いたいことがある」
「何でしょう。初仕事ですから、何でも言って下さいよ」
荷物運びの手を止めて答えたダグラッドに、シイツは胡散臭そうな笑顔で応える。
「なに、ちょっと王様の所までお使いに行って欲しいだけさ」
どこがちょっとだ、というダグラッドの心の声は、悲しいことに誰にも届くことは無かった。