038話 慰めの味
公爵嫡孫スクヮーレが窮地に陥るだいぶ前の事。
「閣下、至急のご報告です」
「構わん、入れ」
フバーレク辺境伯の領都では、領主たるドナシェル=ミル=フバーレク辺境伯その人が執務室に居た。
敵襲来るの報に際し、前線に大至急で駆けつける第一陣、補給物資を持った第二陣、後詰めとして主力を配した第三陣と、各三隊を組織して派遣すると決めたのが先日のこと。今は第二陣の出陣が準備されている。そして、辺境伯自身は第三陣での出陣を予定しているため、執務室での事務処理と決裁を片づけるのに忙しい日々を送っていた。
そんな中に、年若い従士が駆けこんできた。
戦時の急報などは大抵が碌でもない悪報であるのが常であり、辺境伯もそのつもりでいたのだが、今回の報せはその予想を裏切る。
「失礼します。先ほど閣下への面会を求める者が来訪。モルテールン騎士爵を名乗っておりまして、援軍に来られたとのこと。私どもでは判断できませんので、至急のご報告にあがった次第です」
「何、モルテールン騎士爵だと? 間違いないのか」
訝しげな様子を見せたドナシェル。真っ先に懸念するのは他人が有名人の名を騙るということだ。戦時ならば、刺客のやり取りなどは日常茶飯事。まずは疑ってかかるのが大軍を預かる司令官というものだ。
もっともな主の疑念に対し、姿勢を正した従士が、重ねて答える。
「はっ、確かにそう名乗っておりました。以前に一度お見かけしたこともありますので、まず間違いないかと」
「騎士爵一人か? それとも連れがあったか」
「十人程を引連れておりましたが、うち一人は少年でありました」
少年、という点に、辺境伯はピクリと反応した。モルテールン騎士爵にくっついてくる少年など一人しか心当たりがない。そして、それこそが権謀でない証拠になる。自分の弱点であるものを敵前に晒すのは愚策である。である以上、敵では無く味方として来援したのだろう。
納得したところで、ドナシェルは部下に声を掛けた。
「よし、すぐにここへ通せ。決して失礼の無いようにな」
「畏まりました」
辺境伯は知らずに緩んでいた頬を、意識して引き締める。
娘婿の直々の援軍である。この意味は大きいし、ありがたい。素直に嬉しくもある。
同じく娘婿の公爵家に対して、援軍の要請がかなりやり易くなるという意味もあれば、真っ先に馳せ参じたのが必勝不敗の英雄であるという心強さもある。
そして何より、幼いながらも婚約の義理を重んじた次期領主本人が来たというのが良い。子供ですら駆けつけているのに、他の連中はどうか、と尻を叩くのには非常に役に立つ。
実利に置いても、魔法使いが二人である。特に騎士爵の魔法は情報伝達や物資人員の移動に絶大な効果がある。下手に二~三家の男爵家辺りがそれぞれ何十人かの援軍を寄せるより、遥かにものの役に立つ。
戦術家としてのカセロールの意見も、今は欲するところだ。丁度考えが煮詰まっている所ではあったし、意見を推敲する為にも、戦場経験の豊富な指揮官の意見は貴重である。
「閣下、モルテールン卿をお連れしました」
「うむ、入れ」
執務室に入ってきたのは二名。騎士爵本人と、少年。本来であれば護衛の為の従士が付いているものだが、居ないのには理由がある。
援軍として軍勢を引き連れてきた場合、悪意をもって軍を動かしたわけではないことを示すために、まず指揮官格の者のみで説明に赴くのが通例となっているのだ。
そうして援軍先の指揮官に、行動の許可を貰って初めて、援軍としての行動が認められる。そうでなければ、自領内で勝手に他家の軍がうろつくことになりかねないので、慣例として行われていた。
「ご無沙汰しております閣下。侵攻があったと聞きおよび、閣下のお力にならんと駆けつけてまいりました」
「遠路よりの合力、心から感謝する。ささ、お座りください」
挨拶の後、椅子を勧められた騎士爵親子はそれに座り、改めて話が始まる。ありきたりな挨拶と、当たり障りのない話ののち、早速と本題を切り出したのはモルテールン騎士爵の方だった。
「辺境伯、戦の具合は如何ですか」
「ふむ、順調と思っておるよ。敵方は思っていたほどの数も無いので、今は前線砦から打って出る準備を進めているところだ」
「敵の数が少ない?」
「うむ。ルトルート家の五千ほどを中心に、総数は八千から、多くとも一万二千ほどといったところだ。卿の意見を拝聴できればありがたいのだが」
今回の敵方の侵攻は、数が少ない。
それ故、当初の防衛戦略から大いに逸脱した作戦行動になっているのが現状だ、と辺境伯は語る。
「敵の布陣については?」
「ちょっと待ってくれ。地図を出す。……ここに二千。こちらに主力が居て、こちらに備えらしき五百ほど。この丘をハッジレン家の人間が二百の手勢で守っている。ここにも兵が居る」
両手を広げたほどの大きな羊皮紙の上。長年使われてきたであろう手書きの地図の上に、小さい駒を置きつつの説明である。一目で敵の備えを見るには、もってこいのものであり、置かれていく駒を見ながら、その場の者達は真剣に考える。
駒が全て置かれた後、じっと考え込んでいたカセロールが呟く。
「妙だな」
「うん? 何か妙であろうか」
カセロールの独り言のような呟きを、ドナシェルが拾って、聞き返した。独り言を拾われたカセロールは、ちらりと辺境伯に目線をやって、改めて話し出す。
「何か、引っかかるのですよ。腑におちぬと言いましょうか。戦人としての勘が、この布陣を不自然だと感じているのです」
「それは私も薄々思っていた。それ故、卿の意見を拝聴しようと思ったのだ。しかしこの布陣、見るにつけ敵の備えに変ったところは無い、と思わざるを得ない。堅実に備えてあり、無駄に思える所が無い。私の思い過ごしかと思っていたのだが、卿もそう思われるのか……」
大人二人は、唸るような声を上げた。
不自然な感じを受けるのは二人とも共通する感覚であったが、どこが、と問われると答えに詰まるのだ。
実際、敵方の布陣は見事に理に適っている。数が劣勢ながら要所をきっちりと押さえているし、個々に別けられた戦力も互いに協力し合える体制を作ってあるのが見て取れる。もし力押しで攻めようとすれば、相当に攻めあぐねるであろう。劣勢の側が敷く布陣としては、まず定石通りであり手堅い。
カセロール達としても、具体的におかしいところを指摘できるものでも無いので、勘違いだと思いたいのが正直なところだが、それを放置すれば何かと痛い目にあうやもしれず、悩ましい。
「堅実なのが、逆に不自然ですね」
そんな大人たちの中に、鈴のような声が割って入った。
青銀の少年、ペイストリーの声である。
この場の大人たちは、ペイストリーがただの子供ではないと承知している。故にその意見を疎かにすることも無い。
「それはどういう意味かな、ペイストリー=モルテールン卿」
「敵の目的を先制攻撃だと考えた時、堅実に布陣するのはおかしいのです。敵は、こちらの攻勢の意思では無く、戦力そのものを削ぐ為に軍を起こしたはずです。にもかかわらず、この布陣は我々の側が攻めてくることに対して備えることを主眼に置いた布陣です。僕にはそこが奇妙に思えて仕方がありません」
「確かに。自分から攻めて来ておいて、一戦もせずに守りを固めるのは不自然だ。なるほど、卿のおかげでようやく違和感の元が掴めた」
ドナシェルも歴戦の用兵家である。違和感の原因が分かれば、より具体的な物が見えてくる。見れば見るほど、守りの堅い布陣。そして、そう思って見てみれば、攻撃する意思が全く見えてこないことに気付く。
「もしかしたら敵のこの布陣は、ここに布陣した戦力で、我々に打撃を与える意図を持っていないのではないか」
「閣下の推測が正しいとしますと、敵の意図はどの辺にありましょうや」
今回のルトルート辺境伯軍の行動の目的が、公爵家の助力を得たフバーレク辺境伯の脅威を、先手を取ることで削ぐ、ということに有るのは誰の目にも明らかだった。
それが目的であると確定しているところで、今回の様子を見る三人。
「このまま守りを固めて、我らの消耗を誘う策でしょうか」
「それならば、対処はし易い。或いは、身を守っておいて、隙を見ての一撃を狙うか。戦法としてはあり得そうに思える」
ドナシェルが懸念したのは、一種のカウンター作戦である。劣勢の者が勝機を見出すのに、守りを固めた上で急所の隙を突くというのは常道。それゆえ、今回の敵の狙いもそれではないかと考えるのに不思議はない。
だが、その考えはカセロールに否定される。
「その作戦を用いるのならば、まず相手に攻めさせる下準備が要ります。その準備がされているようには見えません。また、こちら側の方針の変更も、敵には予想できるものではない不確かなものですから、敵が策に織りこむのも不自然です。敵からすれば、まだこちらの準備が揃わぬうちに、砦なりを全軍をもって奪取し、我々が攻めかからざるを得ない状況を作っておかねば、下手をすれば睨みあって終りです。また、小さな勝利でも最初に得ておかねば、守りを固める段階で士気の下落は著しいものになりましょう。来て早々に守りを固めるのなら、反攻作戦は下策になります。別の狙いがあると考えておくべきでしょう」
「卿の言はもっともだ。そうなると、敵の狙いがますますわからん」
指揮官の悩みは深い。
その判断に大勢の命が掛かっているだけに、判断の誤りは極力なくさねばならないのだから。それ故に議論が堂々巡りを始める。
こういう時に行われる議論法に、ロールプレイングと呼ばれる思考法がある。相手の立場にあえて立ち、自分であればどうするかを模擬的に考える。古今東西どこにでもある思考法の一つでもあり、この世界でも経験的に知る者は多い。知恵袋にペイスが居るカセロールは勿論その一人だ。
「私が敵の立場に立ってみましょうか。それで見えてくるものもあるやも知れません」
「ふむ、面白い。モルテールン卿、卿がこの敵方の布陣を取ったとして、どう戦う?」
「もしも私であれば、大部分の兵力で守りを固めて兵力差の不利を補い、その上で少数の機動戦力による局地戦で勝利を重ねていく、という策を思いつきます。先手を常にとれる魔法が有りますので。例えばここのように数十人規模の部隊などは狙い頃です。二百もあれば一隊を潰せます。或いはこちら。北からの備えを重視している所を背撃すれば、こちらはほぼ無傷で殲滅できるでしょう」
あえて敵の立場に立ってみれば、見えてくるものは確かに多かった。より具体的な敵の狙いが、はっきりと見えてくる。カセロールが指摘するのは、敵の別動隊が居たとした場合の仮定である。だが、その指摘は明らかに敵の狙いそのものであるように、現状にはまっていく。
カセロールが指摘する内容を聞いた辺境伯の顔色が変わる。特に、一点の戦況をもって。
「そこはカドレチェク公爵家の守る所だ。それも、スクヮーレ殿の指揮する部隊だぞ」
「何ですとっ!!」
ここにきて、現状が非常に危ういことにその場の三人は気付いた。もし、敵にも今カセロールが考えた作戦をとれる余地があれば、明らかな危機的状況であるということに。そして、恐らくその確度はそれ相応に高いということに。
「すぐに助けに行かねばなりません。何も無ければ良いですが、手遅れになる前に備えるべきです」
「よし、一個中隊を卿にお預けする。それをもって援軍許可とし、直ぐにここに出向いて欲しい」
本来、援軍が大手柄を挙げるのは好ましくない。それ故に、何も無ければスクヮーレの元に預けて小さな功で面目をたてる程度で良い。しかし、もし敵が襲ってくるなら撃退できる戦力が要る。
急遽一個中隊、約二百数十名の指揮権がカセロールに委ねられ、援軍として出陣した。編成には騎兵も含まれる。最前線で常に鍛えられてきた精兵の中隊と、カセロール達十数名での忙しない出陣であった。
慌ただしくも援軍として開拓村に転移した時、彼らの目に映ったものは想定の中で最も避けたかった未来である。
すなわち、敵の急襲による混乱状態、である。
「父上、味方が襲われているようです。恐らくあそこにスクヮーレ殿が居ます」
「よし、ペイスはうちの連中を連れていけ。私は残りを指揮する」
急遽借り受けた辺境伯家の兵は、どう見ても子供であるペイスの指揮は受け付けにくい。その点、モルテールン家の家人による小隊はペイスの命に忠実である。
ニコロを筆頭に、モルテールン家の家人達はカセロールやペイスへの信頼感も持っている。
「スクヮーレ殿を御救いします。後ろは父上が絶対に守ると信じ、前だけを見て駆け抜けます。突撃!!」
「「うおぉぉぉ!!」」
人の目は後ろには無く、故に後ろからの攻撃は絶対の死角。敵方の包囲の一角を、死角から襲う形になったペイス達。
更には側面支援を行うのがカセロール率いる辺境伯家の中隊である。数の有利もあり、囲みはあっという間に崩れ去る。
それを確認した所で、ペイスは一人で馬を進める。
口をへの字にし、馬上で腕を組んで憮然としている友人の元に行くために。
「お久しぶりに御座います。スクヮーレ殿の危急に際し、縁故の情と友誼をもって駆けつけました。間に合いましたこと、心より安堵いたしました」
「遠路長駆のご助力心から感謝します。危ういところをお助けいただき、お礼の言葉もございません。ペイストリー殿」
援軍は間に合ったと、ペイスは安堵した。
開拓村の防衛に、何とか成功した形となったスクヮーレ率いるカドレチェク軍。ただ、その被害は大きく、戦傷者も多く戦死者もいる。この場にとどまることは誰の目にも無謀に思えた。
「一旦、フバーレク辺境伯の元に御戻りになった方が宜しいでしょう。我々がお送りします」
「それはありがたい。お手数をお掛けしますが、正直言って疲れましたし、被害も大きかった……」
スクヮーレは忸怩たる思いであった。自分たちの力では村を守りきれなかったことは明らかであり、手柄を譲られたようなものだ。犠牲者もいる中で、とても現状を喜べない。
それでも体勢を立て直さねばならないのだ、とペイスの提案に素直に従った。
辺境伯領の領都に戻って報告を終えたペイス達は、ドナシェルの歓待を受けた。
もしやと思っていた危惧が現実のものになりかけていたと聞けば、歴戦の勇将とて背筋に寒いものがあったのだが、それを未然に防げたというのだから喜んで当然である。
「流石はモルテールン卿。護国の英雄の見識確かなること、実に見事。卿が援軍に来られたことは、まさに万軍にも匹敵したでしょう。おかげで敵の狙いをくじくことが出来ました。感謝いたします。おかげさまで、知らせによると敵も一旦軍を引いたとか」
「それは良い知らせでしょうな」
「そうですな。まず勝利したというのは目出度い。戦功も選ばねばなりませんし、忙しくなりそうです。今回は追撃でそれなりに戦果を挙げた者も居るらしいですが、一番の手柄は奮戦されたスクヮーレ殿でしょうか。……スクヮーレ殿?」
「……あ、はい、何でしょうか」
辺境伯に声を掛けられて、青年はうつむいていた顔を上げた。その様子を見て、ドナシェルはやや顔を曇らせた。娘婿の顔に、明らかに疲労と憔悴の色を見て取ったためである。
敵が一旦引いたとはいえ、再度の侵攻も十分ありうる現状で、指揮官が暗い顔をしていては士気にも関わる。
「どうもスクヮーレ殿はお疲れのようだ。下がって休まれると良い」
「そうさせていただきます」
明らかに気落ちした様子で自分の寝所へ戻る青年ではあったが、その様子は一抹の不安を周囲に与えるものだった。
初陣で酷い目に遭ったものは、時折戦いそのものが心の傷となる事がある。上手く自分の中で処理できればよい経験となるのだが、稀にその傷によって心身を壊してしまう者も居る。
「ふむ、あの様子では少々心配ですな」
「そうですなぁ。こういった時慰めるのはどうしたものか」
今ここでスクヮーレに潰れて貰っては困るのだ。大事な公爵家との縁であり、また将来性豊かで有望な若者である。一国の重鎮としての立場と、自領の利益と、先達としての責任感と、そして義親としての情。
その全てが、現状のスクヮーレの落ち込み方を憂いている。
何とか元気を取り戻してほしい。
そう考える大人たちの目に、入ってきたのは一人の少年。誰あろうペイストリーである。
自分の息子を見ていたカセロールには、ふと思い当たることがあった。
「ペイス。そういえば、お前は確かマルクを慰めたことが有ったろう」
「はい」
「年も近いことだし、今回も任せてよいか? あのままにしておくわけにもいかんのだが」
友人を慰めろ、と言われたペイスは、しばし目を瞑って思考する。今の友人を慰める方法などあるのかと。
婚約者に励ましてもらうか、或いは単に発破をかけるという選択肢を思いつくが、言葉だけで慰められる自信は無い。やはり何がしか説得力をもって自信と元気を取り戻せる小道具がいるのではないか。
となれば、ペイスが思いつくのはどうしても菓子になる。
「それは構いませんが……その為に作りたいものがあります。材料を用意して頂けますか?」
ペイスの言う、作りたいもの。
父親は大体それが何であるか察したが、あえて尋ねる。
「それはどんな菓子だ?」
既に菓子を作ると確信している父親の言葉に、ペイスは苦笑いで応えた。父親に自分の思考を読まれていたようなバツの悪さだが、それは今更である。
「作るのはタルト。タルト・タタンです」