375話 社交の噂話
王宮の大広間では、華やかな催しが開かれていた。
清潔で煌びやかな装飾に囲まれ、着飾った紳士淑女が歓談に興じ、何処からか生演奏の音楽が聞こえてくる。
そして、最高級の食事。
王家の財力や権力といった“凄さ”を端的に表すためにも、王宮で行われる晩餐会の食事は絢爛豪華というほかない。
大きなテーブルに、丸一日かけて焼かれた子牛の丸焼きが乗っていたかと思えば、ただの野菜サラダのはずなのに細かい細工によって花畑を模してあったりもする。薄く切られたハムで薔薇を作ってあったり、華やかな野菜で鳥を作ってあったり。
どれもこれも手の込んだ一品ばかり。
見るだけでも楽しいが、当然味も一級品だ。
「うむ、美味い。やはり王家主催の晩餐会は一味違いますな」
「そうですな。ここ最近は陛下の周りは大いに羽振りがいいとも聞きます。それもあってかなり張り込んだと見えます」
「それならば、食いだめしておくべきかな」
「ははは、お付き合いいたしましょう」
中年の貴族同士が、食事をしながら会話をする。
元々晩餐会とは食事がメインの社交会。食事をして、それを話のネタに使うのが当たり前だ。
あれが美味しい、これが美しい、それが面白いなどと、楽しい会話を弾ませるのがマナーである。
そして、ある程度会話が盛り上がったところで、少しばかり本当に話したいことを混ぜるのだ。
「聞けば、ルニキス殿下もご立派に成長されたとか」
「ほう、そうなのですか。いや、私などは普段遠方におります故、その手の話には疎くて」
恐らく、本題はこれなのだろう。
王子殿下のことを話題にするのを、予め決めていたようなスムーズさである。
「折角ですから、殿下にご挨拶されてはどうかな。ヴォルトゥザラ王国への使節団を率い、大層な功績をあげられたそうですから」
「いい話を聞きました。挨拶の際には是非ともお祝いせねば」
「うむ、そうされるといい」
今回の晩餐会の目的のメインは、ルニキス王子の功績を世に知らしめること。
サクラというほどではないにせよ、王家の意向を察し、さりげなく得点稼ぎをするものがちらほら居る。
別に、自分から「私は王家の役に立つために噂をばらまいてました」などという必要はない。情報を教えてもらった者は、王子に挨拶するときには誰それから聞きましたが、などという枕詞でアシストしてくれるものだからだ。
王家に対して、自分は使える人間です、忠誠心のある人間ですとさりげないアピール。
王宮ではとてもよく見かける光景である。
「挨拶と言えば、ほら、あそこにいる」
「ああ、カドレチェク家の御曹司ですね」
「あの方も、王子殿下の傍で功を挙げたとか」
「ほほう」
こちらはついでの雑談なのだろう。
野次馬根性というのか、噂話を面白おかしく吹聴する人間は何処にでもいる。
「彼はまだ若いのに、軍を率いて幾つも功績を挙げているそうです」
「素晴らしいことですな」
「これは噂なのですが、カドレチェク公爵は、先代がまだ健在なうちに領地の運営に専念し、中央の軍は彼のご子息に預けるのではないか、ということです」
無責任な噂。
とばかりは言い切れない内容。
根も葉もない噂という訳でも無いのだろう。火の無い所に煙は立たないといったところか。そのままの通りという訳でもないが、全く出鱈目という訳でもなさそうな話しぶり。
ついつい、会話に興じてしまう。
「なんと。あの若さで軍のトップに立つと?」
「いやいや、今日明日中にどうこうという訳では無さそうです。少なくとも数年は公爵が軍のトップに居りましょうな」
「驚かさないで下され」
明日にでも軍のトップが変わるかもしれない、などとなれば重大ニュースだ。
もしもそうなら、宮廷の勢力図から何から、全てが大きく変動する。
「いや、しかし、当代のカドレチェク卿は、元より領地経営に手腕を発揮してこられた。先代が置き土産としていた軍政の改革に区切りがつけば、それを理由に席を譲るのではないか……と」
「それは確かですか?」
「噂ですよ、噂。あくまでも」
「なるほど、噂ですか」
社交の場で流れる数々の噂話。
玉石混交、虚実の入り混じるそれらは、貴族が集まれば必ず吹聴されるもの。
無責任な噂話も、もしかしたら本当のことなのかもしれないと色々な人が様々に噂話に興じる。
「噂と言えば、あそこ」
「ああ、モルテールン卿の御子息。確か、絵描きの魔法を使うのでしたな」
「左様。あの少年にも色々と噂がありましてな」
「と言いますと」
これまた、無責任な噂話。
最近話題に上ることも多いペイストリーには、面白おかしい噂話も多いのだ。
何より厄介なことは、信じられないような噂話があったとしても事実であるケースが少なからずあるということ。
何なら、尾鰭がついたはずの噂の方が大人しい話だったということまである。
社交人泣かせの、ゴシップキラーだ。
「なんでも、王女殿下を娶るのではないか、などという話です」
「まさか!! そんなことが……」
これまた、とんでもない噂話が流れたものである。
子爵家の息子に王女が嫁ぐとなれば、前例のない大事件ではないか。
「噂ですよ。噂。本当のところはどうなのか。王子殿下が姉姫か妹姫をモルテールン家に嫁がせたがっているとの話も有りましたが、此方もあくまで噂の範疇です」
「……本当ならば、我々もじっとしていられませんな」
カセロールに曰く、宮廷雀。
王宮に居る有閑貴族たちの無責任な噂話は、ピーチクパーチクと騒がしい。
明日にでも、ここで交わされた噂話が二倍に膨らみ、二十倍の人数に広まっていることだろう。
「へっくし」
「ペイスさん、風邪ですか?」
「きっと誰かが、僕とリコリスがお似合いだと噂しているのですよ」
「まあ」
この晩餐会に、絶対に参加しろと言われたペイストリー=ミル=モルテールンは、妻のリコリスと共に食事を楽しんでいた。
貴族家当主であり、国軍の重要人物であり、また近年右肩上がりの好景気である領地貴族のカセロールは、食事よりも社交が中心。話しかけられる頻度もひっきりなしであるし、それらを無下にするわけにもいかない。
故に、カセロールとアニエスの二人と、ペイスとリコリスの二人にそれぞれ分かれて別行動中。
緊張という言葉とは無縁のペイスであるから、珍しそうな食材を使った料理や、いい香りのしている料理などを片っ端からパクパクと食べている。実に美味しそうに食べるものだから、作った方もさぞ喜ぶだろう。
一緒にいるリコリスが、控えめにチマチマと食べているのとは対照的である。
がっつく大型犬と、小さく啄む小鳥ぐらいの違いがあるだろう。
これが美味い、あれが美味しい、リコもこれを食べてみませんかと、社交そっちのけで食事を満喫する。
そんな若夫婦に、近づく者も居た。
「モルテールン卿」
「これは大使、お久しぶりです」
「ヴォルトゥザラ王国では世話になりました」
「いえいえ、何ほどのこともしておりません」
ペイスに声を掛けて来たのはアモロウス=ルード。
ソラミ共和国の使節代表であり、外交上のキーパーソンである。
ある程度見知った仲ということも有り、会話はかなり弾む。
「我が国の印象は如何ですか?」
「印象か……そうだな、この国は素晴らしいな」
「左様ですか」
外国に使節として出向いておいて、出向いた先を貶す輩も居まい。
褒めるのは当然であり、リップサービスの一環と思われるが、褒められて嬉しくなるのもまた道理。
だが、続くアモロウスの言葉に、ペイスは肩透かしを食らう。
「特に、女性が美しい。昨日も素晴らしい女性と出会ったのだが、実にイキイキとしていた」
「はあ」
「何より、積極的なのが良い。芯の強い女性を口説くのは、男としての本懐だ。そうは思わないかな?」
「はあ」
「いやいや、お淑やかな女性も、それはそれで良い。大人しく静かな女性に、そっと愛をささやくのも男の義務だ」
「はあ」
生き生きと、女性の良さを語る色男と、それに生返事を返し興味を見せない美男子。
どちらも共通項は変人である。変人の二乗で括ることの、括弧して女好き足すお菓子好きだ。答えを計算すれば、処置なしと解が出る。
「一昨日に語り合った女性などは、神王国の美しさを体現したような人だったな。そこの奥方も同じぐらいに美しい」
「リコリスに手を出すようなら、容赦しませんよ?」
「ははは、勿論だとも。私は女性を幸せにするために生きている。リコリス様も幸せであるなら祝福致しますとも」
人妻に粉をかけるとは、とんでもない奴だと、ペイスはリコリスを背中に庇う。
軽く肩を竦めたアモロウスは、ペイスが不機嫌になったことを察する。
「ところで、このスイーツは素晴らしいな」
「はい。僕の力作です」
社交にこなれたアモロウスは、女性の話にペイスの反応が薄いとみるや話題を変える。
勿論、ペイス相手だ。鉄板ネタとしてスイーツについて話を振る。
アモロウスも恐らくと予想はしていたが、やはりペイスの関わっているスイーツであった。
この摩訶不思議なお菓子であれば、さもありなんと頷くアモロウス。
「この冷たさが実に不思議だ。今のような季節に、このように冷たい、氷のようなお菓子とは……いやはや、脱帽だ」
「恐縮です」
科学的な知識を持っていれば、高い山の万年雪から切り出した氷を使い、夏場でも氷点下を作り出すことは可能。
ペイスがわざわざ取りに行ったのは、氷を手に入れる為。一度行けば【瞬間移動】で氷も取り放題である。
美味しい食事は、会話の潤滑油。
リコリスも会話に加わって、今日の料理の品評をしていた時だった。
「全員少し聞いて欲しい。今日、ここに重大発表をする」
国王陛下が、ひと際大きな声を張り上げた。