036話 砂糖作り(その1)
人と動物とを区別する要因とは何か。
この素朴な問いかけに、多くの哲学者や神学者、或いは動物学者や社会学者。果ては心理学者までもが色々な定義をもって答えようとしてきた。
ある学者は、動物と人との違いは言葉であると考えた。言葉を持つのは、人間だけであるという理屈だ。
またある学者は、死を理解できることが人と動物の違いであると考えた。他人の死を悲しむことが出来るのは、人間だけであるからだという理屈だ。
数々の理屈が生まれ、そしてその度に反例が見つかる。もしかしたら、その繰り返しの営みを行うことこそが、人間らしさというものなのかも知れない。
そんな数ある理屈の一つに、『道具を作る道具』を使うのは、人間だけだという理屈がある。
道具を使うだけなら動物にも出来るが、更にその道具を作るための道具にまで発想が及ぶ動物は居ないという理屈だ。
器のようなもので水を汲むだけなら猿でもするが、器を作る道具を使うのは人間だけ。擬態して花を利用する虫は居ても、花を育てる虫は居ない。というような理論を考えた学者が居たのだ。
この理論に沿うのならば、今、一人の少年は実に人間らしいと言える。
彼は、とある道具を作るために、大工道具を振るっていた。
無論、誰あろうペイストリーのことである。
「ここは……もう少し削った方が良いですかね」
ゴリゴリと削る音。トントンと叩く音。
実に小気味の良い、リズミカルな音が屋敷の裏手で響いていた。
どこか楽しそうに、それでいて真剣に木を加工する様を、じっと傍で見ているのはリコリス嬢。
少女は、自分の婚約者の真剣な姿に、ちょっとだけ心をざわめかせる。
「何をしているのですか?」
「ちょっと工作をね」
木工というのは、田舎の人間には必須技能。何かあっても頻繁に町に行けるわけではない為、ちょっとした修理程度は自分たちで出来なければ立ちいかなくなる。特に、モルテールン領のような僻地であればそれはより顕著だ。
その為の大工道具。ノコギリ、ノミ、木槌等は、村の共有物として一セットが納屋に置いてある。田舎では鉄製品も貴重な物なので、各家に一つというわけにはいかないのだ。
ペイストリーが使っているのもそれであった。
「木工というのは分かりますけど、一体これは何を作っているのでしょう」
「搾汁機を試作しているんだよ」
「へぇ、面白いですわ」
リコリスが面白いと言ったのは、その形。
パッと見れば、樽の上に棒が付いたような、ユーモラスな格好をした道具。棒の片側はしっかりと固定されていながら、棒自体は斜めになっていて、更には上下に動く。
現代人が見れば、手押しのポンプとよく似ていることに気付いただろう。爪切りやクルミ割り器を思い出す人間も居るかもしれない。
「この樽の中に、こうやってサトウモロコシを入れる。そして、この棒を下げれば、ここの蓋が下がってぎゅうっと押し付けるようにして中のものを絞る。理屈はてこの原理な訳で、原始的だけどね」
「てこの原理?」
「小さい力を、より大きな力に変える仕組みのこと」
ペイストリーは、リコリスと話しながらも手は止めない。徐々に組み上がっていた工作物が、段々と形になっていく。
おおよその所で、ドサドサとサトウモロコシの茎を詰めていき、具合を調整する。
「もうちょっと……よし、出来た」
出来上がったのは、ペイス謹製の試作搾汁機第一号。
子どもの力でも、何とかしっかりと糖液を絞れないかと考えて作られた、知恵の塊。初めて作ったものにしては中々の出来と、ペイスが自賛する程度にはしっかりと作られていた。
「これでお砂糖を作れるようになるんですか?」
「そうなってくれると嬉しいよね。あとは、マルクたちが戻って来れば……ああ、きたきた」
ペイスの親友が戻ってきた時、その手には一つの金属製品を持っていた。
「言われた通り、しっかりと洗ってきたぜ~」
「お袋に内緒で持ってきてやった。うけけ」
「ご苦労様です。この布の上に置いてください。そのあと、この試作機もその上に置いてください」
マルクたちが持ってきたもの。それは、金属製のたらい。
青銅に近い金属で出来た製品であり、普段は野菜をまとめて洗うときなどにも使われる。
衛生面には気を使うペイス。傍からはおかしな目で見られながらも清潔な布を用意して、地面に敷いていた。
ピクニックでもするのかと言われたものだが、これからしようというのはのんびりと行楽するのとはわけが違う、とペイスは鼻息を荒げて息巻いている。
「うんしょっと。だぁ重てぇ!!」
「ふむ、樽の中身を入れる前に動かせばよかったですね」
「先に気付けよ。人にやらせておいてよお」
「結構頑張って作りましたから、そこまでは気が回りませんでした。不可抗力です」
「嘘付け」
地面に清潔な布。その上のたらい。更にはその上に樽が乗り、長い棒が斜め上に伸びる。
どこかしら不思議さのある光景ではあるが、それを見るペイスの目は輝いていた。
砂糖。
それは、お菓子作りにとっては無くてはならない甘味料。何は無くともこれが無くては、スイーツ作りは始められない。
ペイスの目下の目標でもある、お菓子作りに邁進できる豊かさの為には、是が非でもモルテールン領で自作しなければならないものだ。
砂糖作りの過程は、大きく五段階に分かれている。原料となる作物作りが第一段階で、搾汁段階、濾過などの不純物の除去過程、煮詰めるなどの水分除去過程を経て、粗糖の精製段階を経て砂糖が出来る。
先だっての砂糖の試作品では、搾汁を単に煮詰めた糖液止まりだった。まだまだ先は長い。
しかも、そこで発生した廃棄物の量の多さという問題。
それを解決する為の方策の一つが、搾汁の効率化である。
「これはどうやって使うのでしょう」
「それは、棒を下げて……ってそういうことですか」
リコリスが持った疑問に、ペイスも気づく。
子どもでもしっかり絞ろうと考えた時、てこの原理を利用するならば、棒は長い方が良い。支点と力点と作用点の比率から、支点と作用点までの距離は短く、支点と力点までの距離は長い方がより小さな力で樽の蓋を動かせる。理屈上は、長ければ長いほどに効率は良くなるだろう。
だが、ここに問題がある。
長い棒を斜めにして固定したものだから、いざそれを掴もうとすると、かなり高い位置に棒があるのだ。
樽自体は子供の背丈ほどなわけだが、そこから伸びているために、棒の持ち手の所は子供の背丈を遥かに超えている。
子供四人で一番背の高いマルクでも、見上げるような位置に持ち手がある。
「背伸びしても届かねえな。飛び上がってもギリギリか? ちょっと届かない感じだ」
「マルクはチビだな」
「うるせえよ。ルミこそ俺より背が小さいだろうが」
「俺はこれから伸びる」
「俺だって伸びるさ」
一番身長の低いペイスはもとより、その場の子ども達。ルミやリコリスの女性陣。或いはマルクであっても、手が届きそうにない。
どうしたものかと一同が頭を捻る。
「俺がルミを肩車でもしようか?」
「逆じゃねえのかよ」
いつも騒がしいルミとマルクは、二人なりにペイスの役に立とうという意識がある。
もっとも、試作品の試食をさせて貰えるだろうという、あざとく可愛らしい計算があるのも否めないわけだが。
「他にも手はあるかもしれませんが、折角ですし、まずは肩車で試してみて貰えますか?」
「任しとけ」
マルカルロ少年がしゃがむようにして腰を落とせば、その少年の首を太ももで挟むようにしてルミが跨る。
ペイスもそれを、じっと見ている。
「マルク、顔がにやけていますよ」
「う、うるせえ!!」
女の子の太ももの感触を味わえる役得に、だらしなく緩んでいたマルクの表情。ペイスにそれを指摘されて、マルクは思わず慌てた。
もっとも、上に乗る少女の方は、そんなことはいちいち気にしない。むしろ、さっさとやれとばかりに腿下の少年を急かす。
「いいから、早く上げろ」
「分かったよ。いくぞ、っせぃ!!」
少年の、力いっぱいの肩車。上に乗っている人間への配慮などもせず、ただ持ち上げる。子供とはいえ人一人を持ちあげられるだけでも、マルクが身体を鍛えていることが良く分かろうというものだ。
乗せられている方も、明らかに不安定な動きであっても、バランスを崩さずにしっかりと体勢を保っている。騎乗技術の片鱗が窺えるだけに、ルミもそれなりに鍛えられているのが良く分かる。
「だぁ、重てぇぞちくしょう!!」
「何だと、てめえ、喧嘩売ってんのか。こんな可憐な乙女に失礼なこと言うんじゃねえよ」
「どこが可憐だ。お前はもう少し慎ましくしろってんだよ。普段は女扱いすりゃ怒るくせに、都合よすぎるだろうがぐぇぶ」
女心に配慮が欠片も無いのが十代の少年というものである。天然スケコマシな美形の次期領主ならばともかくも、マルクにその素養は無い。女性にとって重たいという指摘はタブーである。
武力行使に遠慮のないお転婆であれば、そんなタブーに対抗する為に足を使った後三角締めを敢行するのもためらいがない。
「ルミ、流石に首絞めはいけませんよ。マルクが倒れてしまいます」
「っち」
「ゲホッゲホッ……ルミ、俺を殺す気か!!」
首を絞められていながらも、足元にふら付きが無かったのは大したものだ、とペイスは思った。
剣術の稽古はしっかり積んでいるらしいことが分かるだけでも、収穫だろうか。
「じゃれていないで、とりあえず肩車の状態で手を伸ばして届きそうですか?」
「ん、何とか」
「じゃあ、そのまま棒を下げてみてください」
「よし……って、あぶねえ!!」
勢いよく棒を下げようとしたルミではあったが、その間際で危険性に気付いた。
棒と一緒に、樽まで動いたのだ。
「おっと、樽の固定を忘れていました」
「あっぶねえなぁ」
たらいの中に、置いただけの樽である。いくら中身が詰まっているとはいえ、動くのは仕方がない。ましてや梃子の状態であれば、掛かる力もそれなりに大きいのだから。
ペイスは固定するものをしばらく探したが、そうそう都合よくそんなものがある訳も無い。やむを得ず、ペイスとリコリスが、樽をしっかりと押さえることにした。
その上で、ルミが改めて棒を掴む。
「今度はいけそうだな」
「それじゃあやってみましょう」
ルミが肩車に乗りつつも棒を下げると、樽の隙間から汁がジワリと染み出てきた。
ペロリと味見をしたペイスも、満足できる程度には甘味があった。
うんうん、と頷くペイス。
あとは、じっくりと絞っていけば搾汁も上手くいくはず。そう考えた。
しかし世の中、そうそう思い通りのことばかりというわけにもいかない。
とりわけ、子供というものは元来堪え性の無いのが当たり前。人一倍無邪気な悪戯坊主。もとい、イタズラ少女からすれば、ゆっくりちんたら力を掛けていくなど面倒くさくて仕方がない。
「いけそうだなっと」
そう言って、ルミニートは棒にぶら下がるようにして肩車から飛び出す。お転婆娘の面目躍如である。
彼女からすれば、体重を一気にかけて、搾汁を早く終わらせてやろうと考えたわけだ。
これは彼女なりに考えた行動ではあったのだろうが、結果は思わぬものになる。
――ミシッ
嫌な音がした、と思った途端。棒が勢いよく折れる。
てこの原理とは、小さな力をより大きくする増幅装置。だが、その力は作用点以外の場所にも掛かる。
それ故、棒が耐え切れずに折れてしまったのだ。掴んでいた人間はたまらない。
「ふぎゃ」
幸いな点があるとするのなら、そんなに高さが無かったことだろうか。精々が子供のジャンプ程度な高さ。
それでも、バランスを崩した少女は盛大に、お尻から地面に突っこむ羽目になる。
「くっそ……痛っってえ」
「やっぱり、重てえんじゃねえか」
「うるせえ。こんなちゃちな棒でやるのがいけねえんだよ。尻に痣が残ったらどうしてくれるんだよ」
お尻をさするルミ。
清楚な恥じらいなどは兄たちのせいで育たなかった彼女は、この場に男が二人いるにも関わらず生尻を出して、痣になっていないか見ようとした。これに慌てたのがリコリスとマルクである。
リコリスは同性としての倫理観から。マルクは、異性としての羞恥心からだ。
そして、慌てることの無かったペイスは何をしていたのかといえば、壊れた試作搾汁機の方に気を取られていた。折れた棒をしげしげと眺める。
「失敗ですか……うぅむ」
唸るペイス。今、少年の頭の中は試作機の改良案が幾つも浮かんでいる事だろう。
そんな少年に、少女が声を掛ける。ルミが痣の確認を終えたので落ち着いた、リコリスである。
「やっぱり、何事もそう簡単にはいかないものなのですね」
「理屈は良いにしても、やっぱり強度が問題ですか。うちの領地でこれ以上丈夫な木材というのも難しいですし……いっそ全部を鉄でつくってみるとかはどうでしょう」
「それも良いでしょうが……えっと……」
言いよどむリコリス。
彼女なりに思いついたことがあるのだが、引っ込み思案な性格であるが故に、言いだしにくいのだ。
そんな少女を慈しむ少年は、優しく微笑みながら先を促す。
「何でも言ってみてくださいな。こういう試作というのは、色々言ってもらう為に作るわけですから、怒ることも無いです」
「あの……その……この装置のことでは無いのですけれど」
「うん、大丈夫です。言ってみて」
「私のお父様たちは、領地でワインを作っていますから、そこにこうやって水分を絞る道具もあるのではないかと……」
発想の転換である。
試作品を見たリコリスは、同じような用途として葡萄の搾汁機があるのではないかとの発想に至ったのだ。
どう改良するかという発想で考えていたペイスと、全く新しいものを見た時に既存の知識と照らし合わせようとしたリコリスの、向き合い方の違いが如実に出たのだろう。
「その発想は無かったです。そうですね、既に用途として相応しい道具があるのなら、それも手に入れてみますか。その方が変な失敗も無いでしょうし、何か新しい発見があるかも」
ポンと手を打つペイスの納得顔に、面白くないのはルミである。
「結局、俺は尻を痛めただけかよ」
「まあまあ、ルミには、また今度試作品を試食してもらいますから」
「なら許す」
食い気の旺盛な人間を宥めるのは食べ物で釣るのが一番と、ルミの不満げな様子を宥めたペイス。
「さて、ワイン用の搾汁機で、絞りの効率化に目途がついたとなると、後は絞った残りの処理が問題ですか」
「結構な量になるしな」
「考えはあるんですよ」
「へえ、どうするんだ。燃料にでもするのか?」
ゴミの減量について、最も一般的な方法は焼却である。
焼けば廃棄物の体積が減るのはよく知られていることであり、ついでに薪代わりにでもなれば御の字だ。
だが、ペイスはその案に首を振る。
「固い節も多いですから、燃料には向きませんよ。それよりも、実は今度、山羊を仕入れる手筈を整えていましてね」
「それとゴミに何の関係が?」
「絞った残りを、餌に出来ないものか試そうと思っているのですよ。元々、この手のモロコシは家畜の飼料に使われるものらしいですし」
「へぇ、じゃあ山羊待ちだな」
「そうですね。山羊も役に立ちますから、この搾りかすが餌になるなら、数も増やせるかも知れません」
モルテールン領で生まれ育った子ども達は、山羊というのは家畜育成の試しとして連れてこられた数頭しか知らない。その数頭も、休耕地を荒らしかねないとして、しばらくして潰されたものだから、余りよく覚えていない。
彼らが覚えているのは、どちらかと言えばその後のことだ。
「ヤギの香草焼き……美味えんだよなぁ」
「ルミ、よだれが出ていますよ」
「じゅる……いっけね」
生命力の強い香草であれば、モルテールン領でも昔から育てられている。そのハーブと、塩味をつけた肉のシンプルな料理が、祭りで饗されたことがある。
肉を食べることも少ない田舎領地にとってはご馳走であり、半月ぐらいはその感想だけで話題が尽きなかったほどには人気であった。
「とりあえず、ワイン用の搾汁機の入手と併せて、山羊についても手配を急がねばなりませんね。一度シイツ達に相談してきます」
「あいよ~」
壊れた試作機と幼馴染たちを残し、ペイスは屋敷に戻る。屋敷も無駄に広くなったと、無駄な感想を抱きつつ。
ペイスが執務室の扉を、ノックと同時に開けたところで、そこには彼の父親が居た。しばらく王都に用事で詰めていた筈であるが、どうやら戻って来ていたらしい。
「父さま、戻っておられたのですか。お帰りなさい」
「うむ」
息子の挨拶に応えたカセロールではあったが、その顔は浮かない。従士長のシイツと顔を突き合わせて、深刻な相談の真っ最中だった様子だ。
何があったのだろうかと、少年は訝しむ。
「どうかしたんですか?」
「坊、困ったことになりやした」
「困ったこと?」
従士長の言う困ったこととは何か。
それを聞いて、ペイスは思わずしかめっ面になる。今のペイスにとっては、最早嫌がらせにも思えるようなことである。
「戦争が始まりました」
次話かその次ぐらいに今章のお菓子が出せるかな~