035話 全力疾走
少年は走っていた。最高の菓子。そして夢への一歩の為に。
「シイツ、急ぎますよ」
「坊、そんなに走らんでも、畑は逃げたりしませんよ。足が生えてるわけでもねえですし」
「試作品は逃げるかもしれないじゃないですか。先に行きます!!」
「坊!!……って、砂糖が逃げるわけねえでしょうに。まったく」
モルテールン領本村において、領主の屋敷の正面側は、王都の方に向いている。
そちら側を、つまりは王都側を表側と皆は呼び、対して家畜小屋やらのある方を裏側と呼んでいるのだ。お客さんが来訪した時には裏側を見せないようにするため、屠殺の場やら、洗濯物の干場やらの、見せ辛い所を隠すようにして集めている。
そしてこの裏手と呼ばれる場所には、小ぢんまりとした畑も幾つかある。
八畳間程度の大きさの畑が、一定の間隔をあけて六つほど耕されている訳だが、これらの畑をすべてひっくるめて『ペイストリーの遊び場』と称されている。
ペイスが何か新しいことを実践する前に、試すための実験場として使用されている場所だからだ。
この畑の、出来た経緯を辿るなら、領主であるカセロールが意図して作ったものでは無い。
元々は以前のボロ屋敷で、屋敷の裏手に、走り回るための遊び場のようなスペースを設けていたのだが、ペイストリーが自分の趣味の為に勝手に耕して畑を作ってしまったことに由来しているのだ。
子供が土遊びをしていると思っていたら、出来上がったのが畑だった。それを知った時の大人たちの反応は、驚愕から叱責まで様々であり、次期領主の悪戯坊主の悪名の始まりでもあった。
以来この遊び場で様々な実験が行われ、都度拡張され続けていたわけではあるが、屋敷の移転に伴い、正式にペイストリー預かりの実験畑として整備されたのだ。
完全な事後承認で。
シイツが『ペイストリーの遊び場』に着いた時、その場に居た者達は、悪餓鬼トリオに、預かり客人待遇の少女。なんとも、もはや見慣れた面々であった。
「だから、それは俺が目をつけてたやつだっていってるだろうがよ!!」
「うるせえよ。んなもん、早いもん勝ちに決まってるだろうが。男がグジグジ小さいことに拘るなよ」
「お前は少しぐらい女らしくしろってんだ」
「余計なお世話だ!!」
「あの……二人とも喧嘩は……」
賑やかに騒ぐのは、シイツの同僚であるコアントローとグラサージュの子供。領内の治安維持についても責任のあるシイツからしてみれば、騒動と頭痛の種でもあるマルカルロとルミニートだ。
毎度のことながら、なんのかんのと言い合いをするものだから、傍目には喧嘩に見えなくもない。
リコリスなどは口汚く罵りあう光景には不慣れなために、二人を止めようとしていたのだが、それで大人しくなるような二人では無い。
呆れた思いを隠しつつ、何をうるさくしているのかと、シイツは声を掛ける。
「どうした、何を騒いでいる」
「げっ、シイツのおじちゃん」
「げっとは何だ、げっとは。それに、おじちゃんと言わずに『シイツさん』と呼べといつも言っとるだろう」
「痛ってっ!!」
マルクは軽く突かれた頭を片手で押さえた。ちなみにルミはちゃっかりと人の陰に隠れている。
マルクやルミにしてみれば、自分の親と同じぐらいに口うるさい従士長は、苦手とする相手の一人だ。何かにつけて行われる説教も、自分たちを慮ってのことと知ってはいるが、嫌なものに違いは無いわけで、つい口からその感情が漏れたのだ。
お決まりのやり取りを見ていたペイストリーは、いつものことと気にしない。
「シイツ、二人はこれを取り合っていたんですよ」
「ん? それが例の試作した砂糖ですかい」
「ええ。砂糖そのものではなく、糖液を固めようとして、軽く水分を抜いたものですけどね。喧嘩になるみたいなので、いっそシイツが食べてしまいますか?」
「どれどれ、遠慮なくいただきやす」
シイツの前に差し出されたのは黒っぽくどろりとした物体。俗に言われる黒砂糖に似ていたが、それにしては粘り気がありそうなもの。白い上白糖と言うものを知らない人間からすれば、これこそ砂糖の原料だと言われれば信じて疑わない代物だろう。
ペイス専用片手鍋、と身内では呼ぶ鍋。従士長は頼りなさげに軽いそれを、ひょいと持ち上げて中の液体を口に放りこむ。
子供たちの恨めしそうな様子をさらりと無視して。
「あまっ」
「そりゃ、お砂糖の試作品ですから、甘くないと困ります」
純然たる甘味の強烈さに思わず顔を顰めたシイツだったが、それを見てペイスは笑う。
甘いものに不慣れな、シイツのような人間にしてみれば、糖分の塊のパンチは頭がふら付くぐらいに効くものなのだ。それを知っていて試させたのは、イタズラ坊主のちょっとしたお茶目である。
出来立ての糖液。御世辞にも美味しいとは言えない。
それもそのはず。ただの砂糖の塊だけで美味しいのなら、お菓子職人などは要らない道理になってしまうわけで、そのまま食べただけではただ甘いだけ。味にも素気がないのだが、それでも甘いことには変わりはない。
「こんだけ甘けりゃ、砂糖としては成功ですかい?」
「う~んどうでしょうか。成功と言っても良いでしょうが……」
「何か問題があるんで?」
「ええまあ。色々と問題は多いわけですが……まずは、これを見てください」
ペイストリーは、そう言って一束の藁のような物をシイツに見せた。
やや湿り気を帯び、青みと黄土色の混じった緑。叩いた麦藁のようにも思えるが、それにしては太さが丸きり違う。
「これは?」
「糖液の搾りかすですよ。どう思います?」
「どうって言われても……」
シイツからしてみれば、砂糖原料の搾りかすなどは生まれて初めて見るものである。何がどうおかしいのか、さっぱりわからない。
それどころか、手に持った植物がどういうものなのかさえも分かっていないのだ。それを知る人間は、モルテールン領では一人の少年のみである。
「これだけ見せられても、何がどうってのもさっぱり分からんでしょう。そもそも、これはなんていう作物なんで?」
当然の疑問を口にする男に対し、思案気な様子のままペイスも答える。
「スイートソルガムという植物です。俗にサトウモロコシとも言いますけど。探し出すのに大変苦労しましたが、その甲斐はありました」
「サトウキビってやつとは違うんで?」
「大きくわければお仲間ではあるでしょうが、色々と違う部分も多いですね」
スイートソルガムは、穀物であるモロコシの一種。トウモロコシの近縁種でもある。ソルガム自体が総じて乾燥に強い作物であり、小麦や大麦の育ちにくいような荒れた土地でも十分よく育つという大きな強みを持つ植物だ。勿論、モルテールン領でも育つことは確証を得ている。
この植物の欠点としては、穀物としてみた時に利用がし辛いという点がある。数カ月もあれば人の背丈を越える高さにまで伸びるため、麦などと比べても収穫に苦労する羽目になるし、ものによっては若竹のように固い繊維質と節を作るため、刈り取るのにも面倒さが伴う。
その上、黍の性質として、穂から実がばらけてしまいやすい。刈り取った後に軽く揺らすだけでもポロポロと実がこぼれるため、集めにくいのだ。
おまけに、実自体も麦などと比べると非常に小さい。ゴマ粒と似たり寄ったりの大きさで、製粉などの手間の割に食べられる可食部が少ないというのもマイナス要素である。
世間一般で栽培されていないのは、これらの欠点があまりに大きいからだ。
しかし、このスイートソルガム。サトウモロコシには、もっと重要な特徴があった。
それは、茎に糖分を蓄えるという、貴重な能力を持つこと。
その性質から砂糖の原料作物として知られていて、スイートソルガムから作られる砂糖をソルガム糖と呼ぶ。舌にのせた時に少々粘つくような食感があるのが特徴であり、独特の風味を持つ。
ペイストリーの目的は、勿論この茎に蓄えられる高濃度の糖分である。そのため穀物部分を使うことは無い。故に利点の方が大きいと判断し、八方に手を尽くして手に入れたものが、先ごろようやく収穫できたのだ。
今日の試作品は、文字通りの試した結果であり、モルテールン領産砂糖の、栄えある試作第一号である。
当然、誰もがその出来栄えを気にかけていたわけだが、試作品を食べてみたシイツの感想は、初手でこれだけのものが出来れば上々ではないか、というものだった。
ものごとは最初から上手くいくのがおかしいわけで、初めての試作で砂糖らしい甘さを持つ、それらしい糖液が出来ただけでも、十分に非凡と思えたのだ。
「やっぱり、何が問題か分かりませんね」
試作品そのものには何の問題も無い。現代人からすれば砂糖とは呼べない液状のものであるとはいえ、それっぽさはある。その点は試作を主導した少年も、まずまず頷ける結果ではあった。
であるならば、何が問題なのか。
ペイスが気にする問題点は、試作品以外の部分にあるのだ。
「シイツ、この搾りかすの量を見てください」
ペイスにそう言われて、シイツを含めた皆の目は汁を絞った残りにいく。
改めて促されてみてみると、その問題点は誰の目にも明らかだった。
シイツが食べた液状糖は、鍋一つの底に溜まる程度。にもかかわらず、その為に必要だったらしいスイートソルガムの量は、滓だけでもかなりこんもりとした小山になっていた。
シイツは、それを見て気付いた、特に具体的な問題点を指摘する。
「効率が悪いってことですかね」
「ええ。今までは砂糖の採れる作物を育てることに注力してきたわけですが、今日の試作で分かったことは、効率性も今後追求していかねば、ゴミの山になるということです。飴一つ作るたびに、これだけの搾りかすが出来てしまうのは大問題ですよ」
ペイスの指摘は正しいと、誰もが感じた。
ただでさえ人手の足りていない現状で、ゴミ処理のお役目を新たに設けるわけにもいかない。
砂糖を試作するだけならばまだしも、領内の産業化を考えるならば避けては通れそうにない問題だ。
「この山を減らす目途はあるんですかい?」
シイツの尤もな質問。その問いかけは当然予想済みだったのだろう。ペイストリーは、しっかりと頷く。
「方法は考えています。さし当たって今から試せる手は、絞り方を変えてみるというのがありますね」
「絞り方ねえ」
サトウモロコシから砂糖を作る為には、まず茎の部分を絞って汁を集めねばならない。そして、この絞り方が効率よくなれば、同じ量の糖液を作るにも廃棄物の量は少なくなるのが道理である。
現状では、絞ると言っても手絞りに近い。ナイフで裂いたものを、麺棒のようなものでゴリゴリ押し付けるようにして汁を絞っているのだ。
誰が見ても、効率が良いとは言い辛い。事実、山になった搾り滓はまだまだ湿っぽい。もっと絞れるはずなのは素人目にも分かる。
「このまま人力では限界もあるでしょうし、いっそ大がかりな仕組みを作らねばならないかとも思っているのですが……」
「大がかりねえ。できますかね。難しい点もあるんじゃねえですか?」
「難しいですか?」
「一番の問題は、やっぱり金の問題でしょうよ」
シイツの立場は、領主の補佐。或いは現状ではペイスの補佐である。その為、あえて反対意見をいう立場でもある。
彼からしてみれば、ペイスの言う“大がかりな仕組み”を作るのには、それなりの大金が居るだろという目算があった。試作を繰り返す必要もあるだろう。
領内では未だ木材資源の不足が叫ばれている状況であり、別途調達するとなるとまた金が要る。
ペイスが小遣いで調達するのなら別段反対はしないが、家畜調達の散財の後であるならば、かなり厳しいだろうと考えていた。
「領内の予算を何とかつけられませんか?」
「そりゃ大将に聞いてからでしょうよ。勝手にやるわけにゃあいかんですし」
色々とやり取りをしていたペイスとシイツ。
そんな中、その二人を、呼ぶ声が聞こえてきた。
「シイツさ~ん」
大きな声で呼びかけながらやってきたのは、若手従士のニコロ。
最近ようやく引継ぎが完了し、領内の金勘定を任されるようになってきた青年。
ここしばらくは慣れも出てきていたが、それでも分からないことや確認したいことはまだまだ多い。その度に頼るのは、頼もしき従士長のシイツである。
「どうした?」
「ちょっと聞きたいことがありまして」
落ち着いた態度で迎える従士長に、若手は遠慮なく話しかける。
「来月の予算の件なんですけど、これ見て貰えませんかね」
「ん?」
ニコロが差し出したのは一枚の羊皮紙。
モルテールン領では、かなり前から予算を月割りにしている。年割にしたとしても、どこかの幼い後継者のせいで、予定外の出費が降って湧いてくるような領地であるため、いつからか自然とそうなった。
来月は予算額としては割と多めの月。
だが、祭りの準備費やら新村への整備費やらが多めに必要とされるし、おまけに前年度比200%増しの結婚者数に伴う祝い金などもある。その為、多めの予算を付けているにもかかわらず、余裕が皆無になりそうな月でもあった。
予備費の計上さえもできないほどカツカツ。
そんな予算の中に、さりげなくあった一つの項目にシイツは目をとめた。
「なんだこれ? 材木発注が大分増えているな」
「ええ」
予算を、領主の承認前に手直しするのはよくある通常業務。大きなトラブルやイベントがあった時は大幅に訂正が入ることもあるため、複数人で分担することも多い。
「シイツさんがこれ直したんですよね? 新村の方で予定外もありまして、ちょっと調整させてもらえないかと思ってご相談に来たわけでして」
その言葉にシイツが反応する。眉をピクリと上にあげ、少々きつめの顔つきになる。
「いや、おれはここを追加した覚えは無いぞ」
「え? じゃあ誰が……」
誰がそんなことをしたのか、と言おうとして、大人たちに一人の人物像が思い浮かんだ。
金勘定に十分な知見があり、予算のことを分かっていて、当月の予算が多めなのを見越しておけて、さりげなくそれっぽい部分を増やせる狡猾な人物。
ついでにいうなら、木材を欲しがっていた人物。
「坊!!」
若干語気を荒げたシイツではあったが、その周りには既にペイスの姿は無い。
「ペイスさんなら、さっき用事を思い出したとかで、向こうに走っていきましたわ」
従士長の見た先には、全力疾走で駆ける子ども達の姿がある。
その逃げ足の速さに、大人たちは揃って溜息をつくのだった。