336話 商人の誤算
ボンビーノ子爵領領都ナイリエ。
喧騒と活気に溢れる街に、一人の商人がやって来た。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「ウランタ=ミル=ボンビーノ子爵におかれましては、お忙しい中お時間を頂戴しましたこと誠に有難く思っております」
「いえ、我が国でも一・二を争うロジー・モールト協同商会の会頭が自らお越しとあれば、大歓迎です」
「恐縮です」
部下に条件を詰めさせては居たのだが、いよいよ契約が本決まりとあって、会頭自らが足を運んだ。
下手な貴族より影響力があるという、国内指折りの大商人がわざわざ訪ねてくるとなれば、ボンビーノ子爵も直々に応対する。
「ジョゼフィーネ=ミル=ボンビーノ子爵夫人も、ご機嫌麗しく」
「初めましてになりますわね。ロジー・モールト協同商会のお噂はかねがね聞き及んでおりましてよ。おほほほ」
「奥様のお耳に届いているとは、我が商会も中々のもののようですな。誇らしゅうございます」
コートは、モルテールン家から嫁いできたというジョゼフィーネ子爵夫人を警戒している。勿論内心のことなので、表面上は商売道具の笑顔を貼り付け、如何にも機嫌よく挨拶しているような雰囲気を演出することを忘れてはいない。
「ロジー・モールト協同商会には、当家も長い間世話になっていますね」
「ははは、ウランタ様、それをおっしゃるのであれば我等の方こそボンビーノ家には大変お世話になっております」
世間話から始まる商談は、実に和やかな雰囲気である。幼いと評して良いウランタが居て、その横には美人と言って間違いのないジョゼが居るのだ。これで華やかな雰囲気で無いなら商人としての腕を疑うところだろう。
あえての朗らかな笑い声で場をほぐす商人。
「そうですか?」
「ええ。ウランタ様はまだお若いのでご存じないかもしれませんが、先代様が王都に来られた際には、当商会で商品をお買い上げいただくこともございました」
「父上が……そうですか」
ウランタの父は、既に亡くなっている。
先代ボンビーノ子爵として、苦労が有ったらしいとは人伝に聞いたことがあった。国家創建以来の伝統貴族として、格式を重んじ、例え台所事情が苦しくとも衣食住に手を抜くことは無かったらしいとも聞いている。
王都で宝飾品も扱う商会とあれば、さぞ金を落としたことだろう。
頷くウランタに、にこにこした商人が愛想を振りまく。
「ええ。長らくご愛顧頂いておりますので、大変に助かっております。ああそうそう、今日お伺いするにあたって、手土産を持参いたしました」
「そのようにお気遣い頂かなくとも良いのですが」
「ははは、商人の癖というものです。お世話になっている方にお会いするのに、裸で行くものは居ないでしょう。商人にとっての御挨拶は、服のようなものでありますよ」
「そういう物ですか」
お土産。
早い話が賄賂だ。
貴族社会では商人からの付け届けはごく当たり前のことなので、商会としても必要経費と割り切って高価な品を土産として持ってきている。
「無くても良いと仰って下さる方は多いのですが、受け取ってもらえればこちらとしても落ち着いてお話が出来ます。どうぞ、ご笑納ください」
「ありがとうございます……これは、ネックレスですか?」
「はい。当商会の取り扱っております中でも選りすぐりの逸品をお持ちしました」
「これは、流石に高価すぎましょう」
「いえいえ。どうかお納めください。子爵夫人の美しさは私共の耳にも入っておりまして、それに見劣りしないものをと思って選びに選んでまいりました。余人では見劣りしましょう。是非ご夫人に」
直接ウランタに渡さず、奥方に手土産を渡すところが商人の心憎い手練手管。断りづらい所から攻めていくのは、商人の戦い方だ。
そして、モルテールン家の血を引くジョゼの面の皮の厚さは親譲り、弟譲りである。
「ありがとうございますわ」
「ご笑納いただければ嬉しゅうございます」
欠片も躊躇せず、贈り物を我がものとする奥方。
ジョゼの遠慮のない態度に、コートも内心では驚いている。
神王国では現代に比べれば男尊女卑の傾向が強く、女性が出しゃばったり、或いは夫よりも前に出ることは好まれない。
土産とは言いつつも高価な宝飾品。こんなものを受け取ってしまえば、多少の無理は聞いてやりたくなってしまうのが人情というものだろう。
高価なものをタダで受け取っておいて、そっけない態度はしにくい。
コートとて、商人としては常識として贈り物の意味を知っている。だからこそ、今回あえて高価な宝飾品を贈った。
子爵が何も言わないあたりで、今回の商談は楽勝かとも考える。
「それで、今回のご用件は何でしょう。贈り物を戴いた手前、聞かないわけにもいかないでしょう」
「おう、ありがとうございます。流石は賢才と名高いボンビーノ子爵。決して損はしない話を持ってまいりました」
「はい」
ここからが商談の本番である。
「先だってより、ご依頼していた件について、改めてお話を伺いたく、本日罷り越しました」
「ご依頼というと、龍の鱗を引き取りたいというお話でしたね」
「左様です」
スッとコートが目を遣れば、ウランタの横で子爵夫人が大人しく座っている。
受け取ったばかりのネックレスを弄っていることから、どうやら今回の話には興味を持っていなさそうだと判断する。
「如何でしょう、我々に、お売り頂けますでしょうか」
「……そのためには、幾つか条件をお伝えしていたはずですが」
「勿論、ここに書面で書き起こしてまいりました。ご確認願います」
「では失礼して」
ウランタは、三通用意された書面を確認する。一枚は子爵家で保管。一枚は商家で保管。もう一枚は第三者が保管するのだ。
書面の内容は大きく三つ。
一つ目は、ウランタが龍の鱗をロジー・モールト協同商会に一定の金額で売ること。オークションで売られていた金額より、やや高めの金額なので相場通りと言ったところだろう。
二つ目は、代金先払いの商品後渡しという契約。代金は先に現金で支払うが、ものは後日に引き渡すこと。引き渡す期日は一年以内と定められている。
そして三つ目に、急遽付けたした文言が有った。
「龍の鱗については、今後当家が売りに出すものを全てロジー・モールト協同商会が引き取ること……」
「どうか、これでお願いいたしたく」
龍の鱗の独占を狙う人間として、どうしても譲れない文言。
今回売りに出される鱗の量がどれほどのものかは分からないが、隠しておいて他所に売るという真似をされれば、独占が崩れる。これはどうにも上手くない。
独占契約は当然のことだろう。
「私は、龍の鱗を他所に売れなくなるわけですね」
「二つ目を当方が受けるのであれば、専売権は御認め頂きたく」
世の中、専売というのは兎に角儲かる。
絶対に需要のあるものを、一部の人間のみで独占して流通を牛耳れば、得られる利益は膨大である。
古くは古代中国の塩の専売など、類例には事欠かない。
ロジー・モールト協同商会の狙いは、まさにここに有る。これは、どうしても受けてもらわねば困ると、コートは詰め寄った。
商品後渡しで支払いは今すぐ、などという商会にとって不利な条件をのむのだ。商会にとって“有利と思われる”項目の一つや二つ、付け足すぐらいは交渉の内であろう。
「あら、良いじゃないの」
「ジョゼ?」
そんなやり取りに、横から子爵夫人が口を挟んだ。
「体面もあるからと面倒な条件を言い出したのはこちらでしょう? 余計な手間を増やしたなら、商会側にも見返りがあって然るべきよ」
「それはそうかもしれませんが」
思わぬ援護射撃に、コートはしめしめと心のうちでほくそ笑む。
結局、ジョゼが無理やり押し切るような形で、ウランタはしぶしぶ契約内容を呑んだ。
「では、これで契約と致しましょう」
サラサラとサインを行ったコートとウランタ。
控えも含め、お互いに契約書を一通づつ持ち、一通はウランタが王宮に持ち込む。
財務尚書辺りから陛下に奏上し、認可を持って最上級の公文書として記録にも残すのだ。
神王国に生きるならば、絶対に破れない契約となる。ボンビーノ子爵家は、伝統派に属す領地貴族。それなりに国内でも政治的影響力を有し、武勲も確かな逸材と評判である。
それだけに、コートとしても公文書にすることは大事だった。その気になれば、一商会との約束事など反故にしかねないのが権力者というものだからだ。
国王裁可を受け、完璧な公文書として契約しておけば、ロジー・モールト協同商会の後ろ盾となっている幾つかの貴族も、いざという時は助けてくれる。
「よい取引となりました」
「こちらこそ」
お互いに握手を交わし、無事に契約が結ばれた。
だが、商人は気づけなかった。
この時既に、モルテールン家の反撃が起きていたことを。
◇◇◇◇◇
「おい、一体どうなっているんだ!!」
「それが、想定以上の支払いが……」
「馬鹿な!!」
大商人コートが、狼狽を露わにする。
ボンビーノ家から要求される現金が、既に当初用意していた額を超過し始めたからだ。それも、半端な超過額ではない。当初予算を丸々おかわりしなくてはならないほどの膨大な額である。
「そんなはずはない!! 何百万枚用意したと思ってるんだ!!」
コートが今回の為に用立てた金額は、国家予算規模である。
国でも一、二を争う大商会が、本気で動いた上で、大国三カ国に教会まで組んで集めた資金だったのだ。
所詮、モルテールン家など一子爵家。幾ら大龍の素材を売って稼いでいたとしても、援軍の無い籠城のようなもの。
勿論、モルテールン家を侮っていたわけでは無い。万が一にも失敗しないように、数百で籠城する小城に対して百万の兵力を用意する勢いで資金をかき集めていたはずなのだ。
しかし、どういう訳か予想外の伏兵。ボンビーノ家からの買い取り要請に窮している。
「買い取りの鱗の数が、明らかに競売で売られた数より多いではないか!!」
そう、コートが叫んでいるのには訳がある。
ボンビーノ家が“将来引き渡す”と言っている鱗の数が、明らかに過大なのだ。
…まるで、“無い物を売っている”ように。
「どうする、どうすれば良い!!」
王家の認可まで得た公式な契約。反故にすれば、王家を敵にする。
ボンビーノ家が売ると約束しているのだ。契約は既に為されているのだから、代金は支払わねば契約不履行になる。明らかにおかしい数であっても、それを咎める術がコートには無い。
「お困りの様子ですな」
「おお、司祭殿、丁度ご相談したいことがありました」
困り果てたコートの元に、聖教会の司祭がやって来た。
金策に窮していたコートは大歓迎で司祭を迎える。
「実は、我々は今回の件から手を引こうと思います」
「は? 今何と?」
「この件は、貴方が独断で行ったこと。我々は、何も知らなかった。そういうことになりました」
「馬鹿な、ここに来て裏切るのか!! もう少し、ここさえ乗り切れば大金が手に入るのに!!」
「……まだ気づきませんか。貴方はモルテールンに一杯食わされたのですよ」
「は?」
ぽかん、と惚けるコート。
「このあとすぐにも、モルテールンから連絡が来るでしょう。龍の鱗を、相場の半値ならば買い取っても良い……とね」
「え?」
聖職者の言葉に、ぽかんとしたコートだったが、やがて司祭の言葉の意味が分かってきた。
ボンビーノ家とモルテールン家が、密接に繋がっていた。そして、契約の“穴”をついて、コートを嵌めたのだ。
ボンビーノ家は、モルテールン家から鱗を借りればいい。それを今の“高い相場”で好きなだけ売る。現金で支払うのはコートだ。
ガンガンに売る。やがて、コートの支払い能力を超える。それでもボンビーノ家が鱗を売ろうとすればどうなるか。コートは苦渋の選択を迫られるだろう。
すなわち、手元にある資産。龍の鱗を売って金を作るか。破産するかだ。金策を既に限界一杯までしている以上、更なる金策には限界がある。
龍の鱗を切羽詰まって売るとなれば、買い叩かれるだろう。そうでなくとも、値が下がると煽ったのはコートなのだ。
値が下がった鱗をボンビーノ家なり、モルテールン家が買えばどうなるか。
値が下がって買った鱗を、一年後に引き渡せばいい。代金は既に高値で貰っているのだから、それで大儲け。
何のことは無い。コートの鱗を安値で買い叩き、コートに高値で売りつける形が出来上がってしまっている。
今頃気付いたところで、後の祭り。
「くっそぉおぉぉ!!」
この日、歴史上に残る程の大損をし、国家予算規模の損失で破産した男として、コートの名が記録されることとなった。
先物取引による信用売買は、自己責任で。





