334話 心得
モルテールン領ザースデン。
日頃見慣れた故郷に、久方ぶりに帰郷したルミとマルクは、魔法の飴を食べて甘くなった口内の余韻を感じつつ、領主館に足を向ける。
「お? ルミにマルクか?」
目下、大龍の為に警備を厳重にしていたモルテールン家である。すぐにも幼馴染ペアは巡回の従士に見つかる。
「よ、ラミト兄、久しぶり」
ルミが軽く手をあげて親し気に挨拶を交わしたのは、巡回していたラミト。モルテールン家の従士としては若手ではあるが、将来の幹部候補生として一目置かれるルミの実の兄であった。
「お前ら、どうしたんだ?」
最早、非常識なことこそが日常という、異常なモルテールンである。
ここに居るはずの無い二人が居ることなど、不自然には思っても驚きはしない。
どうせペイス様辺りが何かやったんだろうと、諦念の域にある。
悲しいことに、そのラミトの想像が外れていないという事実。
「ちょっと、ペイスの用事で戻って来たんだ。シイツのおっちゃんか、カセロール様に取り次いでくれよ。急ぎだっつってさ。それか、場所を教えて貰えりゃ、勝手に行くけど」
学校での教育前であれば、断りを入れるまでもなく勝手にずかずかと館に入り込んで、執務室辺りに突撃をかましていた。
まだまだ教育不足なところはありつつも、きちんと先ぶれと入退室の確認を行うようになっただけ進歩だ。
妹の成長っぷりに驚きつつ、ラミトは二人に告げる。
「分かった。お二方とも第二大隊の臨時宿舎に居るぞ」
「臨時宿舎?」
「広場を借り切って駐屯してんだよ。広場に行ってみろ」
「広場か、さんきゅー」
現在、モルテールン領には第二大隊が駐屯している。
大龍を御せるペイスが不在であり、モルテールン領が空になることを避けたという意味もあるが、カセロールがモルテールン領に居ることの意義は大きい。
ただし、職務としての軍務の方が優先されるため、領主業をやっていた時の様に執務室に籠って仕事とはいかない。
あくまでも、隊長としての立場を優先せねばならない。
そこで、公私のケジメを付ける意味もあって、ザースデンの一等地の広場を貸し切りにして、そこを第二大隊の拠点としているのだ。
マルクとルミが目を瞑っても歩けるほどに慣れた道を通り、広場まで行くと、そこにはテント村が出来ていた。
駐屯するのはざっと二千二百人。
地方辺境で国軍が駐屯するとなると多く、実際に戦うとなると少な目という微妙な人数。
屈強な騎士も多く含まれる、実戦兵力の猛々しさは威容である。
「そこの二人、止まれ!!」
早速というのか流石というのか。
駐屯地に近づこうとしていたところで、ルミとマルクの二人は留められる。
二人にしてみれば見慣れたどころか見飽きた街並みであるし、慣れ親しんだザースデンであるが、第二大隊の人間からすれば見慣れない二人組である。怪しがって当然だ。
「モルテールン家従士ルミニート=アイドリハッパであります」
「同じく、マルカルロ=ドロバであります。モルテールン子爵に急ぎの伝言を持ってまいりました」
学校で叩き込まれた敬礼で、ビシッと決めるマルクとルミ。
こうして立ち居振る舞いがそれっぽいと、一端の軍人に見えるから不思議である。
明らかに訓練されている人間の動きに、警戒を強めながらも伝令が走る。
ややあって、モルテールン第二大隊長より連れてくるよう命があったことで、二人組は大隊長のテントまで連行された。
「閣下、連れてまいりました」
テントの中には、二人の良く見知った偉丈夫が居た。
「ご苦労、下がって警備を続けろ」
「はっ」
二人を連れてきた若者は、カセロールに敬礼してその場を去る。
残っているのは、連れてこられた二人。
そして、モルテールン子爵に第二大隊副隊長。それに、第二大隊の補給士官や裏方の人間が数人。
居並ぶ第一戦で活躍する軍人たち。
「二人とも、どうした?」
カセロールが、尋ねる。
それこそ生まれた時から知っている二人だ。只ならぬ事態であることは雰囲気で察せられる。
「ペイストリー様より、至急にと伝言と手紙を預かって参りました」
「ペイスから?」
「ご子息からだと、どちらの要件か分かりませんな」
副長がどちらか分からないと言ったのは、ペイスからの伝言が『モルテールン家当主』へのものなのか『国軍第二大隊長』へのものなのかが分からないという意味である。
普段であれば、ペイスは領主代行だ。父親に連絡する時は、先ずモルテールン家当主への連絡事項ということが多い。
対し、今のペイスは第一大隊長臨時補佐。ここから連絡が来るとなると、国軍関係かも知れない。
何故副長がそんな立場を気にしたかといえば、機密の関係が有るから。
モルテールン家の内輪の話ならば自分たちは席を外した方が良いだろうし、国軍関係ならば自分たちは聞いた方が良い。
どうするべきかに迷った、という意味でカセロールの指示を待つ。
「ペイスは何か言っていたか?」
カセロールの問いに、マルクが代表して頷いた。
「伝言を。時来たらばこちらの方は全面的に受け持つ、とのことです」
「……ふむ、ならば国軍関係の話か? 手紙も預かっているのだったな」
「はい、これです」
部下が一旦受け取った上で、カセロールに渡されたペイスの手紙。
中をざっと見たカセロールは、顔を顰めた。
「なるほど、ヴォルトゥザラ王国で不穏な動き有り、至急備えられたし……か」
手紙の内容は、至極短い。
簡潔に、ヴォルトゥザラ王国での情報収集とその精査結果が書かれていた。
纏めるならば、いつ争いが起きても不思議は無い状況なので、備えておいて欲しいというものだった。
「攻めてきますか?」
部下の言葉に、カセロールは頷いた。
「具体的に何かあるわけでは無いようだが、不穏な気配が色濃くなっているらしい。マルク、ルミ」
「はい」
「お前たちはどう感じた?」
「差し迫った危機感はありませんでしたが、我々を警戒する雰囲気は感じました」
「……ふむ」
情報は、多い方が良い。
カセロールは、ルミとマルクからも色々と話を聞く。
その上で、カセロールには国軍の情報網という強い武器があった。
「確かに、相場はモルテールン隊長の息子さんが言う通りの動きをしていると、情報があがってます。兵站統括部署からの、愚痴混じりでしたが」
「あそこは予算のやり繰りでへそくり作ってるから、尚更敏感だろう」
部下たちの言葉に、カセロールは更に確信を強めていく。
「しかし、実際に攻めてきますか? モルテールン領は攻めづらいですよ?」
副長が言った。
確かに、ここで簡単に攻め込んでくるぐらいなら、もっと早くにモルテールン領は諸外国に蹂躙されていただろう。
山に囲まれ、まともに侵攻路の無い、辺境の土地。それも、元々人的資源に乏しいモルテールン家が、せっせと防備を固めている土地である。
最近では街も頑丈な塀で囲まれ、堀も巡らせてあり、いざ攻めるとなると中々に難しい状況になっていた。というより、そうなる様にカセロールたちが苦労してきた。
「我々の任務は、王子殿下の晴れ舞台が無事に終わるまで、国内の不安要素を事前に鎮圧すること。後方を安定せしめ、もって王子殿下の任務を補佐することにある。大龍を含め、争いの種は検討しておくべきだろうな」
「ならば、要所に兵を置き、巡回も増やしますか」
「そうだな。やれることはやっておこう。後で後悔するより、無駄足になる方がマシだ」
さっさと決めて動くところは、精鋭の精鋭たる所以。
モルテールン領の地図をカセロールから提供されている第二大隊は、早速とばかりに防衛計画の想定を練り直し始める。
「二人とも、ちょっと良いか?」
そんな慌ただしくなり始めた環境の中で、戻るべきかどうか悩んでいたルミとマルクをカセロールが呼んだ。
こっそりとテントの端で、密談のようだった。
「手紙には、為替のことが細かく書いてあった。しかし、私は金周りのことに疎い。ペイスの懸念していることは、一体なんだ?」
手紙には、軍事的な脅威以外に、経済的脅威についても懸念が示されていた。
しかし、正直なところカセロールは金勘定は苦手である。
元々貧乏な環境で生まれ育ったし、領主生活も長らく耐乏生活であったし、更に言えば領地が豊かになった政策はほぼ全てペイス達の献策によるもの。
軍事であれば、実家からの教育もあったし、これまでも積極的に勉強し、また実戦で経験してきただけに知識も豊富だ。
しかし、こと経済については音痴である自覚がある。そも、モルテールン家が豊かになったのも、ここ最近の話なのだ。大金を動かすだけの知識も経験も、カセロールには不足している。
「ペイスが言うには……金を使ってモルテールンを荒そうって人間が居るかもしれないって話だぜ」
いつの間にか、畏まっていた態度も化けの皮が剥がれて雑になっているマルク。
ペイスの意図を理解して咀嚼出来る能力は、ルミよりマルクの方が高い。
「金を使って、か?」
「兵糧なのか、武具なのか、生活必需品なのか……とにかく、何かを買い占めたりして敵を困らせる戦法が有るらしい。兵士で力押し出来ないなら、搦め手で来るかもっていうことだろ? 多分」
ペイスは、何も相場だけを見て不審を覚えたわけでは無い。
彼なりに、前々から防衛について思索を巡らせていたことがあったのだ。
モルテールン領は武力で攻めて来られたとしても跳ね返せる素地が出来ている。カセロールが一部とはいえ国軍を動かせるし、政治的にも援軍を期待できる友好的な家は多い。
だからこそ、モルテールン家に対して圧力を加えるとするなら、軍事的圧力よりは経済的な圧力や外交的な圧力になるだろう、と予測することは容易い。
経済封鎖や物流封鎖というのは、現代人の教養を持つペイスならば知っていて当然だろう。経済封鎖から大戦に発展した歴史を、現代日本人ならば学校で習う。
しかし、モルテールン領は基本的に自給自足を旨とする。更にはカセロールの魔法だってある訳で、必需品を差し止めることで困らせることは難しい。戦略物資を握り込んで直接的に困窮させるというより、間接的に困窮させようとしてくるはず。
つまり、攻め手は経済に絞られる。
攻める方向と手段が分かっていれば、僅かな動きであっても察知することは可能だ。事実、ペイスは気づいた。
「ふむ、なるほど、そういうことか」
マルクの説明を引き継いだのはルミ。
咀嚼した解釈を自分なり理解し、他人に説明するのはルミの方が上手い。
学業の成績優秀者は伊達ではなく、ペイスの懸念を実に分かりやすくカセロールに伝えた。
「分かった。ペイスの懸念は尤もだ。至急対応することにしよう」
「出来るのかよ」
「どうやれば良いのか、さっぱりわからねえけど、大丈夫だよな?」
軍隊を使って殺し合うのも戦争ならば、弱い所を狙って潰しあうのも戦争である。
奇襲と奇策に詳しいカセロールにしても、ペイスの懸念している狙いが段々と輪郭を伴ってきた感じを覚えた。
モルテールン領は、目下金余りの富裕領である。モルテールン家の影響力も、経済力の裏付けがあってこそ。ならば、これを破壊したいと狙うのは当然の発想だ。
兵糧を狙うのは兵法の常道。カセロールは、深く危機を理解した。
そして、何よりも頼もしいのは息子である。
どこまで先を読んでいるのか。
「早速、二人にはレーテシュ領……いや、ボンビーノ領に行ってもらおう」
「ボンビーノ領?」
「一つは海を先んじて確保すること。そしてもう一つは……仕込みだな」
「仕込みってことは、考えがある訳か」
経済に昏い領主の策が如何ほどのものか。
マルクやルミの怪訝そうな顔に、カセロールは苦笑する。
やろうとしていることは、自分の考えではないというのは言っておかねばならないと、カセロールは二人に紙をチラつかせた。
「……あいつが、こういう物を用意していてな」
手紙に同封されていた、数枚の紙きれ。
そこにはタイトルが記されていた。
『経済戦争の心得』





