333話 ちょっとそこまで
その日、ペイスは自分の信頼する部下を呼びだした。
彼が最も信を置き、能力はともかく忠誠心に関しては絶対的な確信を持てる二人。
「今からルミとマルクの二人には、買い出しをお願いします」
幼馴染のマルクことマルカルロと、ルミことルミニート。
学生として見聞を深める為にペイスに同行してやってきて、その目的通りに色々とヴォルトゥザラ王国について実地で学ぶ際中の二人だ。
幸いなことに、使節団に随行したことから一定の配慮をして貰えたようで、都の中で動き回ることに不自由はない。
「何を買いに行けば良いのでしょうか!」
背筋を伸ばし、直立不動のルミとマルク。
学校では大いに礼儀作法も学んでいるようで、その成果が出ていた。
大変結構と、ペイスは買い出しの内容を伝える。
「実は、ロズモ公より王子殿下の祝いに際してお菓子を作る様に要請されました。ついては、秘密裡に色々と練習しておこうと考え、二人を呼んだんです。買い出しは、他の人には内緒でお願いしたい」
「はい」
「買いに行ってもらうのは、先ず包丁と鍋と……フライパンのようなものが有ればそれも」
「はい」
「良いものや、馴染むものを探すのが本来ですが、今は時間がありません。良さそうなものは兎に角買ってきてください。沢山買えば、その中の一つぐらいは当たりがあると思いますので」
ペイスが、買ってきて欲しいものを並べる。
まずはと言い置いて、調理器具を購入するように言う。
「材料としては、小麦粉、砂糖、卵があれば卵……干し肉や干し果物も有れば出来るだけ買い込むように」
「干果物はともかく、干し肉も?」
「ええ。目新しさを出そうかと思っていまして」
更に、材料として幾つかの食材をあげていく。
ルミやマルクにも聞き馴染みのある食材ばかり。
そう、軍人教育を受けている人間が、しょっちゅう耳にする食材ばかりだ。
「予算については、これを使ってください。出来るだけ沢山買い込んできてくださいね。ただし、何に幾ら使ったかはしっかりと記録するように。これも訓練です」
「分かりました」
「それではお願いします」
ペイスから、ずっしりと大量の金が入った財布を渡され、それを持って街に買い物に出たルミとマルク。
二人ともにしっかりと鍛錬を積んでいるようだったので、ゴロツキ程度なら何人いても相手にはなるまい。その点では、大金を預けて買い物に行かせても安心できる人選である。
二人の幼馴染を見送ったあと、ペイスは部屋の椅子に腰かけたままぼーっと中空を見ていた。
一見すれば、何もしていないように見える。
しかし、ルミやマルクならば気づいただろう。この遠い目をする人間が、モルテールン領には従士長としていることに。
ルミとマルクが戻ってきたのは、たっぷりと四時間は掛けて街中を巡った後だった。
“何故か”二人が帰ってくることが分かっていたように、二人を出迎えるペイス。
「買い出しは無事に終わりました」
「ご苦労様です」
早速とばかりに、買い込んだものを部屋に運び込む。
運搬する為に人手を雇ってまで買い込んだらしく、荷物が大量に積まれていく。
「では、使途の明細を」
「……はい」
ペイスが、二人から買い物の内容を記したメモを受け取る。
薄い羊皮紙をメモ代わりに使う贅沢な使い方はモルテールン流だが、書き留めておけば忘れることも無いからと徹底して教えられることでもある。
ペイスは、使途の内容をつぶさに見ていく。
“金属製の調理器具”や“日持ちのする食材”について、どの程度のものを幾らで買ってきたのか。
しばらく、ペイスのチェックと何かの計算が行われる。
何をしているのかは、ルミとマルクには分からなかったが、ペイスがここまで真剣にやることが碌なことじゃないのは分かった。長年の付き合いというものだ。
しばらく、直立不動のままで立っていた幼馴染にペイスが声を掛けたのは、いい加減に二人の足が疲れる頃になってだった。
「二人とも、楽に」
「はい」
ルミとマルクが姿勢を崩して座り込んだところで、ペイスは何やらごそごそと部屋の隅の辺りで動き始める。
「ペイス様よう、何してるんだ?」
「しっ、静かに」
いきなり口を防がれたマルクが、そのまま無言で頷く。
そしてまた部屋の中で何かをやり出すペイス。
ペイスの不思議な行動が終わったのは、部屋のあちこちに“龍の鱗”が貼られてからだ。どうやら、部屋の隅々にこの鱗を貼っていたらしい。
何の意味が有るのかと、疑問に思っても口にはしない。ペイスがやることだから、何か意味があるのだろうという無形の信頼である。思考放棄ともいう。
「さて、魔法対策も終わったことですし、改めて報告を聞きましょう」
「はい。と言っても、報告は先ほどのものが全てです」
「……他に、報告事項はありませんか?」
「特にありません」
代表して答えたマルクの答えに、しばらく考え込むペイス。
尾行がどうとかブツブツ呟いていて実に怪しいのだが、我らが主君が変なのは通常行動だと気にもしないのが幼馴染である。
「じゃあ、この場は非公式ってことで、気楽にしてもらっていいですよ」
しばらくして考えがまとまったのか、ペイスが二人に楽にしろと言う。
こういわれてウジウジと堅苦しい行動をとるのも性に合わない二人なので、早速とばかりに姿勢を崩した。
ルミなどは足を広げて座り、親が見ればはしたないと窘めそうな格好になり、マルクに至っては座った姿勢からそのままゴロンと寝ころび始める。
実に太々しい態度だ。モルテールンらしいといえばその通り。
「そうか。いやあ、真面目にやるのって肩が凝るんだよな」
「そうそう。俺らもちゃんとする時にはちゃんとするし」
懐かしき幼馴染同士の気の置けない会話になったところで、改めてペイスは尋ねる。
「どうです、市場には珍しいものもいっぱいあったんじゃないですか?」
「そうだな。特に果物が多かった」
「何と素晴らしい。是非とも自分で見てみたい」
ペイスが喜ぶと思って買ってきてるぜ、などとマルクが言えば、ペイスは素直に喜ぶ。
「珍しいものもいっぱいあったから、良いと思う。ただなあ、金の勘定が面倒くせえよ」
「お金の支払いでトラブルでも?」
和気あいあいとしていた中、ルミがそういえばと思い出したように不満を口にする。
財布の中身が神王国の金貨であったことから、少し面倒な思いもしたのだ。
「こっちだと、いちいち金を両替しなきゃいけねえだろ?」
「まあ、そうですね」
「それが毎日金額が変わるんだ。相場ってやつ?」
「当然と言えば当然でしょうね」
「こっちに来たばかりの時と比べてさ、妙に金が増えるんだよ。両替するたびに小銭が増えて仕方ねえ」
神王国の金貨の価値が上がっている。神王国の金貨が大量に出まわったはずなのに。実は龍の素材買い占めに、神王国金貨が集められている。ペイスは内心でそう考える。
実際、頻繁に街に出向いているルミたちは、金貨の両替レートにとても詳しくなっていた。
「買い物する時も、細かいやつの計算が面倒くせえから、ついつい大きいので払って釣りを受け取っちまうしな」
「ほう、それは大変ですね」
ルミがペイスに、余ったお金を渡す。
出ていく時よりも、むしろ枚数は増えていそうなほど財布は膨らんでいた。
その割に重さが感じられないことから、どうやらチープな銅貨などが大量に入っているらしいと察するペイス。
「二人とも、今から言うことを心して聞いてください」
「お?」
ペイスの、いつになく真剣な声に、身体を起こして姿勢を正す二人。
「どうやら、僕らがここに居るのを良いことに“戦争”を吹っかけようとしている奴らが居るかもしれません」
「どういうこった?」
「使節団の会話は、全て盗聴されています。僕にお菓子を作れと言いに来たところからして怪しいですし、状況証拠は他にも多い」
「盗み聞きねえ」
幾つかの状況証拠から推測して、どうやら何がしかの魔法を使った会話盗聴が行われているのは間違いない。
複数個所の会話を同時に盗み聞き出来るかどうかは分からないが、ペイスは自分も盗み聞きの対象者に含まれているだろうと確信している。
使節団に対して何がしかの工作が仕掛けられてくるであろうことは、予め予想できたこと。
ペイスが強い魔法対策になる、天然の魔力吸収剤。すなわち龍の鱗を持っていたのもそのため。二人が知らなかったのは、情報防衛の為である。
「更に、鉄や食料の相場がおかしい。明らかな作為を感じます」
「ああ、それで俺らにあんなの買わせたのか」
ペイスの意図に、ようやく気付いた二人。
情報収集も立派な仕事だと、学校では教わっていなかったのかと窘められてしまう。
先代の従士であるバラモンド老などは、独学で市場の物価が戦争と関係していると気付いている。それに比べると、二人はまだまだ経験不足と言ったところだろうか。
「……しかし、軍事侵攻は旨味が少ないはず。となると、他の勢力に手を貸す? いや、それならわざわざ……そもそも新王子の誕生にここまで高官が集まったのは何故でしょう? いや、最初に手を挙げた者がいる?」
更に、色々と考え込み始めたペイス。
「今の段階では、神王国全体に対して何かやろうとしているのか、個別の貴族を狙っているのかははっきりしません。しかし、もしもヴォルトゥザラ王国に狙われるとすれば、うちです」
「まあ、色々恨まれてっからな」
「恨みというのもそうですが、対モルテールンであれば大同団結が図れます。まてよ、そうなると二人にしてもらうことがありますね」
「おう、何でもやるぜ」
「では、父様に伝言を頼みます。今から詳細な手紙を書きますので、それを渡して『時来たらばこちらの方は全面的に受け持つ』と伝えてください」
「分かった」
三十分ほどかけて、ペイスが手紙を書き終わる。
それをしっかりと幼馴染が持ったところで、ペイスは龍の鱗を片付けた。
「ああ、いけません。食材が足りない!!」
大声で嘆くペイス。
「二人とも、また食材を買ってきてもらわないといけません」
「は、お任せください」
「二人とも、お金は足りそうですか?」
「預かってるもので十分足り……いや、少し足りないようです!!」
財布を見もしないで言ってのけるマルクの大根役者っぷりに、ルミなどは笑いを堪えるのに必死である。
「なるほど、それはいけませんね。では、ちょっと取りに戻って貰えますか?」
「どちらまで取りに戻ればよろしいでしょうか?」
「勿論“モルテールン領”までです」
「はい」
一瞬、空気が揺らいだ気がした。
ペイス達もそれに気づいたのだろう。更に大きな声で会話を続ける。
「許可はちゃんと取りますが……二人なら【瞬間移動】で帰れるでしょう?」
「お任せください。自分の“魔法”で取りに行ってまいります」
ペイス以外の一般人と思われていた人間による魔法の行使。
ヴォルトゥザラ王国の上層部は、この情報に混乱させられるのだった。