032話 偶然
ペイストリーが、怖いお姉さん(?)に拉致されていた頃。
試飲会の会場では、ちょっとした騒ぎになっていた。
「おい、さっきの子供は何処の家の人間だ?」
「どうやら、モルテールン家の跡取りらしいわよ」
「本当か。何でそんなところの奴がここに居るんだよ。それに、なんでわざわざ伯爵様が応対なさるんだ?」
「知らないわよ。コアトンさんに聞きなさいよ」
新茶の試飲会に集まった人間は、縁の遠い近いの差こそあれ、半分ぐらいはレーテシュ伯爵家の親戚の子。中には、いとこ同士という関係の者も居たりする。そういった者同士で年も近いとなれば、気安い関係であることも不思議はない。
何人かが、ガヤガヤと噂話を始めてしまえば、釣られてしまう者もいた。経験不足故に、好奇心を押さえられないのだ。
「モルテールン家と言えば、あの有名なカセロール殿の所でしたね。あそこに男の子なんて居ましたか? 女子ばかりの家だったと思うのですが」
「見た感じは幼い印象でしたが……」
情報伝達が人づての噂話や手紙ぐらいしかない世界である以上、それぞれが持つ情報の多寡には大きな個人差がある。ペイストリーが産まれていたことすら、未だに知らない人間も一定数居た。
また、そういう世界であるからこそ、社交の場での情報交換や、顔つなぎをする意義や利益が大きいというのもある。
今日仕入れた情報を、集まった貴族子女たちは親に伝える役目もあるのだ。出来るだけ正確な情報を集めようとする、生真面目なものたちも大勢いたのは、当然の事だろう。
「ペイストリー殿も、噂の的ですな」
「ええ、そうですね」
伯爵家従士長の役職にあるコアトンは、自分の役目のこともあって、置いて行かれた少女に声を掛けた。招待者の代理としての気遣いでもあった。
少々寂しげにしていたので、男として放ってはおけないというのもある。
「それにしても、ペイストリー殿はまだ幼いのにご立派です。当家の主もお若い頃は苦労されておりましたが、彼の御仁はそれよりも年が下。それでいてあのように堂々とされているのは、やはり英雄の血筋なのでしょうな。リコリス様も、良き伴侶に恵まれたようで、何よりのことでございましょう」
「ありがとうございます」
年が下であると言った所でリコリスがやや肩を震わせたことに、熟達の観察眼を持つコアトンは気付いた。様子を見るに、年の差を気にしているらしい。
たかだか4~5歳の年の差を気にするというのも、この年頃の女の子らしいとは思いつつ、それを考えるなら女伯爵との年の差などは尚更だと、ついつい埒も無く考えてしまう。
無論口には絶対に出さないが。
コアトンは、伯爵家の重臣。考えることは、何時だって仕えるべき女主人への奉仕であり、伯爵家の繁栄である。
その立場に立った時、目の前の少女は伯爵家にとってどうであるか。それを考える。
少女の立場は辺境伯家の直系の娘であり、自家の勢力下に納めたい騎士爵家子息の婚約者。前者を見れば仲良くしておきたい相手であり、後者であるならば多少目障りな存在。
逆に言えば、今仲良くなったうえで、後々モルテールン家から離れてくれるようになれば、万々歳なのだ。
それ故、機嫌を損ねない程度に、この場に居ない少年と、目の前の少女との仲に楔を打っておくのも必要なことかと、従士長は判断した。
さりげなさを装いつつ、話題を巧妙にシフトさせていく。
「そういえばペイストリー殿の御父上も、御夫人が御一人であったことで随分と騒がれましたな。やはり余人の注目を浴びる魅力というものは、親子で似るものかもしれません」
「確かに、よく似ていますね。特に、毎日忙しそうなのに、それでいて楽しそうにしているところが」
「はは、やはり婚約者の目から見ても、似ているように見えましたか。ところで、ペイストリー殿はどうなのですかな?」
「どうとおっしゃいますと?」
「いや、あの通り噂になる様な御仁ですし、才気闊達な様は御承知の通り。今までは、御領地も王都からも遠い御土地柄故に、なかなかお声掛けも難しかったでしょうが、今後は、リコリス様ほどで無いにしても、良縁に恵まれることでしょう。そうなりますと、リコリス様と同じようにペイストリー殿を想われる方も増えていくのではないかと思うのですよ」
「え?! それは……」
リコリスの胸はドキリと跳ねた。
自分でも、薄々と不安に思っていたことであり、それを他人から指摘されたことに驚いたのだ。突然目の前に、目を逸らしたかった事実を突き付けられたような感覚を覚える。
それは即ち、リコリス以外の婚約者が、ペイストリーに出来てしまう可能性を、自覚することに他ならない。
貴族の世界は、縁故の世界。親が子に地位を譲ることから始まり、兄弟姉妹の重用、親戚の優遇、友人知人の推挙は当たり前に行われている。その縁故には、当然婚姻も含まれる。
打算による政略結婚が行われる理由の大半がこれだ。
リコリスは、ペイストリーを好いている。そしてペイストリーも自分を好いてくれているという思いを少女は持っていたし、それは事実でもある。
だが、婚約という繋がりそのものが、父親の決めた打算によって行われた政略の一環である事もまた事実として認識していた。
まして自分は相当に年上であるという認識も持っていた。
いざ、他の婚約者が現れた時、自分はどうなってしまうのかと、急に不安を覚える。ペイストリーが結婚してもおかしくない年頃になった時、自分はそれよりも年上。そこにもし、年下の婚約者が現れたとしたら、自分を選んでもらえるだろうかという不安。
「ここに居られます皆さまの中には、ペイストリー殿と家格の釣り合う家柄の方も多くおられます。今日の出会いを切っ掛けに、広がる縁もありましょうな。いや、若いとは羨ましいものです。はっはっは」
コアトンの笑いに、少女は沈黙で応えた。
そうでもしなければ、不安に押しつぶされそうだったからだ。
侍女という立場故に会話を遮る事も出来ず、この場では声を掛けたくても掛けられないキャエラ女史などは、悲しげで不安そうなリコリスを見て居た堪れなくなる。
「それでは、私は代理として他の方にもお声掛けせねばなりませんので、失礼します」
「はい……」
従士長はその場を去る。だが、それまでの様子は間違いなく周囲の注目を浴びていた。
そもそも、試飲会の場は、若い跡取りたちが経験を積む場。
それ故に、不必要に張り切ってしまうものも、少ないながら存在する。新入生として初日の自己紹介で、張り切りすぎて盛大にスベる奴や、初めての飲み会で、調子に乗りすぎてベロンベロンに酔っぱらう人間が、大抵一人二人は居るのとよく似ている。
そういう、無駄に張り切った人間からすれば、伯爵直々のお声掛かりのあった騎士爵家後継の婚約者であり、従士長が特に気にかけていた、見目麗しい謎の少女というのは声を掛けておくべき相手に見えるらしい。
「あたしも、ちょっとあの娘に挨拶してくるわね」
「やめといた方が良いんじゃないのか。なんか面倒くさそうなことになりそうだし」
「いや、ここは当主代理として来ている身として、探りを入れておくべきだと思うのよ」
情報収集の腕。それは社交の場で培うスキルの一つ。
当然、この技能に長けた者は優秀なものであると周りから評価される。それ故、張り切ってアピールするつもりでリコリスに近づくものも居た。
だが、未熟な者のなかには、本来やってはならないことをしてしまった者もいた。最初にリコリスへと声を掛けてきた女性がやらかしてしまったことがそれだ。
辺境伯家の娘という目上に対し、目下のものから声を掛けるというマナー違反をやらかしてしまう。そうとは知らずという言い訳をするにしても、失態は失態であり、当然、コアトンなどはさりげなくその様子をチェックしている。
遠くの王都や東部の情報には疎く、まさか騎士爵家の跡取りの婚約者が辺境伯家に連なるものだとは思わない者。彼ら、彼女らは、銀髪の少年が自分たちの常識などという物差しでは測れない存在だということに、まだ気づいていないのだ。
「お初に御目に掛かります。わたくし、ユーリヤ=ハイント=ミル=グルノールと言います。グルノール準男爵家の長女ですわ。よろしければ少しお話をさせていただけないかと思うのですけど」
「え? あ、はい。初めまして。リコリス=ミル=フバーレクと言います。ペイストリー=モルテールン卿の婚約者として参りました」
まさか声を掛けられるとは思っていなかったリコリスではあるが、そこは流石に高位貴族の娘。内心はどうあれ、咄嗟に笑顔を貼り付けて応対するぐらいは出来る。
対し、笑顔で話しかけたまでは良かったが、グルノール家の長女と名乗った女性は顔が引きつった。何せ、家名が家名である。
「え? フバーレクとおっしゃいますと、もしかしてフバーレク辺境伯の……」
「はい、当代のフバーレク家当主は、私の父です」
「あわわ、それは大変失礼しました。あの、決して辺境伯家の方と思って声を掛けたわけでは無く、どうせ騎士爵家の婚約者ならうちより低い家の人間だと思っていたので。あ、いや、どうせというのはそんな意味では無く、馬鹿な私の思い込みと言いますか、あのその……」
女性は、事実を知って盛大に慌てる羽目になった。元々余裕の持ち合わせなどないのが集まっている場ではあるが、それに輪を掛けて焦りやすいのがこの手のタイプの人間というもの。
もはや自分が何を言っているのかも自分では理解できていないのかもしれない。
「あの、落ち着いてお話しして頂ければ大丈夫ですから。私はあくまで騎士爵家の婚約者として来ておりますし」
「あ、あはは、そういって頂けると。すいません、私はどうにもおっちょこちょいなもので」
「そういうときには、やはりお茶が良いと思いますわ。幸いにもこの場には、お茶が何種類かあるようですし。折角の新茶でもありますし、これを飲んで落ち着かれては如何でしょうか」
「そうですね、いただきます。……ゲホッゴホッ」
どこにでもそそっかしい人間は居るもので、焦りに焦っていたままお茶を飲んだものだから、女性はうっかり気管に茶を流し込んでしまった。
当然、身体は防衛反応としてお茶を外に出そうとする。結果、せき込んでしまうわけで、その場にはお茶が盛大に零される羽目になった。既に冷めていたのがせめてもの救いである。
「大丈夫ですか?」
「いえ、だ、大丈夫です。ちょっと咽てしまっただけで」
「私、拭くものを持ってきますね」
こういう時、本来は侍女が拭くものを取りに行く。だが、リコリスなりの気遣いとして、自分がその場から離れる方が良いと思った。その方が、お茶に咽てしまった女性は、落ち着きを取り戻すだろうと。
元々、自分が場違いなところに居る自覚はあったわけで、多少の居心地の悪さは感じていた所。
リコリスは、侍女のキャエラや従士のニコロと共に広間を出る。そして見てしまった。
――自分の婚約者が、女伯爵と抱き合う所を。
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「今後ともよろしくね」
レーテシュ女伯爵の差し出した手を、ペイストリーはしっかりと握り返した。砂糖菓子が量産出来る体制になれば、お互いがビジネスパートナーになるだろう。
その意味でも、また将来の昇龍を手札に加えられたという意味でも、レーテシュ伯の得たものは大きかった。
そして、ペイストリーにとっても、将来の販路を確保する目途が立ったことは大きい。後は材料と加工の目途さえたてば、夢にまた一歩近づく。
「さて、それじゃあ広間に戻りましょうか。結構話し込んでしまったようですし」
「そうですね」
細かい話を幾つかしたせいもあって、執務室に入ってから小一時間ほどの時間が過ぎようとしていた。
流石にこれ以上、婚約者を待たせたくないと、ペイストリーは考えていた。
伯爵家の居城は広く、来た時と同じぐらい広間に帰る道程も長い。多少の雑談が少年と女伯爵の間で交わされる程度には、であるが。
廊下で歩きながらの雑談は、交渉妥結の後とあって警戒心も薄れて割と親しい会話になる。むしろ、お互いに親しくなったことを確認する意味もあって、意図して親しげに会話していた。
話題のネタは幾つかあったものの、女伯爵としては、やはり気になるのが婚約者の話。
「それで、二人の馴れ初めとかを、お姉さんとしては知りたいのだけれど」
「大したことは……誘拐犯に攫われたリコリスを、守っていたのが馴れ初めと言えば馴れ初めでしょうか」
「あら、素敵じゃない。それで、次期モルテールン卿としては、彼女に惚れこんでしまったわけかしら」
「え……まあ、惚れたといえば惚れたといいますか。人に話すのはなかなか恥ずかしいわけですが」
割と精神年齢が高めなペイストリーであっても、やはり年上に自分の恋愛遍歴を語るなどというのは羞恥心を覚えること。
顔を赤らめて恥ずかしげにする、紅顔の美少年。女伯爵にとっては、どストライクである。
「あら~可愛いわね。このまま持って帰ってしまいたいわ」
「閣下、御ふざけが過ぎますよ。お放し下さい」
伯爵からすれば全く邪念も無く、少年を軽くかき抱いた。挨拶でハグをした程度のつもりであった。
少年もそれを分かっていて、軽く窘める程度で引き離した。じゃれ合いというほどでもない、軽いスキンシップ。
二人にとって全く予想外であったのは、その場を見ていた少女が居た事であった。
「っ!!」
「リコリス!!」
不安を抱えていた所に見てしまったもの。
少女は、得体のしれない感情から、その場を走って逃げだした。後を慌ててキャエラ女史が追う。
そして、やや遅れてペイスが婚約者を追いかけた。
「あらあら、これは面白いことになってきたわね」
その場に残った女伯爵は、思わず笑みをこぼすのだった。