030話 新茶試飲会
城。
元々は外敵から生命財産を守るための防御施設として建てられた建造物。
その性質から、軍事の指揮官が常駐するようになり、転じて貴族の居住する建物となっていることの多い建物。
神王国南部。レーテシュ伯爵領の領都レーテシュバルにも、城がある。
代々のレーテシュ伯が居城としてきた、国内でも屈指の名城として名高い城であり、街の名前からレーテシュバル城とも、その歴史から海賊城とも呼ばれる城。
この城には、通用口を除けば正門と裏門の二門が出入り口として存在し、とりわけ正門は城の格式を表す物でもあるため、開かれるのは正式な手続きを踏まえた時のみである。
開き方にも幾つかの形式があり、片扉半開から両扉全開まで用途によって別けられる。重要な用件の時ほど、扉は広く開かれる。
そして今、正門はとある理由で両扉全開になっていた。
「ようこそお越しくださいました」
「うん、今日はよろしく頼むよ」
「これよりは私どもが御案内いたします。どうぞこちらへ」
見るからに貴族然とした者や、それに仕えるであろう者達。或いはそれを接遇する者達や、警備する者達。
何組もが引っ切り無しに城へとやってくる。
彼らが騒がしく動いている理由。城が両扉全開になっていた理由と同じく、それは偏にお茶の為である。
それもただのお茶では無い。レーテシュ伯領で採れたばかりの新茶の為だ。
そう、彼ら、彼女らが集まった理由は新茶の試飲会。という名のお茶会。
参加者が、城の広間にあたる場所に集う。主役は貴族の子女たち。年に一度という形式ばった定期的な会合なので、不文律として彼ら、彼女らが代理となることが当たり前とされているからだ。わざわざ貴族当主が出向けば、出向いてはならないわけではないが、よほど暇なのかと笑われる。
構成比も特徴があり、男女比は半々ながら、年齢はやや低目に偏っている印象を受けるだろう。しかし、貴族子女が多いと聞いただけで受ける印象程に、若年層しかいないわけでもない。
何故なら、経験の浅い代理者のサポートとして、実務の出来る従士を従えている場合もあるからだ。
この場は、年若い後継者達が、政務や社交の経験を積む場でもある為である。
つまりは、経験豊富な交渉人であれば、鴨がネギを背負って調味料セットを持参したような、美味しい狩場にも見える。
誰あろう、ペイストリーのことである。
年も幼い次期領主という参加の大義名分を持っていながら、その場の誰よりも実践経験豊富な彼にとって、よだれが出るほどだ。
しかし、それを黙って見過ごすレーテシュ女伯爵でもない。
「これはペイストリー=モルテールン卿、ようこそお越し下さいました」
「コアトン殿もご壮健の御様子、何よりです。本日はご招待いただきありがとうございます。しかし、従士長の御立場にある方が、私などの案内役というのは、よろしいのでしょうか」
「いやいや、閣下からくれぐれも失礼の無いようにと申し付かっておりますので、お気遣いは無用です。もっとも、卿には油断するな、とも言われておりますが。若手をあてて足元を掬われては敵いませんからな。ははは」
「それはそれは。では、もう少し深く猫を被ることにいたしましょう」
流石に警戒されている。
そうペイスは感じ取った。
実際、青銀の髪の少年に対する注目度は高い。周りの貴族子女のみならず、警備を担当している伯爵家の従士からも警戒と好奇に近しい目を向けられていた。
集まってきた子女は大事なお客様なので、七面鳥撃ちにして狩りつくしてくれるな。そういう警告を、最高位の案内役を付けることで行ったのだろう。
少年は、領内の特産品の売り込みも考えていただけに、心の中で舌打ちをした。
「はは、卿の武勇伝は、少々の猫の皮では隠しきれぬでしょうな。羊の皮を被っていても、狼の尾は隠せぬものです」
「ご指摘いたみいります。今日はせいぜい、尻尾を隠すように努力いたします」
「そうして頂けると、ここに集まっておられる方々にとってもありがたいことでしょう。ところで、こちらの御婦人はもしかして……」
ペイストリーの傍には、何人かの顔があった。一人は、護衛を兼ねたニコロ=ノーノ。十代の彼は、この場に居ても同世代が多く、役に立つだろうと同行することになった従士だ。
そしてあと二人同行者がいる。どちらもが女性。
一人は少女であり、もう一人はその少女の侍女として侍るキャエラ女史。
従士長に指摘されたのは、当然少女の方だ。
「はい。私の婚約者で、リコリス=ミル=フバーレク嬢です。彼女はこういった南部の皆様が集まる場に不慣れということで、一緒に参りました」
ペイストリーの紹介に、リコリスが儀礼をもって挨拶する。
艶やかに髪を揺らしつつ軽く足を折り、スカートの裾を抓んだまま頭をやや傾げる。
「リコリスと申します。ペイストリー様の婚約者として、参りました。お見知りおき頂きたく存じます」
この挨拶に驚いたのが伯爵家の従士長だ。
まさか遠い東の辺境伯領の御令嬢が、王都ならまだしも南部の端に来るとは思っても見なかった。
慌てて膝をついた儀礼を返す羽目になってしまったのは災難である。
「こ、これは。わたくしはレーテシュ伯爵家に仕えております、コアトン=エンゲルスと申します。この度はペイストリー=モルテールン卿を、接遇の上でご案内するよう任されておる身でございますれば、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
「それでは、皆さまもこちらに。既に試飲会も始まっておりますので」
モルテールン家一同の案内された広間は、流石に南部屈指の大家というべき広さがあった。
二階建ての建物が丸ごと入りそうなほどに高い天井。そこには、荘厳な細工と共にシャンデリアが下げられている。それだけで、砂糖何十樽分あるだろうかなどと、ペイスは埒も無く考えたほどに高そうな明かりの煌めき。天井は、軽くカーブを描きつつ壁に支えられている。
その壁にも、高そうな絵が何枚も掛けられていた。最も目を惹く絵は、十代であったころの、当代レーテシュ女伯爵の肖像画。若いころの肖像画を並べるのは、女性ゆえだろうか。
さりげなく、ペイスの転写した肖像画も額に入れられて飾ってある所から、何がしかの意図を感じなくもない。
広間の中には、中央に長い机が一つ。白い布がテーブルクロスとして掛けられていて、上には色とりどりの茶菓子と軽食が並ぶ。軽食の割合がかなり多い所から、この会が昼食を挟んでの長時間の会合を予定していることが見て取れる。
そしてその周りを二十ほどの丸いテーブルが囲み、丸テーブルのそれぞれでお茶を楽しむグループが出来上がっていた。
既に賑わっているうちの一つ。入って右手のテーブルに、ペイス達は案内される。そこには既に、二名の貴族子女とその付添が居た。
「皆さん、ご紹介いたします。本日当家がご招待したモルテールン家の御嫡男、ペイストリー=モルテールン卿。そして、その婚約者のリコリス=ミル=フバーレク嬢です」
その紹介に、先に茶の試飲をしていた二名の貴族子女が驚く。それもさもありなん。
モルテールン家の今代当主は、音に聞こえた英雄。尾ひれのついた噂しか知らない子女にとっては、超が付く有名人の子であると言われたわけで、サプライズ以外の何物でもない。
それに、モルテールン領と言えば南部でも辺境。レーテシュ伯とは縁戚でも無く、むしろ縁としては遠いはずである。
レーテシュ伯爵の縁で集まってきている縁戚知人の中に、彼の地の人が混じってくるとは思っても見なかった。
更には傍に居る女性が凄い。
フバーレク家と言えば、数ある貴族家の中でも十指に入る名家。先ごろ公爵家と縁戚となった事でも話題になった名門。望外の知遇に戸惑うのは無理も無かった。
「お会いできて光栄です。わたくしは、トネマノン騎士爵領当主が子で、ジェロラン=ミル=トネマノンと申します」
「お、お初に御目に掛かります。わ、わ、わたくしはケール=ベルフォワと申します。ベルフォワ準男爵家でお世話になっている者です」
「ペイストリーです。皆さまは私よりも年も立場も上の方ばかり。どうか気楽に接して頂ければよろしいかと思います」
流石に場馴れした様子を見せる少年と、不必要に肩肘を張って緊張している二人の貴族子女。これは非常に対照的と言えた。
今日この日のお茶会で求められることは、無難にお茶を飲むことである。年若い貴族子女の経験値を積む場でもあるため、彼らに求められるのは実務では無く形式への習熟。失敗しないことが最良の結果。
下手に失敗してレーテシュ伯に悪い印象さえつかなければ、この場は大成功とされている。
そんな彼らにとって、イレギュラー中のイレギュラーには、困惑しかない。そして、目敏くそれを見定めたうえで、攻め時と舌なめずりしたのはペイストリーだ。
「こうしてお会いできたのも神のお導き。そうそう、手ぶらではいささか手持無沙汰になるかと思いまして、こういったものを持ってきております。新茶には合うかと思いますので、よろしければおひとつどうぞ」
ペイストリーが、笑顔で包みを開くと、そこには黄金色のお菓子。別に金貨を積んでいたわけでは無く、文字通り黄金色をした飴細工がそこにあった。
一つ一つを、軽く粉うちすることで湿気てしまうことを防ぎ、それでいて意匠を損なわぬ程度に凹凸が見て取れる。見慣れぬものに、その場の皆の目が集まる。
「ほう、これは?」
「私が作りましたものでして、鼈甲飴と言います。御近付きのしるしです。ささ、どうぞ遠慮なく」
「それでは、一ついただきます」
「では、私も」
一つずつ手に取った飴。犬の意匠がされた飴と、渦巻き模様の意匠がされた飴。騎士爵の子も、準男爵の子も。見た目にも面白いものだと思いつつも、そのまま口に放り込む。そして溶けていく飴。
鼈甲飴を口にした二人の貴族子は、口の中でとろけていく甘味に頬を緩めた。
「これは、とても美味いですね」
「ただの飴かと思えば、少し風味も違う。これは?」
「流石、お気づきになられましたか。実はハチミツで風味を付けてあります」
「ほほう、これまた手の込んだことをされていますな」
砂糖そのものが希少な世界。砂糖を使ったお菓子を食べるのは贅沢なこととされ、それは貴族でも変わらない。現に、お茶会のお菓子として饗されているものはどれもスナック的な塩味の菓子か、或いは甘味でも干した果物のようなものが多い。砂糖が使われた菓子もあるにはあるが、ぜいたく品であることをアピールする為に、砂糖がふんだんに使われた菓子になっていて、ある意味では飾りと同義になってしまっている。
それだけに、贅沢品で“遊んだ”ような可愛げのある菓子はあまり見られない。
ペイスが案内されたのは、レーテシュ伯とは縁浅い、下級の貴族子女のテーブル。その場に居た彼らからすれば、砂糖菓子などにはどうしても手が伸び辛い。それ故、非常に珍しいものを食べた気になる。
「しかも、これはお茶にあう。実に良い」
成熟した旬のお茶に比べ、新茶は苦みや渋みが強い。その分香りが強いものが多いのだが、この渋みや苦みは、糖分ととても仲が良い。
飴の、ともすればくどくなりそうな甘味と、若いお茶独特の強めの渋みが丁度良く中和されるのだ。苦みも弱まった中に、お茶の香りがより一層際立つ。
新茶を楽しむにあたり、御茶請けとしては非常に相性良く作られている菓子なのだ。
「実はこの飴、当家では幾つか試作しておりまして。形も色々と取り揃えております。ただ、今日は生憎とこれだけしか無く……折角こうして縁も出来たことですし、機会があればお届けにあがりますが。無論お代は不要です」
「ほう、それはいいですね。うちの父も甘いものが好きですから、届けていただけるなら嬉しいです」
「何でしたら、当家出入りの商人に届けさせましょう。ただその場合、この商人だけでも、砂糖製品には税を掛けぬようにしていただければありがたい。大した量でも無いのですが、物が砂糖の加工品だけに、税を取られるとなると基準の単価が高いのです。いちいち税を取られるとなると、運ぶ人間がかなり嫌な顔をしそうなのですよ。土産に税金というのもおかしな話でしょうし」
「なるほど。確かにそうかもしれません」
「砂糖の加工品に限った形で結構ですので、無関税としていただければ。無論、お互いさまという事で、当家への砂糖製品も無税に致します。その点、ご理解いただければ、すぐにでもこの菓子と同じ物を届けさせますので」
無難に事を荒立てずに収めようとしている、経験不足な若者たち。彼らからすれば、下手に突っぱねて感情を逆立たせる真似も出来ない。それに、話を額面通りに聞くだけならば土産を後日送ってくれるという話だ。タダでくれるというものを断るのも、理由がないなら妙な話ではある。
それに、土産のやり取りであれば、税金をかけるのもおかしな話だ、というペイスの洗脳。もとい説得に、彼らが心を揺らし始めていた所だった。
にこやかに商談をしていたペイス達のところに、新たな乱入者がやってきた。
「面白そうなお話ね。私もその話、詳しく聞かせていただいて良いかしら」
赤地のドレスを、少しゆとりを持たせて着こなす女性。
ブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ女伯爵その人である。