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おかしな転生  作者: 古流 望
第3章 蜂蜜の月
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028話 もう一人


 「29と3分の1」

 「それは勘弁してくださいよ。赤字になってしまう。馬車の食い扶持ってのもあります。せめて35」

 「お弟子さんに聞きましたよ。アスロウム方面から仕入れたそうじゃないですか。卸値はレーテシュバルの二割安ぐらいでしょう。きりの良い所で30」

 「ぐっ……分かりましたよ。それで良いです」


 行商人として経験を積んでいけば、誰しもが通る道がある。

 手強い交渉人(ネゴシエーター)とのやり取りだ。今がそれである。

 デココは、ここまでやり辛い商談は、久々だと実感していた。


 「よかった。デココさんとはこれまでの付き合いもありますし、今後ともいい商売をしていただきたいですからね。無事に折り合いが付いて嬉しいですよ」


 どの口で言うのか、とデココは内心愚痴る。おかげでこっちの皮算用は全て飛んで行ったのだと文句を言いたくなった。折角安めに仕入れた苦労が全て水の泡になってしまったのだから。


 「師匠、すいません」

 「いいさ。これも経験だ」


 さりげなく雑談から商売の種を探すのは、商売人の必須技能。だが、経験の浅い弟子が、逆に仕掛けられていると気付くのは難しかったのだろう。

 自分も、過去に痛い目を見ていなければ、目の前の幼い領主嫡子が手強いなどとは考えなかったはずなのだから。見た目で油断させることを意図してやってのけるだけに、したたかさは相当なものだ。

 だがとりあえず、予定していた利益は吹っ飛んだが、赤字にはならなかった。そこら辺を見極めてくるから手強いのだとも言えるが、デココは気持ちを切り替える。


 「それにしても、まさかここで用水路が見られるとは思いませんでした。それも一か月前は影すら無かったのに」

 「折角、一から作る村ですからね。どうせなら機能美や効率性も欲しいでしょう?」

 「私としては、商売の種になりそうでありがたくは有るんですがね。森まで作るって話でしょう。上手くいくようになったら、是非とも一枚噛ませてほしいものです。あ、そうそう忘れる所でした。ペイストリー殿に、手紙を預かって来たのですよ」

 「手紙?」


 行商人は、旅から旅の生活をする。じっとしている行商人など、一銭の得にもなりはしないのだから当然のことだ。

 そのなかでも、決まった場所をある程度巡回する行商人は、何かと運搬業務を兼任することがある。馬車を圧迫するほどの荷物は流石に商売人として出来ないが、相応の謝礼があれば、手紙や贈り物を運ぶ。時には遺品などを宅配することもある。


 「はい。レーテシュバルでコアトンさんから預かりました」

 「父上にではなく、僕宛ですか。しかも、コアトンさんといえば伯爵の所の従士長じゃないですか。どうにも、嫌な予感しかしないんですけどねぇ」


 仮に父親宛てであっても、場には既にその父親は居ない。商売を息子に任せると言ったきり自宅の方に戻ってしまった。何せ、長年の懸案事項だったものが片付きそうな今、領主としての仕事は升で計って樽で掬うほどに山盛り。寝ている暇もないほどに忙しいのだ。任せられる瑣事は、積極的に息子や部下に任せている。


 封蝋の印と宛名を確かめた後、ペイスは手紙を開く。高級そうな羊皮紙を見るだけでも、伯爵家の裕福さが見て取れた。

 少年が、手紙に目を通した瞬間。


 「げっ」


 思わずカエルの潰れたような声が漏れたのだった。


◆◆◆◆◆


 執務室で、二人の男がペンを走らせる。


 「で、ここん所を一年分の合算にするわけだよ」

 「あれ、じゃあこっちは?」

 「品目の大分類だ。分類も多少細かく分けているから、それをまとめた分類も必要なことがあるんだよ」

 「頑張って覚えます」


 羊皮紙に一生懸命数字を書いている男と、その横で逐次指示を出しつつ書き方を教授している男。教えている方は、モルテールン領私兵団団長兼従士長のシイツ。教わっている方は、この春より無事従士として新規採用されたニコロ=ノーノだ。

 二人が今何をしているかと言えば、収支の帳簿付けを引き継いでいる所である。


 モルテールン領では、領内に村が四つとなり、それでなくとも前年の同時期に比べて人口が四割増しになっていた為、流石に領内財務管理の専任者が必要だという話になったのが去年の暮。それもあって、内務系の従士を雇う事となり、縁あって雇うことになったのがニコロだった。

 年は十七と若く、中央の下級職能貴族家の次男坊であったが、先だって実家の跡取りでもある兄夫婦に長男が産まれ、晴れて実家を去ることになった。当然職に困り、姻戚である貴族家に相談した結果、そこの派閥のトップがカドレチェク公爵であった縁でモルテールン領の財務官職を紹介された経緯がある。こういったポストの融通や職の斡旋というのは、派閥の領袖の義務でもあり、権利でもある。

 ニコロは勤勉で、代々内務貴族を務めてきた家柄から能力もあり、すぐにも採用となって、今日の引き継ぎとなったのだった。


 「それが終わったら麦の在庫管理の方を教えるからな」

 「俺、就職間違えたかもしれません。田舎でのんびり出来ると思っていたら……」

 「同情はするがな」


 普通の貴族家では、内務系の従士等は仕事量も毎年さほど変わることも無く、安定していることが強みと言われている。親が子供に教えることも定型化されていることが多い。現代で言えば定時上がりの公務員か事務職みたいなものであって、仕官を求める人間にはなかなか人気の職と言える。

 仕事の内容にしても、田舎などはシンプルに尽きる。出ていく金も、入ってくる金も、たかが知れているのだから、単純な加減算でも出来ればそれで十分勤めは果たせる。

 ニコロなどは、ど辺境であるモルテールン領の財務官という内務系従士の職が決まった時、のどかな田舎での牧歌的で落ち着いた日常を想像していた。


 しかし世の中、そうそう上手い話があるわけがない。

 そもそも、平々凡々の仕事しかないのならば人を増やそうなどとはしない、というありきたりの常識に彼が思い至ったのは、仕事量の余りの多さに眩暈を堪える羽目になってからである。


 例えば来年度のおおよその予算を組むのに、農作物からの収入の予測を必要としたとする。

 普通の領地であれば、去年の収穫量に豊凶作の見込みを足し引きし、それに相場を掛けるぐらいで出せる。仮に畑が増えて仕事も増えたとして、畑が増えた分を同じように計算してから足してやれば良い。慣れた人間なら、一時間も掛からない仕事だ。


 しかし、モルテールン領は違う。

 まず、去年の数字が当てにならない。これは数字が間違っているというわけではなく、新しいことを毎年のようにやっている為に参考程度にしかならないのだ。

 更には、収穫量の伸びが異常。何せ数年で文字通り倍増になっているのだから、見込みも何もあったものではない。再来年は更に倍になるのか。或いは伸びが頭打ちになるのか。或いは減るのか。はたまた倍どころではなく伸びるのか。こんなものは予測しろというのが無茶なのだ。故に、予測を複数通り作らざるを得なくなる。

 一事が万事この調子なので、仕事量などはもはや殺人的である。


 おかしな領地だ。

 ニコロは、新たに仕える領地をこう評した。


 「俺、辞めてもいいですかね?」

 「馬鹿いえ。ここまで仕込んで逃がすわけねえだろ。第一、わざわざご紹介下さった公爵閣下殿になんて言うつもりだ?」


 貴族子弟や、従士の子弟などにポストを斡旋する見返りに、金銭の授受や後日の便宜を要求するのはありふれた行為。高位貴族の重要な利権でもある。それだけに、自分から職を求めておいて、後ろ足で砂を掛けるような真似をすれば、顔に泥を塗られた貴族だけでなく、高位貴族ほぼ全部を敵に回す。

 それが分からない子供でもなし、ニコロは忙殺ワークを少しでも減らすべく必死に筆を動かしていた。


 「ああ、世間ってのはどうしてこうも(しがらみ)が多いんですかね?」

 「それが世間というものだからでしょう。理不尽こそ人の(さが)ですから」


 年若い従士のボヤキに、答えたのは次期領主たるペイストリーだった。いつの間に部屋に入ってきていたのかと、大人二人は驚く。


 「坊、ノックぐらいしましょうや」

 「しましたよ。返事は確認しなかったですけど。それにしても、何だか忙しそうですね」

 「誰が原因だと思ってるんですかね。このクソ忙しいのは大概が坊のせいじゃねえですか。俺が今までどれだけ苦労してきたか」


 のほほんと他人事(ひとごと)のように言う少年に、シイツはジト目で答える。

 実際、モルテールン領の実務が忙しい原因は、ほぼ大半がペイスのやらかしてきたことのせいである。それは周知の事実だった。


 「それは誤解です。ここはモルテールン騎士爵領であり、領主は父上です。全ての責任は父様にあるわけで、僕には何の責任もないのです。ああ悲しい」

 「どの口で言いやがりますかね。いい性格してますよ全く」

 「そんな褒められても、照れますねぇ」

 「褒めてねえですよ。いままで、俺や大将が何度頭を抱えたか。ニコロ、お前が嘆く元凶はこの方だからな。文句があるなら今のうちに言っておけ。溜めこみだすと、すぐにも山盛りになるぞ」


 いきなり話を振られたニコロは、どう反応するべきか困ってしまった。

 彼からしてみれば、モルテールン領の施策は全て領主の責任であるというのが常識だった。稀に後継が代理として辣腕を振るう事例はあるにしても、幾らなんでも少年と呼べる年の人間に当てはまるとは思えない。

 名領主と名高い人間が、陣頭指揮を執ってこその成果。そして、その成果ゆえの忙しさ。そう考えるのも無理はなかった。彼は、まだ常識人で居られるという幸運の意味を分かっていないのだ。そして、分かるころには幸運が消えていることも。


 「それよりもシイツ。お父様は何処ですか? てっきりこっちに戻ってきていると思いましたが」

 「大将なら、戻ってきてすぐに王都へ飛んでいきましたよ。用事があるとかで」

 「そうですか。それならシイツにだけ見せておきましょうか。実は、レーテシュ伯爵の所からこんな手紙が届きましてね」

 「どれどれ……へぇ。新茶試飲会のお誘いですかい。坊もそんな年でしたっけねぇ」


 南方の大領たるレーテシュ伯爵領は、お茶の産地としても有名である。品種の改良も進められており、香り豊かで深みのあるお茶は、彼の地の名物でもあり、主要な輸出品目の一つでもある。

 新茶の季節は春先。若芽のような茶葉を摘んで、紅茶にする。夏前の旬と比べると味は落ちるものの、若いなりの独特の風味にファンも多い。


 新茶の出来はレーテシュ領を始めとする茶の産地にとって重大事。それ故、利害関係者や親族近縁、或いは友人知人を一堂に会してのお披露目が行われる。今年のお茶の具合は如何なものかと、喧々諤々の議論が行われ、お茶利権の配分がその場で討議される。

 これが建前。


 実際は、規模の大きいお茶会とも言えるもので、レーテシュ伯爵をトップとする南部貴族の子弟による毎年恒例の親睦会のようなものだ。

 幾ら重要な産品とは言え、たかが一つの産物の出来を見るのに、何日も掛けて貴族当主が出向くのは稀。利権の配分等の実務的な話はお茶会の前にある程度決められていて、その追認の為に代理を寄越すのが通例である。その代理は、大抵が成人をした貴族子弟が任じられるのだ。


 「まあ、これはジョゼフィーネお嬢でも良いんでしょうが……。名指しの手紙を貰っているならそうもいかんでしょうね」

 「わざわざ僕宛で届けるっていうのが(はかりごと)の匂いがして。お父様にも相談したかったのですが」


 難しい顔を突き合わせている次期領主と従士筆頭。

 どちらもそれなりに修羅場を経験しているだけあって、嫌な雰囲気には敏感だ。その二人が揃って、お茶会のお誘いに何がしかの意図を感じ取っていた時だった。


 「その必要は無い」


 突然掛けられた声に、部屋に居た従士二人と子供一人が目線を転じる。

 彼らの視線の先には、自分たちの主ともう一人。

 カセロールが、いつの間にか【瞬間移動】で自領に戻ってきていたのだ。供を連れて。


 「その新茶の試飲会の誘いの目的は私が知っている。先ほど王都で聞いてきた。レーテシュ伯爵の所とは別口でな」


 何故かカセロールが苦々しい顔をしているのが誰しも気にはなったものの、それはそれと脇に置く。それ以上に気がかりな事があるからだ。


 「へえ、まあそこら辺は後で聞くとして。大将、そちらの方はもしかして……」


 モルテールン騎士爵と共に居たと言う事であれば、王都から来た人物である。そして、その場に居るペイスとシイツには見覚えがある人物。特にペイスにとっては見覚えどころの話ではない人物

 自分に視線が集まったことが分かったのか、一人の人物が一歩前に進み出た。


 「お久しぶりです。ゆえあって、しばらくこちらに御厄介になる事になりました」


 流麗で、作法に則ったお辞儀。

 その女性。いや、少女は、部屋の中の一人の少年に目を止めると、花のような笑顔を向ける。


 「ペイストリーさんも、お久しぶりです。会いたかったですわ」

 「リコリス、僕も会えて嬉しいよ」


 リコリス=ミル=フバーレク。

 フバーレク辺境伯家の四女にして、ペイストリーの婚約者であった。

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[一言] 公立学校で事務職員をしていました。残業や休日出勤も予算内しか手当てが付かず、サービス残業がほとんどでした。退職前の3か月間は4日しか休んでいません。年度前半で残業手当も終わったので、全てがサ…
[気になる点] 12歳的に7歳は恋愛対象足りえるのか?小学六年生が小学一年生に恋するようなものだろう。おねショタではないか?
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