272話 兄妹
ルーカスは、南部の最辺境へ足を運んでいた。若干の肌寒さを感じながらも顔には安堵の表情が伺える。とりあえずの一山を越えたという安堵だ。
彼の横には魔法使いの義弟が居た。つまりは、ルーカスの狙い通りに事が運んだことを意味する。
「ここがモルテールン領か?」
モルテールン領本村ザースデン。ここは幾たびも大規模工事が行われた影響で、数年前とはまるで風景が変わっている。
ルーカスが立つのは領主館のすぐ傍。この館自体も改修に次ぐ改修で最早建設当初の面影はないのだが、それにもまして驚くのは小高い場所にたつ館から、見下ろす風景である。
「義兄上はここに来るのは初めてですか?」
「前に一度カセロール殿に連れて来て貰ったことがあったが、それにしても凄い。レーテシュバルと並ぶのではないか?」
ルーカスも生粋の神王国人。一通りの常識や固定観念を持ち合わせている。だからこそモルテールンといえば豊かになっているとはいえ田舎なのだろうと思っていた。元々砂漠に片足を突っ込んだ不毛の大地だったのだ。領地貴族として開拓の困難さを知るだけに、多少発展したとはいえど都会と比べれば見劣りすることを覚悟していた。
ところがどうだろう。眼前に広がる光景は、そこら辺の都会と比べても遜色ないほどに栄えている。少なくとも、途中で立ち寄ったボンビーノ領領都ナイリエと同程度には栄えている。人の多さや町の広さ、商業の活発度合いや物資の豊富さ。町の人々も明るさを見せており、活気も溢れている。とてもではないが田舎の村とは呼べまい。
大通りに何台もの馬車がすれ違って通る様などは、ここが国の最辺境であることを忘れてしまいそうになる。
元々何もなかったところにこれほどの都市を作り上げてしまう。モルテールン家の持つ底知れない実力を感じ、軽く身震いが起きる。
「流石にそこまでは。神王国一の港の有る街と比べられますと、見劣りするでしょう」
ペイスとしては、たかだか人口数千人程度で大都会と呼んでもらっては困るという思いがある。本当の大都会を知るなら、最低でも百万人都市にしてからそう名乗りたいと考えていた。
ましてや現状、万人都市のレーテシュバルとは比べ物になるはずもない。交易を主要産業とし、近隣に並ぶもの無き大都会だ。比べられてしまえば、まだまだザースデンは見劣りをする。ペイスは謙遜ではなく本気で、まだ劣ると言った。
「いやいや、しかし規模でいえば相当に大きい。しかも、まだまだ拡大するようだ」
領地貴族の端くれとして、油断なく観察をするルーカス。軍人寄りの彼の目線は、もしも自分がこの町を攻めるとしたら、という目線になる。いささか不穏当な見方ではあるが、職業病という奴だろう。
実際、攻め手として弱点を探そうとすれば、水の手が遠くから運ばれていることであったり、区画整理が行き届いていることから見通しが良すぎることなど、幾つかの弱点が見つかる。
しかし、そんなことは端から承知の上なのだろう。この町は、守りを固める街ではない。どれほど効率的に富を生み出すかという街だ。ルーカスにはそう見えた。
拡張性も考えられているようで、恐らく今の十倍程度は大きくなることを見込んでいるらしい。中々に面白そうな町だと、ルーカスは笑った。
「そうですね。これからも整備計画は積み上げてありますから、当分は騒がしいでしょう」
「羨ましい、というのかな。うちはこれほどの拡大は難しい」
フバーレク領の領都は、基本的には守りを徹底的に重視した町である。
元々が他国の侵略に備えるのが辺境伯としての役目だ。最終的には防壁で守られた街に籠り、徹底抗戦することを想定して街づくりが為されている。その為、拡張性は二の次三の次に考えて街づくりを行った歴史があった。
水の手、地形、立地、広さを考えても今の領都から遷都することはあり得ないし、遷都しない以上現状から大きく拡張することも難しい。
その点、広大な土地の中に一から作り上げ、これからもどんどん広げていける街というのは素直に羨ましい。
「フバーレク領は内政に励んでいると聞きますが?」
「新たに増えた領地が有るとは言っても、元々は敵国の土地だ。まずは民心を落ち着かせることが重要ということで、あまり大きく手を入れることはしていない。それよりは、既存の施設などを補修することに手を取られている」
目下、フバーレク家にとって最大最強の敵であり、一番の仮想敵であったルトルート辺境伯家が滅びた状態。主敵が居なくなったことで、フバーレク家は今完全に内政重視の政策をとっている。軍備を減らしこそしないものの据え置いた上で、街道の整備、河川の改修、農地の開拓に牧草地の拡充、森林の開墾に、産業育成などを行っているのだ。
一にも二にも経済発展。ガンガンに金を使って投資をし、富国を図る途上にある。
しかし、そんなことは大っぴらに言えるはずもない。あくまで対外的には現状維持に毛が生えた程度であるとしていた。いつの時代も、出た杭を叩きまくる連中は居るわけで、世知辛い貴族社会にあって足の引っ張り合いは日常茶飯事。出来るだけ目立たないように金持ちにならねば、有象無象に集られてしまう。
あくまで平静な顔で、何でもないように答えたはずのルーカス。しかし、傍に居るのは只人ではないのだ。
「……牧場を拡大させたと聞いていますが?」
「耳が早いな」
フバーレク伯は、改めてモルテールン家の底力に驚く。フバーレク家が牧場を拡大させ始めたのはここひと月かふた月ほど。年単位で前の話ならば噂の一つや二つ耳に入っていても不思議はないが、馬で駆けても間に合うか怪しい時間で最新情報を掴んでいるとなれば驚愕の一言だ。
ルーカス含め少人数を、モルテールン領まで最速で運んで今なのだ。一体どれほどの速度で情報を運んでいるのか。
敵に回せば恐ろしいが、味方であるうちは頼もしい。絶対に敵には回せないなと、ルーカスは心中に書き置く。
「それはもう。妻の実家ですから」
ペイスは、あえて情報入手の方法を示唆した。フバーレク家を無駄に警戒させたくないという意図なのだろう。
妻の実家であるから情報の入手が早かった。それはつまり、リコリスに関係する部分で情報を入手しているということを意味する。
もしも警戒するのならば、リコリスの周りから情報をシャットアウトすれば、これほど迅速に情報は入手できません、と暗に言っているのだ。
「伝手が有るのはお互い様か。隠すものでも無いから言ってしまうが、外敵の脅威が減退したことから、軍馬の生産を拡大させている。五ヶ年計画で、倍増させるつもりだ」
「ほほう」
ルーカスも、ペイスに対して情報を漏らす。良い情報には同じように有益な情報で返す。互いに互いを、敵にしたく無い相手であるとアピールしているわけだ。
ペイスが得られた情報としては、五年で軍馬を倍増させるというフバーレク家の内部事情。中々に重要な情報だろう。
これはつまり、将来的に出荷制限があることを指す。今後軍馬を仕入れることは難しくなるということだ。
馬は生き物である。さあ増やしましょうと言ったところで、簡単に増えるものでも無いだろう。馬を増やす為にはどうするか。単純に、外に出す馬の数を減らすのが手っ取り早い。五ヶ年計画というのは、新しく生まれる馬が有る程度成長するところまでを計画に含めているからだ、という推測は容易に出来る。今まで当たり前に入手出来ていた馬も、入手が難しくなるに違いない。
今現在モルテールン領の軍馬は十頭。全てフバーレク産である。生き物である以上、遠からず軍馬としては使えなくなるだろう。新しい軍馬の入手は、相当に優先度が高い政策である。
つまりは、ルーカスもモルテールン家の事情を察した上で、さりげなく交渉カードとして匂わせているということだ。明言はしていない以上面と向かっては言っていないが、それを察する程度の能力が無ければ貴族というのはやっていられない。
ペイスは義兄が交渉に来たと察し、自分たちにとって有効なカードが生きているかを確認した。義兄が狙ってくるであろう自分たちの弱点をあえて晒した。つまりは狙いを絞ったのだ。
ルーカスは、隠していた札がバレていたことを知った。出来るならばもっと交渉が煮詰まったところで効果的に使いたかったのだが、攻め口として狙っていたことが知れてしまった。
どちらも間合いを詰めた感のあるやり取りだ。
そんな二人の間に、シリアスをぶち壊す乱入者があった。両者にとって大事な女性。
リコリス=ミル=モルテールン。ルーカスの実妹であり、ペイスの妻である。
「リコ!!」
「お兄様。何しに来られたのですか?」
とことこと狭い歩幅でやって来た淑女。
久しぶりに会う実兄に対して、かなりぞんざいな挨拶を交わした。このあたり、実の兄妹ならではの遠慮のなさなのだろう。
「おいおいご挨拶だな。可愛い妹の顔を見に来たというのに」
「そうですか」
兄がわざわざやって来る。嫌なわけでは無いのだが、何となく気恥ずかしさというものがある。参観日に兄が見に来たようなものだ。絶対に嫌かと言われればそうでもないが、来てほしかったのかと言われればノーと答えたくなる。もにょもにょとする、不思議な感覚。
僅かにはにかみ気味に挨拶をするリコリスに、ルーカスは満面の笑顔を見せた。
「元気そうで何よりだ。ペイストリー殿とは上手くやっているか?」
「はい。勿論です」
夫婦仲が良好であることは、フバーレク家としては勿論望ましい。
「こんなところで立ち話も何ですから、中へどうぞ」
兄妹同士、積もる話もあるだろうと、ペイスがルーカス一行を館に迎え入れる。
応接間に案内したところで、しばしの歓談があった。フバーレク領では毎年恒例の祭りがあったであるとか、それをリコリスが懐かしそうにしていただとか、ペトラや他の兄弟が元気そうにしていただとか、部下の誰それがメイドの誰それと結婚したであるとか。話題というならそれこそ際限なく出てくる。
いささか盛り上がりすぎた感の出たところで、ルーカスがこほんと咳払いをした。
「実は今日はお前の旦那に用事があってな」
「ペイスさんに?」
「少し席を外してくれ」
「はい」
リコリスがペイスと仲が良く、リコリスとルーカスも兄妹として親しいとなれば、モルテールン家とフバーレク家の繋がりは盤石ということ。それを確認することが出来たという点では、歓談にも意味はあった。
そして、いよいよ本題。
ペイスとルーカス。それと補佐役たちという、実務者だけになった場。
「それで、ご用事とは何でしょう」
互いに向かい合わせで座り、真剣な表情になる義兄弟。
「うむ、実は最近噂を聞いたのだ」
「噂ですか」
「ああ。ペイス殿が大龍を倒したという噂だ。それはもう、千里を走る勢いで噂は広まっている」
「それは事実ですね。正しくはモルテールン・ボンビーノ連合軍が、ルンスバッジ男爵家との合同作戦中に討伐したことになります」
まず、噂の確認である。噂や風聞は、どれほど裏付けを取ろうとあくまで推測に過ぎない。
既にモルテールン界隈では周知の事実とはなっているものの、フバーレク家からモルテールン家に対して、公式に事実確認を行ったわけだ。
これで、ペイスがドラゴンを倒したことはお互いに確定した事実として扱われる。
「ほほう、そうかそうか。我が義弟はそれほどの功績を挙げていたとは。実に頼もしい」
「ありがとうございます」
「噂というのにも続きがあってな。色々と聞こえてきている」
「と言いますと?」
そして行われるのが、噂の名を借りた探りあいだ。
虚実を織り交ぜ、モルテールン家に隠し事が無いか、或いは何かしらの交渉材料が無いかを探る作業。モルテールン家側としては、カマ掛けや揺さぶりを見破りながら、情報を出来るだけ隠し通す作業だ。
「ペイス殿が単騎で倒した、大龍の血には癒しの力がある、魔の森にはまだ大龍が何頭もいる、モルテールン家が陞爵されるのではないか、などといったところか」
一部は、本当に噂として流れていることである。
龍の血の癒しの話であったり、ペイス単騎無双説などは、恐らく事実であろうと高い確度で裏付けが取れている話だ。
対し、他のドラゴンの存在や、陞爵の話は胡散臭い噂でしかない。あくまで、それっぽいものと嘘っぽいものを混ぜて、反応の違いを比べるために話題にしているのだ。
「噂というものには尾鰭がつくものですね」
「……どこまでが尾鰭かな?」
「ずいぶんと大きなヒレが付いているようです。他ならぬフバーレク家に隠し事は致しませんが、大龍は連合軍の総力を結集して行ったものであり、決して私単騎などということはありませんでした」
「ふむ」
モルテールン家とボンビーノ家が連合を組み、戦ったという話は既にボンビーノ家で裏付けを取ってある話。ペイスが単騎で突っ込んでいったというのも、戦いに参加した者から穏便に吐かせてあるわけで、本当のことと誤魔化しを混ぜている辺り、何かありそうだとルーカスはペイスの態度を更によく観察しようとする。
「また、癒しの力があるというのは確定していません。おとぎ話の一つとして、生き血には色々と謳われる効果があり、その中の一つが癒しであったらしいというのは事実ですが、試したわけではありません」
「試したわけでは無い? 本当か?」
これも裏付けを取ってある内容で、龍の血肉に癒しの効果があるのはルーカスの中では確定事項だ。自分は色々と知っているぞ、と暗に匂わす形で揺さぶりをかける。
しかしペイスは平気な顔で揺さぶりにも動じない。
「ええ。試すまでもなく実際に使ってみました。傷が癒えたのは事実ですが、それが生来の治癒力によるものか、生き血によるものかは不明です」
「なるほど」
そう来たか。ルーカスも、軽く感心した。
実際に癒えたが、それが龍の御蔭か分からないとしてあるのだろう。まだまだ不確かなことが多い龍素材の効能について、曖昧さを何かに利用するつもりなのだろうと察する。
大方、血肉以外の部分にも癒しの力が有る“かも”などと言って、他の素材の価値を上げる腹積もりなのだろう。
「他の大龍については、正直考えたくないです。あんなものは二頭も三頭も居てもらっては困ります。陞爵などはそれこそ我々のあずかり知らぬところですから、なかんづく中央の偉い方々に聞いた方が早いと思います」
「ふむ、良く分かった」
ペイスの反応から、ルーカスが欲しいと思っていた情報はつかめた。
明らかに嘘なものは、他の大龍のことと陞爵のこと。分からないというのは本心だろう。後は、他の話をどう位置付けるかだ。モルテールン家に寄り沿った形で、不確かな話とするか。フバーレク家の裏付けを明かして、確かなこととして交渉材料にするか。どちらも一長一短あるだろう。
「それで、義兄上は噂の確認にわざわざ来られたのですか?」
考え込む義兄に、ペイスが軽く尋ねる。
「まさか。そんなはずはない。一つペイストリー殿に頼みたいことがあってね」
「何でしょう」
ルーカスの様子から、これがわざわざ辺境伯ともあろう人間が足を運んだ理由だと察したペイス。何を言いたいのか、この時点で既に察している。
「……ドラゴンの一部を譲ってもらいたい」
「ふむ」
「勿論タダとは言わない。然るべき金は払うつもりだし、牧場を広げるにあたって優先的にモルテールン家に配慮しよう」
どうせバレているカードならばと、ルーカスは軍馬の優先権を提示する。
モルテールン家としては十分価値のあるものであり、龍の素材をごく一部でも譲ってもらえるならば、対価として出すに値する。そうルーカスは自信をもって交渉のテーブルに乗せた。
しかし、ペイスは全く態度を変えることなく言い切る。
「それはありがたいことですが、お断りいたします」
ルーカスの顔色が変わった。