265話 混乱と勝鬨
人は、信じていたものが裏切られた時、動揺する。あれほど自信満々であり、秘策があるとさえ言っていたペイスが、あっさりと大龍に食われてしまったのだ。これは混乱して当たり前である。
その場で走り回っていた連中は、一斉に狼狽した。
「え!?」
「うわぁ!! 何だよ、これ!!」
あり得ない。どうするんだこれと、口々に罵りの言葉を吐き出しつつ、気の早いものは早速とばかりに逃げようとした。
しかし、そんな連中の足を鈍らせるものもある。
ペイスが食べられたにも関わらず、今尚ペイスの指示を愚直に守り続ける若手従士達の姿がそれだ。
特にプローホルなどは落ち着いていて、ペイスが食われたことを知らないんじゃないかとさえ思えてくる。
「あんたら、何でこんな落ち着いてるんだよ」
自身の動揺を隠しつつ、龍を警戒しつつもプローホルに尋ねたパイロン。
彼にしてみれば、どうして今の現状で落ち着いていられるのかが分からない。
「あん? そんなの決まってるでしょう」
「決まってる?」
「ペイストリー様を信じると決めたからには、筋を通すんだよ。命令を守るのが家臣の務めだ」
龍の周りを走り回り、今尚気を惹き続ける若者たちの姿。彼らの気持ちを代弁するかのようなプローホルの発言に、パイロンはただただ呆れる。
「んなこと言ったって、食われちまったじゃねえか!!」
パイロンからしてみれば、仕えるべき主が、命令を出すべきトップが居なくなった現状、命令を守り続けるというのは愚直を通り越して馬鹿に見える。
どう考えても、ペイスが秘策とやらを繰り出す前に食われてしまった今、逃げ出すのが正解ではないのか。
龍が逃がしてくれるとは限らないが、絵に惑わされている今であれば、一斉にバラけて行動すれば、追われる者以外は助かる。
早く逃げようと急かすパイロンに、プローホルの怒声が飛ぶ。
「ガタガタうるさい!! あれは食われたんじゃなくて飲み込まれたんだよ!!」
「一緒じゃねえか!!」
飲まれるも食われるも、言葉としては殆ど同じだ。腹に入ってしまったことを思えば、後はケツから糞になって出てくるよりないとパイロンは言い張った。
どう考えても逃げる一手だと、重ねて主張する。
「良いから、うちの若様を信じて黙って仕事をこなせ。ほれ、こっち見たぞ」
「あああ、クソボケが!!」
龍が、パイロンたちの方を向く。このまま逃げるとしても、追われるのはパイロンたちになるだろう。
逃げる機を完全に逸してしまった。ここに至っては、龍の気を逸らし、食いつくのなら布に食いつかせるより他にない。
ただの時間稼ぎにしかならないと分かっていても、今すぐ食われて死ぬよりマシである。
思わず傭兵の口から汚い言葉が飛びだした。ボケカスアホクズ、考えなしの馬鹿野郎。自分勝手で傍迷惑。出るわ出るわ、まるで悪口の総合商社。走りながらも悪態をつきまくる。
しまいには叫ぶような大きな声でクソボケと蛮声をあげる。
「おい、そのクソボケってのはあの蜥蜴野郎のことだよな」
「ここに居る全部だよ!! チクショウ!! 大金貰って安定してるいい仕事だと思ってたのによ」
パイロン自身、自分が何に怒り、何に罵倒しているのか既によく分かっていない。混乱しているのだ。
こんな死ぬしかない状況に放り込んだペイスに対してクソボケなのか、モルテールン家の良さを懇々と語って決断を迫ったシイツに対してクソボケなのか、死にかけてる状況でも逃げようとしない狂人どもに対してクソボケなのか、人間様を餌としか見ない怪獣がクソボケなのか。
或いは、破格の条件で雇ってもらえると喜び、あげく今の状況を生んでしまった自分の決断の拙さがクソッタレなのか。
どれにしたところで、今は罵倒するよりほかに言葉が出ない。
「ご愁傷さまだね。モルテールン家に雇われて以来、平穏って言葉はとんと疎くなってしまったから。それに安定って意味じゃ安定してるんじゃないかな。高止まりで高値安定だよ」
「救えねえよ!!」
モルテールン家にとって、最も縁遠いものとなり果ててしまった平穏という言葉。プローホルは自分の人生が波乱万丈となってしまった実体験を踏まえ、パイロンに同情した。
しかし、そんな同情なぞは現状では何の役にも立たない。
慰めの言葉なんぞ、犬の餌にもなりゃしないと、パイロンは掃き捨てた。走りながら。
今もなお、布を使って龍の気を惹き続けている。
時折布が食われることもあるのだから、これが無ければ今ごろは揃って龍の餌だ。死者が出ていないのは奇跡とさえ思える。
「おら、こっちこいや!!」
「こっちだデカブツ!!」
散々に走り回り、息が上がり始めたころ。
最初に状況の変化に気付いたのは、目ざとく全体を注視していたプローホルたち若手従士だ。
「おい、なんか動きがおかしくねえか?」
「ああ。急に明後日のところで暴れ始めた」
龍が暴れ始めた。いきなり倒れ込んだかと思えば身をよじらせ、尻尾をやたらめったら振り回しつつ、引っ切り無しに大声で叫ぶ。
餌をとるわけでもない。何かを攻撃するでもない。ただ、駄々っ子が地面に転がるように、ジタバタと暴れながら辺りに破壊をまき散らす。
地は抉れ、周囲も一面が荒野となっていく中で、はっと気づいたのはプローホルだった。
「そうか!! 若様がやらかしたんだ!!」
何をどうやってかは分からないが、ペイスはまだ生きている。
それを確信したプローホルが、大声で歓喜の声を上げた。
「ようよう、俺は単にお腹を壊したって説を提唱するよ」
事情を少し遅れて察した若手の一人が、くだらない冗談を言う。
きっとペイスなんてものを食べてしまったから、お腹を下したに違いないと。
「おお、そうかもな。あんなゲテモノ腹に入れたら、壊しもするだろ……って、ああ、そういうことか!?」
龍が勝手に暴れ始めたことで余裕の生まれた兵士が、冗談に乗る。
こんな最低の状況に巻き込みやがったクソガキだから、きっと消化に悪いに決まっていると笑った。
そして気づく。
飲み込むことと、食べられることの違い。
ぎゃあああ、とひと際大きな叫び声が辺りに轟く。
ビリビリと空気が震え、へたり込んでいた何人かは風の勢いで転がるほど。
一体どうしたのか。
龍の方を見ていた面々は、怪物の体が傾ぎ始めたのを見て取る。
「倒れる!!」
「ヤベ!! 離れろ!!」
ドン、という大きな音と共に、横倒しになる巨竜。何十メートルもある巨体が、鉄よりも固い鱗でもってボディプレスすれば、地面などはプリンのようなもの。
砕け、抉られた石土が、とんでもない勢いで周囲に飛び散る。
「痛ええ!!!」
「ゴフっ!!」
「こっち六人やられた!! 応急処置急げ!!」
「二人軽傷、救助に回るっ」
腹に飛び散った石の弾を受けて腸がはみ出たものや、頭に衝撃を受け、血をドクドクと流しながら昏倒するものなど。
さながら拳銃乱射事件の現場である。
どうあっても助かりそうにない重傷者が出ている中、異変は龍の方にも起きた。
「ふぅ、ドラゴンのお腹の中は、居心地が良くないですね」
倒れ伏したドラゴンの口から、ひょっこり出てきた人間がいたのだ。
「若大将!?」
「ペイス様っ」
「驚くのは後です。怪我人には、龍の血をかけましょう。古来より、龍の生き血は傷を癒す力があると言います。今なら血も新鮮です」
「はい!!」
訓練が為されている連中は、指示を受けると行動も早い。
ペイスの体にべっとり纏わりついていた血を、重傷者から順にかけていく。
すると不思議なことが起きる。見る見るうちに、傷が塞がり、重傷者の顔色が良くなっていくのだ。
傍目にはペイスが魔法を使っているようにも見えるのだが、ペイスの魔法は絵描き。そして、機密指定されている父親から貸与された瞬間移動の二つ。
だとすれば、やはりこの異常なまでの、まるで魔法のような回復は、龍の生き血によるものなのだろう。
傭兵たちの目の色が変わる。今の内に確保しておけば、どれほどの値で売れるかという、欲深い目。
流石に怪我人が転がっている現状で略奪行為を行うわけにもいかず、挙動の怪しい連中が発生。
それを見ながらペイスは笑う。
「誰か、僕に対してお帰りぐらいは言っても良いんじゃないですか?」
既に、何が何だか混乱している状況にあるが、一つ確かなことがある。
自分たちが、伝説の一ページが作られる現場にいたことだ。
「ペイス様、私は信じておりました」
「おう、俺らも若大将ならきっとやってくれるって信じてた。なっ、そうだよな!!」
「無事のお戻り嬉しく思います」
「生ぎててよがった……俺、いぎてる。ペイスざまもいぎてるぅ」
「トール、何も泣かなくても……」
怪我人も、自分たちが傷一つなく回復してることに驚きつつも喜び、生き残った連中は手放しで歓喜する。
死を覚悟していただけに、涙を流す者も居れば、疲れ切って仰向けに倒れるやつも居る。
収拾が付かなくなってきたところで、総大将がパン、とひとつ柏手をうった。
「皆さん、最後までよく頑張ってくれました。皆のおかげで、こうして偉業を成し遂げることが出来ました」
ペイスは、皆を見回す。
そしてにこりと笑った。
「我らの勝利です!!」
「「おおお!!」」
天高く響く勝鬨の声は、どこまでもどこまでも響いていった。