264話 衝撃の作戦
「モルテールン家、一同傾注!!」
ペイスの号令に、訓練の行き届いた若手はピシリと背筋を伸ばして整列し、傭兵である兵士は何となくペイスの方を向いた。
ただならぬ雰囲気に、緊張が走る。
「これより、あのデカブツをぶっ倒します」
あのデカブツとは言わずもがな、神王国南部を襲った伝説の怪物、大龍である。全長は優に二百メートルは越え、全高も四十メートル以上はあるだろう。どこの怪獣映画だと言いたくなるような化け物であり、もって災害と天災の親戚である。
既に何百という単位で人が食われており、近づくことさえ論外。まず出来るだけ遠くに逃げ出したくなるような異常事態だ。
倒すにしても、人間の武器などは毛の先ほどにも効果が無い。トンを超えるような杭を使った攻城兵器ですら、かすり傷さえ負わせることが出来なかったと記録に残る。難攻不落の堅城。一歩歩くだけでも破壊をまき散らす天下御免の破壊者。
空飛び地を駆け傍若無人に暴れる怪異だ。逃げきれるかどうかを心配するような状況で、よりにもよってペイスは何といったか。
ぶっ倒すと宣ったペイスの周りでは、悲鳴とも怒号ともつかない声が上がった。
「そんな無茶な!!」
「分かっています。あのオオトカゲ、ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない」
ペイスが龍を甘く見ているのか。
いや、そんなはずはない。誰よりも夢見がちでありながら、その為にはどんな手でも使うリアリストがペイス。
ならば発言の真意は何か。部下たちは口々に問いただす。
「剣は弾かれ、矢は刺さらず、挙句の果てに何でも食う。スタミナは無尽蔵で、足も速いし空も飛べる。弱点などはありません」
「勝てっこないじゃないですか」
そもそも、弱点などというものがあるのなら、後は国軍に任せれば良いのだ。領地貴族の反乱に備えるという意味を隠しながらも、建前上は領地貴族の手に負えない事態に対処するために国軍があるのだから。
しかし、ペイスの意思は固い。
「そうですね。確かに普通に戦って勝てるものではない」
「じゃあ、逃げましょう」
「駄目です」
「何故!?」
戦って勝てないと分かっていながら戦う。そんなものは作戦でも何でもない。三十六計逃げるに如かずと若手たちに教えたのは他ならぬペイスである。
今逃げても恥にはならない。なるはずがない。あんな、台風と地震と火災がまとめてやって来たような天災に、人の力で抗おうとするのはそもそも間違っている。
部下たちは、一生懸命ペイスを説得しようとしていた。自分の命が懸かるだけに文字通り必死の覚悟で。
それを聞いていたモルテールン家の異端児は、滔々と語り出す。ここで戦わねばならない理由。龍を放置できない理由。
今、戦わねばならないのだという訳を、口にしたのだ。
「あのワニモドキが、僕の果樹園を荒らしくさったのです。数年かけ、いよいよこれからという時に!! 林檎に桃、柿、栗、葡萄、蜜柑……苗木から育てるのに、どれだけ苦労したことか。絶対に許せません!!」
部下たちは、ただただ呆れた。
人間、驚きや怒りを通り越すと、頭の中が真っ白になるらしい。
ペイスが一体何を言っているのか。分かった人間など居るのだろうか。
たかが、たかがフルーツの恨みを晴らすために、絶対不可能な討伐に向かうという。
アホである。馬鹿である。頭がおかしい。狂っている。何を考えているのかと、誰もが思う。
部下たちの意見は実に正しいが、ペイスはどこまで行ってもペイスなのだ。
「……俺、逃げてもいいか?」
傭兵たちは、最早処置無しと逃げ支度をしようと動きかけた。
人として当たり前のことである。
しかし、その動きを制してペイスは言葉を続けた。
「分かっています。無謀だというのはもっともな意見です。突撃など自殺でしかない。しかし、今の僕は軍事指揮官です。勝てる見込みがあるのに逃げることを恥とします。皆の命を預かる者として、ただ無謀に吶喊しろとは言いません」
「ほう」
ペイスの言葉にいち早く反応したのは、パイロンだった。
彼は、ペイスのことを色々と調べている。特にモルテールン家に雇われる前後には金も使って徹底的に調べた。
そして出てくる信じがたい功績の数々。海千山千の貴族たちを相手取り、魑魅魍魎の大人たちの向こうを張って、決して他のものでは真似できないような実績を積み重ねてきたのがモルテールン家次期当主ペイストリー=ミル=モルテールンなのだ。
その功績の源泉は何にあるかといえば、常識では測れない、突拍子も無いアイデアを生み出す少年の知恵。
魔法という超常の力や、父親の英名に惑わされがちではあっても、結局のところペイスの頭がおかしいのだ。
普通とは違った頭から生み出される、一見すれば狂っていると思われる思い付き。
これが過去に余人の思いつきもしない成果を上げたのだとすれば、もしかすれば今回もまた同じようなことが起きるかもしれない。
とりあえず話だけでも聞けや、とパイロンは部下を諭した。
「僕には勝算があります」
「勝算? あれに?」
歩く天災に、人の力で勝つ。
どうあっても不可能だと思えるのだが、そこで皆は思い出す。目の前の小柄な坊主は、人の力以上の超常の力を持つ魔法使いであることに。
人知を超えた暴虐を相手にするには、同じく人知を超えた能力を使うしかない。人が龍に勝つには、それ以外に方法はないのだ。
それはつまり、魔法を使える人間が居るという時点で、勝てる可能性があるかもしれないということ。
世にも不思議な魔法の力を、まともとは思えない天才が使うなら、何か画期的な方法が有るのではないか。
皆の期待は否応なく高まる。
「僕にしてみれば、あんなのはただデカいだけの爬虫類です。恐るるに足りません」
「おお!?」
そしてペイスは断言した。大龍などと御大層に呼ばれてはいるが、所詮は知恵無き獣であると。
幾ら空を飛ぼうと、不壊の鱗があろうと、破滅を呼ぶ巨躯があろうと、それがどうしたのだと。
どれほど体が大きくなろうと、相手が脳足りんのおバカであるなら、人は知恵によって勝てるのだ。ペイスは力強く勝利を約束した。
「我に秘策有り。皆には、僕を信じてもらいたい」
自分にはとっておきの作戦がある。そういったペイスの目には力がこもっていた。
「私は、とっくの昔に命はペイス様へ預けてるので」
「我々も、既に誓いを立てています。この命、忠義はモルテールン家の為に」
あまりにも自信満々なペイスの姿を見て、さっきまで逃げる算段をしていた連中も、もしかしたらいけるんじゃないかと思い始める。
特に、プローホルを始めとする若手の意気込みは凄い。
彼らは幼いころから英雄譚を聞かされて育った、育ちのいい人間ばかり。若い、血気盛んな年齢であり、自分も英雄になることを夢見ることが出来る年頃だ。
主家に身を捧げ、忠義を尽くし、その果てに伝説のドラゴンを倒す。どこまでも痛快で、まさに自分が物語の登場人物になったような話では無いか。
ここで命を懸けず、どこで懸けるのだと、意気を上げた。ペイスに煽られたとはいえ、心に燻る英雄願望に火を点けられてしまった。
「無駄死にはしねえってんなら、ここで命を張るのも契約の内か」
そして、傭兵たちも若手たちの熱意に釣られる。
元より、傭兵としては結構な金額で雇われているのだ。ただ死ねと言われればふざけるなと反発もしようが、勝算があるのだと言われ、雇い主自身が率先して先頭に立つと言われ、後に部下も続くとなったら、傭兵としては逃げられるはずもない。
ここで逃げればタダの臆病者ではないかと、思い始めた。誰の誘導かも気づかぬままに。
パイロンは、やれやれと溜息をついた。
勝算があるというなら、秘策とやらに賭けても良いだろうと。もしもそれで自分たちを捨て駒のように扱うつもりなら全力で逃げさせてもらうが、勝って生き残る目がまだ残ってるとペイスが断言する限り、命令に従うのが仕事である。
世知辛い雇われは辛えと、愚痴の一つでペイスの意見に頷いた。
皆を煽りまくった当のペイス。大きな布を何処からか調達してきた。どうやら、ボンビーノ家の軍用テントを失敬してきたらしい。後で返すとペイスは言うが、どうあれ自分が生き残る確信を持っているようだった。
本当に龍に襲われれば壊滅するのだ。今更布の一枚や二枚盗まれて怒る人間も居まい。
「皆にはこれを」
「これは?」
「ただの布です」
「布?」
ペイスは、“たまたま都合よく落ちていた”布を適当な大きさに切り、兵士たちに渡していく。横断幕のような長さがある、幅の広い布だ。
人の二人や三人乗れるハンモックが作れそうな大きさ。
こんな布を、いったいどうしようというのだろうか。
渡された兵士たちも困惑気味である。
「ただし、僕が今しがた絵を【転写】した特別製です」
ペイスが、布に施した魔法の説明をする。
そこに【転写】で描かれていたのは、兵士の逃げ惑うような姿の絵。写真と言っても良いような、実に精巧な出来の絵画だった。
背景もきっちり描かれているし、遠目から見れば風景の一部と誤解しかねない出来である。
「おお、これにどんな秘密が?」
秘策というからには、こんなものでも大事なものに違いない。渡された人間は恐る恐るという感じで手に持ち、いったいどう使うものかと尋ねた。
「これには、ドラゴンを観察して得た、彼奴の好物の絵が描かれています」
「好物の絵……って、人じゃないですか」
「アレは、明らかに人の密集したところを視認して襲っていました。だからこそ、精巧な絵を使えば、しばらくは騙されてくれるはずです」
「騙される?」
ドラゴンの好物の絵。すなわち逃げる人の絵。
これをデカブツの前にひらひらとちらつかせれば、きっと餌が逃げていると勘違いするに違いない。
それは兵士にも理解できた。人間を餌と表現することには抵抗が有るにせよ、絵にかいた偽物の絵で龍を騙そうと画策すること自体は理解できた。
後は、騙した後にどうするのかだ。
「あなた方はこの絵布を持って、ドラゴンを攪乱してください。布を張り、ひらひらと目立つように。そこを襲いに来るドラゴンは、隙だらけです」
ペイスは、疑似餌で龍を釣るという。
絵に描かれた兵士が動き回っていると誤解すれば、龍は必ず釣られて追いかけてくると。
龍を観察した結果を分析したから間違いないというが、本当だろうか。兵士の疑念は尽きない。
しかも、肝心のことを言ってくれない。兵士に長い布を持たせ、布の方に意識を逸らせて誘導するまでは分かる。兵士も、面と向かって龍と相対するより、格段に安全になるだろう。
しかし、そこまでだ。誘導した後どうしようというのか。
「上手く誘導してくれれば、後は僕が何とかしましょう」
その後のことを、ペイスは語らない。
秘策なのだから秘密だと言い、上手く誘導できれば自分が後を引き受けるという。
納得できない。出来るはずもない。しかし、やるかやらないかでいえばやるしかない。
兵士たちは、しぶしぶペイスの指示に従い、布の端を確認した。
「では、行きましょう。伝説を作りますよ」
ペイスの号令と、魔法の発動は同時だった。
気持ちの準備もまだまだだった兵士たちだが、すぐにもそんなことは言っていられないと気付く。よりにもよって、大龍のすぐそばに【転移】しやがったからだ。
ぎゃあ、と叫びながら、兵士が二手に散る。事前に言い含めていた通りではあるのだが、言われた通りに動いているというより、逃げる方向がたまたまどちらかの方向しかなかったというだけなのだろう。
走りながら、一番最初に布をひらつかせたのはプローホルだった。逃げながら布を広げ、風に煽られる絵はバタバタと動き、描かれた兵士の絵にリアルな逃げっぷりを再現する。
龍も気づいたらしい。散々に逃げ、自分が追い回していた“餌”が、自分から沢山来てくれたとでも感じているのだろう。食欲に刺激され、目は二つの集団を追いかけている。そして、やがて一つの集団に目線を固定する。
ゆっくりと、ゆっくりと動き出した龍。
そんな龍の目の前。たった一人で立つ男がいた。
風に髪をたなびかせ、不遜な笑みを浮かべつつ、剣を構えて口上を述べる。
「我こそは、ペイストリー。我が名をもってそこな龍に告げる。土地を荒らし、罪なき良民を食らいしは大悪であると。今すぐ反省し森に帰れ。さもなくば、モルテールンの名においてお前を誅する!!」
逃げ惑っていた兵士たちにもよく聞こえる声。何処までも通りそうな、澄み切った声での宣言だった。
じっと剣を構えるペイスと、餌を追う龍。そのまま龍とペイスの距離が近づき、龍が大口を開ける。
いざ決戦の瞬間かと思われたその時。
「若大将が食われた!!」
そのまま、ペイスは龍の口の中に消えた。