260話 ジョゼフィーネの現状
ボンビーノ子爵ウランタは、男爵家の外交官から衝撃の内容を告げられる。
曰く、現状魔の森から魔獣や野獣があふれ出し、近隣も含めて非常に大きな被害が出ているらしい。
特にルンスバッジ男爵領は酷いという。
男爵領と魔の森の間には、小さな騎士爵領が点在していた。それぞれの家が、魔の森を警戒し、偶にはみ出る獣に対処することで、主要な街道や穀倉地帯を始めとする神王国にとって重要な場所を守っている。これらの小規模な領地が、軒並み獣の大軍によって壊滅した。人的被害という面では死者もでているが、絶望するほどの大きな被害は出ていないという。しかし、農地や家畜に対する被害は目を覆うほどであり、はっきり壊滅と言い切ってよいほどらしい。
元々ルンスバッジ家はそれら弱小貴族の取りまとめを任されている、いわば中間管理職のような存在。普段であれば早急な援軍も仕事の内だったのだが、如何せんここ最近は緊縮財政を余儀なくされており、備蓄も大きく減らしていた最中だったという。
それ故対応が遅れ、結果としてルンスバッジ領にまで害獣被害が及んでいるらしい。
更に拙いのは、害獣の規模が想像以上に大きいものであり、このままでは被害が更に拡大しかねないこと。
「それほどまでに」
ウランタは、話を聞いて驚いた。
ボンビーノ家にとって害獣とは、鮫や海洋哺乳類。漁業被害という面で、カモメなどの鳥類も害獣に含まれる。
しかし、陸には陸の害獣が居る。中には人を襲い、最悪死に至らしめるほどの凶悪な害獣が居るという。
詳細を聞けば聞くほど、被害の深刻さが伺える。
「ええ。酷いものです」
「分かりました、すぐにでも出立の準備を整えます」
元々貿易交渉をしていた相手。ことによれば経済的・政治的に敵と呼べる関係なのかもしれない。
しかし、一面で敵であった者も、別の一面では味方となり得るのが貴族社会の不可思議なところ。
まして今回は被害が一般大衆に及んでいるという。若さゆえの強い正義感を持つウランタとしては、自分たちが率先して助けることも当然と考える。貴族として弱いものを守るのは義務であると信じる、気高くも未熟な一面があった。
それを見越してボンビーノ家に援軍を要請したルンスバッジ家は、流石の古狸というべきなのだろう。
ボンビーノ家の陸軍は、さほど数は居ない。子爵家としてはずいぶんと小ぶりなものだ。基本的にウランタの家は海軍で成り立つ家なのだから。最近は海軍の増強に励んでいたこともあり、海の上なら誰が相手でも戦えると豪語するほどの実力を持つ。対し、陸に居る兵士は基本的に自警の域を出ない。ウランタの領地改革もまだ始まって数年であり、優先度の低い陸軍は、必要最低限の数と質でしかないのだ。
しかし、逆に言えば丘に上がった兵士が居ないわけでもないということ。数にして百程はすぐに動かせる。最低限度の数として置いてあるものだ。
勿論数でいうならば、本気で徴兵すれば十倍程度は集められる。子爵家の本気はそれなりに凄味があるもの。だが、他家の為に領民に対して命を懸けろとは言えない。しかも、目的が人道的な救援なのだ。略奪など御法度の状況で、傭兵を雇うのは割増の金が掛かる。
今回、特別に兵を水増しすることはできない。従って、従士を中心とする常備兵力で対応するしかないわけだ。
普段船乗りが専門の部隊などは置いていく為、子爵家が行うものとしては実にささやかな援軍である。
しかし、今現在猫の手も借りたいほどの男爵家であれば、訓練を積んだ正規軍の援軍は実に心強い。
外交官は、頻りに礼を口にする。
早速、出立の準備を始めるウランタ達。残る者には最低限の指示がいるし、連絡体制も整えて行かねばならない。
ああだこうだと騒ぎながら、慌ただしく準備をしていた。
こうなってくると、城じゅうが騒がしくなるとともに、耳聡い人間にも状況が伝わってしまう。
そう、耳聡い人間。つまりは、この手の話を聞くべきではない立場の人間にも。
「話は聞いたわ!!」
「ジョゼ!!」
バン、とウランタの前に仁王立ちになるのはジョゼフィーネ。
しかも、格好が凄い。ドレスではなく、今すぐにでも馬で駆けますと言わんばかりの格好。厚手で丈夫な乗馬服の上に、狩りなどで使われる胸覆いを付け、革の手袋を嵌め、膝下まで覆われた革の乗馬靴を履く。
これで兜でも付ければ、立派な軽騎兵になれる。
「私も行くからね」
そして自分も援軍に出ると宣う。
これには流石にウランタも驚く。
「え!?」
「私も戦場に出るわ」
「いけません。危険です。絶対反対です!!」
ウランタは、ジョゼの意見に猛反対だ。
当たり前だろう。どこの世界に、危険と分かっている場所に愛する妻を放り込む男が居るのか。好き好んで戦場に嫁を送り込みたがる貴族が居るとしたら、騎士失格だろう。愛するものを守るのが騎士の本分であり、貴族の矜持である。
少なくとも、男としてのプライドを持っているウランタにしてみれば、こういう危険な時こそ自分の出番であろうと考える。女性であるジョゼには、是非とも安全なところで大人しくしていて欲しい。
「……私は、行かなくてはいけないのよ」
しかし、ジョゼとしても譲らない。
彼女は彼女なりに今の状況を推察し、また観察し、自分の状況と立場を冷静に考えた結果、是が非でも自分が出るべきだとの結論に達したのだ。
一度決めたら即行動は、モルテールン家のお家芸。決断から行動までが早いのは、親の代からの伝統である。
「どういう意味です?」
「私は、ボンビーノ家の人間として、お家第一に考えなければならない。違う?」
「……それはその通りです。それが何か?」
神王国において、嫁いできた人間は嫁ぎ先の家の庇護下に置かれる。ジョゼであればボンビーノ家の人間として扱われるようになり、最悪の事態ともなればボンビーノ家を継ぐことだってあり得るのだ。
その代わりに、実家を継ぐ権利はなくなるし、実家の庇護が受けられなくなったとしても文句は言えない。
血の繋がりから要請を伝えることはあっても、権利として認められているわけでは無いため、必ずしも実家が要望を聞いてくれるとは限らないということ。
つまり、ジョゼが第一に優先すべきは婚家であるボンビーノ家のことであり、他の家は二の次三の次。
それが常識であることは、ウランタも認める事実である。
「私は、嫁いで日が浅い。だからこそ、この家の人たちに対して明確なメリットを提示することが必要だし、デメリットを隠してはいけない。私は、戦力を提供できる。それを知っていて黙っていることは、家にとってマイナスじゃない」
事実だからこそ、ボンビーノ家のことを考えるなら、自分は第一線に立つべきだと主張するジョゼ。
なまじ知恵と口が回る女性である分、ウランタとしても頭ごなしに否定できない。いや、してはならない。ウランタの立場としては、仮に使えるものであるのならば嫁でも使い倒すべきなのだから。
貴族家当主として、利用できる手札を、個人的な感情によって捨ててしまうのは拙い。
幾らジョゼが大事で、大人しく家に居て欲しいと思ったところで、ジョゼが外に出る方が明らかに有効であるのなら認めるべきだ。
年若き領主は、愛情と責任の狭間で葛藤する。
「戦力とは?」
「一つは護衛戦力。ウランタの傍に私が居れば、守るべき人間が一か所に居ることになる。護衛戦力を集中して運用できるし、領地に残す戦力も最小限で済む」
「む……」
仮にジョゼをナイリエの城に残していった場合にどうなるか。まさか城を空っぽにしていくわけにもいくまい。どうしたって、警備や護衛の為に幾ばくかの人手を割く必要がある。
むしろウランタの溺愛ともいえる傾倒っぷりを鑑みれば、城の護衛戦力は不必要なほどに手厚くなる可能性も十分あるだろう。
これは、ジョゼにしてみればはっきり言って無駄だ。
仮に自分がウランタの傍に付いて戦場に行くのなら、ボンビーノ家にとって守らねばならない当主一家が全て一か所に居ることになる。護衛もまとめて出来るし、ウランタにとっても目の届くところにジョゼが居れば安心しておけるというものだろう。
ウランタは、元々年相応の武腕しかなく、早い話が弱い。だから護衛が必須。そして、自分以上にジョゼを大切にしたがる為に、これも護衛が必須。
ならば、一つにしてしまった方が合理的というジョゼの意見。これは中々に否定しづらい意見である。感情から反論の言葉を何とか探そうとするウランタであるが、次の言葉が出てこない。
黙りこくる夫を見つつ、ジョゼはそのまま言葉をつなぐ。
「もう一つはハースキヴィ家の戦力。私が呼べる相手として、ハースキヴィ家のビビ姉様には話が出来る」
「ハースキヴィ家ですか」
「ウランタは繋がりが浅いかもしれないけど、私ならハースキヴィ家が助ける名分になるじゃない」
「それはそうですが……」
ハースキヴィ家といえば、元々は魔の森に近接する領地を持っていた家である。
今でこそ爵位も上がって東部に領地替えがあったが、森についてはとても詳しいし、森歩きや害獣駆除に関しては専門家と言える。つまり、魔の森からの害獣パニックについてはこの上なく頼もしい戦力となり得るのだ。
「それに、くーちゃんも居るし」
「くーちゃん? 前に言っていた熊のことですか?」
「そうよ。猛獣を相手にするなら、こちらにも猛獣がいると見せつけるのは士気の面からも大きいじゃない」
ボンビーノ家からジョゼを通して正式に要請するのなら、ビビが旦那を説得して援軍を送ってくれる可能性はある。
また兵を出すのは難しくとも、ジョゼがハースキヴィ家に預けている熊を引き取ることぐらいは可能だ。
これから向かう敵地。大量の猛獣が闊歩しているという土地。恐ろしいと思うのは普通のことだろう。ライオンの居るサファリパークの中を徒歩で歩くようなものだ。怖いと感じるのが普通の感覚。
しかし、こちらにも敵方と同じ戦力が有ればどうだろう。最低限、戦えるんじゃないかと誰もが感じる。
例えば、法律的な論戦を強いられたとする。敵対者に弁護士が付いているとき、仲間だけで相対する時と、自分も弁護士を連れて相対するのと、どちらが心強いかという話だ。
例え数の上では劣勢となろうとも、確実に同等程度対抗しうると確信できる戦力が有ることは、士気の上でかなり大きい。猛獣が居ると分かっているなら、猛獣が味方であることの心強さは言うまでもない。
モルテールン家ではカセロールやペイスが担ってきた役割だ。アレがあるから大丈夫だという、最後の切り札として信頼できる何か。それをジョゼは提供できるという。これはウランタには無理なことだ。
距離的、時間的な問題が有るにせよ、可能かどうかでいうなら十分可能である。
「それにもう一つ、あたしも戦えるって見せておけば、モルテールンの名前が使えるようになるわよ」
「モルテールンの名前?」
「父様やペイスが散々にやらかしてきたから、モルテールンの名前はそれなりにハッタリが効くじゃない。ここで戦えるんだって見せておけば、何かあった時に“モルテールンの人間”って看板が使えるようになると思わない?」
「むむ」
正確な報道機関やSNSがあるわけで無し、人伝の情報しか存在しない社会では、噂や風聞というものの力を馬鹿にすることは出来ない。ましてや、既に他国にまで広がる首狩りの“悪名”であったり、ペイスのやらかした“悪行”の数々は、相当な大物相手でも効果的な印籠になる。突き付けるだけで、勝手に相手方がビビってくれる、ありがたい護符だ。
既に確立している“モルテールン家の武名”をボンビーノ家が利用しようとするなら、やはりジョゼを“使う”のが最善となる。
何かあった時「モルテールン家の人間が居る」という宣伝効果の大きさ。これはボンビーノ家からしても価値があるだろう。
この宣伝効果については、最初が肝心だ。
新婚早々で、早速とばかりに出てくるモルテールン家の血縁者。他所から見た時、これがどう見えるか。やはりモルテールンの人間だけあって、腕っぷしに自信があるのだろう、と見える。
逆に、今出し渋ってしまい、今後必要となってから使おうとすればどう見えるか。当然ながら“何故前の時は出なかったのか”という疑問を持たれる。ハッタリと見抜かれる可能性が、明らかに高まるのだ。
ボンビーノ家の嫁として、自分は戦場に出るべき。
そう訴えるジョゼの言葉には、一理も二理もある。
「……わかりました」
やむなく、ウランタはジョゼの言葉に許可を与える。与えてしまう。
心情的には、とにかく嫌々であることは明らか。しかし、理屈でジョゼに言い負かされてしまっては仕方ない。
満足げに頷くジョゼに対し、ウランタは決心する。
奥の手を出すしかない、と。
◇◇◇◇◇◇
明けて次の日、ボンビーノ子爵がいよいよもって妻と共に戦場へ出向こうかとしていた時。
一人の貴族が、ウランタの元にやって来た。より正確には、彼の妻の元にやってきた。
「うちの姉が大変ご迷惑をおかけしております」
「何でペイスが居るのよ!!」
「無論、ウランタ殿に連絡を受けたからですよ」
ジョゼが一生懸命説得したウランタであったが、やはり彼も成長していた。
自分ではどうあってもジョゼを説得しきれないと察した段階で、“最強の援軍”を呼ぶことに決めたのだ。使えるものは全て使い倒すのは、貴族としては正しい姿である。例え、その為に支払うものが過大なものになろうとも。愛するものを守るためには、必要な出費と決断したウランタの心情は察して余りある。
「ジョゼ、やはり貴女を危険な場所には連れていけないのです。どんな手を使っても。許してくださいね」
ジョゼは甘く見ていた。ウランタの愛情の深さと、行動力を。
そして、忘れていた。モルテールンの家族愛の強さと、過保護っぷりを。
ジョゼの前には、最も手ごわい相手が立ちはだかったのだった。