258話 森林掃討戦
第一回モルテールン家主催合同軍事演習は、急遽森林掃討伐作戦に移行せり。
各々が職責に奮起し、任務を果たすべし。然れば本作戦終了の折には褒賞が与えられん。
と、ペイスの口上も艶やかに、士気を鼓舞した結果、情報を集めて回るだけのはずだった演習が、急遽山狩りのような軍事行動になっていた。
ペイスの周りで彼を支えるべき立場の人間は、皆一様に頭を抱える。これがあるからペイスからは目が離せないのだと。
最初は何でもないことが、気づけば大騒動。或いはこのまま、他所の家に喧嘩を吹っかけかねない恐ろしさがある。
勿論、ペイス自身は自分を平和主義者と宣い、戦いは控えるべきだとは口にしているのだが、これまでの過去の華々しい戦歴が、言葉の無力さを物語っていた。
「十五から二十、下がれ。敵の迂回を阻止しろ。二十一、迂回阻止の援護だ。取りこぼしを逃がすな」
本作戦において、ペイスは後方で全体を広く統括する大将役。実戦における前線指揮官役は、若手従士のプローホルが引き続き行っていた。
彼は、実戦指揮の経験が浅いにもかかわらず、いきなりの大抜擢。ペイスの教え子の中で最も出来が良いと言われる、ペイスの一番弟子とも言われる存在だ。大抜擢に驚くものはあっても、反論するものは居ない。
勿論、同期の面々は羨むものも居る。自分と同じ時期に学校で学んでいた同世代の人間が、誰の目にも明らかな形で出世街道を驀進しているのだ。上昇志向の強い人間からすれば、悔しささえあるだろう。しかし、それにもまして負けじと発奮するところが精神鍛錬の行き届いた連中なのだろう。あいつに出来て、俺に出来ないわけがない、と皆が皆思っている。
だからこそここで良い所を見せてやると鼻息も荒い。
それが取りも直さず良い結果に結びついているのだから、良いことなのだろう。
プローホルの指揮ぶりは、一言でいえば堅実だ。
不確定要素を出来るだけ少なくしつつ、与える被害の大きさよりも、受ける被害の少なさを徹底的に抑える戦術思考。
勿論、若手たちにとってはプローホルの考えていることなど、分かり切っている。教科書通りの内容なのだから、何も難しいことは無い。
そしてまた一頭、イノシシが猛スピードで兵士の横を駆け抜ける。
イノシシが本気で走れば、時速三十キロや四十キロの速さで走るわけで、人間が咄嗟に走って追いかけるのは難しい。目では追えても、足では無理だ。平地でも無理なことが、森の中で出来るわけもない。
だからこそ、多数による陣形がものをいう。
逃げる先を予知しているかのように、丁度いいタイミングに丁度いい場所で、誰かが待ち受けているという恰好。
「うらあああ」
恐ろしい勢いで走ってきた猪の爆走を、暁の人間が槍でもって妨害する。猪突の目の前に出るのは危険な為、数人で槍衾を作っての誘導である。
刺されることを恐れて急転回するイノシシは、途端に速度を落とした。そして、待ち構えていた他の兵士たちによって血祭りにあげられる。
「八、九、十、上だ。煙をよく見ろ」
「任せろ。ゲホッ」
かと思えば、木の上に大きな影が動く。猿だ。
ナニザルかは分からないにしても、そこそこ大きな猿を相手にしては油断も出来ない。猿は動物にしては賢く、集団行動も行い、そのくせ身体能力も高い。跳躍力は言わずもがな、握力にしても二百キロ近くある種もあるのだ。猿に生皮を剥がれる事件が、かつて起きている。
牙も健在で、まとまった数に襲われれば、ただの人間であれば即座に餌に成り下がるだろう。
樹上に居る猿を相手取る為には、いかにして猿の嫌がることをするかにかかっている。猿が嫌う煙を出す植物を焚いて、ぎゃあぎゃあと騒ぐ猿を追い払っていく。火攻めは戦術の基本中の基本である。
「中々堅実な指揮ですね」
「ああ、そのようだ」
ペイスが満足そうに頷く。手にした地図は随時更新されており、危険な獣の出現位置と合わせて現状が実に明確に見て取れる。
パイロンは【転写】による絵描きの凄さを改めて思い知らされた。魔法というのはどんな魔法であれ非常に便利なものだと聞いていたが、目にしてみるとまさにその通り。いや、想像以上だ。時間単位で更新されていく詳細な地図。これがあれば、どれほど軍事行動で有利になれるか。現に起きている軍事作戦とて、危なげなところが一切感じられない。目の前で自分が見ているときのように、現場の状況が想像できる。
指揮官に求められる能力の一つが、想像力。僅かな情報、限られた状況から、今起きていることを想像し、最善の手を模索する能力。想像力を補うのが経験であり、センスである。
刻々と最新情報が更新されるような状況にあって、指揮が出来ないとなれば指揮官失格だ。ただでさえ優秀な人材が、十分以上の情報を持って指揮する。これは最早、パイロンの知る戦いではない。別の何かだ。
「この分なら、すぐにも片付きそうですが……」
「そうはいかねえのが戦いでしょう」
作戦は、順調すぎるほど順調。既に作戦開始から三日目。所定のエリアを探索しつくし、後は適時追い払っていた獣をどうするかという段階。ここまでくれば、もうゴールは見えている。
しかしパイロンは、そういう時こそ危険だとペイスに忠告する。戦場において、勝った、と確信した瞬間の気の緩みで、逆転されてしまった事例など山ほどあるのだ。
「流石、経験豊富な方の意見ですね」
「誉め言葉として受け取っときます」
実に尤もな意見だと、ペイスはパイロンを褒めた。
忠言は行うに利ありと、改めて皆が気を引き締める。
「十五から二十一、微速前進!!」
作戦は、最終段階に入る。
十分に探索しきった地形情報を元に昨晩立てた包囲作戦。V字の雁行陣から、両翼の羽を広げるように鶴翼陣に移行し、そのまま崖と川によって通行困難な場所に害獣を追いやり、包囲殲滅を図る作戦だ。
地形が知れたことで、包囲の手を厚くすることも出来ている。これこそ万全の一手だと、若手たちは納得して班員の指揮にあたっていた。
「お、いよいよ包囲網を完成させましたか」
「あとは、増援が無ければ包囲して……って、話ですかい」
「その通り。少なくともプローホルの指揮は、今見えているものを全てとするなら、実に合理的な指揮ですからね。何事も無ければ、あとは時間の問題です」
「目に見えているものですか」
ペイスの言葉を聞き、パイロンはニヤリと笑った。
彼の少年が、戦場をよく知っているという含みからだ。
熟練の指揮官と、未熟な指揮官の最も大きな違いは、現場の指揮の上手さではない。現場以外の部分に対する想像力だ。熟練の指揮官は、今起きていないこと、見えていない部分についても、色々と想定して動くことが出来る。対し、未熟な指揮官は目の前のことに多くのリソースを取られる。
例えば買い物に不慣れな人間は、お店に行き、今のお店の中で出来るだけ良いものを安く買おうとする。熟練の人間は、今店に並んでいない商品や、今後の値下げの可能性も考慮して買い物をする。
どちらがよりお得に買えるかは言うまでもない。
お買い得に買い物をしたと満足した十五分後、値引きのシールが貼られて愕然とする、などというのは不慣れな人間に良くあること。
熟練の指揮官とは、今は見えていない部分も想像できてこそなのだ。
「今、少なくとも偵察した範囲の害獣を駆除できれば、最低でも三か月ぐらいは動物が森から溢れることは無い。どんぶり勘定ですが。ここで頑張って害獣を駆除しきってしまうことが、モルテールン領にとってプラスになるのは事実です。殲滅を目指すのは正しいと思いますよ」
二キロ圏内の詳細な調査と、ついでにペイスが魔法でこっそり行った空からの探査によって、おおよその害獣被害の状況が明らかになった。これだけでも軍事演習は大成功と言える成果だ。
それによれば、大体の計算でみて、二キロ圏内の害獣を駆除できればその空白地が改めて害獣に侵されきるまで、最低でも数か月の時間がかかる。
つまり、数か月はモルテールン領の農地や植林地は安全になるということ。
また、次回以降改めて害獣駆除を行うのにも、地形情報が手元にあるのは実に心強い。
モルテールン家の農業安全保障の為、害獣を駆除する方針をペイスは決断していた。
「もう少しだ!! 頑張れ!! 報酬は目の前だぞ!!」
「おうおう、傭兵を煽るタイミングも上手えじゃないですかい」
プローホルが、大きな声で報酬について叫んだ。
今回は演習から軍事作戦に変更になったわけであり、傭兵にとっては稼ぎ時。それを改めて思い出させるのは、兵士の士気を鼓舞する目的だろう。
「あれは、センスでしょうね。自分が使われる側で長らく育ってきたために、使われる側の気持ちが良く分かっている。ここで報酬を思い出させるのは、デメリットもあれ、効果的なのは事実です」
人の気持ちを推し量るというのは、簡単ではない。
特に、自分と縁遠い連中ともなれば、そもそもの考え方の基礎が違う為、気持ちの推量も難しいのだ。
その点、元々従士家出身で、人に使われる側だったプローホルは、指示を受けて使われる傭兵の気持ちもある程度忖度できる。
これは、彼の持つ得難い資質であるとともに、他の若手には無い長所であろう。
「あと一息だ!!」
「やったか?!」
包囲網もかなり狭まり、森の中が相当に血なまぐさくなってきた。
もう少しというところで、プローホルがお決まりのセリフを吐いた。こういうあと一歩の時のセリフこそ気を付けるべきという、妙なジンクスがあるのが戦場の不思議である。
「新手だ!!」
案の定、離れたところから声がする。
「ああ、変なフラグを建てるもんだから、新手ですよ」
「さて、何が来たのやら」
プローホルの建てたフラグのせいなのか。包囲網の外側から、想定していない集団が現れる。明らかに人間よりも上の俊敏性を持って、包囲網を形成していた兵士たちを襲い始めた。
ここにきて、怪我人が出始める。
「ぎゃああ!!」
「くっ、三班、怪我人を本陣に。二、四、五班、三班の穴を埋めて新手に備える。包囲網の邪魔をさせるなよ!!」
「しゃらあ!!」
「ふむ、熊と……あれは狼の群れですかね? セットでやって来るとはどういう状況なのか」
やはり、というべきなのだろうか。
ペイスを含む熟練の何人かは、周辺が血なまぐさくなってきた辺りで嫌な予感を感じていたのだが、案の定余計な連中を呼び寄せてしまったらしい。
狼は、森のハンター。十や二十ではきかない数で兵士たちを襲い始め、にわかに陣形が崩れ始める。ふくらはぎのあたりを食いちぎられている重傷者も発生。軽傷者も数を増し始める。
更に拙いのは、熊も襲い掛かってきていることだ。狼と熊のバリューセットなど、想定外を倍にしても御釣りがくる。
最悪として想定していた以上に悪くなってきた現状、プローホルなどは混乱しつつあった。
「……若大将」
「ん?」
「俺が出る。許可をくれ」
パイロンが、剣を抜いた。
今まで団長として、ペイスの補佐役として、後ろで見ていたわけだが、もう限界だ。今戦い、傷ついている兵士とは、暁の始まりの面々を指す。パイロンにとっては大事な仲間だ。
ここは自分が建て直しに行くと、ペイスに直談判した。
だが、ペイスは首を横に振る。
「……不許可です。ここは本陣。みだりに単独行動は許可できない」
軍事作戦である以上、後方基地は必須。何かあった時の最後の砦。怪我人を収容しているのも本陣であり、これを動かすのは負けて逃げる時だけだ。
普通は、だが。
「しかし、このままじゃ部下があぶねえ」
「分かっています。なので……一班、全員突撃です!! 無粋な乱入者を、徹底的にやっつけます!! 我に続け!!」
「ああ!! なんてこった」
悲痛な叫びをあげたのは、本陣の誰だったのか。
率先垂範はモルテールン家のお家芸であると知らない連中が、ペイスを先頭にして乱戦に突っ込んでいく様子を、目を点にして見ている。驚くなという方が無茶だろう。年端もいかない、お飾りと思っていたお貴族様が、一番前で剣を振るうのだから。他所ではありえない光景だ。
「熊公、俺が相手になってやらあ!!」
ペイスの吶喊に気を良くし、流石は首狩りの息子、こうでなくっちゃなとご機嫌なのがパイロンだ。彼は、ひと際陣形の乱れる現場に突っ込んでいき、そのまま大型害獣にタックルを食らわせる。
パイロンの雄姿を見たのは、同じ一班の人間。そして、全体指揮を執っていたプローホルぐらいだった。
しかし、その戦いぶりは圧巻である。
人の身長を超える巨大な生き物、腕力だけでも何百キロあるかという大型の熊を、有ろうことか素手で抱きかかえてぶん投げた。
そしてそのまま腰の短剣を、抜くが早いか熊の脳天に突き刺し、肩を噛みつかれながらも仕留めることに成功する。突撃してから僅かな時間での早業。
粗野にして暴。しかし、それはある種の憧れさえ感じるような戦いぶりだった。
「戦果報告!!」
いつの間にかきっちり狼を倒しきっていたペイスが、汗もかかずに指示を下す。これには暁の面々も脱帽であった。虎の子は虎であると、認識を深めるに至る。
「ペイストリー様。戦闘は終わりました。以後、残敵掃討となりますが……」
各班の状況を取りまとめていたプローホルが、代表してペイスに報告する。
包囲網から若干逃げおおせた害獣が居るという点で、必要とあれば逃げた害獣を改めて掃討する必要があるかもしれない。
「不要でしょう。逃げたとしても数頭程度。大きな脅威にはならない。それよりも、怪我人の治療と、戦利品の回収を急いでください。狼が出てきた森の中で、血の匂いを巻き散らしたまま夜になるなど、恐ろしい話ですから」
「分かりました」
戦利品とは、あちらこちらに散らばった害獣の死体である。鹿や猪といった、普通に食用とされる獣も多く倒しているため、これを放置することは命に対する冒とくである。
狐のような小型の肉食獣も居たわけで、これらは毛皮が金になるのだ。
傭兵としても略奪は戦場の習いであり、そうでないにしても臨時収入がそこら中に転がっている状況を見過ごすのは馬鹿であろう。
「今日は、焼肉パーティーです。好きなだけ飲み食いしてもらって構いませんからね。良く働いてくれましたから、酒も許可します」
「やふぅう!!」
「若大将、愛してる!!」
略奪の許可、もとい散らばった害獣という戦利品の自由采配を認めたペイスが、今日の食事に酒をふるまうと宣言する。
これは傭兵たちにとっては大きな喜びだ。嬉々として森のあちこちに散っていく。
そして、班員を指揮していた若手たちも、釣られるようにしてウキウキと散っていった。
「これじゃあ、俺らまでガラの悪い傭兵と思われる……」
プローホルは、疲れのあまりどっと腰を下ろした。同僚の様に、傭兵に交じって戦利品稼ぎとはいけそうにない。ずっと指揮を執り続けていたことで、恐ろしく疲労していた。
「おう、じゃあお上品な準騎士様に、差し入れだ」
「あ、ども」
そんなプローホルに、傭兵団長パイロンから差し入れがあった。といっても革袋に入った水だ。革臭く、お世辞にも上等とは言い難いのだが、今のプローホルにとっては極上の甘露。一口飲むだけでも、体に染み渡る心地だった。
「今日は中々良い指揮してたじゃねえか。てっきり、貴族のボンボンがコネで雇われてると思ってたが、なかなかどうして、肝が据わってた」
プローホルの横に腰を下ろしたパイロンが、若者の指揮が上手であったと褒める。
「元々私は従士家出身の平民ですから。当家はあまり身分を問わないので、貴族だとか平民だとかは拘らない方が良いでしょう」
「そんなもんかい。俺らにとっちゃ、ありがたいけどよ」
「貴方こそ、素晴らしい武勲です。熊を倒すのを見ていました。間違いなく一等の勲功ですね」
「んだよ、照れるじゃねえか。まあ、飲めよ」
「じゃ、返杯を」
ついこの間まで、大げんかしていたはずの相手同士。若手代表のプローホルと、傭兵代表のパイロン。立場の違いから、反目していたはずの二人。
ペイスの思惑通り、困難を共に乗り越えたことで、お互いの関係性が大分良好になったのだろう。
共に背中を預ける相手として、十分だと認め合った。
「改めて名乗っておくか。“暁の始まり”の団長パイロンだ。堅苦しい言葉遣いは要らねえからな、兄弟」
「プローホルです……いや、プローホルだ。これからよろしく頼む。頼りにしてる」
「おうよ。一緒にデカい稼ぎといこうや」
お互いに握りこぶしをこつんとぶつけ合い、笑いあった二人。今日生まれたのは立場を超えた連帯であり、年齢を超えた友情であり、試練を乗り越えた達成感である。
収まるように収まった。
大団円ですね、と傍観したのはペイスだ。両者の和解、そして結束というのは、モルテールン家にとって大きな財産となり得る。
実に良かったと頷くところ、ふとあるものに目がいく。明らかに不自然な挙動をする鳥が、ペイスの方にやってきているのだ。
ペイスの元に鳥が止まる。足には、手紙が結わえられている。
この時点でただ事で無いと予感したペイスが、手紙に目を通す。
そして顔色を変えた。
「総員!! 緊急事態です」